三人の三蔵

Atokobuta

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三人の三蔵

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 さて、三蔵の前には三人の三蔵がいた。

 一人は落ち着きなく「これは一体なんだ、意味がわからねえ。」と険しい表情で自分の身体をきょろきょろと見下ろしたかと思うと耳の中に指を入れ「ない、ない。如意棒がない。」と慌てる三蔵、もう一人は「おお、身体が軽いぞ。またお師匠様の身体になったんだな。慣れたもんだぜ。」とその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた後に「今度こそは城市に行ってモテモテ体験してやるんだからな。」と鼻息荒く意気込んでいる三蔵、最後の一人は自分の身も三蔵になっていることにも気づかずに、「お師匠様が三人……?」と自分以外の姿を見てきょとんとしている三蔵である。

 ここは西梁女人国の国境である。三蔵との結婚を目論む女王からやっと逃れてきたかと思えば息もつかせぬ間に、また三蔵を自分の婿にしようと企てた蠍の精に攫われた。

 その昔、あの釈迦如来の手指を腫れさせた経歴を持つさそりの精の妖力はさすがに手強く、昴日星官に退治を依頼したのだが、その蠍の精は滅する際に「それもこれも聖僧が一人しかいないせいだ。たくさんいれば一人くらいわらわのものになったのかもしれないのに。」という恨み言を残した。結果、三蔵一行に呪いがかかり、悟空、八戒、悟浄の姿がなんと三蔵に変わってしまったのである。

「じゃあ、それがしはこれで。」
 と仕事は済んだとばかりにあっさり去ろうとする昴日星官を、あまりに目つきの悪い三蔵が呼び止める。

「おいおい、自分の持ち場以外の仕事はしないってか。そんなに無責任な態度では、せっかくの二十八宿の名が泣くんじゃねえのか。おれ達の姿を元に戻してから帰るのが筋ってもんだろう。」

 この目端のきくすばしこさと口達者なところを見るとおそらく悟空の変化した三蔵(三蔵悟空と呼ぶことにしよう)のようだ。姿形は三蔵法師と瓜二つだが、声をよく聞けばそれは変化前の悟空のそれと変わりがなかった。

「そのようなことを言われても、某には方法がわからぬ。」

 困ったように肩をすくめる昴日星官を見かねて三蔵は声を掛ける。

「悟空……、悟空ですよね。」

「はい、お師匠様。」

 間髪入れずに答える声は悟空のものだが、姿は三蔵である。同じ顔をした者に話しかける三蔵は妙な気分だった。

「あまり人を困らせるものではありません。手強い妖怪を退治して頂いただけでもありがたいのですから、この問題は自分たちでなんとかするしかありません。」

「何のんきなこと言ってるんですか。こんな頼りのない身体のおれは如意棒もないし、雲にも乗れません。お師匠様が今妖怪に捕まったとしたら誰がどうやって助けるんです。」

 真剣な様子の三蔵悟空に、三蔵は反論できない。三蔵悟空は昴日星官に詰め寄った。

「昴日星官、頼むから照魔鏡しょうまきょうを借りてきてくれ。托塔李天王に頼めばすぐ持ってきてくれるからさ。玉帝に見つかると、天の宝物をみだりに使うなとか面倒なことになるんで、秘密裡にな。お前だけが頼みの綱なんだ。」

 昴日星官はしばし考え込んだ。

「照魔鏡……とな。」

「その鏡で映せば本当の姿を取り戻す効果があるんだ。別に減るもんでもねえし、ちょっと借りるだけだって。どうしたってこのままでは天竺にはたどり着けないし、そうなれば観音も釈迦如来も困るだろう。」

