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第三章

接吻しないと出られない部屋 悟空と三蔵

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 三蔵が目を開くと狭い部屋にいた。三方を壁に囲まれ、一方は鏡張りになっている。鏡を正面にして立った左の壁に扉がある。

「ここは……。」

 身体を起こしてみると、扉の取っ手を揺らしていた悟空が振りかえった。

「どうやら一服盛られたようですね。おれも先程起きたところです。扉には鍵がかかっていて出られません。あの文字を見てください。」

 悟空は扉の上に貼ってある紙を指さした。

「接吻しないと……でられない部屋……。術を使って出ようとすれば二人とも死にます……なんと……。」

 三蔵は顎に手を置き思案した。

「他の出入り口は。」

「今おれが調べた範囲だとないようです。この鏡の使途が不明であやしいですが、今のところ取り外しはできないようですね。」

 三蔵はすぐに心を決めた。しっかと立ち上がり、悟空の手首を掴む。

「接吻すればよい。」

「……あの……お師匠様……。せ、接吻ですよ……。あの、ここにはおれとお師匠様しかいないですからね。おれと……あの、接吻……するんです……か……?」

「だめか。」

 小首を傾げる三蔵に、悟空は頭を抱える。可愛い、などと思ってはいけない。ただでさえ爆音を響かせている心臓が爆発しそうな気配である。

「いいですか。お師匠様。お師匠様は天竺への遥かな旅路を急ぐ修行僧ですよ。御母堂の胎内に宿ってから今に至るまで精進物しか口にしたことがなく、さらに元陽を一度も漏らしたことのない清浄極まるお身体なんですよ。それが、おれみたいな妖怪と……していいわけがないでしょう。」

「脱出にかけては天下一品の悟空が、他に出口がないというのだからないのだろう。術も使えない。この部屋を出るには接吻をするしかないのであれば接吻をする他、選択肢はない。私たちは旅を続けねばないのだ。なんとしてでもこの部屋を出なければ。」

「あの紙に書いてあることは真っ赤な嘘で、接吻しても開かないかもしれないですよ。」

「してみないことには嘘かどうかもわからぬだろう。」

「でもっ、だって、いいんですか。仮におれが妖怪が化けてる偽物の悟空だったらどうするんですか。接吻するふりをして、食べられてしまうかもしれないですよ。」

「妖怪が変化していたのならためらわずとっくに接吻しているでしょう。本物の悟空だから私の身体を心配してくれている。違うか。」

 この人はこういうところがいけない、と悟空は思う。おれから大切にされているという自覚があり、それをためらいもなく口にする。

「で、でも……もし接吻したら清浄ない身体でなくなり、天竺にはたどり着けなくなるかもしれませんよ。」

「時に……私は思うのだ。真に清浄な身でなければ本当に取経が許されぬものなのかどうか……。」

「どういうことですか。」

「一度でも元陽を漏らしたり、接吻をしたりすれば私は天に咎人と見做され、天竺へはたどり着けぬのだろうか。たとえそこによんどろこない事情があっても許されぬのか。」

 悟空は三蔵の澄んだ瞳を見つめた。悟空はその瞳以上に美しいものを知らない。

「私のような矮小の存在ではお釈迦様のお考えはわからぬ。私は私にとって考えられる限り最善の方法で天竺へ経を取りに行く。」

「おっ、おれはいつもおそばにおります。」

 三蔵は微笑みながら頷いた。

「となればまずはこの部屋から出ぬことには話が始まらぬ。この部屋から出るために接吻が必要なら致し方なかろう。」

 悟空は知らぬうちにかいていた汗を腕で拭った。

「しかれば、あの、仮におれとじゃなくて、八戒や悟浄と閉じ込められたとしても、お師匠様はそんなに簡単に接吻に同意するんですか。」

「どうでしょう。果物ばかり食す悟空と違って、八戒も悟浄も今は精進しか食べぬとはいえ、一時はなまぐさも人間も口にした身であるゆえ息が汚れている可能性もある。相手がそなたであるほど簡単に決心はつかぬだろうな。となれば、悟空と共に閉じ込められたというのもお釈迦様のお導きなのかもしれぬ。」

