悩める勇者と偽り従者

無糖黒

文字の大きさ
14 / 103
2話 鬼と色

10.忘却

しおりを挟む
 セノンが怯んだのに対し、ここぞとばかりにカイオはセノンを攻め始めた。


「大変だったんですよ?背負う私の体をあちこち触ってくるし、ようやくベッドに入って寝たかと思えば急に起きて酒を飲む私に一緒に寝ろと強要してきますし、一緒に寝たら寝たでまた好き勝手に体中まさぐってきますし…」 
「うっ嘘だ!それは絶対嘘だ!!」 


 カイオのわざとらしい声に反論する。
 記憶はないが、自分からそんなことはしていない、と思いたい。

 なにより、こういう時のカイオの言葉はあてにならない。 


「そう思いますか?でも、現にさっき触ろうとしてたじゃないですか」 
「だ、だからあれは…!」 
「まあ、いいんですけどね。セノン様が望むなら、体を触らせるくらい」 
「いや、」 
「――まさか、私が寝ていて何も分からないうちに、べたべた体に触れたりしたのですか?まるで、どこぞの淫売のようですね。心優しいセノン様に限って、そんなことはしないかと思いますが」 


 カイオは僅かに目を細めて、ふとなにかを思い出したかのように言い放った。

 その心の内を見透かすかのような視線、そして微かな、しかし明確な怒りがこもった声に、セノンは戦慄した。 

 実際のところ、その怒りはセノンに向けられたものではなかったが、セノンにはそこまで分からない。
 ただ途中の言葉の意味は分からずとも、込められた苛立ちだけは理解してしまった。 


 そして急激に、自分のやってしまったことを後悔する。
 愛し合っているわけでもない異性にあんなことをされて、気分を害さない女性がいるはずがない。 

 自分のやったことに気づかれたら、カイオに軽蔑され、嫌われてしまうかもしれない。
 ただただそのことがセノンは怖くなった。

 ひょっとしたら、もううっすら気付いているのかもしれない。
 今はまだ確信していなくとも、ちょっとしたきっかけで感づかれてしまうかもしれない。 

 一時的な衝動で、馬鹿なことをしてしまった。セノンは激しく後悔する。 


「そんな、こと…」 


 思わず顔を背け伏せながら、なんとか声を絞り出す。
 セノンは自覚しなかったが、声は震え、か細い。恐怖と後悔に、知らず知らず体が震えていた。 


「…」 


 セノンのそんな様子を見てカイオは何かを察し、僅かに苛立ちを滲ませていた表情を消した。
 そしていつもの薄い笑みを浮かべ、震えるセノンの体を優しく抱き寄せた。 


「あ、カ、カイオ…?」 
「すみません、冗談です。別にちょっと触られるくらい、私はなんとも思わないですよ」


 カイオはそう言って、安心させるようにセノンの背中を優しく叩く。


「少し個人的なことで苛立ちがあって、それを無関係なセノン様に見せてしまいました。申し訳ありません」 
「そんな、カイオが謝ること、なんて…」 
「何があっても、私がセノン様を嫌ったり、愛想を尽かすことなんてありえません」 


 カイオのひどく優しい声に、セノンは言葉を失う。
 その声は乾いた砂の中に水が注ぎこまれたように、セノンの強張った心に染み込んでいき、潤した。

 しかし、そんなカイオを裏切るひどいことをしたという罪悪感は消えず、チクチクと胸が痛む。 


「さあ、もう寝てしまいましょう。明日も早いんですから」 
「えっ…でも、それなら一人で…」 


 セノンの言葉を待たず、カイオはセノンを抱きしめたまま横になり、毛布を被る。
 まるであやされる幼子のようだとセノンは感じた。

 急激に恥ずかしくなりながらも、強く拒否することが出来ない。
 第一、罪悪感を抱えたこんな精神状態ではとてもすぐに眠れそうにない。 


(あれ…) 


 しかし、緩く抱きしめられ、頭を優しく撫でられることであっという間に心が落ち着いていく。
 さっきまでの後悔で強張った体がほぐれ、日中の緊張が染み出し、頭がぼんやりしてくる。 

 頭を撫でる手に指輪の感触を感じながら、セノンはすぐに意識を溶かした。 





(う…?) 