 むむ、と唸った昴日星官はついに頷いた。彼の本体は雄鶏だ。朝が来るたび決まって鬨の声をあげる彼は元来実直な性質なのだ。 

「托塔李天王に照魔境……だな。」

 確認するように呟いた後、すぐに雲に乗って飛びたとうとする昴日星官の襟首を三蔵悟空はひっつかんでさらに要求した。

「行く前に結界を張ってくれ、お師匠様の分だけでいい。妖魔が近付いてきてもお師匠様の身だけは守られるように。」

「お主らの分は要らぬのか。無力な人間の身体であるのはお主ら三人も変わりないだろう。」

「おれ達は自分たちでなんとかするし、お師匠様のときを乞いに行くにしても結界の外に出られないとなれば都合が悪い。万が一、おれ達が死んだってお師匠様さえ助かればそれでいいんだ。」

 三蔵悟空のさも当然だというような理屈を聞いて、「いやだいやだ、俺はまだ死にたくはないよう。」と四の五の言い始めた一人の三蔵は、なぜか袈裟を外し法衣の襟元をしどけなくはだけたままふくれ面をしている。おそらくこれが八戒の変化した三蔵(三蔵悟空に習い、三蔵八戒と呼ぼう。)であろう。

 となれば、さだめし、その三蔵八戒の隣でいやに暗い顔で嘆息しているのは悟浄の変化した三蔵(もうお分かりだろう、三蔵悟浄と呼ぼう。)であるに違いない。

 昴日星官は黙って頷き、大きな雄鶏である本来の姿を現してその嘴で三蔵の周りに小さな円を描き、天へ飛び去って行った。





「ああ、まどろっこしい。おれが筋斗雲にさえ乗れたならば、今すぐにでも照魔境をぶんどってきて元通りにしてやれるのに。」

 腕組をしながら貧乏ゆすりをする三蔵悟空に、三蔵悟浄は声を掛けた。

「悟空兄者、いかにも悟空兄者だな。いや、ここはお師匠様のように見える悟空兄者と言うべきか。」

「話をややこしくするんじゃねえ、いつも通り呼べよ。」

「では悟空兄者、筋斗雲の法をやってみたらどうだろうか。」

「できねえだろ、こんなお師匠様の姿では。」

「物は試し、というではないか。」

 それもそうか、と呟いた三蔵悟空は、いつものように宙に跳びあがって回転しようとしたが、やはり三蔵の肉体では想定していた動きに堪えられず、その途中でどう、と倒れた。

「悟空、大丈夫ですか。」

 思わず足を踏み出しかけた三蔵を三蔵悟空は大声で制した。

「こっちにきてはだめですよ。結界の外に出てはなりません。前にお師匠様は一度おれの張った結界を出て妖怪に捕まったことがあるでしょう。痛い目を見たくなければ、言うことを聞いてください。」

「やはり無理か……。」 

 一方の三蔵悟浄は三蔵悟空に手を貸し起き上がらせてやりながら、あごに手をやって考え込んだ。

「悟浄、無理だってわかっていたのならば、むやみにけしかけるなよ。お師匠様の身体に傷がついちまっただろう。」

 普段の悟空の身体であれば、どんなに切った張ったしようとまったく傷もつかないが、一度転けただけだというのに三蔵悟空の膝小僧からはもう血が滲み出している。生身の人間の身体がどれほど脆く傷つきやすいものなのか、改めて思い知らされる気がして三蔵悟空は唇をかんだ。

「いや、悟空兄者、拙者は考えていたのだ。この外貌は外見だけの変化で中身は元の姿を保っているのか、それとも中身まで全てがお師匠様の身体に入れ替わってしまったのか。外見だけの変化なのであれば一見はお師匠様のように見えるけれども、実態は兄貴の身体なのだから雲に乗ろうと思えば乗れることもあるだろうと考えたのだ。」

 悟浄の考えは、悟空にとっては馴染みのないものだった。彼にとって変化の術とは精神を統一し、自分の身体は既に別の存在であると強く信じることで、自分の細胞と天地の理ことわりとをペテンにかけて身体丸ごとを別物に変化させることである。