 悟空の頭はくらくらしてくる。それは、つまり、お師匠様もおれを一番に思ってくれているということでしょうか、と口まででかかるが言葉にはならず、握った手を開いたりまた閉じたりしてもじもじしている。  





         ・・・
 一方、マジックミラー越しに仄暗い部屋で二人の様子を伺っているのは八戒と悟浄である。二人とも椅子に腰掛けている。悟浄は鏡越しの二人を固唾を呑んで見守っているが、八戒はばりぼりと菓子を口に運び、まるで観劇のような呑気さである。

「えらい手の込んだ仕掛けだなあ。」

「二郎真君からの贈り物だ。ぜひ悟空兄者とお師匠様を閉じ込めて接吻をさせてほしいとのことでな。二人が無事に接吻したらこのボタンを押して扉を開けるよう言われておる。」

「こちらの様子は向こうから見えないのか。」

「一方からしか見えぬ鏡で、兄者たちからはただの鏡のように見えているとのこと。こちらの部屋を暗くしている限りは向こうからは見えることがないと聞いている。」

「二郎真君の伝手つては広いからな。どっかから手に入れてきたんだろうなあ。」
「先のお詫びのつもりなのだろうか。(天帝杯ビーチバレー大会SS参照されたし)」

「そんなタマじゃねえだろう。おおかた『いいものを手に入れた。そうだ、大聖殿の役に立ててもらおう。接吻すら許されないもどかしい恋情の助けにいざならん。』というドヤ顔が目に浮かぶようだ。」

