潜淫魚

Atokobuta

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潜淫魚

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 月冴ゆ晩だと言うのに、三蔵の身体は季節に逆行するかのように熱く燃えていた。臓腑(はらわた)から紅蓮の猛火がむくむくと噴き出してくるようだ。熱く促迫する呼吸が鼻腔から出入りする度にそれは蒸発するように白い煙をたてて昇り、触れば火傷を負いそうなほどに皮膚の熱も高まっていく。

(このような妙なことになるのは、すべて妖怪のせいだ。)

 三蔵には確信があった。唐を出発してからというもの、おびたたしい数の妖怪に捉えられ、その命を狙われてきただけの自負がある。

 辺りを見回せば、よくある妖怪の隠れ家のような薄汚い穴蔵ではなく、悪趣味な家財に囲まれた屋敷でもなく、月明かりの指す簡素な四阿(あずまや)であることが通常の妖怪のやり口とは異なるようで、やや腑に落ちない。どのようにしてここに攫われてきたのか記憶にはない。

 冴え渡った月の光をもってしてもなお暗い、秘密めいた木立に囲まれ、周囲はそよとした風もなく静まりかえっている。どのような妖怪であれ、今は側にいないように感じられた。

 逃げられるだろうか。でも、どこへ。

 四肢を拘束されているわけでもないが、烈々と燃える身体はすでに思いどおりには動かない。三蔵は籐でできた柔らかい椅子の背もたれに身体を預ける。

「っは……はぁ…………。」

(悟空は、一体何をしているのか。)

 三蔵は苦しい時の神頼み、ならぬ弟子頼みで、彼の一番信を置く弟子の名を心の内で呼ぶ。彼は三蔵が窮地に陥るやいなや、決まっていの一番に駆けつけ、電光石火の働きで難件を解決してくれる。これまで困難に陥った時、虫や鳥に変化した彼が耳元で囁いてくれる「お師匠様、大丈夫です。もう少しの辛抱ですからね。」という一言がどれほど励みになったことだろう。

 身体の中心が疼いて、視線を下ろす。すると、これまで尿意を極限まで耐え忍んだ時にしか張り詰めたことのないそれが、下帯を持ち上げていた。生まれてから今という今に至るまで、こんなに存在感を高らかに天に向かって唄いあげる自らの股間など見たことがない。

「うっ、ふぅ……っ、なん、……なんだ、っひぃ……これは……。」

 自分の身体の一部でありながら、想像を超えた重量を増す存在に三蔵は驚くが、まるで手を触れることができない。下帯の中がどのようになっているのか恐ろしくて想像することすら不可能だ。

「な、なんともはや……ひ、っぅふ、ん、おおそろ……しい……。」

 早くなんとかして欲しい。怖い。どうして良いのかわからない。涙がさめざめと流れ出す。

「はぁ……んふぅ……助けておくれ……。ご、悟空……。」

 三蔵は哀切この上ない声で、心のよすがとする者の名をとうとう口にした。その瞬間、
「どうされました、お師匠様。」

 途端に悟空が虚空から忽然と姿を現した。並の人間なら慌てふためく場面だが、三蔵は安堵のため息を漏らしただけだった。変化の術の達人である悟空が神出鬼没であることには慣れっこになっている。

「ご……悟空……。よく来てくれました。」

 三蔵は悟空に向かって手を伸ばす。悟空も誘われるように両手を重ねて三蔵の手を迎えながら傍に寄ってきた。悟空の指先が触れた瞬間、三蔵の掌がどくんと大きく脈打つように打ち震えた。まるで稲光のように。