「外見だけの変化で中身は元のままってのは、つまり大福みたいなもんだな。例えばおれの元の姿である餡を三蔵の牛皮で包む……。」

 思考を整理しながら、三蔵悟空は身体がむず痒いような気がしてくる。三蔵の外見の牛皮で自分の身体が包まれているとすれば、なんとなくくすぐったい。

「いったいぜんたい、そんなことがありえるのか。」

「しかし悟空兄者、外見は大きく変化したというのにおかしなことに声色だけが元のままではないか。これは普通の変化の術ではありえない。」

「たしかにな。」

 一旦、納得しかけた三蔵悟空だったが、
「いや、おれが人間に変化する時は確かにその人物に合わせて声も変わるが、出そうと思えば元通りの俺の声も出せる。声を出さない動物や虫に変化した時は俺の声でしゃべる。虫の鳴き声も出せるし、おれの声も出せるぞ。」と反論した。

 三蔵悟浄ははっとしたように目を見開いた後、再び考え込んだ。悟浄は悟空ほど変化の術には長けていないせいもあるだろう。

「そうなのか……。それは興味深いな……。」

「それで悟浄、それを考えて何になる。元通りの姿に戻れるのか?」

「いや、それはわからぬ。しかし即座には当為には役立たぬ虚学にこそ大変革の際には不可欠となることがある。虚学は実利の束縛から解き放たれてその学問的欲求のままに突き詰めていけば、それが困難解決の枢機となるとも限らない、ということだ。」

「つまり?」

「これを考えたとしても元通りの姿になれるかどうかはわからないが、拙者個人として学問的興味がある。」

「そうか、じゃあ、悟浄は頑張って考え続けてくれ。万が一、解決策がわかったら教えてくれよ。」

 三蔵悟空は仰々しく三蔵悟浄の肩を叩いて、三蔵に向き直った。

「お師匠様、ずっと立っているのも難儀でしょう。この荷の上に腰をかけてください。」

 着替えの入った柔らかい包みを結界の外から三蔵に手渡す。三蔵は荷を受け取る際に触れた三蔵悟空の手を握りしめた。細指同士が絡み合い、指先の震えが不安と焦りを伝える。いつもの悟空の毛に覆われた手と違い、手の甲から指先に至るまでつるんとした皮膚はしっとりと吸い付くように互いの体温を伝え合った。

「悟空、困ったことになりましたね……。」

「昴日星官に頼んでありますから、きっと解決できますよ。数刻待っても音沙汰なければ土地神を呼び出して天に遣わしてもいいです。しかし、はした神に援助されるのも不面目ですからね、昴日星官の顔を立てて、もう少し待ってみましょうや。」

 三蔵の指から離れがたいと名残り惜しむような自分の指を引き剥がしながら、三蔵悟空は提案した。

「時にお師匠様、お腹は空いていませんか。どこかで食べ物など探してまいりましょうか。」

 こういう時に遠慮はしないのが三蔵だ。尽くされることに慣れている。 

「そうだな、少し水をもらえるとありがたいのだが。」

「水筒は空ですから、湧き水でも探してまいります。しばしお待ちください。おい悟浄、考え事しててもいいがお師匠様の傍を離れるんじゃないぞ。」

 三蔵悟浄は片手を挙げて応じた。

「そういや、さっきから姿が見えねえが八戒はどこ行きやがった。」 

 辺りを見回して悟空が喚くと、三蔵が木立の方を指して答えた。

「少し水浴びをしてくるとあちらの方に……。」

 



 しばらく行っても三蔵八戒の姿は見えなかった。まさか妖怪に攫われたのではという考えが頭をよぎる。

「あの阿呆が食われたとしても痛くもかゆくもないが、お師匠様の身体が辱められるのは我慢ならねえな。」

 ったく、世話が焼けるあのブタめ、とぶつくさ言いながら三蔵悟空が鬱蒼とした木立をずんずん進んでいく。いつもの身体と異なり、重心が想定より高くそれでいて一足で進む距離が小さい。お師匠様はこんなに危なっかしい身体で、それでも何を厭うことなく千難万苦の旅を続けているのかと思うと、悟空は涙が出そうな気がする。

