合法ブランクパワー 下記、悩める放課後に関する一切の件

ヒロヤ

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四月二十七日(水)朝 駅前ロータリー

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 菜々美は朝の駅前通りにやってきた。
 電光掲示板には今日の天気と降水確率が表示されている。

 水曜日の天気 晴れ
 降水確率   十パーセント

 すぐさま画面は変わり、最近発売された清涼飲料水のコマーシャルになった。

 菜々美は昔買ってもらったピンクのベルトの腕時計を眺めた。

 ――あと、五分くらいか。

 菜々美は長身の異国顔を思い浮かべた。


 宇佐見から突然電話が来たのは昨日の夕方だった。

 借金の整理のため、宇佐見が頻繁に父親と連絡を取っているのは知っていたが、家の電話に掛かってくることは珍しい。
 だとすれば、きっと菜々美の方に用があるのだろう。

 最初は勇気が出なかった。
 ほどなく電話は切れてしまった。
 そして、再度かかってくると、菜々美はすぐに受話器を取り上げた。

「もしもし」

 こんにちはぁと陽気な声が聞こえてきた。

「ウサちゃん」
「今はお話しても大丈夫?」

 うん、菜々美は答えた。

「リスカちゃんさ、明日も学校休みでしょ?」

 宇佐見が尋ねたことに、菜々美は少し違和感を覚えながら答えた。

「学校は休みじゃないけど、行くつもりはないから」

 笑い声が聞こえる。

「そうだったねえ。それじゃあ明日デートしよう」
「は?」
「大丈夫。必ず陽が落ちる前に家に送り届けるのを条件に、パパさんの許可を取ったから」

 菜々美は声が出せない。
 かろうじて、

「お父さんが?」

 と聞けた。

「そう、さっきまでパパさん事務所に来ていたのよ。書類の手続きがあるからね。その時にお許しもらったから。嘘だと思うならお家に帰って来た時に聞いてごらん」

 許しだの何だの、そんなことは問題ではない。宇佐見の真意がわからなかった。
 菜々美は声を上ずらせながら電話の相手に言った。

「どうして?どうしてそんなことになっちゃったの?」
「深い理由はないよ。たまにはお出かけしたいでしょ?」

 ――。

 正直、外に出るのは面倒だった。
 しかし、宇佐見と出かけることには少しだけ興味があった。これは自分でも驚くべきことだった。

 ――あんなに、毛嫌いしていたはずなのに。

 迷っていると宇佐見が思い出したように言った。

「あ、でも急な仕事が入ったらキャンセルになっちゃうけど、その時は許して。ゴメンね」

 菜々美は、自分でも不思議なくらい素直に了解した。


 そして今朝、宇佐見から再び電話があった。
 父親はだいぶ早く出て行ったようで、その電話が菜々美の目覚まし代わりになった。
 宇佐見から今日の外出が決行されることが告げられ、待ち合わせの十時を目指して菜々美は準備をし、まだ静かな駅前までやってきた。

 もう十時だ。

 どこから宇佐見は現れるだろう。待ち合わせ場所は電光掲示板が正面に見える位置だと指定された。

 目の前はロータリーがある。
 オレンジ色の車がそこに入ってきた。
 何となく目つきの悪い車で、しかも左ハンドルだ。

 運転席にいる人物に菜々美の方が先に気づいた。
 近づくと、宇佐見も菜々美の姿を確認したようだ。

「おはようリスカちゃん」
「おはよう……ございます」

 宇佐見は外に出てきて、菜々美のために助手席のドアを開けてくれた。
 菜々美は車を眺めながら後ろから回りこむと、広い車内に足をすべりこませた。

 ――いい香り。

 宇佐見は運転席につくと、背後を確認しながら車を発進させた。

「それじゃ出発」

 菜々美は流れていく駅前の風景を眺めた。
 いつも見る景色がこんなに変わってしまうのか。

 隣から宇佐見が缶ジュースと紅茶を差し出した。

「お好きな方をどうぞ」

 菜々美は紅茶を受け取った。
 オーディオからは外国の曲が流れていた。

 操作しながら宇佐見が菜々美に尋ねる。

「リスカちゃんはどんな音楽聴くの?好きなアイドルとかいるでしょ」
「いない。そういう音楽はあまり聴かない」

 特にリクエストもないことを伝えると、宇佐見は自分が好きなものを選曲した。

「オレは音楽詳しくないけど、感覚的に良いものは良いよね。このジャズっぽい感じが今はお気に入り」

 宇佐見は信号待ちのたびに指でハンドルをリズミカルに叩いた。

「フルートだ」

 菜々美は思わず声をもらした。

「ん?そうなの?どこで聴こえる?」
「この次のあたり。ホラ」

 宇佐見は音に集中すると、その明るい瞳が感嘆の色を浮かべた。

「すごいじゃん。そうかフルートやってたんだっけ?」
「もうやめちゃった」

 菜々美が小さく早口で答えると、宇佐見が横目で見てきた。

「またやればいいじゃない。やりたければだけど」
「でも、どうせ部活はもうすぐ引退だし、退部することも言っちゃったし」

 道路が流れ始めた。
 宇佐見もスピードを上げる。

「変なこと言うねえ。だって、このCDの人たちだって部活動で演奏してるんじゃないよ」
「そうだけど」
「部活は辞めてもいいじゃん。でもフルートは続けられるでしょう?」
「無理だよ」
「どうしてさ」