「っっかはぁ……、なんだ、……んくぅ……はっ……。」

 悟空の硬くて熱い両手に包まれている三蔵の右手は、まるで求めていた刺激を得たかのように血液が沸騰している。悟空に手を取られることなど日常茶飯事であるのに、これまでとまったく感覚が異なる。今は悟空に触れられている部分に全身の感覚が集中している。まるで右手だけが三蔵の身体の全てになったようだ。悟空がそっと指を動かして手のひらをなぞるわずかな感覚でさえ何千、何万倍の興奮となって全身を駆け巡る。これが快感だと三蔵はまだ理解できないでいる。

「お師匠様、お辛いですか。」

 気づかわしげな悟空の表情を見るに、きっと何も言わないだけで三蔵の下半身の膨らみにも既に気付いているようだ。それでいてもなお、この弟子は師に向かって軽蔑する様子もない。

「ひぃ……ん……熱い。……ご、悟空、それに、んふぅ……っあはぁ……怖くて……。」

   三蔵は尽きない涙を零しながら潤んだ瞳で悟空を見上げる。普段、雷公と恐れられる厳めしい顔つきは既に三蔵にとって見慣れたものだが、目の前にいるこの猿の妖怪の様子はいつもと違っていた。眉には優美さと苛烈さ、唇には寛容と禁断の相反する性質を湛えながら、目元を一辺倒の憂慮に染めて、その表情は気高く精悍に整っていた。

(悟空はこれほどまでに美しかったのか。)

 三蔵は思わず瞬いて、真珠のような涙を散らせた。

「お師匠様、失礼します。」

 悟空は三蔵の襟元に手をやり、そっと衣の合わせ目を緩めた。触れ合っていた手を離されてしまったことには一瞬不満を覚えた三蔵だったが、悟空の行動は正解だったようだ。首から胸にかけて清涼な空気が肌を撫でて、その清々しさに思わず息を吐く。なぜもっと早く衣を脱がなかったのか。

「っつ、ふっぅう…………。んはぁあ……。」

「お師匠様、寒くはないですか。」

 問われて三蔵は初めて身体を取り巻く厳冷たる空気に気付く。

「いや、……んん……んふぅ……身体の熱を冷ますのに、ふぅ……むしろ心地良いくらいじゃ。」

 三蔵は帯を解き、襟元をさらにはだける。袈裟を緩め、両肩を出し、胸元を冷気に晒した。

「お、師匠……様……。」

 初めて悟空がたじろいだ。どことなく頬を染めているようにさえ見える。

「……いいのだ。」

 悟空は落ち着かないように何度か頷くと、それからはじっと食い入るように三蔵の肌を観察した。鋭さを増した眼差しに三蔵は射すくめられる。長椅子に横たわったまま、動くこともできない。何もかも暴くような目線。冷たい空気で冷まされた肌が再び熱を帯び始め、三蔵の呼吸は速まっていく。

「やっぱりな。」

 悟空はそうつぶやいた後、素早く三蔵の首元に頭を寄せた。獣とは不似合いな清潔な石鹸の香りに引き寄せられるように、三蔵は思わず瞳を閉じて身体を開いた。

「っつああっ……。」

 悟空の唇が鎖骨に当たった瞬間、思わず声が出る。

 一瞬で頭を離した悟空は、三蔵のあられもない声に太陽のような目をさらに丸くして面食らったような顔をした後すぐに微笑んだ。そして次の瞬間、ぷっと地面に何かを吐き出した。見れば、一寸ほどの小さな桃色の魚だ。その魚は四阿の乾いた地面で何度か跳ねたかと思うと、空気に溶けるように消えた。

「……い、今のは?」

「潜淫魚です。お師匠様の身体の中にはこの魚がうようよ泳いでます。おそらく、どこぞの妖怪に埋め込まれたのでしょう。この魚から流れ出す淫気のせいで身体が熱くなったり、妙な気分になったりしてるんです。」

 身体の中に魚が?

