おれの大事なお師匠様と阿呆の八戒とが、入れ替わっただと⁉︎

中島焔

文字の大きさ
1 / 1

入れ替わり

しおりを挟む
  いつだって災難を引き寄せるのは八戒と三蔵だ。いつも通り空腹を訴えた八戒が、通りがかりに見つけたさくらんぼを二人で分け合って食べた瞬間、二人の中身が入れ替わった。
「あれ、身体が軽いぞ。」
 袈裟姿の三蔵がめずらしくぴょんぴょんと自分の体重を確認するかのように飛び跳ねたかと思うと、一方の八戒は自分の身体を信じられないように何度もぺちぺちと触った。
「この、腕の毛は一体……。そして、この腹は……。」
 だから言わんこっちゃない、と悟空は思う。食べる前におれに確認させてくれればこんなことにはならなかったのに。
「おおかた、妙な果物の効果でお師匠様と阿呆の八戒の霊魂が入れ替わったんでしょう。」
「ど、どうすれば元の身体に戻るのだ。」
 早速三蔵は八戒の姿のままで、はらはらと涙をこぼし始める。普段の八戒であれば涙も鼻水も一緒に吹き出しながらぐちゃぐちゃの顔で泣き出すくせに、中身が三蔵だからか心なしか涙の流し方も上品に見える。
「お師匠様の身体だとあんまり食えないかな。酒も飲めないだろうし。」
 三蔵の姿になった八戒は一瞬だけしょんぼりしたが、すぐに気を取り直して言った。
「でもお師匠様の顔のおかげで女にはモテまくるだろうな。早く次の城市につかねえかな。」
 なんだかわくわくしてきたな、と八戒は両手をぶんぶん振り回す。
「八戒兄者、それはあまりにも楽天的すぎるだろう。困ったことになる前に、早く打開策を考えねば。」
 沙悟浄は一人で頭を抱えている。頭でっかちのこいつは、いつも通りただ悩んでいるだけで何の助けにもならない。
 三蔵は、八戒に対し人差し指を突き付けて厳しく下問した。
「八戒。私の身体で妙なことをしないように。約束できますか。」
「妙なことって、例えば何ですかぁ?」
 無邪気な顔で尋ねる八戒に、三蔵は顔を赤らめた。優男三蔵の姿のままであれば可愛気もあるが、今の姿で恥ずかしがったところで赤豚になるだけだ。
「っ……、妙なことです。婦女子にむやみに近づいたり、話しかけたり、触れたりしてはなりません。」
「わかってますって。でも、女性の方からカッコいい、付き合いたいと言って近づいてくるのは止めようがないですよね。」
 胸を張って開き直る八戒を尻目に、悟空は三蔵に太鼓判を押した。
「お師匠様、八戒のなけなしの倫理観をあてにしたところで無駄です。婦女子と縁のない山道にいるうちに、この悟空がなんとか解決して差し上げますから。」
「悟空……。ありがたい。なんとか頼みます。」
 三蔵は悟空を縋るような目で見つめたが、外見は八戒だ。悟空はなんとなく鳥肌が立つのを感じて、すぐに目を逸らす。
「いいか、八戒。おれは元通りにする方法をなんとか考えるから、お前はこれ以上面倒を起こすんじゃねえぞ。道端に落ちてるものを食うなよ。胃が鉄袋のお前と違って、お師匠様の身体は繊細なんだからな。」
「そんなにつべこべ言わなくたって俺だってわかってるよ、兄貴。」
 中身が八戒であることは当然理解しているのだが、目の前にいるのは一見すると三蔵でしかない。あの三蔵が幼児のようにあどけなく口を尖らせて、甘えるように「兄貴」と自分を呼んでくる。悟空は知らず胸が躍るのを感じた。気のせいか声が上ずってしまう。
「お、……おう、わかってるんならいい。」
 