「まあ、たしかにな。」  

 はた迷惑だが気のいい二郎真君の顔を思い出して悟浄も苦笑する。

「しかし、これは接吻までにまだまだ時間がかかりそうだぞ。」 

 八戒は果物の入った包みを開ける。食料を買い込んできて正解であった。

「お師匠様は心を決めたようだが。」

「問題はあっちの猿の方だぜ。まったく意気地がないというか、大事にしすぎというか……。」

「そこが悟空兄者の良いところだろうが。」

「要するに情交に至らなければいいんだろう?接吻くらい何度だってすればいいのにな。」   






         ・・・
 鏡の向こうから好き勝手に酷評されているとは知らない悟空は、思いきって言った。

「そ、それじゃあ、あの、……やってみましょうか。」

「どうすればよい。」

「お師匠様はじっとしててくださればいいです。」

 悟空は何度か深呼吸する。言われた通り直立不動のまま動かずにいる三蔵の肩に手を載せた。悟空は背伸びをして、そっと唇を寄せた。

 悟空の唇が三蔵の頬をかすめた。触れるか触れたのかも微妙な接触である。三蔵にとっては蝶が止まった程度の感触しかない。

「今のは……。」

「せ、接吻……です。」

 悟空は怒ったように言った。もはや心臓が飛び出しそうな勢いで拍動している。

「頬に……ですか。」

 三蔵は心なしか残念そうな表情に見える。

「仙気を吹きかける時に今までも何度かお師匠様の頬や鼻におれの口が当たったことがあるでしょう。その程度なら許されるのだろうと思いました。」

「扉は開いたか。」 

 悟空はさっと移動し、扉の取手を揺する。動かない。

「だめですね。」

「今のは接吻のうちに入らぬのだろう。まるで触れてはいないではないか。それに接吻は唇にするものだと思っておった。」

「いや……でも、なるべく少ない接触で扉が開けられるものならそっちの方が、お師匠様の身の清廉さが保たれていいと思います。今度はもう少し長く頬にしてみますから。」

「……そうか。」

 三蔵は再びじっとした。

 悟空は再び背伸びをして、顔を寄せた。今度は唇で三蔵の頬を押してみる。  

 三蔵の頬の柔らかさを敏感な唇で感じとる。すりすりと唇を左右に少し振ってみると、鼻も擦れるせいか三蔵の肌の肌理と匂いが際立つ。ゆっくりと悟空は唇を離した。

「ふふ……少しくすぐったいの……。」

 三蔵は先まで悟空が唇をあてていた場所を自分の手で撫でた。

「あの……お嫌ではなかったですか。」 

「ええ、なんともない。扉は開いたのか。」 

 悟空は再び扉の取っ手を揺らす。

「だめみたいです。」






         ・・・
「なぁに、やってんだよ。今更、頬に接吻だとよお。まるでやってることが十かそこらのガキと一緒だぞ。」

 呆れたようにため息をつく八戒に、悟浄も眉間に皺を寄せ腕組みをした。

「斉天大聖を名乗る兄者がもしや接吻もしたことがない童貞ということはありえるか。」

「それはない。」

 八戒は不思議なくらい確信を持って断定した。

「しかし、没我の情愛で求める相手との愛の交歓は初めてなんだろうさ。」

「なるほど。」

「もう部屋に入ってそろそろ半刻経つぞ。日が暮れるまでに二人は出てくるかどうか、賭けようか。」

「拙者は出家の身ゆえ、賭け事はせぬ。」 

「そうか。じゃあ俺は出てこないに一票。悟浄は出てくるに賭けろ。」

「何を賭けるのだ。」

「金も食い物も余分にはねえしなあ。明日のときでも賭けるか。」

「兄者が負けても拙者は二人分も食わぬ。」

「そうか。気が合うな。俺も負けて何も食えんのは嫌だな。」 

 八戒はそろそろ退屈さえしてきたらしい。





        ・・・
「悟空、つまり、そなたは私と接吻するのが嫌なのか。」

 三蔵はため息をついて言った。悟空は驚きのあまり飛び跳ねる。

「えっ、いやなんてことが、そんなことあるはずがありませんっ。」 

「先程からなるべく接吻をしない方法で扉を開けようとしておる。私との接吻をためらっておるのだろう。」

 なぜここで拗ねるのか。あらぬ期待を抱いてしまうではないか、と悟空は内心苛つきはじめる。 

「ためらっているのは事実ですが、なぜそれが嫌だということになりますか。」

「では聞くが、嫌ではないのになぜためらう。師である私が許すと言っているのに。」

「ためらうに決まってるじゃないですか!おれと接吻したらお師匠様の宿願である取経が許されなくなるかもしれないのに。」 

 ついに泣きだしそうな悟空の手を三蔵が握った。額がふれそうな距離で見つめ合い、その瞳の強さに励まされる。吹けば飛びそうなか弱い存在なのに、なぜかいつも守られているのは悟空の側のような気がしてくる。この人の言うことを聞き、この人についていけば間違いないのだ。三蔵が生きる指針そのものとなっていることに、悟空は改めて気付く。

「大丈夫じゃ、悟空。」

「お師匠様……。」

 三蔵の瞳に自分の姿が映っているのを悟空は見てとる。それほど近い距離にいる。 

 鏡の向こうで「今だ!接吻!ぶちかませ!」と吠える八戒がいることに二人はもちろん気づかない。

 三蔵は穏やかに諭すように言った。豆だらけの硬い悟空の手を両手でさすりながら。

「お釈迦様は全てを見ておられる。もし許されないのであれば、きっと我々が接吻をしようとすれば邪魔が入る。そういう定めなのだ。そもそも元陽を漏らすというわけでもなし、たかが接吻だ。邪魔が入らないということは、お釈迦様もお許しという解釈できよう。この接吻は淫らな情欲から行うものではなく、この部屋を出るためのやむを得ない方便であるからして、きっと大丈夫だ。」

 おれはこの接吻に淫らな気持ちも大層込めてしまいそうなんです、と悟空は言いたいが、説明しようもない。師に欲情していることを告白してしまえば、もう共に旅をすることは叶わない。