 気味が悪い。全身がむず痒くなってくる。また涙が堰を切って溢れてくるのを感じる。

「……っひぃ……どうすればよいのだ……んぅ、悟空。……なんとかしておくれ。」

 頼りになる一番弟子は、今まで聞いたこともないやわらかな声音で言った。

「大丈夫ですよ、師父。おれが吸い出して差し上げますからね。」







 悟空が言うには、身体の奥底に潜む潜淫魚は皮膚から吸い上げることができないため、身体の表面にある時を狙って吸う必要があるのだという。三蔵がやらなければならないのは、身体の内側の感覚を研ぎ澄ませて、潜淫魚が今身体のどのあたりにいるのか察知し、どこに口付ければ良いのかを指示することである。

「ふっ、……ひぁっ、っ、そ、そのようなことを言われても……わからぬ……。」

「お師匠様。目を閉じて、身体の力を抜くんです。」

 囁くような悟空の声に導かれるように、三蔵は閉眼する。自分の内側に目を凝らす。心に響く悟空の声が細い道を照らし出す。この道ならば知っている。内観を行う時の馴染みの道だ。ほどなく三蔵は火照った自らの身体の中をうねるように泳ぐ小魚の群れを見つけた。

 三蔵はゆっくり目を開いた。一度感覚を掴んで仕舞えば、見えなくとも小魚の揺蕩う動きを体内の触覚で察知することはできる。

 潜淫魚を感知することはできたが、それを言葉にすることが憚られる。口にした瞬間、悟空にその場所へ口付けられるのだと思うと、期待と羞恥で心臓が早鐘を打ち始める。

(口付けとは……なんとも。しかし、以前、烏鶏国王を生き返らせるため、仮死状態にあった国王の唇に悟空が口付けて息を吹き込んだことがあった。悟空は平然と唇を合わせていたではないか。妖怪にとっては口付けなど何の意味も持たないのだ。そう、大したことではない。)

 三蔵は自分が妬いていることにさえ気づいていない。

「さあ、お師匠様。どこです?」

 悟空は待ちきれないとばかりに瞳をきらめかせながら身を乗り出して尋ねる。早く口付けたいのだと勘違いをしてしまう程だ。

「……ぅ、ふぅ……。え、っと……あ、あの、あ、っつ、ん……あ、……。」

「どこですか。」

「ふっ、……ひゃっ、………………、あ、……頭……。」

「頭ですね。」

 悟空は即座にそのつるりとした曲線美を持つ三蔵の頭頂部に口をつけて優しく吸う。悟空の薄い唇が隙間なく肌に張り付く。悟空の唇が触れただけで三蔵の肌は歓喜に打ち震える。

「っ……、ひぃぅん…………。ん、っふぅ。」

「逃げてしまいましたよ。もっと即座に言わないといけません。潜淫魚の動きは素早いんですから。お師匠様。」

「っふ、……無理を言うでない、悟空……。」

「辛いのはお師匠様じゃないですか。」

 悟空の視線が三蔵の中心を一瞥して、心配そうに言葉をかける。

「……わかっておる。ん、っ……ふぅふぅ。」

「ほら、おれは準備万端です。いつでもいいですよ。」

「……、っふ、ん……ひ、額じゃ。」

「よしっ。」

 悟空は両手で三蔵の耳の辺りを支え、絹のようになめらかな額に唇を寄せた。その後、ぐっとさらに引き寄せるように唇と両手で圧をかけられるように吸われる。

「んっ、あひゃ……んっ、…………、っくん……。」

 悟空は潜淫魚のニ、三匹を次々に口から吐き出すと、満足そうに師父と視線を絡ませた。

「いいですよ。今のように次々と場所をおっしゃってください。」

 どうしてか悟空に褒められると胸が高なるのを三蔵は自覚する。既に三蔵は、端正込めて鍛え抜かれた刃のような悟空の唇で身体の隅々に触れてほしい気持ちになっている。

「……んっ、耳……。」

 悟空の唇が三蔵の耳孔をぴったりと塞ぐ。知らず知らずのうちに寒気で体温を失っていた耳の表面が悟空の温かい接触で氷が溶けるように融解していく。脳天のすぐ傍に太陽があるような熱狂的な口づけだ。悟空のくぐもった息が三蔵の鼓膜を直接揺らし、三蔵は生まれて初めて感じる淫靡さに声を上げる。