 とりあえず夜になる前に野営場所を探すため道を進むことにしたが、案の定八戒がぐずり出した。お師匠様の脚は赤ん坊のようにへなちょこなので山道には耐えられないという。
「馬は一頭しかいないのに、お師匠様をさておいてお前が乗るわけにはいかないだろう。それに、こんなずんぐりの身体で登山するなんてことに、お師匠様が耐えられるわけがない。」
 八戒の泣き言を聞き流し、悟空は三蔵に手を貸して玉龍に乗せようとした。突然、玉龍は後ろ脚で立ち上がり、ひひんと嘶いてから三蔵と距離を取った。
「勘弁してくれ。」
 珍しく玉龍が喋った。
「今のお師匠様は重過ぎる。その肥えた豚の姿ではいくら僕が龍と言えども耐えられないよ。」
 玉龍の言い分ももっともと思われたので、すったもんだの挙句、三蔵の姿になった八戒が玉龍に乗り、八戒の姿になった三蔵は悟空に負ぶわれることになった。
 三蔵はおとなしく悟空の背後から腕を回し、悟空に背負われた。以前、妖怪の術のせいで両肩に山を載せても難なく歩いたこともある悟空は、八戒の重みなど苦にはならない。しかし、背中から漂ってくる汗臭さには閉口した。
 三蔵は「悟空、そなただけが頼みじゃ。」とだみ声で言いながら(八戒の咽喉から発しているので仕方ない)、ぐすぐすといつまでも泣いているが、なんだか優しい言葉をかける気にならない。ふと視線を下ろせば悟空の首には毛むくじゃらの太い腕が回っている。
(背中にいるのはお師匠様、背中にいるのはお師匠様。)
 げんなりする気分を打ち負かすように心の中で何度も自分に言い聞かせる。
 しかし、
「のどが渇いている頃ではないか。少し休憩しようか。」と、なぜか馬上にいる八戒(見た目は三蔵)を気遣ってしまうのは一体どういうわけなのか自分でもわからない。
 

 悟空は半ば強引に小休止を申し入れ、三蔵を背から下ろした。そして、姿を元通りにする方法を探すからという名目で悟浄の腕を掴み、少し離れた茂みの中に連れてきた。
「悟空兄者は、お師匠様の外見を敬愛しているのか。」
 唐突に核心を突かれ、悟空は思わず叫んだ。
「ちがーう!」
「二人が入れ替わってから、兄者は八戒兄者にばかり優しくしている。外見がお師匠様でも中身はあの八戒兄者だぞ。そして、お師匠様は外見こそ豚だが中身は高貴なお師匠様だ。」
「わかってる。わかってるよ。」
「兄貴、形而上にこそ真実は宿るんだ。観念的に言えば外見は幻覚だ。真に貴ぶべきは霊魂なのだから。」
いつになく熱心に言い募る悟浄を悟空は片手を挙げて制した。
「ちっと黙ってくれ。おれも混乱してるところなんだから。」
 如意棒をまるで杖のようにして顎を支えながら、悟空は頭の中を整理するようにゆっくりと喋った。
「お師匠様が今の姿ではなく別人として生まれてきていたら、それでも今のように慕っていたのかどうかわからなくなったよ。」
「……悟空兄者。」
 やけに静かな声で悟浄が言った。
「なんだ。」
「お師匠様が天竺へ向かうのはこれが三度目だって知ってるか。」
 既に日は山の端に差し掛かり、秋の冷たい風が吹いた。
「どういうことだ。」
「今までの二回は取経に失敗している。なぜと言えば、取経者とは知らずに流砂河にいた拙者が食ってしまったのだ。三度目の今回、お師匠様はやっと悟空兄者と出会うことができ、八戒兄者も連れ、拙者のことも仲間にした。拙者は前回、前々回のお師匠様に会っているはずだが、姿かたちが変わっているせいか顔すら思い出せぬ。拙者の悔恨などどうでも良いが、布置という意味はあるのかもしれない。」
「布置……?」
「一つ一つの星の位置に意味はなくとも、全体から見れば星座として意味を成すように、お師匠様の姿形、霊魂の純粋さ、悟空兄者の過去の暴挙、拙者の悔い……すべての点が三蔵法師一行として今初めて意味を成したんだ、拙者らは。だから、きっとお師匠様のあの優し気で頼りのない姿も、天の設計図にてそういう風に置かれていたのだと考えることもできる。」
「……つまり?」
「なるべく早く二人を元に戻そう。」
「それなら賛成だ。」
 それ以上、沙悟浄は過去の話を引っ張って未練たらしい愚痴を言うことはなかった。いつも一歩引いているような悟浄は、自分の役目を意識して観察者の地位をはみ出ないようにしているのかもしれない、と悟空は初めて思った。


