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草原の王子

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さわやかな風だった。秋も深まり、その草原は美しい緑の色から、ほの紅い色に変わっている。

「美しいところだな、ハインツェ」
「ホウキソウでございます、アルフロッド王子」
「ホウキソウ?変わった名だな」
「村人はこれで箒をこさえます」
「箒?あの床を掃くホウキか?」
「さようで」
「ふーん」

一面に鮮やかな赤や薄紫、銅金色などに染まった草原を、青年騎士とお供数人の馬がすすむ。

「あの森の向こうがガゼルです」

ハインツェと呼ばれた若い騎士が王子に知らせている。

「父上には内緒で来てしまったが、あとでお怒りになるだろうな」
「それでも国の実態を見ることこそ重要です」
「内政なら報告で充分じゃないのか?むしろわたしは国外の敵に対処したい」

若く覇気のある言葉だ。だがいまは国の存亡がかかっている。それは国外諸国ではない。国内にその因があるのだ。

「その内政報告が改ざんされていたら?」
「王への報告が改ざん?まさか」
「内務卿はライネントルフ教団教皇ゼルセルのしもべ。もはや国政はかの者の手の内の中と」
「バカな!父上とあろうものがありえん!」

一国の王がたった一人の男の口車で、内政、いや外交まで牛耳られることなどありえない話だ。

「前王亡きあと、やつめは葬儀をいいことにお父上ぎみさまに取り入った。新国王になられましたクラゼスさまは、ライネントルフの信者となり、国教をそれと定めました」

ありがちな話だ。そうやって宗教は力を得ていく。権力におもねることでやがては国をも動かしていくのだ。

「だからと言って父上が国政を誤るなどありえないことだ」
「さすれば、かの儀式、でございます。毎月新月の夜に行われる『魂浄化の儀』です」
「あれか。わたしも受けよといわれているやつか」
「われら側近が必死でお止めしております。そのためにエリアナ、モーリッシュ、クラウゼンが…」
「みな病死ではなかったか?若く優秀だった。心傷めている」
「みな魔法によるものです」
「なんだと!ガブリエルか?わが国唯一の魔法使いが?」
「そのガブリエルさまは深い地下牢に」
「なんだと!」

何度助け出そうとしたことか。しかし地下には強い魔法結界が張られている。生身の人間が触れれば、たちどころに肉体が腐ってしまう。

「どうしてそんな強い魔法使いが…国の管理の網を抜けて…」
「教皇ゼルセルのそばに仕えている女があるいは、と」
「あのおかしな女か?」
「正体はわかりません。ただ、名をミランダ、と」
「ミランダ…そいつが」
「あるいは魔法使いかと」

なんてことだ。国の管理の届かない魔法使い。危険極まりない。魔法使いひとりで一軍に匹敵する。だから各国も厳重に管理する。それは諸国間の決まりでもある。魔法使いはすべて各国間に知られ、隠匿などしたら袋叩きに合う。それほど恐れられる存在なのだ。

「だがなぜガゼルの町なのだ?父上の前できちんと正せばいいだろう?」
「お父上はすでに魔法で操られている懸念がございます」
「なんだと!」
「それが『魂浄化の儀』の正体です。やつらは儀式と偽り、魔法をお父上にかけ続けている、ということです」
「そんな!信じられん!聡明なあの父上が、そんな魔法になど…」
「魔法を侮ってはなりません。世に魔法に勝るものは存在しません」
「なんという…ことなのだ…」

もはや絶望、しかないよねー。気の毒―。あ、そんなことを言っている場合ではない。あのクソったれ教団をなんとかしなくちゃね。




「いったいどうなっている?手はずが違うじゃないか」

ガルシムは歯ぎしりしながら手下の僧衣の男に言った。いまは教団幹部としてここの指揮をとっているが、わけのわからない伏兵に混乱させられているのだ。

「ダルメシア王国軍は足踏み状態、盗賊どもは森中を逃げまどっています」
「わけがわからん。なぜそうなった?」
「わかりません。最初、ガザン王国の騎士が二名、ダルメシア軍に。それから森に亡者どもが湧きだして」
「関係あるのか?」
「わかりません。しかし町の防備と言い、何かしらの関連はあるとみていいでしょう」
「ふうむ」

困ったことになった。すんなり市が終わったあとの町を襲うだけのたわいない仕事だったはずだ。王にはここに派兵させず、ろくな兵を置かないようにさせた。民兵どもの抵抗もある程度予想した。だがそれはダルメシア軍で何とかなったはずだ。盗賊を速やかに町に侵入させ、内通者と合流し、微細な抵抗を排除する簡単なものだった。それがどうしたらこういうことになるんだ!

「ええい、クソ!」
「落ち着きください、ガルシムさま。まだ打つ手はあります」
「なに?」
「町にはシャドレア・リンギスがおります。彼がうまくやってくれるはずです」
「ふん、あの強欲の欲ボケがか…」



そのころぼくは宿屋でうたた寝をしていた。

「ちょっと!あんた、起きなさいってば!」
「うーん、なんだよミローネ。もう晩御飯?」
「バカなの?みんないま必死で戦ってるのよ!なんであんたがこんなところで寝ちゃってんのよ!」
「そりゃ眠いからだろ」
「いやいやいや、ありえないんですけど?ネクロちゃんは必死に森で『オブビリオン』たちに盗賊追い回させてるし、ラフレシアはダルメシア軍に命がけで交渉に行ったのよ?あんたそれ何にも感じないわけ?」

そうは言ってもネクロはきっと死霊で遊んでいるだけだろうし、ラフレシアは命がけっていうよりあの性格の悪さ爆発させに行っただけだろ?なんでそんなのいちいち何か感じないといけないんだ?