「んひゃっあっ……、あっひっ、んあっ…………。」

 唇が離れる時に、ざらついた舌が外耳道を遊ぶように攫っていったのは果たして三蔵の気のせいだったか。

「ん、んっ、ひゃぁ……、ふっん、はぁ……はぁ……。」

「お師匠様、次は?」

 三蔵は既に次の場所を知っている。自らの口元に小魚がちらちらと舞うように集まっている感覚がある。しかし、唇だ、と宣言するのはためらいがあった。

(唇同士を合わせてしまえば、それはもう接吻ではないか。)

 もちろん、三蔵は今まで誰ともしたことがない行為である。

「お師匠様、どうしました?」

 急に口ごもった三蔵の様子を見かねて悟空が尋ねた。今日の悟空はいつもにも増して優しい気がするのはなぜだろうか。三蔵は頬に触れていた悟空の手を取り、しっかと握った。握り返してくれる悟空の手の確かさに心もゆるみ、三蔵は小さな声で口にした。

「……あの、……つ、次はっ、んっふ……唇に……。」

「唇だからって照れてたんですか。」

 悟空はからからと笑いながら、それでも三蔵を怖がらせるまいとゆっくりと顔を寄せた。悟空の唇が鼻先まで近づいた途端、三蔵はひゅっと亀のように首を竦めた。怖かったのである。未知の体験に対する不安と、興奮に自らが打ち勝てるのかという恐怖から、三蔵は身を縮ませた。

(耳への口づけであってもあれほど心地よかったものを、唇同士の接触では一体どうなってしまうのか。修行の身だというのに、道を踏み外すようなことをできるわけがない。)

 一方、悟空は三蔵のあからさまな拒否に多少傷ついたものの、表面上は落ち着いて三蔵の肩をとんと叩いた。

「大丈夫です。お師匠様、無理にしなくてもいいですよ。別の方法を考えましょう。」

 物わかりよく告げたはずの悟空の言葉は、なぜか三蔵の逆鱗に触れたようだった。きつ、と睨みつけながら三蔵は舌鋒を放った。

「私には、接吻出来ぬと申すのか。」

「おれだって、お師匠様の嫌がることを無理にしたくはないですよ。」

「なぜ今更ためらうことがあろう。所詮サルにとっては接吻など大したことではあるまい。烏鶏国王には簡単に口付けした分際で。」

 いつものことだが、怒りを覚えた三蔵は途端に口汚くなる。これはまだ彼の修行が足りていないことの現れには違いないが、自分の師が聖人君子になって欲しいとは些かも思っていない悟空は毎回指摘せずに聞き流してやることにしている。他方、よもや哀れな烏鶏国王もこんなところで、自分が師弟の口論の種になっているとは思ってもいないだろう。

「国王の息を吹き返すために弾みとなるよう、こちらから息を吹き込めっていうお師匠様の指示でやったことでしょうが。」

「悟空自らがやるとは思わなんだわ。八戒か悟浄にでも指図すれば良かったではないか。死体を井戸から攫ってくるのを八戒にやらせたように。」

 悟空は口を閉じ、思案した。この猿はおそろしく頭の回転が速い。たちまち結論を手に入れた。

「お師匠様は、八戒や悟浄がするのは構わないけれども、おれが誰かに口付けるのがお嫌なんですね。」

 三蔵はそれを聞くと頬どころか頭まで一瞬で染め上がった。そして、拳を握り上げた。

「……馬鹿をいいなさい、悟空。そんなわけが……。」

「あるでしょう?お師匠様。」

 悟空の両手でそっと拳を包まれながら囁かれると、最早三蔵の腕に力は入らなかった。三蔵は元来非力な人間だが、それだけの理由ではあるまい。

「っ、ご……悟空……。」

 三蔵は視線を逃れるように俯く。そのうなじを悟空は支え、その瞬く瞳に我を写して真摯に乞うた。

「言ってください、お師匠様。この悟空からの接吻を望んでいると。一度口に出して頂ければ、その後お師匠様がいくら恥ずかしがって顔を背けても、おれを押しのけようとしても、おれはその望みを叶えてさしあげます。おれはお師匠様の望むことであれば、何だってします。」