 悟浄と連れ立って、三蔵と八戒の元に戻った。あたら時間を食っているうちに、もう辺りは夕闇が訪れてしまった。
「八戒、この身体はやけに空腹が身に染みる気がする。」
「そうなんですよ。驚異的に消化と消費が激しいおれの苦労がわかりましたか、お師匠様。腹の足しにこのドングリでもどうぞ。」
 この二人は赤ちゃんか、と悟空は頭を抱える。危なっかしくてほんの少しも目を離すことができない。
「待て待て待て。ドングリは生のままじゃ毒があるんだ。いくら八戒の身体と言えども、お師匠様がお腹を壊されたらどうする。」
 三蔵はドングリを地面に戻すと、気まずそうに笑った。
「悟空、解決策は見つかったのか。」
 ええと、と視線を泳がせる悟空に代わり、平静な表情で悟浄が代わりに答えた。
「いくつか方法を考えてまいりました。お師匠様の許しさえあればいくつか試してみようと思います。まず、入れ替わりを元に戻す方法として一番定説なのは、接吻です。」
 悟空も八戒も三蔵も、三者三様に悟浄の顔をまじまじと見つめ、聞き違いではなかろうかと耳を疑った。
「俺とお師匠様が接吻?」
 八戒は優美な唇を半開きにして呆気にとられた。一方の三蔵はその尖った口先を神妙に閉じて考え込んだ後、すぐに心を決めた。どことなく後光が挿してきた気さえする。
「……背に腹は代えられません。試してみましょう。」
「だめだだめだだめだー。」
 急に黙っていられなくなった悟空は、三蔵の両肩を抑えた。
「おれは反対です。そんなことをしてはだめです。お師匠様の唇を八戒の息で汚すわけにはいかない。」
「おれが病原菌みたいな言い方しなくてもいいだろうに。」
 ぶつくさ言う八戒の言葉は聞えないふりをする。
「他の方法があるはずです。悟浄、次の提案は。」
「二人が頭をぶつける。」
「それもだめだ。お師匠様の柔らかな頭が八戒の石頭とぶつかってみろ、簡単に破裂しちまうぞ。次。」
「一晩寝たら元通り、という説もある。」
「だめだ、今すぐなんとかしないと。おれは、これ以上お師匠様の清浄な身体に八戒が入っていることが耐えられない。」
「今のところ、提案できる方法はこの程度だ。」
 悟浄は肩を竦めた。悟空はため息をつく。
「なあ、兄貴。さっきからこれはだめ、あれはだめって兄貴が決めてるけれども、そもそも困っているのは俺とお師匠様なんだし、お師匠様がやってみる気になったんなら接吻でもなんでも試してみればいいじゃねえか。減るもんでもないし。」
 三蔵の姿をした八戒がこともなげな様子で言った。お師匠様の顔でそんなに自堕落な表情をするな、と悟空は思う。
「悟空、お前が私のことを心配してくれているのはありがたい。しかし、いつまでもこのままでいるわけにもいかぬ。」
 真剣な表情でいる三蔵は八戒の身を借りていてもなお高貴さを漂わせていた。悟空は三蔵の瞳を真正面から見つめた。八戒の獣じみた瞳の奥に、変わらない三蔵の意志を秘めた光が宿っている。その光を見失わないように、悟空は自分の瞳を近づけた。
「お師匠様。おれはお師匠様の霊魂も大切ですが、お師匠様の身体も同じように大切です。どちらも少しも損なわれぬままに天竺にたどり着いてほしいのです。」
「悟空……。」
 感じ入った声音で三蔵は呟いた。悟空は思わずその肉付きの良い両肩をかき抱いた。
「あのう……。邪魔するようで悪いけどよう、俺、自分と兄貴の濡れ場見てるみたいでちょっと耐えらんねえわ。」
