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四月二十八日(木)夜 ふじいし司法書士事務所
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有平忠志は、一瞬、司法書士の藤石宏海の意地悪い笑みを見た気がした。
その直後、来客を告げるチャイムが夜の事務所内に鳴り響く。
「はーい」
やけに楽しそうな藤石がドアを開けると、甘い香水の匂いが部屋に満ちていった。
冷たい春風に押されるように入ってきた人物。
「こんばんは」
それは敬太の母親だった。先週、土曜日の朝に見た時と同じワンピースを着ている。
しかし、その若々しい見た目に反して、低く落ち着いた声だった。
「よろしくお願いします。先生」
「どうぞ」
藤石は招きいれようとしたが、客人は微動だにしなかった。
その当惑した視線がとらえているのは――。
――僕だ。
「あの、先生」
敬太の母親が藤石を呼び止めた。
「はい?」
「こちらの方は?」
「ああ、そうだった」
藤石は忠志の肩に手をやると、にこやかに言った。
「有平忠志くんです」
客の顔は、困惑したままだ。
「あの……そうおっしゃられても……一体どういうことでしょう」
そうだ、説明してくれ。
僕だって、何も聞かされていないのだから。
――。
藤石から突然メールが来たのは学校からの帰宅途中のことだ。
もしも頼めるなら、仕事の手伝いをして欲しいという内容だった。
アルバイト料の代わりに夕飯をごちそうしてくれるといわれ、忠志は喜んで了承した。家に帰っても一人で食べるだけで、買出しも面倒だったからだ。
それに、今まで藤石に迷惑をかけた分の恩返しができると思い、忠志は張り切った。
帰宅をして着替えると、藤石に連絡をした。
しかし、当人に集合時間は夜の七時だと言われ、遅くなるから親の許可も取ってくるように言われた。
忠志の自宅の一件から、藤石や白井のことは母親に話してあり、それなりに信頼を置かれているようで、母親もあっさり了承してくれた。
ところが、乗り換えのJRが踏切事故で止まってしまい、結局は遅刻気味で藤石の事務所に着いた。
その直後に、事務所のチャイムが鳴らされ、この客人が現れたのだった。
意味がわからない。
手伝いって、何をさせる気なんだ――。
「先生、あの……」
敬太の母親の顔が強張ってきた。それに対し、藤石はにこやかな笑みを浮かべている。
「有平忠志くん、ご存じないですか?」
「おっしゃっている意味がわかりませんわ」
藤石はため息をつきながら、一人納得したように頷いた。
「じゃあ仕方ないですね。彼は息子さんの親友です。高校のクラスメートですよ」
それを聞いた敬太の母親は驚いた表情で忠志を見た。
妙に心地が悪い。忠志はうつむいてしまった。
そんな忠志の肩を藤石が叩いた。
「この彼も、息子さんと同じタイミングで知り合いましてね、今日は少しアルバイトをしてもらっていたんですが、こんな時間になってしまいました。でも、せっかくですから学校での話を聖川さんに聞いてもらおうかなと」
藤石は微笑みながら、二人を応接の方へ案内したが、
「ご冗談でしょう。今日は大事な話があるのです」
敬太の母親が眉をひそめて言い放った。
忠志も、この状況で楽しく学校の話をする自信などない。藤石に抵抗してみせると、小柄な司法書士は眠そうな目を敬太の母親に向けた。
「そうなると……有平くんはいない方が良いんですかね」
「先生のご厚意には感謝しますが、その……子どもに聞かせるような話ではありません」
敬太の母親は忠志に鋭い視線をよこしたが、すぐに申し訳ないような顔をして、頭を下げた。
「息子がお世話になっています。ですが今日は」
何もかも一方的に話が進められて、忠志は返事すら出来ない。
あの、その、と反応するだけだった。
「なるほど、わかりました」
藤石が忠志の背中を叩いた。
「有平くん、今日はご苦労だったね。また次も頼むよ。さあ、聖川さん。お話を伺いましょうか。こちらの応接です」
右側の小さな応接へ通しながら、小柄な男は振り返って忠志に言った。
「ああ、そうだ。左側の応接の窓が開けっぱなしだった。悪いけど戸締り頼むよ。フロアの電気は全部消してから帰ってくれるかな。節電は大事だからね」
そして藤石自らも右側の応接の中に入り、ドアが閉ざされた。
忠志は立ち尽くした。
結局、何もわからずじまいだった。
むしろ、ハメられたような気分になってきた。
どうやら藤石は、敬太の母親に学校の話をさせるためだけに自分を呼んだみたいだが、それなら、前もって教えてくれたって良いじゃないか。
――それにしても、敬太のお母さんがどうしてティラノさんの事務所に?
