悩める勇者と偽り従者

無糖黒

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10話 犠牲と約束

15.代償

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 「すみません、冗談です。少々趣味が悪すぎましたね」とカイオが言い出すのを、セノンは無意識に待っていた。

 呆然と見つめてくるセノンに対し、しかしいつまで経ってもカイオは直前の発言を撤回することも、治癒魔法を構築することもなかった。

 そのことを理解したセノンは、発言の意味が分からないまま、それでも口を開く。


「なに、を…?」 
「ひとまず、幻惑魔法だけでもかけておきましょう。貴方を故意に苦しめたい訳ではありません」 


 カイオは手早く幻惑魔法を構築し、発動させた。
 強力な魔法により痛みが小さくなり、セノンは体が随分と楽になる。

 しかしあくまで痛みをマヒさせただけなので、流れ出る血は止まらない。
 それでもセノンは、我を忘れてなんとか僅かに身を起こし、カイオに問いかける。 


「ちょっと待って、どういうこと…?なにか、治療することに、問題が…?」 
「問題と言いますか…まあ確かに問題は無いわけではないのですが…おっと」 


 カイオはぱっと、自らの右腕を押さえる。
 押さえた右腕は、激しく痙攣し始めていた。 


「やはり、理を乱すと駄目ですね…このくらいなら、抑え込めるかと思ったのですが…」 


 カイオが諦めの表情とともに、右腕を放した。
 すると次の瞬間、服の袖を破りながら右腕の皮膚が変質し、一瞬にして鳥の羽毛が生え揃う。

 そしてその直後に、カイオは右腕の肘から先を広範囲に覆ったそれを、あっさりとむしり取り始めた。

 当然のように皮膚が破れ、腕から血が溢れる。 


「は…?」 
「今回はこれだけ…ああ、ここもですね」 


 カイオが言葉とともに服を捲ると、傷の消えた左の脇腹に魚類のものとも爬虫類のものとも区別のつかない鱗が生えていた。

 それもカイオは、躊躇なく剥がす。

 こちらからも血が溢れるが、腕の傷も腹の傷も次の瞬間には癒えてなくなった。
 ただ皮膚が引き攣れたように、醜い傷痕が残っていた。 


「痕が残るのが気に食わないですが、まあ仕方ありません」 


 カイオが不満げに呟くも、セノンは訳が分からなかった。
 自らを癒す代わりに肉体を他の生物のものに変質させる魔法など、聞いたこともない。

 そこでセノンは、傷痕の残るカイオの右腕には、発動体が嵌っていないことに気が付いた。
 白魔法の発動体どころか、黒魔法用の発動体すら身に着けていない。

 体のどこか見えないところに身に着けているのだとしても、魔法発動のためにそれに触れた素振りもなかった。

 信じていた常識がことごとく覆され、もはや何を信じていいのか分からなくなってくる。


 セノンは、カイオが使ったのは自身の知らない、常識からかけ離れた禁術の類だろうかと考えた。
 それでも、とにかく今はそれに縋るしかない。 


「カイオ…僕の体かカイオの体かに、なにかリスクがあるのは分かった…けど、悪いけど治して欲しい…このままだと、僕…」 
「いえ、リスクを恐れての拒否ではありません。術者である私の体が変質するくらいは、本来であればまあ許容範囲です」 


 死んでしまう、という言葉をセノンに言わせることなく、カイオは飄々と否定した。
 その軽い調子に、ついセノンは懇願する自らの立場も忘れ頭に血を登らせた。 


「だったら、なんで…!」 
「そろそろ、潮時かと思いまして。ここまで来てしまったのなら、もうここでセノン様を手に入れてしまうというのも、悪くないかと考えているのです」 


 怒りを募らせるセノンに対して、あまりふさわしくない調子での言葉とともに、カイオはにこやかに笑った。
 今までセノンが見たことのない、晴れやかな表情だった。

 状況にそぐわない不自然な表情に、セノンは不気味なものを感じ言葉を失う。 


「最近、セノン様があまりにも美しくて、愛おしくて、我慢が出来なくなってきました。欲しくてたまらなくなって来たので、もうここで亡くなられてもまあいいかな、と」 
「……なに、言って…?」 


 言葉の意味が何一つ分からなかった。

 セノンが欲しくなったのでセノンが死ぬことを容認するなど、訳が分からない。
 セノンには、カイオが正気を失ったようにしか思えなかった。 


「ああすみません、分からないですよね。…こういうことです」 


 カイオは言葉とともに、おもむろにその身の奥深くに秘められた魔力を、ほんの一瞬解放した。

 カイオの背中に魔力が溢れ、光を放つ魔力の翼を二対形成する。
 その姿は、セノンの記憶にある姿と極めて酷似していた。 


「…そん、な……その姿、まさか……御遣い、なの…?」 


 セノンは記憶にある、その存在の名前を呆然と呟いた。


 御遣い、天から遣われしもの。
 それはおとぎ話や教会の聖典に登場する存在で、神のしもべ、人間とは異なるより上位の存在だとされている。 

 そしてその逸話の多くでは、驕り高ぶった人間を罰し滅ぼしたり、世界に害を及ぼす悪しき存在を滅する為に人間に力を貸したりする、とされている。

 そして、死した人間を導き管理する、とも。 


 古くから伝わる伝承の中以外で、人の前に現れたという話をセノンは聞いたことがなかった。
 だが目の前で見せつけられた莫大で異質な魔力の前には、信じることしか出来ない。

 背に顕現した光の翼は一瞬で消えていたが、セノンの脳裏には決して忘れることのできない衝撃が刻み込まれていた。 


「そうです。先ほどの回復魔法も御遣いとしての私の力であり、この肉体が本来持ち得る力ではありません。使えない筈の魔法を、理を歪めて行使した分、代償に肉体も歪んだのです」 


 カイオは腕の傷痕をなぞる。

 本来使えない力を行使するということは、言うなれば支払える金がないのに酒場で食事を取ったようなものだ。
 その場合手ひどい暴力でも受けるか労働で対価を支払うか、何らかの制裁を受けることなる。

 ルールを破って得られないはずの結果を得たのだから、それに見合った代償が必要なのだ。 


「やりすぎるとこの肉体が朽ち果てるため、多用は出来ません。新たな肉体を得るのにも時間がかかります。十年以上見続けた貴方の人生の幕引きを傍で見られないなど、想像もしたくありません」 
「十年、以上…?どういう、こと…?」 


 カイオの言葉に、セノンは理解が追いつかない。
 セノンとカイオが出会ってから、まだ二年も経っていないはずだ。 


「ネロという名前を、ご存知でしょう?あれも私です。あの肉体を捨ててこの姿を得たのが、約二年前です。私は昔からずっと、貴方の傍にいたのですよ。気が付きませんでしたか?」 


 孤児院でずっと自らの傍にいた黒猫の名前が告げられ、セノンは戦慄した。
 もう何を信じて何を疑えばいいのか、セノンには何も分からなくなってきていた。

 信じていた従者から次々に告げられる情報に、セノンの精神は著しく揺さぶられ続けた。
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