 悟空の誘いは非常に誘惑的かつ真心の込もったものだった。三蔵の逡巡する心の内を示すように、瞳は左右に惑い動いた。目の前の悟空は既に心を決め、真っ直ぐに三蔵の瞳を見つめている。

「ご、……悟空……。」

「はい、お師匠様。」

 三蔵は蚊の鳴く声もかくやと言うほどか細い声で、恥ずかしさのあまり身を震わせながら囁いた。何かを耐えるように両手を硬く握りしめている姿がこの上なく愛らしいと悟空は思った。

「あの……ご、ごくっ、……悟空……せっ、接吻を……。」

「誰のどこに、でしょう。お師匠様。」

 悟空の質問に対し、三蔵は不満そうに紅い鼻を鳴らしたがそれでも言葉を続けた。

「……っつぅ……、わ、私の唇に……。」

「わかりました。お師匠様。」

 悟空は喜色満面で頷いた。三蔵のうなじに回した手に少しだけ力を込めて顔を近づける。それでも、三蔵が本気で抵抗すれば逃げられる程度の手加減は忘れない。三蔵は全てを受け入れるかのように目を閉じた。

 火花のような口付けが落とされた。

「んっ、……んふっ……。」

 悟空は唇を離したわずかの間に潜淫魚の五、六匹を吐き出すと、もう一度三蔵の唇に口付けた。悟空の唇が三蔵の唇をかぶさるように覆い、熱意を込めて吸われる。

(こんなにも気持ちの良いことがあるのか……。)

 三蔵は流されそうになる意識に逆らうように身を捩ったが、悟空の大きな手のひらはがっちりと三蔵の顎と肩を捉え、少しも離れることを許さない。

「ンんー、っんっぬ……。」

「恥ずかしがっても逃さないって、おれ言いましたよね。」

 悟空の唇は三蔵の息を漏らさず吸い上げ、飲み込み、舐めとっていく。三蔵はぎらぎらした太陽に照らされる雪だるまのように驚くべき勢いで自分の強情さが溶けていくのを感じた。悟空の舌は三蔵の唇がわずかに緩んだ隙から口腔内に侵入する。わずかに桃の香りがした。悟空はとめどない熱心さで角度と深さを変えながら、三蔵の舌を唇を吸った。

「んひゃっ、…………ンんっ、んぅ…………、っん…………。」

 いつしか三蔵は悟空にしがみつくようにその背に腕を回し、両者の上半身はぴったりと重なっていた。既に何のために接吻しているのかさえ三蔵の頭から消えている。

「んっ、ンあ……。……もっと……。」

 悟空は自分の接吻で歓喜に打ち震える三蔵の様子を目の当たりにし、有頂天にならざるを得ない。

「仰せのままに、お師匠様。」

 三蔵のためならば命も惜しくない(ただし、彼は不老不死だ)。その三蔵の望みは悟空にとっては至上の命題だ。悟空は非常な熱意を持って、果たして天上の快楽もかくやというほど、滔々たる口づけを続けた。三蔵は無我夢中で悟空から与えられる快楽を全身で受け取る。やっと唇を離した時には、三蔵の肌は胸元まですっかり上気していた。

