悩める勇者と偽り従者

無糖黒

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6話 雨と隠蔽

5.影

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 土砂降りの真っ暗な夜道を、男は必死に、しかし緩慢に走っていた。
 後ろから追われる気配に怯え何度も振り返るが、寒さと疲労でその足取りは怪しい。


「ひい、ひい…ぐぁっ!?」


 案の定振り返る動きの最中に足がぬかるみに取られ、その場で転倒する。 


「くそっくそっくそっ…!」 


 男は急いで立ち上がり、毒づきながら再びよたよたと走り出す。
 背後を気にしながら、少しでも前へ前へと歩を進める。 


「あんなの、反則じゃねぇかよ…!糞が…!!」 


 男は全身打ち身だらけだったが、さほど出血はしていなかった。
 僅かな血糊も、激しい雨で流されている。

 そのお陰でにおいが紛れ、男は幸運にも追跡する魔獣たちを振り切っていた。

 ただそのことを男は正しく認識出来ておらず、不安を払拭することが出来ない。
 すぐ近くまで迫ってきているのではないかという恐れから休むことも出来ず、ひたすら歩き続けていた。


「はあ、はあ…」


 だがこのままでは、雨が止むか朝が来るまで体力がもちそうにない。
 男は追跡者に見つからない、安全に体を休められる場所を求めて必死に渓谷を駆けずり回っていた。

 いつまた追跡者に見つかるかと、気が気ではない。 


「ちくしょう、なんでオレがこんな目に…うおっ!?」 


 油断した男の足が宙をかく。

 暗い山道で背後ばかり気にしていたため、眼前が小さな崖になっていることに気が付かず、思いきり足を踏み外した。

 三メートル近い高さを落下し、地面に激突。
 崖下の緩やかな斜面を数回転がった後、最後は水溜りに突っ込んで止まった。 


「ぐう、痛え…なんだよ、オレが何したってんだよ…」 


 男はしぶとくも顔をあげる。すると、男の目に何かが映った。 


「あん…?あれは、ひょっとして…!?」 


 遠くに見えたのは、焚き火の小さな灯りだった。

 幸運なことに、視界が低くなり木々の枝葉に邪魔されなくなったことで見つけることが出来た。
 まだ数十メートルは離れているが、目を凝らすと焚き火の傍に誰かが座っているのも見える。 


「へ、へへ…助かったぜ、ついてる…痛え!?」 


 男は歓喜と共に立ち上がろうとするが、足が挫け再び水溜りに突っ伏した。
 崖から落ちた時に、ひどく足を捻っていた。 


「くそ…まあいい、動けなくても、助けを呼べば…!」 


 男は立つのを諦め、上半身を起こす。
 そして息を吸い、大声で火の傍の人物に呼びかける。 


「お――」 
「静かに。ようやく眠られたのですから」 


 しかし男が声を張り上げようとした瞬間、その喉笛にひたり、と冷たい刃物が添えられるのを感じた。

 一瞬にして血の気が引き、聞こえた声に反射的に従う。
 吐き出しかけていた息を止め、慌てて口で手を覆った。

 ほんの一瞬の出来事であったが、男は確信した。
 背後の人物は、自分が声を出した瞬間に一切の容赦なく喉笛をかき切るだろうと。

 男はぴくりとも動けなくなった。 


(後ろだと…!?) 


 呼吸を止めたまま、男は愕然とする。
 いくら油断していたとはいえ、刃物を突き付けられる距離まで接近され欠片も気づけないとは。 

 だが男はそこで、違和感を覚えた。
 刃物を首に突きつけられる距離にいるにしては、聞こえた声が遠かった。

 そしてほぼ同時に、首の冷たい感触が消失していることにも気づく。
 やはり背後に人の気配は感じられないし、そういえば降りしきる雨が遮られたような感覚もない。

 男がそう油断した瞬間に、今度はパチャリという控えめな足音が一度だけ聞こえた。 

 仰天して咄嗟にそちらに視線を巡らせると、いつのまにか二メートルほど離れた場所に人影が立っていた。
 その不気味な姿に、思わず口から悲鳴が漏れる。 


「ひっ…!?」 


 影はローブを身に付けており、羽織ったポンチョのフードを深く被っている。
 そのため顔はよく見えず、男か女かも分からない。

 ただよく見ると手には片手剣を鞘ごと携えており、ローブには僅かに返り血がこびりついている。
 そして男は気がつかなかったが、その指には今しがた男に幻惑魔法をかけた発動体がはめられていた。 


「な、なんだお前…!いつからそこに…!」 
「静かに、と言ったはずです。聞こえないのですか?」 


 人影の冷ややかな声に、男は空恐ろしいものを感じてようやく騒ぐのをやめた。
 代わりに、媚びへつらった笑みと猫撫で声で人影に話しかける。 


「ま、まあいい…あんたが何者かは知らねえが、どうか助けてくれないか?ヘマをしてご覧の有様で…もちろん、町まで連れ帰って貰えば謝礼は色をつけて払う…!頼む、この通りだ…!助けてくれ…!」 


 男は頭を地面に擦り付けて懇願する。

 しかし、その姿を見下ろす人影の目と言葉は冷ややかだ。 


「助けてほしい?随分身勝手な要求ですね。こちらを散々利用しておいて」 


 その突き放した声色に、男は驚いて顔を上げる。
 幽鬼のように立つその姿に、男は見覚えがない。 


「あんた、何言って…?」 
「魔獣に囲まれていた所を助けられたにも関わらず、命の恩人に魔獣を押し付けて逃げた連中の生き残りでしょう?あなた」 


 男は目を見開く。
 確かに今日、指摘通りのことを行っていた。
 それが分かるということは、目の前の人物の正体は自然と一つに絞られる。 


「あ、あんた、まさかあの時の…!?」 


 男はあの時のことを思い出す。
 服装は変わっているが、自分たちを助けた二人組の片割れだったらしい。

 男は再度頭を深々と下げる。 


「いや、あれは本当にすまなかった!こっちも生き残るのに必死で…!態勢を立て直したら改めて加勢しようと思ってたんだが、間に合わなくて…」 
「嘘ですね。あの後も、あなたたちは魔獣をこちらになすりつけていたでしょう」 


 ぎくりと、男の体が強張った。 


「な、なに言って…」 
「明らかに魔獣の数の増え方が異常でした。具体的にどうやったのかまでは分かりませんが、おおかた小規模な群れを挑発してこちらにうまく押し付けたのでしょう」 
「何を証拠に、そんなこと…」 
「確かに確証はありませんね。ですが私、嘘は何となくわかるのですよ…自分も嘘吐きなもので」 


 人影の指摘は全て当たっていた。
 男はあの時助けられたパーティの一人で、あの後に長老型魔獣を見つけて襲撃を行ったが返り討ちにあい、男以外は既に全滅していた。 


 男は、少々珍しい白魔法を習得していた。
 それは対象者の存在を希薄にし、周囲から気付かれにくくする隠蔽魔法だ。

 魔力探知能力の高いものには通じにくいが、そうでないものには対象者の姿だけでなく、対象者の立てた音や体臭までも誤魔化すことができる。 

 激しい行動や他者との接触により解除され、使いどころは限られる。
 だが複数対象に一度にかけることもでき、有用とされる魔法だ。
 ただ使える術師はあまり多くない。 


 そして男はこの魔法を駆使して、指摘通り魔獣のなすりつけを行っていたのだ。
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