 菜々美は黙ってしまった。
 それ以上、宇佐見も何も言わなかった。
 入部と同時に買ってもらったフルート、もう手入れもしていない。
 あのケースを開けるのさえ怖いくらいだ。
 いや、申し訳ないというべきか。
 買ってくれた両親に対するものではなく、純粋に楽器に対して謝りたい。
 楽器に対しては素直に頭を下げられる気がして、菜々美はそれが不思議だった。

 車のエンジン音とジャズの曲だけが耳に届く。
 フルートの音色が絶妙なポイントで入った。
 時に控えめに、時に主張するように。
 こういうジャンルでも、クラシックの楽器が使われるのか。
 次はトランペットがメインの曲だった。あまり好きな感じではない。

 ぼんやり耳にしながら、菜々美は少し異変に気づいた。

 いつからこの沈黙が続いている?

 どうしたのだろう。
 宇佐見は時々、ハンドルを動かすくらいだ。
 いつもみたいにペラペラ話せばいいのに。こちらから話すことなどないのだから。

 急に面倒な気分になってきた。

 菜々美は外の風景を眺め、紅茶を飲むしかなかった。
 もう、どこを走っているのかもわからない。
 程なく高速道路に入った。
 外の風景すら奪われた。

 仕方なく菜々美は宇佐見の車の中を見回した。

 後部座席には道路マップがあった。隣にはバッグだ。

 宇佐見がくすくす笑った。

「退屈?もうすぐ着くから」
「平気」

 笑われたのが気に入らず、菜々美はわざとそっけなく答えた。
 高速から一般道に入ったあたりで、やっと宇佐見が話し始めた。

「もう、リスカちゃん話しかけてくれないと困るじゃん」

 菜々美は宇佐見を睨んだ。

「何でよ。そっちだって黙っていたくせに」
「そうだよ。だから一瞬気持ちよく寝ちゃったよ」
「えっ?」
「車の運転は眠くなるんだよねえ。次は起こしてね」
「ちょっと!寝ないでよっ」

 菜々美は宇佐見の腕を引っぱたいた。
 幸い宇佐見は寝ることなく目的地を目指してくれた。

「あっ」

 海だ。
 晴れた青空の下、突然目の前に海が広がった。

「おお、良い天気だねえ」

 しかし、宇佐見のハンドルは右に方向を変えて、あっという間に海は見えなくなってしまった。
 菜々美は宇佐見の彫りの深い横顔を見つめた。

「ねえ、どこ行くの?」
「やっと聞いてくれたねえ。もう、普通はそれを最初に聞くでしょうよ」

 宇佐見は嬉しそうな顔をする。
 人通りの多い場所へ車が入って行く。
 自然とスピードが落ち、往来の様子を間近で見ることが出来た。
 お土産屋が並び、観光客が溢れている。
 人力車の姿も見える。
 その間を通り抜けて行くと、急に静かな場所に出た。

 ここは――。

「鎌倉」

 宇佐見はそう言うと広々とした駐車場に入って行った。
 停車させると、

「ゴメンね。十分だけ仕事させて」

 そう言って後部座席から鞄を取り出すと、大きな建物の中へ入って行った。
 菜々美は窓から顔を出して、その建物の正体が市役所だとわかった。
 確か、宇佐見は弁護士だったはずだ。
 弁護士って裁判所以外でも仕事をするのか。

 宇佐見の職業を疑った時もあったが、あれ以来父親も声を荒らげることをしなくなったし、菜々美に対してコミュニケーションを取ろうとする様子も伺えるようになったのだから、何らかの影響を与えていることは間違いなかった。
 もちろん、未だ父親との会話はほとんどないのだけれど。

 菜々美は窓から顔を出して空を見上げた。
 トンビが飛んでいる。

 宇佐見は仕事を終えたらどこに連れて行くつもりなのだろう。
 また海を見せてくれたらいいのに。
 横浜の方に出るのかもしれない。
 フラフラと宇佐見が歩いてくるのが見えた。時々、足を引きずるように歩くのは癖なのだろか。誰かと電話で話しながら車に近づいてきた。

「ん?和解?いやいや、面白いこと言うねえ。ある意味で残債あるのはそちらでしょうに。えっ、明日会社が飛んじゃうの?……あらまあ、そりゃ大変だ。一応、債務者には話すけど、そちらも誠意見せて欲しいな。彼だって、あの時は必死になって払ったんだから」

 おそらく、仕事の話なのだろう。
 会話を終えると、中で待つ菜々美に笑いかけた。
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