 悟空は身体を傾けて、大量の潜淫魚を床元に吐き出した。

「なんとまあ……。」

「猿の口の中には頬袋がありますからね。こんな小魚くらい、いくらでも入りますよ。」

 そうか、と三蔵は口の中で呟いた。悟空との口づけはこの妙な魚を体外へ出すための方策であった。言うなれば緊急事態の解決策である。接吻をためらっていた自分がばからしくなった。溺れている者が藁をも掴んで何が悪い。

 開き直った三蔵は、帯を抜いて衣の前を完全に開き、下帯だけの姿になった。まるで酔っているかのように全身が桜色に染まっている。そう、悟空からの刺激に酔っているのに違いない。

「お……お師匠様……。」

 悟空は、これほどまでに綺麗な存在があるのかと息を呑んだ。まるで仏像のように一分の隙も無く完璧に整った三蔵の肢体は、かつて天界を騒がしあらゆる宝を手に入れた斉天大聖と言えどもこれまでお目にかかったことはなかった。その三蔵はためらいもなく両手を開いて、毛むくじゃらの悟空をかき抱いた。

「もっと……全身にまだ魚がおる……。」

 悟空は了承の返事として、音を立てて短い接吻を交わした。

「どこへでも、いくらでも、口付けますよ。」

 でもその前に、と悟空も衣を解いて、その衣を三蔵の上に優しく掛けた。

「お師匠様はか弱いんですから風邪でも召されたら大変です。」

「これは邪魔だ。直接肌を合わせたいのに……。」

 拗ねるように言う三蔵に、悟空の胸は驚きと興奮で轟いた。

「大丈夫です、お師匠様。おれはこの衣の下に潜り込みますから。」

 いたずらっぽく笑いながら三蔵を抱きしめると、三蔵は可憐に頷いた。

「悟空、……んふぅ、首筋に……。」

「はい、お師匠様。」

 悟空の熱い唇が三蔵の脈打つ首筋に吸い付く。その背骨を貫くような刺激に三蔵は思わず腰を反らし、一方の悟空は逃がすまじとその背に腕を回し、しっかと抱きしめながら強く吸った。三蔵の肌には紅い痕がつく。

「……っ、んンひゃあ……、んはあっ……あん…………んぅん……。」

「お師匠様、よろしいですか。」

「……んっ、ひぃん……もっと、……もっとじゃ。」

 三蔵が嬌声を上げながらもわずかに漏らす指示に悟空は従った。時には三蔵の身体を裏返したり、腕を挙げたり、膝を曲げて四つ這いにさせたりしながら、三蔵の身体の隅々に至るまで口付け、潜淫魚を吸い出した。さすが高僧の三蔵と、広大な神通力を持つ斉天大聖と言うべきか、二人のいる四阿の上空には瑞気が立ち昇り、祥雲がたなびいている。   





 どれほどの時間がたった頃であろうか。わずかの時間も無駄にせず三蔵の肌に縫い付けていた悟空の唇がやっと離れた。瞳を潤ませ、目の端を朱に染めた三蔵は、力の入っていないくったりとした動きで悟空の頬を撫でた。二人の仕草はもう恋人同士のそれである。

「お師匠様、これはどうもおかしいです。」

「どうしたのだ。」

「こんなに吸い出しているのに、潜淫魚の数がほとんど減っていません。」

「もっと吸ってもらわねばなるまいか。」

 悟空によって初めての快楽を身体に刻みつけられた三蔵の頭の中には、それでもいいかという気持ちも生じている。

「これはきっと小魚の親玉がお師匠様の中で卵を産んで次々に増やしてるんです。親玉を吸い上げないことには埒があきません。」

「どうすればよい。」

「一番強く精を感じるところから吸い出すしかないですね。」

「……というと……。」

「ここです。」

 悟空は三蔵の盛り上がった下帯を見た。先までは抱きしめ合いながら互いに擦れるばかりで、意図的には触れてこなかった場所である。

 三蔵は沈黙した。いくら出家の身であるとはいえ、生理現象としての夢精の経験は三蔵とて数度はある。しかし、その場所を欲望の意識で触れたことは今までただの一度もなかった。