 悟空にできることは三蔵への思慕は純粋な師弟愛であると自分さえもごまかしてこれまで通り三蔵の傍に付き従うだけである。

「たかが接吻って、お師匠様は前にしたことがあるんですか。」 

「いや、ない。が、しかし、亡き母は赤子の私にした事があるやもしれぬ。親愛の証であればきっと許されよう。」

 悟空は目の端に浮かんだ涙を指で拭った。

「じゃあ、しますよ。していいんですね。」

「さっきからそう言っている。」

「ではお師匠様、しゃがんでください。」

 実を言えば、先の頬への接吻の時から悟空は三蔵よりも頭ひとつ分小さいこともあって、なかなか思った通りの場所に唇をあてられないのであった。 

「こうか。」

 三蔵が床に座り、あぐらをかく。まるで座禅をする構えである。

 悟空は三蔵の正面に腰をかがめる。二人とも肩に力が入っているせいか、動きがぎこちなくぎくしゃくとしている。

「お師匠様、足が邪魔で近づきにくいです。」

「正座にしてみようか。」

「お願いします。」

 隣の部屋では「接吻の時の体勢まで決めかねるとは大した初心の二人だ。」と八戒と悟浄が笑い転げている。 

 悟空は三蔵の両肩を手のひらで大きく掴む。いつもより肩が固く、その感触で三蔵も緊張しているのがわかる。そして、少しずつ顔を近づける。距離を縮めると三蔵の涼やかな瞳がさらに煌めきを増していく。桃のような爽やかな匂いもする。

 先程から悟空の心臓は銅鑼の音ほどの大音量を立てている。悟空の額には玉の汗がにじんでくる。あと数寸で唇が触れるという時に、
「ああああああっ。無理だっ。」と、悟空は大きく頭をのけぞった。

「お、お師匠様、接吻の前におれは倒れてしまうかもしれません。」

 心臓を両手で抑えながら悟空は尻をついて後ずさった。

「そんなに嫌か……。」 

 三蔵は再び目を伏せる。 

「だから嫌じゃありませんってっ。」

「もう言い訳など聞きとうない。そなたなどこの部屋でずっと閉じ込められておれば良い。」

「嫌なんかじゃないですっ。おれっ、おれは……。」

 その時突然部屋が大きく前後に揺れた。悟空は素早く三蔵の肩を抱いて覆い被さるようにし、不慮の落下物に備えた。




  
       ・・・       
「接吻はまーだーかー。」 

 先程の振動は、しびれをきらした八戒が鏡の向こうで地団駄を踏んでいるせいであった。

 悟浄は
「悟空兄者もお師匠様もまるで生娘のようだな。」と冷静な眼差しで評している。

「もっと揺らしてやれ。」

 調子に乗った八戒は飛び跳ね、そのたびに部屋がぐわんぐわんと揺れる。

「悟空兄者、この機を逃してはならぬぞ。」   

 悟浄は祈るように見つめている。
 




        ・・・    
「地震でしょうか。」

 三蔵は当然のように悟空に寄り添う。熱い胸と穏やかな心音にどこか安心する。

「地震にしては揺れ方が妙ですね。大きな虎が飛び跳ねている地響きのようです。」 

「……虎。」

「大丈夫ですよ。おれが守ってさしあげますから。」 

 悟空は強く三蔵の肩を引き寄せる。悟空の指先も柔らかく、先の接吻を試みた時、肩に触れた緊張した感触とは全く異なる。まるで乾いた地面に雨がじんわり浸透していくのように、三蔵の重みと体温がゆっくりと悟空の身に重なっていく。

 既に部屋は静まり返りぴくりとも振動していないが、しかし、悟空は三蔵の肩を離さない。 

 三蔵は知らず顔を上げた。悟空の熱を持った眼差しがそこにあった。まるで心の蔵を捕らえられたみたいに、三蔵も自分の肚の内が熱くなってくるのを感じた。悟空がまっすぐに三蔵を見つめたままゆっくりと近づいてくる。火眼金睛に自分の心の内さえも全て見透かされるようだ。

「こんなに煌々こうこうとした部屋では少し恥ずかしいな。」

 三蔵は片手を口に当てて少し俯いた。

「これでどうですか。」

 もう悟空はためらわなかった。柔毛を抜いて投げあげ、部屋の天井に吊られた明かりの覆いとした。途端に間接照明のように落ち着いた光だけになり、部屋全体がほの暗くなる。灯りが落ちるのと同時に、悟空の精悍な香りが強まったように三蔵には感じられた。 