 三蔵悟空の耳にかすかに水音が聞こえてきて足を速めると、はたせるかな小さな水場が現われた。

「…………どういうことだ……。」

 三蔵悟空は目を疑った。目の前の光景がまったく理解できない。

 そこには三蔵が生まれたままの姿で清涼な水に腰ほどまで浸かり、水飛沫を浴びていた。輝くような頭から滴り落ちた水は宝玉のように光を反射して煌めきながら、その滑らかな肌を流れ落ちている。

 いつになく憂いを帯びたような表情は耽美的でアンニュイな魅力を湛えていた。その三蔵の横には、鈴を転がすような声でころころと笑いながら水飛沫をかけている女がいる。女は優雅な白い衣を着てはいるが、水にしっとりと濡れたその布地は肌に張り付き、その身体の線を顕わにしている。

 三蔵悟空は息を呑んだ。これほど明るい日の光の中で三蔵の裸を見たのは初めてだ。慎み深い三蔵は禊の間であっても人目につかない岩陰に隠れるか、肌着を着るなどし、その肌の露出を弟子にすらも許さない。

 初めて目にした三蔵の肌は、毎日直射日光に晒される旅をしているというのに不思議と日焼けをしておらずその白さに目が眩むようだ。毎日玉竜の背に揺られている成果か、胸板は思ったほど薄くはなく、張りの良い筋肉が水を弾いていた。

 三蔵はさきほどの結界の中にいるからして、目の前にいる三蔵は三蔵本人ではないことは頭で理解しているものの、悟空の身体は勝手に動いた。二人の間に割って入り、女から三蔵を背後に隠すようにすると同時に自分の視界からも外す。これは三蔵本人ではないと頭の中で警鐘を響き渡らせてはいるが、これほどの至近距離で三蔵の開放的な肢体を前にして何もしない自信は正直なところなかったのだ。

「オイこら、腐れ八戒。」

「嫌だなあ、兄貴。無粋な豚の化け物の名前なんか出すなよ。俺は唐の玄宗皇帝の御弟君おんおとうとぎみの玄奘三蔵法師さ。」

 三蔵八戒はいつものダミ声で答えたが、三蔵の容姿で発せられるとざらついた寂声として優艶ささえ感じられる。

 三蔵八戒は盾となっている三蔵悟空の背から腕を伸ばし、女にちょっかいを掛ける。女は突然現れた同じ顔の三蔵悟空にも驚くことなく、三蔵八戒のくすぐりにキャッキャッと笑い声をあげている。こんなに危機感のない女が人間ではないことはすぐにわかる。三蔵悟空は警戒心を強め、女から目を離さないようにする。

「戯言ばかり言ってねえで、服を着ろって。目の毒だ。」

 自分と目を合わせようとしない三蔵悟空に気付き、三蔵八戒はおちょくるようにその腕をつつうと上から下に指でなぞった。

「あれえ、兄貴、お師匠様の裸見て緊張しちゃってんのかい。」

「あっ、……おい、やめろ……。」

 強引に色情を惹起するような刺激に悟空は腕を振り払う。このような色欲的な三蔵も良いかもしれないと一瞬だけ思ったが、胸の痛みに気づき、急いでその考えを打ち消す。

「お師匠様の双子がちちくりあってくるみたいで背徳的だな。」

 三蔵八戒は三蔵悟空の耳が赤くなったことに気付いて艶やかに笑った。

「なあ兄貴、俺の姿ちゃんと見てくれよ。良い男っぷりだろう。」

 三蔵八戒は肩をしなやかにくねらせて歩き、女との距離を縮めながら悟空に向かって片目で目配せした。

「さすがお師匠様の顔も身体も伊達じゃねえよ。女の方から寄ってくる。」

「……ここに住む水の精か。」

 三蔵悟空は鼻頭に皴を寄せながら、無邪気に水で遊び続ける女を見つめた。

「言っとくけど俺が誘ったわけじゃないぞ。西梁女人国に戻る前にまずは身づくろいと思って、水浴びをしていたら向こうから誘いかけてきたんだ。さあ、また続きをしようか。」