「怖いですか。」

 悟空は三蔵の頭をゆっくりと撫でた。

「……少し。」

「絶対に痛くはしないと約束します。おれに吸わせてもらえますか。」

 三蔵は伏し目がちになってゆっくりと悟空の唇に自分の唇を合わせ、また時間をかけてその唇を離した。三蔵からの口付けに目をぱちくりとする悟空に三蔵は微笑みかけた。

「悟空、お前にはもう私のすべてを許したはずです。」





 下帯は既に濡れており、紐を解くと先端をしとどに濡らした三蔵の峻険が現われる。

「口付けますよ。」

 悟空は律儀に三蔵が頷くのを待ってから、その小桃のような尻を両手で固定し、唇を窄めて三蔵の中心を少しずつ咥えていった。手で扱いてやるよりも、唾液で潤滑させながら口腔で刺激を与えた方が、細棒への愛撫に初心な三蔵にとって痛みが出にくいことを、悟空は自らの身を持って知っている。

「んひゃっんあ……ん、んはっひゃ。」

 まとわりつくような粘膜に包含される初めての感覚に、三蔵は心の蔵を握られたような心地を覚える。自分の弱点を相手に曝け出し、今にも魂を握りつぶされそうな不安さえある。にもかかわらず、身体は明確な愉悦の喜びに満ち溢れる。そこは隙間なく包まれているのに、身体のどこかが開かれていく感覚さえある。

「っんあっひゃっ……。ぁアっ、ひゃぁん……、んっ、んうぁあっはぁっん……。」

 悟空の舌が三蔵の裏筋をゆるゆるとなぞっていくと同時に唇はきつく吸い上げる。全身を蟠桃のように染め上げた三蔵は、腰が抜けそうな感覚に思わず尻をひきかけるが、悟空の腕がほんの僅かもそれを許さない。

 潜淫魚が次々と吸い取られていくのがわかるが、一方で大きな影が三蔵の精巣にて玉座を据え、卵を産み次々と孵化していく感覚もある。小魚たちが身体の隅々で尾と鰭を動かしながらちらちらと泳いで身体の水分を揺らす度に、否応なしに射精への欲望は膨れ上がっていく。

 元々鋭敏な感覚の持ち主である三蔵は、潜淫魚によって無限に増幅される性的な快楽にとうとう溺れた。というよりも、悟空が現われてからまともな会話を交わせていたのが不思議なくらい、三蔵の身体は潜淫魚に浸食されていたのである。

「あっンはんっ、っあ、ン…………、ん、ひゃ……。あ、ご、……ごく……、悟空……。」

 三蔵はついに悟空の頭を両手で抱えた。箸より重いものなど持ったことのない細い指が、悟空の後頭部の長めの毛を巻き付けながらその振動を分け合った。悟空の口腔は薫風がそよぐ清涼な桃源郷だ。人の腹から生まれた只の人間である三蔵には太刀打ちのできないほど底無しの快感を与えてくるくせに淫靡さとは無縁で、どこまでいっても生の喜びに満ちている。

「ンあっひゃっ、ああっ、あ……、ひゃあん……、あ、あ、……ああっ。」

 三蔵の様子を見て限界が近い事を知った悟空は一気呵成に興奮を高めた。三蔵が放った白濁と共に、鯰のような髭の付いた潜淫魚も共に吸い上げる。

「ああああっ、ひゃああああっん……あはぁぁっンんっ…………。」








「お師匠様。お師匠様。目を覚ましてください。」

 耳元で聞き慣れた声がする。目を開くと、悟空が心配そうな顔で覗き込んでいた。長い眠りから覚めた時のように、視界がまだぼんやりとしているが、どうやら辺りは寒々とした冬木立が夕暮れの赤い光に染められており、先程自分がいた場所でもなく、刻限も異なるようであった。