考えたところで答えが出るはずもないが、忠志は妙な心地になった。
とにかく、自分にはもう用はないらしい。ここに突っ立っているわけにもいかない。
――帰ろう。
すごく名残惜しい気持ちはあるけれど。
忠志がフロアを見渡すと、藤石たち二人が入った応接のちょうど向かい、左側の部屋のドアが半開きになっていた。時々、冷たい風が吹き込んで来る。確かに戸締りはした方が良い。
忠志が左の応接室に足を向けた時だった。
いきなり内側からドアが開き、長い腕が忠志の口を押さえつけた。
「――っ!」
そこには見覚えのある外国人のような顔をした長身の男が立っていた。
口に人差し指をあてて、ひたすらシーシーと忠志に訴えている。
応接の中には、これもまた見たことのある黒い服を着た前髪の長い男がいた。
同じように人差し指を立てて静かにするようにサインを送ってきた。
黒服の男が、応接の窓を閉める。さらに、異国顔の男が、フロアの電気を消した。一気に暗くなった事務所の中を、慣れた足取りで動き回り、出入り口のドアを開けた。
そして、数秒後にわざとらしく閉めた。
大男は、不自然な忍び足で応接の前まで戻ってくると、呆然としている忠志を中へ招き入れた。
その直後、来客を告げるチャイムが夜の事務所内に鳴り響く。
「はーい」
やけに楽しそうな藤石がドアを開けると、甘い香水の匂いが部屋に満ちていった。
冷たい春風に押されるように入ってきた人物。
「こんばんは」
それは敬太の母親だった。先週、土曜日の朝に見た時と同じワンピースを着ている。
しかし、その若々しい見た目に反して、低く落ち着いた声だった。
「よろしくお願いします。先生」
「どうぞ」
藤石は招きいれようとしたが、客人は微動だにしなかった。
その当惑した視線がとらえているのは――。
――僕だ。
「あの、先生」
敬太の母親が藤石を呼び止めた。
「はい?」
「こちらの方は?」
「ああ、そうだった」
藤石は忠志の肩に手をやると、にこやかに言った。
「有平忠志くんです」
客の顔は、困惑したままだ。
「あの……そうおっしゃられても……一体どういうことでしょう」
そうだ、説明してくれ。
僕だって、何も聞かされていないのだから。
――。
藤石から突然メールが来たのは学校からの帰宅途中のことだ。
もしも頼めるなら、仕事の手伝いをして欲しいという内容だった。
アルバイト料の代わりに夕飯をごちそうしてくれるといわれ、忠志は喜んで了承した。家に帰っても一人で食べるだけで、買出しも面倒だったからだ。
それに、今まで藤石に迷惑をかけた分の恩返しができると思い、忠志は張り切った。
帰宅をして着替えると、藤石に連絡をした。
しかし、当人に集合時間は夜の七時だと言われ、遅くなるから親の許可も取ってくるように言われた。
忠志の自宅の一件から、藤石や白井のことは母親に話してあり、それなりに信頼を置かれているようで、母親もあっさり了承してくれた。
ところが、乗り換えのJRが踏切事故で止まってしまい、結局は遅刻気味で藤石の事務所に着いた。
その直後に、事務所のチャイムが鳴らされ、この客人が現れたのだった。
意味がわからない。
手伝いって、何をさせる気なんだ――。
「先生、あの……」
敬太の母親の顔が強張ってきた。それに対し、藤石はにこやかな笑みを浮かべている。
「有平忠志くん、ご存じないですか?」
「おっしゃっている意味がわかりませんわ」
藤石はため息をつきながら、一人納得したように頷いた。