 三蔵八戒は優雅な居住まいを崩さないままに、水の精に声を掛けた。

 三蔵悟空は途端に胃がむかついてくるのを感じた。やはりこんな扇情的な三蔵は三蔵法師ではない。三蔵の身体を汚されたようで堪えようのない怒りが込み上げてくる。

「おい!遊んでる場合じゃないだろう!この色欲魔人め。お師匠様が水をご所望しておられる。早く戻るぞ。」

 三蔵悟空は、しっしっと水の精を追い払いながら三蔵八戒を力づくで引っ張り、頭からとりあえずの着物を被せ、三蔵の元に戻った。





 戻ってみれば、三蔵と三蔵悟浄は二人して地面にちんまりと腰を下ろしたまま、向き合って互いの手を合わせていた。まるで鏡合わせのようでもある。

「悟浄、そなたの指の方が少し長いようじゃ。」

「そうですね。瓜二つと言えどもやはり拙者の元の肉体に影響される部分があるのだろうか。指の細さはあまり変わらないですけどね。見ればお師匠様の爪はまるで貝殻のように小さくてお可愛らしいですね。」

「ふふふ、悟浄はおかしなことを言いますね。しかし、私には兄弟がおりませんから、自分に似た容姿の者と向き合っているとまるで兄弟ができたようで楽しいですね。」

 何が兄弟だ、と不満を覚えた三蔵悟空は、
「姿かたちなど似ていなくとも、寝食を共にする我々はもう家族みたいなものだと思いますけどね。」と言いながら、三蔵悟浄を押しのけて自分が間に座る。

「おい悟浄、八戒に服を着せてやれ。帯も解ける心配がないほどきつく締めてやってくれ。」

 そして三蔵に水筒を手渡してから尋ねた。

「おれがいない間、何もなかったですか。」

「大丈夫です。悟浄が話し相手になってくれました。」

 安心した瞬間、ふっと気が緩んだせいか三蔵悟空は尿意を感じた。しかし、三蔵の姿のままで小便をするのは気が引ける。八戒に三蔵の身体を汚すなという怒りを抱いたというのに、自分が三蔵の秘所を触っていいのかという迷いがある。

「おい、悟浄。」

「なんだ、小便か。」

「なんでわかった。」

「そろそろ頃合いかと思ってな。拙者は先程済ませた。」

 涼しい顔で答える三蔵悟浄に、三蔵悟空は驚きその胸元を掴んだ。

「お前っ、見たのか。」

「見ないと放出しにくいだろう。」

「でもっ、だって、……触ったのか。」

「触らんと自分の脚にかかっても困るだろう。お師匠様の一物はやや左曲がりだ。気を付けてな。」

「そういうことを聞いてんじゃねえよっ!」

「ちょっと待ちなさい。」

 三蔵は顔を赤らめながら話を遮った。これ以上自分の秘所の話を大声でされるくらいなら、こっそりと小便をしてもらった方がまだましである。

「あの……悟空、生理現象は仕方がない。小用くらい足してくるがいい。」

 三蔵は宥めるように三蔵悟空の腕を掴んで、三蔵悟浄の襟首から外してやる。

「おおかた悟空兄貴は、お師匠様の陰茎が恥ずかしくって見られないんですよ。意外と初心なんだよな。それともいたいけなお師匠様にはついてないとでも思ってんのかな。俺はさっき水浴びの時に全部見たけど、なかなか立派なモンだったぜ。」

 余裕綽々な態度で胸を張る三蔵八戒の頭を、三蔵悟空は勢いよく殴った。

「おのれ八戒、お前はお師匠様をなんだと思っていやがんだ!」

「いってえ。俺、今お師匠様の身体なんだから手加減してくれよ。」

 三蔵八戒は頭を押さえたが、三蔵悟空も痛む拳を抑えた。三蔵の軟な拳は打撃の衝撃には耐えられなかったのである。さらに涙目になる三蔵八戒を見れば、中身が八戒と言えども師匠を殴ってしまったような感覚があり罪悪感を煽った。