 朝、セノンは自然に目を覚まし、うつ伏せのままベッドの中で目を開いた。 


「おはようございます、セノン様」 
「……おはよぅ…」 


 ベッドの中でそのままぼうっとしていたセノンに、カイオの挨拶の言葉が掛けられる。
 セノンは半分寝ぼけたまま、返事を返す。

 声を掛けたカイオは、既に身支度を終えいつもの男装姿になっていた。


「うん…?」 


 身を起こし部屋の中を見渡すと、自分のベッドに一人で寝ている。
 そこに何か、違和感を覚えた。 


(昨日、なにか嫌なことがあったような…) 


 もやもやする気持ちに従い、昨夜の記憶を掘り起こす。

 夜中に一度起きたような気がする。
 しかも信じがたいことに、カイオの体を触ったり、見ようとした覚えまである。 


「ええ…嘘でしょ…」 


 自らの記憶を訝しみながら、思わず呟く。
 すっかり冷えた頭は記憶の中の興奮や衝動を一切思い出すことが出来ず、自分のしたことに実感が湧かない。

 夢の中の出来事のように、現実感がなかった。 


(ひょっとして、夢に見たことが記憶とごっちゃになってる?夜中の記憶は全部夢…?) 


 改めて部屋の中を見渡すと、記憶にあるお酒の空瓶や匂いもない。
 ベッドも、自分のではなくカイオのベッドで寝ついた記憶があるのだが。

 そのことが、さらに疑惑を強める。 


「目が覚めたなら、早めに身支度を終わらせて下さいね。今日はまず修理屋に行く必要がありますので」 


 カイオの様子はいつもと変わらず、昨日何かあったようにも見えない。
 いまいち自分の行動が信じられないセノンは、思い切ってカイオに問いかける。 


「あのさ…昨日の夜中に、何か話したっけ?カイオも起きてたような気がするんだけど…」 


 セノンの恐る恐るの問いかけに、いつも通りの薄い笑みでカイオは答えた。 


「何も話していませんよ?私はずっと眠っていました。夢でも見たんじゃないですか?」 
「そっか…なら、いいや」 


 カイオの答えに安心して、セノンはベッドから抜け出す。
 その後、身支度を整えて宿を出て、修理屋に装備を取りに向かった。 


「おいおい、マジかよ…」 
「昨日の真夜中だって?酷い話だな…」 


 修理屋で装備を受け取った後。
 街中で消耗品の補充も終え、町をあとにしようと歩いていたところで、セノンの聴覚はふと住人たちの噂話を捉えた。

 なんとなく聞こえてくる言葉は不穏で、思わず耳を傾けてしまう。 


「なんでも、煙草に火をつけようとしたら急に燃え上がったらしい」 
「店も燃えたのか?」 
「いや、店はボヤ程度で済んだらしい。店主も臨時収入が入ったから、そこは困ってないらしいが…」 
「でもなぁ、一番の稼ぎ頭が顔を中心に全身酷い火傷ってのはなぁ…」 
「命に別状はなかったらしいが、あれじゃ今後客を取るのはちょっともうな…」 


 どうやら、昨日の夜中に街中で火事騒ぎがあり一人怪我人が出たらしい。 


(なんだろう…なんか、嫌な感じ…) 


「セノン様、どうかしましたか?行きましょう」 
「…ごめん、今行く」 


 カイオに声を掛けられ、セノンはその場を後にする。
 すでにセノンの記憶の中には、昨日酒場でよくしてくれた女性の名前は残っていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神は激怒した

まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。 めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。 ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m 世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

処理中です...