「ぼくはね、ぼくの出来得ることをしていたんだよ」
「はあ?寝台にながながと寝そべっていびきかくことがですか?」
「それを言ってはいけない。あくまでそういう姿であって、本来の目的は別」
「何よそれ。いいわけにもなってないわよ」

うっさいなあ。精霊のくせに生意気なんじゃないの?

「ぼくはじつはこうして思索していたのです。作戦を練っていたのです」
「ウソだね」

たは、いきなり否定された。まあ、ふだんの行いわるいからな、ぼく。

「あのね、そういうの傷つくからやめて」
「あんたにそんなこと今さら言っても無駄ね。さあ言いなさいよ。その作戦っていうやつを」

まー精霊のくせに偉そうに。ぼくはおまえのご主人さまなんだぞ、このバカ精霊。

「バカで悪かったわね。だったらご主人さまらしいとこ見せなさいよ」

あ、心の声が伝わるんだった、いけね。

「まあ今までのところ作戦通りだ」
「どこが作戦通りなのよ」
「うるさい。聞きなさい」
「ふん」

あー生意気。あ、また睨まれた。

「いまやつらは手も足も出ない状況だ。わかるよね」
「ふんふん」
「だからやつらは何らかの打開策を練ってくる」
「ほー」
「でも時間的余裕はない。なぜなら、近隣の村々にことが知れ渡ってしまう。そうなりゃこの町を救おうと人が集まって来てしまう」
「うんうん」
「おかしな合いの手やめてくれる?」
「すんません」
「早急に手を打たないとヤバい。だからやつらはとっておきを出さざるを得ない」
「とっておき?」
「そう。内通者だ。つまりシャドレア・リンギスだね。あいつを使ってくる」
「どうやって?」
「とにかく町の門を開けさせる。ある程度の人数は忍び込ませているだろうからね」
「でも、自警団が門を固めているわ。そう簡単には…」
「まあぼくだったら人質を取って…」


きゃああああっ!

あれ?ラフレシアの声?

きさまらいったい!

あ、オッサンの声もする?

町長たるわたしをどうするんだ、シャドレア・リンギスくん!

あ、えーと、あいつ名前なんだっけ?



とりあえず、「しまった!」とぼくは叫んでいた。後手にまわったのだ。人質を取られた。しかもラフレシアが、だ。もう最悪だ!


町の広場にそいつらはいた。中央に腹の出た中年男が剣を片手に立っている。そばに縛り上げられたラフレシアとオッサンがいた。ついでにあの町長もだ。まったく何やってんだ。

「デリア!」
「すまん、油断した」
「あ、オッサンしゃべらないで。今ちょうど盛り上がるところなんだから」

オッサンはえ?っという顔をした。

「デリア、こいつら盗賊の内通者なのよ!」
「何だって!」

っと大げさにぼくは驚いてみせた。そんなことは知ってるもーん、と言いたかったが、話の流れというか盛り上がりというか、とにかくそうしないといけない。でないと町のみんなを納得させられない。ぼくが知ってたと町の人が知ったら、なんでもっと早く言わないんだと怒られるから。怒られるのは嫌なの。ニートだから。

「わははははは、まんまと罠にはまったな、小僧。わしは前からきさまたちに目をつけていたんだ。こいつを覚えているか?」

若い男が剣を持って立っている。ああ、あいつだ。あの『ヘルキャット団』のアジトにいた若いやつだ。やっぱりこいつの手下だったんだな。

「こいつがお前たちの顔を覚えていてな、まあ秘かにおまえたちを泳がせていたんだが、三日間何もしなかったんでこっちも油断したよ。おかげでこのざまだ」

おお、何もしないってニートが認められたような嬉しい気持ち。

「その子を放せ!」

とぼくがそれだけ言うと、となりのオッサンが目を剥いた。

「おい!俺はどうなんだよ!」
「あんたは自分で何とかしなさい」
「ま、待てよ、そりゃないだろ!こんなんでどうすりゃいいってんだよ?」

まったくもう、使えないなあ、オッサンのくせに…。

「小僧、古今東西どこの世界に決め手になる人質を解放するバカがいるんだ?」
「それもそうだね」
「ものわかりがいいな。ではそこをどいてもらおうか」

今ならゴーレムくんでラフレシアだけなら何とか助けられる。だがオッサンの命が…しかたねえなあ。あ、町長がわたしは?って眼をした。知らんがな。

「くっそー、仕方ない。町の人も道をあけてください」

ぼくはそう町の人たちに頼んだ。町長まで人質なんだ。みんな渋々道をあけた。

「ヒャッホーっ!」

誰かが町の門を開けたらしい。盗賊たちがなだれ込んできた。すぐに中央の広場は盗賊でいっぱいになった。

「これはこれはあのクソガキ。元気そうじゃないか?」

『ヘルキャット団』の女頭目、女豹ミランダだった。

「くっそ、卑怯だぞ!」
「んー、いいセリフだ。あたしのいままでの人生の中で聞く、一番好きなセリフだ。もう何万回も聞いたけどねえ」

それだけで性格の悪さがわかる。まあどうでもいいけどね。

「ぼくたちをどうしようってんだ!」

まあこれもお決まりだ。これ言わないと危機感ってものが出ないからね。

「どうもこうもない。みんなあの世行きさ」

ま、そう言うと思った。

「じゃあみんな仲良くおねんねの時間だわ」

女豹ミランダの腕が怪しく光った。魔法を発動する。それも半端な力じゃない、そう思った。



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