 三蔵の唇を覆っていた片手に沿うように悟空は自分の指を絡ませ、優しく握りながら床に下ろした。三蔵は何かに導かれるように目を閉じた。ふっと息を吐いた。

 とうとう悟空の唇が三蔵のそれに触れた。そっと触れるように押しつけられた瞬間、三蔵の時は止まった。少し気を失ったのかもしれない。 
 
 気付けば肩にあった悟空の腕は、三蔵の腰に回され、ぎゅっと抱きしめられていた。唇と舌はまるで自分のものではないように、悟空の激しい愛撫に応えている。悟空の唇は桃の香りがした。まるで目が回りそうな快感である。三蔵は夢中で悟空の唇を食んだ。何も恐れるものはなかった。   






        ・・・
「見えねー。」

 叫んでいるのは八戒である。悟空が灯りを弱めてしまったのでマジックミラー越しに見えるのは薄暗い陰でしかない。

「んっ、……。」

 かすかに漏れる三蔵の声とわずかに濁る水音が、余計に想像をかき立て淫猥さを増している。 

「見せろー。」

 阿呆の八戒にはこの部屋の仕組みなどわかるはずもない。手元にあった押しボタンを手当たり次第に押していく。 

「兄者、いけないっ。」

 悟浄が慌てて止めたが間に合わなかった。

 一瞬の後、八戒と悟浄がいる部屋の明かりがぱっと明るく灯った。
  





        ・・・
 驚いたのは三蔵である。瞑った目に刺すような刺激があり、不思議に思いながらわずかに目を開けた。すると、一面の鏡だと思っていた壁がまるでガラス扉のように透き通り、八戒と悟浄の慌てふためく姿が目に入る。

「んっ、……ご、……ごく……。」

 三蔵は豪雨のような接吻の隙間を縫って、悟空の頬をぺちぺちと叩くが、悟空は接吻をやめない。

「まだ、まだ……足りません。お師匠様。」

 顔を離そうとする三蔵の両頬をぐっと固定し、さらに舌を奥までねじこんできた。その柔らかい感触に思わず流されてしまいそうになるが、さすがに二番弟子、三番弟子に食い入るように見つめられて接吻は続けられない。

「ごく……、み、見なさい……。」

 悟空は眉をしかめながらそれでもまだ唇を離さずに視線だけ周囲に巡らせ、八戒と悟浄がいるのを見てとると、まるで母親にいたずらが見つかった幼児のように固まった。





         ・・・
 その後、悟空に絞られた八戒と悟浄がすべては二郎真君の差し金だったと罪をなすりつけ、顔を真っ赤にして起こる悟空を三蔵がなだめた。

 そろそろ日も暮れ始め、一行は山道を急ぐ。手綱を取る悟空と馬上の三蔵は照れくさいのか、目が合わないようにそっぽを向いているが、相手が向いていない間にこっそりと覗き見ていることを悟浄は知っている。気が急くのか悟空は妙に速足で、手綱を引かれる玉竜も先を行っている。

 自分の後ろをのんびりと歩く八戒に声をかけた。

「兄者、そういえば日が暮れる前に二人は出て来れたな。」

「そうだな、賭けはお前の勝ちだ。」

 八戒は言い置いて、顔だけを近づけると悟浄の唇にその尖った唇を合わせた。

「あ、兄者……。」

 思っていたよりも八戒の唇は柔らかく、こんな事実なんて別に知りたくなかったと、悟浄は頭を抱える。

「掛け金代わりの接吻だ。」

「……まったく嬉しくないのだが。」

「まあ、そう言うなって。兄貴がこっそり礼言ってたぞ。悟浄にも伝えろってさ。」

「なんと。」

「頬への接吻で扉を開けなかったのは、よくやったってさ。やっぱり接吻できてうれしかったんじゃねえか。なあ。あんなに怒ってたけどよお。」

 また機会があったら二人を部屋に閉じ込めてやろう、きっとお師匠様もそれをお望みのはずだと空気の読める悟浄は思った。
 
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