「お、おれは別に恥ずかしくなどない。ただ、お師匠様が恥ずかしいかと思っただけなんだ。おれに見られるのが嫌かもしれないと思って…。」 

 言い訳をするような言葉の最後は尻すぼみになった。呆れたような三蔵三人の視線を受けて、ついに三蔵悟空は言った。

「用足しに行ってくる。」





 赤い顔で戻ってきた三蔵悟空は、
「小便終わった。」と言わずもがなの事を言った。

「えらく長い時間かかったじゃないか。用足し以外のお楽しみでもしてたんじゃないのか。」

 三蔵悟浄に服を着せられたものの、やはり胸元をはだけて着崩している三蔵八戒が声を掛けた。

「この色情魔め!お前と一緒にするな!」

 勢いよく否定したものの、三蔵悟空の蒸気するような肌の赤みを見るにいまいち説得力はなかった。 

「悟空兄貴、でも本当に時間がかかったな。」

「ほら、俺だけじゃなくて、やっぱりみんな疑ってんじゃねえか。」

「…………。」 

 三人から疑いの眼差しを向けられ、悟空はついに叫んだ。

「脱ぐのに時間がかかったんだよ!」

 はぁ?と顔をしかめる三蔵三人に対し、三蔵悟空は額の汗を拭きながら白状した。

「まずはお師匠様の用足しだから妙なところじゃできねえなと思って、清潔そうな場所を選んで。それで、お師匠様の物をなるべく見ずに、触るのも最小限でと思って何度も頭の中で試行してみてさ。その後、やっと下帯に手を入れたんだがやっぱり何度も躊躇してやめようかとも思ったり。でも、最後にはそっと手を添えて……した。」 

 柔らかくてデカかった……と言いよどむように感想を述べる三蔵悟空に対し、
「もう黙りなさい、さもなくば緊箍呪です。」と三蔵が目を瞑って静かに宣言した。悟空は慌てて口をつぐむ。

「兄貴はいちいち小便に行くだけで変なことを気にするんだな。兄貴にも同じものがついてるんだから、そんなに気にすることはないだろう。」

 三蔵八戒は荷物をまとめ始めている。三蔵悟空は先の小便にて既に一生分の気力を使い果たした気がしてぐったりと疲れている。

「繊細さの欠片も持ち合わせていないお前には一生わからねえだろうよ。」

「悟浄は、兄貴の言うことわかるか?」

「悟空兄者の思考は、外見上お師匠様の身体のように見える悟空兄者の身体は果たして誰の意識に帰属されるのかという論題だろう。拙者が放尿しながら考えていたことは、今目の前に放出されている尿は果たして拙者から生じたものなのだろうか、それともお師匠様の身体で蓄えられたものなのだろうか、という疑問だ。帰属に関する命題と考えれば、畢竟同類と考える。」

「ふうん、よくわからねえな。」 

 三蔵八戒はついに立ち上がった。

「じゃあ、俺は出かけてくるから。」

「八戒兄者どこへ行く。お師匠様はこの結界から出られないのだぞ。」

「俺は西梁女人国の都に戻ってくる。なあに、明日には戻ってくるから心配いらねえ。女しかいない国でこの顔と身体になったのも何かのお導きだろう。日頃の鬱憤を晴らさずいられるか。モテてモテてモテまくってくる。」