「ご、悟空……。」

「身体はなんともないですか。」

 三蔵は手をついて上半身を起こした。

「ここは……。」

「お師匠様は眠っておられたのです。夢現花という山に自生する妙な花のせいでね。あの花を匂いを嗅ぐとそれぞれが心の底から願ってやまない夢の中に閉じ込められてしまうんですよ。」

 ほら、見てください、と言って、悟空が示した先を見やれば、冬枯れの下草にごろごろと寝転がる八戒と悟浄がいた。硬く冷たい地面であるにも関わらず、両者とも絹の布団で眠っているかのように満ち足りた表情である。

「栗おこわに山菜蒸し、揚げ出し豆腐に天麩羅盛り合わせ、けんちん汁に湯葉鍋、蒸饅頭に葡萄や桃、梨、柿、柘榴まであるぞ。これは精進鰻ですかい?へぇ、歯応えも味も本物の鰻のようですな。酒もこんなに。あぁ、お酌までして頂いて。いやぁ、ありがてえ、ありがてえ。ご心配なく、まだまだ食えます。」

「え、私(わたくし)が主人公ですか。悟空兄者ではなく?兄者は桃の食べ過ぎで腹痛?いやあ、気の毒だ。しからばこの不肖悟浄がお務め致そう。主役の決めポーズはいかがいたそうか。私は左側からの方が若干顔色が良く舞台映えすると思うが、なるほどなるほど、私の深慮深い知的な一面を主張するポーズ……。」

 自分が夢の中にいるとも知らず、この上なく満ち足りた顔で寝言にしてははきはきと饒舌な二人を見ていると、哀れで滑稽な気がした。自分も同じ目に遭っていたのだと思うと顔から火が出る気分だ。

 それにしても三蔵にとって「心の底から願うこと」が、先の夢の内容なのか。理性では気づかなかった欲望を身体は先に知っていたようで、不安を覚える。

「夢を見ている私は……このように、あの、何か言っていたか……?」

 悟空は首を傾げてから、何の興味も示さずに言った。

「何度かおれの名を呼んでいましたけどね。お師匠様のことですから、おおかた緊箍呪を唱えておれに罰を与える夢などご覧になったのでしょう。」

「そっ、……そうか。ならば良い。」

「それはそれとして、たいそう汗をかかれたようですからお着替えになったらいかがです。」

「そっ、そうだな。それが良いようだ。」

 言われてみれば全身がぐっしょりと濡れていた。特に下腹の辺りが顕著だ。汗にしては粘度の高い、濡れ染みの理由に三蔵は思い当たり、やおらに顔を赤らめた。

「それは乾く前に洗ってしまわないと、落とすのに難儀しますよ。なんなら、おれが洗って差し上げましょうか。」

 悟空に背中を向けた三蔵は
「いらぬ世話じゃ。」と怒鳴った後で、はた、と考える。

(なぜ悟空は私が精を吐したことを知っているのだろう。もしや、悟空は私の夢の内容を見透かしているのではなかろうか。)

 表情が見えないのをいいことに、背後を向いたまま三蔵は彼の名を呼んだ。

「悟空……。」

「なんでしょう。お師匠様。」

「お前、私が眠って…………。いや、いい。悟空はどんな夢を見たのか、言ってみなさい。」

 悟空は一旦息を止めたようだった。

「おれは息を止めてやり過ごしました。その後、すべての花を燃やし尽くしてから、お師匠様を起こしたのです。」

「そうか……。」

 三蔵はそのまま新しい衣類を持ち、禊ぎのために小川のせせらぎの聞こえる方へほてほてと歩き出した。足元がまだ心許なく、宙に浮いているような心持ちである。興奮まだ冷めやらぬ気怠さと混乱の直中にいる三蔵は、悟空の口元に白い泡がうっすらとついていることにはついぞ気がつかなかった。
 
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