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毒の沼の魔女

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正直気乗りはしなかったんです。でもラフレシアの病気を治すためには、仕方のないことなのです。

「と、思っていたんだけど、なんだか理不尽過ぎて腹立つなあ」
「無理しなくていいのよ、デリア」
「もう遅いよ、ラフレシア。賢者の石はもうもらっちゃったんだし。やらないと詐欺罪で訴えられる」

ニートは律儀なんです。

「あんたときどきわけわかんないこと言うわね」

でっかいトラ、というかニャンコが先頭を歩いている。いまは翼をたたんでいるので、見た目そう大きくはない。ぼくらはその後ろをぞろぞろとついている。荷馬車に鎧を着た死霊と魔物の行列だ。はたから見たら絶対恥ずかしいやつだ。

「その毒の沼ってどんなとこなんだ?」

うしろでなにかもぞもぞ食べているミローネに聞いた。こいつまたビスケスを食べてやがる。塩味が結構きついから、荷馬車の横についている蛇口で水を出してごくごくそれを飲みながらだ。いやしいやつめ。

「言葉通りのところよ。辺り一帯は濃い瘴気に包まれた荒れ果てた場所で、強い毒の沼があるだけよ」
「そんな恐ろしいとこに人が住めるものなのか?」
「だから魔女なんじゃない。魔女は悪魔と契約を交わしたもと人間だわ。魔女グレダーナは魔女のなかでも最悪でたちが悪い。強い魔法と魔薬を使うの。遠くの村から子供だけをさらって食うと言われているわ」

なにそれ最悪じゃん。なんで近隣諸国は黙ってるんだ?

「なんか絶望しか見えないなあ」
「それに」
「まだあんの?」
「あいつは強力な呪いを使う。それは悪魔から譲り受けた呪法。小さな蛇を竜にしたり、小さな虫をモンスターにする。みな呪いの力。まわりの国々はそれを恐れて手出しできないのね」

そういうことか。これはますます絶望だ。

「なんかみんなとは、そこでさよならする場面しか思い描けないなあ…」
「案ずるな少年。いかに強力な魔女だろうがしょせん悪魔の眷属。それなりに弱点はあるだろう」
「ほんと、ニャンコ?」
「ニャンコではない。わが名はクロス」
「はいはい。で、弱点って?」
「それはわからない。陽の光に弱い魔女、塩が苦手な魔女、聖水でもがき苦しむ魔女、マグネという鉱石に力奪われる魔女、いろいろだ」
「なんかあてになんないなあ。えーと、マグネってなに?」
「わたしにはわからん。大賢者さまが前に、剣や鎧をひきつける力を持った石のことだとおっしゃっていたのを聞いたことがあるだけだ」
「ふうん」

まあ、どれが効くのかはわからないが、とにかく弱点はあるらしい。戦いのなかそれを探る?いやいや、見つける前にみんな死んじゃいます。



「そろそろ沼だ」
「えらく早いな」
「文字数の関係だ。仕方ない」
「意味わからん」

とにかくぼくらは瘴気のあふれるその恐ろしい沼についたらしい。うわあ、ほんとうに怪しげなガスが漂っている。

「ラフレシア、これつけて」
「なにこれ?」
「ガスマスク」
「ガスマスク?なによそれ」
「人間のぼくらはあんなガス吸い込んだらたちまち死んじゃう。精霊とか人間じゃないものは平気だろうけど。とにかくこれをつければあの瘴気ってやつのなかでも無事なのさ」
「こんなものどうしたの?」

それはぼくが錬金術でこさえた、っていうのはまだ秘密。

「実家の秘宝なんだ」
「あんたんちの?貧乏な準男爵家の秘宝?ないわー」
「ほっとけ。いいからつけて」
「ふが」

ぼくは無理やりガスマスクをラフレシアにつけさせた。

「ぶわっはっは、なにそれ笑うわー」
「笑うなミローネ。人外はいい気なもんだな!」
「失礼ね、それより暗くなってきたわよ?そろそろ出るわよ…」

魔女は夜中に活動するってニャンコが言っていた。

「死霊たちにぼくたちを囲むようにしてくれ」
「円形陣だな、マスター」

ネクロが死霊たちを、ミローネが魔物たちをぼくたちのまわりに並べてくれる。みな甲冑を着ている。それなりに強そうには見える。

「デリア、なんか来るわ。それも相当ヤバいものが」

ミローネが震えている。精霊女王を震えさせるなんて、相当大きな力を持っているんだと思った。でもここまで来たんだ。ラフレシアのためにもやらなけりゃね。

「あらあら、久しぶりのお客さんかと思えば、なによ、ただのゴミだったんじゃない」

いきなり失礼な物言いの女の声がした。それとわかる真っ黒なドレスをまとった、黒い髪の痩せた、美しい女だった。

「どこがどブスなんだよ。見た目きれいじゃないか」

ぼくはミローネに苦情を入れた。こんなんだったらもっと早く来たのに。

「なに言ってんの?あれ魔法よ。そう見えているだけ。あたしにはげろキモイ顔にしか見えないわ」
「マジっすか。魔法すげえ」
「なに感心してんのよ。油断しないで」

魔女はジロジロとぼくたちを見ている。

「なによ、クソったれの精霊と虫けらの死霊使いネクロマンサーじゃない。なんでこんなとこに?しかも人間つれて。なに?あたしを退治しに来たとでも?マジウケる。あんたたちがあたしを倒せるなんて、本気で思ってるの?」
「あんたがどれだけの精霊を食ったか、今さら言わないわ。だけどその恨みは晴らさせてもらう!」

ミローネは怒っていた。そうか、そういうことだったんだ。

「小賢しい精霊めっ、消えておしまい!」

それはきっと魔法というんだ。怪しい真っ黒な糸みたいのが大きな束になってミローネに絡みつこうとしている。きっとあれに絡みつかれたら、ミローネは消える。ぼくはそう感じた。だからぼくが前に出るしかなかったんだ。ああ、ぼくはニートなのに、無気力が取り柄のニートなのに、なんでこうなるのかなあ…。


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