「じゃあ仕方ないですね。彼は息子さんの親友です。高校のクラスメートですよ」
それを聞いた敬太の母親は驚いた表情で忠志を見た。
妙に心地が悪い。忠志はうつむいてしまった。
そんな忠志の肩を藤石が叩いた。
「この彼も、息子さんと同じタイミングで知り合いましてね、今日は少しアルバイトをしてもらっていたんですが、こんな時間になってしまいました。でも、せっかくですから学校での話を聖川さんに聞いてもらおうかなと」
藤石は微笑みながら、二人を応接の方へ案内したが、
「ご冗談でしょう。今日は大事な話があるのです」
敬太の母親が眉をひそめて言い放った。
忠志も、この状況で楽しく学校の話をする自信などない。藤石に抵抗してみせると、小柄な司法書士は眠そうな目を敬太の母親に向けた。
「そうなると……有平くんはいない方が良いんですかね」
「先生のご厚意には感謝しますが、その……子どもに聞かせるような話ではありません」
敬太の母親は忠志に鋭い視線をよこしたが、すぐに申し訳ないような顔をして、頭を下げた。
「息子がお世話になっています。ですが今日は」
何もかも一方的に話が進められて、忠志は返事すら出来ない。
あの、その、と反応するだけだった。
「なるほど、わかりました」
藤石が忠志の背中を叩いた。
「有平くん、今日はご苦労だったね。また次も頼むよ。さあ、聖川さん。お話を伺いましょうか。こちらの応接です」
右側の小さな応接へ通しながら、小柄な男は振り返って忠志に言った。
「ああ、そうだ。左側の応接の窓が開けっぱなしだった。悪いけど戸締り頼むよ。フロアの電気は全部消してから帰ってくれるかな。節電は大事だからね」
そして藤石自らも右側の応接の中に入り、ドアが閉ざされた。
忠志は立ち尽くした。
結局、何もわからずじまいだった。
むしろ、ハメられたような気分になってきた。
どうやら藤石は、敬太の母親に学校の話をさせるためだけに自分を呼んだみたいだが、それなら、前もって教えてくれたって良いじゃないか。
――それにしても、敬太のお母さんがどうしてティラノさんの事務所に?
考えたところで答えが出るはずもないが、忠志は妙な心地になった。
とにかく、自分にはもう用はないらしい。ここに突っ立っているわけにもいかない。
――帰ろう。
すごく名残惜しい気持ちはあるけれど。
忠志がフロアを見渡すと、藤石たち二人が入った応接のちょうど向かい、左側の部屋のドアが半開きになっていた。時々、冷たい風が吹き込んで来る。確かに戸締りはした方が良い。
忠志が左の応接室に足を向けた時だった。
いきなり内側からドアが開き、長い腕が忠志の口を押さえつけた。
「――っ!」
そこには見覚えのある外国人のような顔をした長身の男が立っていた。
口に人差し指をあてて、ひたすらシーシーと忠志に訴えている。
応接の中には、これもまた見たことのある黒い服を着た前髪の長い男がいた。
同じように人差し指を立てて静かにするようにサインを送ってきた。
黒服の男が、応接の窓を閉める。さらに、異国顔の男が、フロアの電気を消した。一気に暗くなった事務所の中を、慣れた足取りで動き回り、出入り口のドアを開けた。
そして、数秒後にわざとらしく閉めた。
大男は、不自然な忍び足で応接の前まで戻ってくると、呆然としている忠志を中へ招き入れた。
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