「八戒、それは許されません。」と三蔵が言いかけるよりも先に、三蔵悟空が詰め寄る。 

「お師匠様の身体でそんなこと許されねーぞ。」

「何言ってやがんだ。お師匠様の身体はお師匠様がちゃんと持っているじゃないか。俺の身体はお師匠様に見えるが俺だけの物だ。」

 三蔵八戒は三蔵悟空の言葉を歯牙にもかけずに歩き出す。

「……真実かもしれない。」

 三蔵悟浄が呟く。三蔵悟空は慌てて三蔵八戒の胴を掴んで踏ん張った。

「おいっ、悟浄!お前も関心してないで、この阿呆を止めてくれ。」




 
 かくして、一行は昴日星官を待ち続けたが、天頂近くにあった日も次第に傾き、夕暮れが迫ってきた。三蔵八戒は三蔵悟空と手首同士をぐるぐる紐で巻かれて繋がれている。

 目を離すと西梁女人国に一人戻ろうとする三蔵八戒に業を煮やした三蔵悟空が巻き付けたものだ。さすがの八戒も三蔵の身体では同じ体重を持つ三蔵悟空を振り切れず、不貞腐れて座っている。

「俺考えたんですけど、今回の一件はお師匠様が美しすぎるからですよね。美しすぎるから女王にも妖怪にも婿がねにと狙われて、呪いまでかけられた。」

 三蔵八戒はぼそぼそと話し出した。

「八戒兄貴はお師匠様が醜ければ良いと言っているのか。」

 三蔵悟浄が確認するように言うと、三蔵本人は俯いた。

「私は別に……。美しくなどない。」

「それは嫌味になりますから黙ってくださいね、お師匠様。俺は普段があの顔ですから美醜には一家言あります。お師匠様は僧としては不必要なほど美しいんです。現に俺はさっき水浴びしてただけで、水の精が寄ってきたんですよ。前代未聞ですよ。普段の俺がいくら水浴びしてても寄ってくるのは蠅か蚊ばかりなのに。」

 八戒のやつはまた失礼なことを言い出した、と悟空は考えているが、三蔵が美しすぎるという一点に関しては反論の余地もないので黙っている。

「顔貌を変えるのは難しいと思うんで、普段の俺みたいに鼻をほじったり、股間を掻いたり、放屁をすればもう少し女難に遭われる可能性も下がるんじゃないですか。」 

「お師匠様が男っぷりを下げたところで、男の妖怪に攫われる確率は下がらねえだろう。」

 下品なお師匠様など自分が一番見たくない三蔵悟空が三蔵を庇った。

「いいや、わからねえぞ。男だってこんな綺麗な顔のお師匠様に迫られれば、くらっときちまうだろう。現にここに……。」

 慌てて三蔵悟空が三蔵八戒の口を両手で塞ぎにかかったので、その先に何を言おうとしていたのか三蔵にはわからなかった。

 三蔵八戒は三蔵悟空の手をなんとか剥ぎ取り、提案した。

「とにかく、一度お師匠様も体験してみるべきです。自分の男っぷりを。」

 そして、三蔵八戒に三蔵に自分の身体をぐっと寄せてきた。三蔵は隣にいた三蔵悟浄の背中に押し付けられ、さらには片手で逃げ場を塞がれた。そのまま夢見るような潤んだ瞳で覗き込むように顔を近づけられる。いつの間にか手も握られている。

「お師匠様、お慕い申し上げております……。どうか、どうか、このわたくしに一夜の夢を見させてください。」

 縋るような言葉を告げられ、三蔵は思わず頬に血が上るのがわかる。目の前にいるのは三蔵八戒のはずだが、いつもと雰囲気が異なるせいか、うまく返事ができない。と思ううちに、濡れたような唇が近付いてくる。自分の顔だがこれは自分ではない。 

「やめろやめろやめろー。」

 三蔵悟空がこれまでに見たことがないほど狼狽して、二人の頭を引き剥がした。
 




 昴日星官がやっと照魔境を手に戻ってきたとき、悟空と八戒は互いに手首を紐で結びあったまま背中合わせに座っていた。(どうやら互いに腹を立てている様子でもある。)三蔵は一筋の鼻血を出し、それを悟浄が拭ってやっていた。

「お主ら……、一体ナニをやっておったのだ……。」

 三蔵一行は誰も何も答えなかった。

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