 八戒が例のごとく空気を読まずにやさぐれた顔で口を挟む。
「ばっ、馬鹿野郎、誰が濡れ場だ。」
 悟空は慌てて三蔵の肩から腕を離すと、振り向きざまに八戒を怒鳴った。その瞬間、悟空の頬の毛が三蔵の尖った鼻先を擽り、三蔵は大きなくしゃみをした。
 その瞬間、何かが光り、何かが変わった。
「あ、……、ご、悟空。」
 三蔵は自分の手のひらを目の前にかざし、感激の声を上げた。
「あーあ、戻っちまったか。俺はもう少しあのままでも良かったんだけどな。」
 八戒は元通りの太い足で地面の石ころを蹴飛ばした。
「は……ぁ、良かった。本当に良かった。」
 悟空は安堵のあまり、へなへなと腰を下ろした。妖怪に捕まった三蔵を助け出したときよりもどっと疲れている気さえする。
「そういえば忘れていたが、くしゃみで元に戻るというのも高名な方法ではあった。」
「早く言え!」
 つくづく役に立たない男だと思うが、悟浄は贖罪の意識を持って旅を続けていることを知った今はあまり責める気にもなれない。
「悟空。」
 三蔵は睡蓮のようにたおやかな手のひらを差し出した。悟空は力を込めすぎないよう気を付けてその手を握り、立ち上がった。
「何もかもそなたのおかげじゃ。なんと感謝したらよいか。」
 煌めいた瞳で見つめてくる。悟空は手のひらから伝わってくる三蔵の体温に耐えきれず、そっと手を離した。
「いいですって別に。お師匠様が面倒に巻き込まれるのはいつもの事じゃないですか。」
 三蔵は照れくさそうに肩を振る悟空をそっと見つめた。
「あーあ、腹減ったなあ。お師匠様の姿のままなら、兄貴が至れり尽くせりで世話焼いてくれたのになあ。」
「あまり言ってやるな、八戒兄貴。」
「あ、山葡萄が生ってる。今夜の夕食はあれだな。」
 目敏く果物を見つけた八戒は早速小走りで駆け出す。
「ちょっと待て!ちっとも懲りていねえのか、この意地汚いうすのろめ!あやしげなものを食うんじゃねえ!」
 悟空は慌てて追いかけた。
 
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

熱のせい

yoyo
BL
体調不良で漏らしてしまう、サラリーマンカップルの話です。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

チョコのように蕩ける露出狂と5歳児

ミクリ21
BL
露出狂と5歳児の話。

ハッピーエンドのために妹に代わって惚れ薬を飲んだ悪役兄の101回目

カギカッコ「」
BL
ヤられて不幸になる妹のハッピーエンドのため、リバース転生し続けている兄は我が身を犠牲にする。妹が飲むはずだった惚れ薬を代わりに飲んで。

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

イケメン大学生にナンパされているようですが、どうやらただのナンパ男ではないようです

市川
BL
会社帰り、突然声をかけてきたイケメン大学生。断ろうにもうまくいかず……

クラスのボッチくんな僕が風邪をひいたら急激なモテ期が到来した件について。

とうふ
BL
題名そのままです。 クラスでボッチ陰キャな僕が風邪をひいた。友達もいないから、誰も心配してくれない。静かな部屋で落ち込んでいたが...モテ期の到来!?いつも無視してたクラスの人が、先生が、先輩が、部屋に押しかけてきた!あの、僕風邪なんですけど。

処理中です...