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10話 犠牲と約束
16.真実
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カイオの言葉に従い記憶を辿ると、確かに猫がいなくなった時期とカイオと出会った時期はそうずれていなかった。
しかし流石にその情報は、にわかに信じることが出来なかった。
「そんなの…うそ、だよね…?」
「別に信じて頂かなくても結構です。…ああでも、貴方が昔こっそり屋根裏で泣いていたことを知っていると言えば、信じてもらえますかね?」
カイオはくすりと笑う。
確かにセノンは孤児院時代の幼い頃に、寂しくなると院の屋根裏で一人泣いていた。
その場所はたまたま彼だけが発見した場所であり、彼の「秘密基地」として誰にもその存在を教えていなかった。
だが見つけてから二月も経たないうちに偶然大人にその存在が露見し、すぐに「子供が入り込むと危険だ」と塞がれてしまっていた。
だからあの屋根裏はセノンとごく一部の大人しか存在を知らず、そこで泣いていたことは誰にも知られていないはずだった。
――ただそれは、セノンが泣いているとどこからともなく屋根裏に入り込んできていた黒猫を除けば、だ。
最早、信じるほかない。
「なんで…そこまでして、僕を…?そんなことをする、意味が、よく…」
わからない、と。
セノンは思わず、そう問いかけた。
訳の分からないことだらけの中で、まず浮かんだのはその疑問だった。
「貴方の生命の輝きに、私が一目惚れしてしまったのですよ」
しかしカイオの返答は人間らしさの薄い、セノンには理解しえない、『御遣い』という存在ならではの答えだった。
「最初は傍で見ているだけで満足だったのですが、より光の当たる表舞台に立って欲しいと、より強く光り輝いて欲しいと、だんだん欲が出てしまいまして。…その結果、つい貴方を討伐者として導いてしまいました」
カイオは言いながら、セノンに顔を近づける。
その瞳は爛々と輝き、瞳の奥には狂気的な熱情が宿っていた。
「想像より遥かに、貴方は素晴らしかった。人々のために力を振るい、悩み、苦しみ、傷つけられ、しかし美しい心の輝きを失わなかった。…もう傍で見ているだけでは、多少触れるだけでは、我慢が出来なくなってきました。ちょうどいい機会なので、ここで貴方を私のものにしようと思います」
カイオの言わんとしてることを、セノンは分からないなりに、朧気ながらも理解し始めた。
それはつまり、今ここでセノンが死んでもいいと考えているということだ。
「だから僕を、見殺しにするっていうのか…!?」
「別に、積極的に亡くなっていただこうとは思っていなかったのですよ?今この状況を引き起こしたのは、すべてあなたの選択の結果です」
カイオの指摘は、相変わらず正しかった。
竜に挑むことを決めたのも、持ち掛けられた引き際を拒否したのも、竜を仕留めることに二度失敗したのも、すべてセノンだ。
むしろカイオは、少しでもセノンの危機を防ごうと手を尽くしていた。
「貴方が上手くやれなかったために貴方は今も死に向かい、私も死にかけました。この状況は、貴方が負うべき責任です。ここで私が本来使えない回復魔法で貴方を救うことは、世の理を捻じ曲げることになります。それは、正しいことではありません。…そうでしょう?」
肉体が歪むことに目を瞑っても、ここで救いの手を差し伸べることは道理に反している、とカイオは言う。
カイオの言っていることはどこまでも正論だ。
しかし、セノンもこのまま死ぬ訳にはいかない。
「お願いだ、カイオ…僕はまだ、ここで死ぬ訳にはいかないんだ…!せめて、あの竜だけでも討伐しないと、あの村は…!」
「戦いの中で死ねないのは、誰しも同じです。セノン様だけ、特別に救われてよい道理はありません」
「僕を助ければ、もっとずっと一緒にいられるだろ!僕が人を救っているところが見たいって言うなら、これから幾らでも見せてあげられるよ!だから、お願いだから…!」
セノンは思わず叫び、懇願する。
失敗してもう打つ手もなくなったであれば、諦めるしかないと考えていた。
さっきまでは、自分の命は諦めてもカイオさえ助かればいいとさえ思っていた。
しかし、いざ目の前に助かる手段を見せつけられて、それをあっさり諦めることは出来なかった。
「ああ、いいですね。いい感情の爆発です。貴方のような美しい存在に、そのような強い感情を向けられることが、私には何より心地よいのです。死の間際で、より感情が高ぶっているのが分かります…素晴らしいです」
しかしそのセノンの様子に、カイオは嬉しそうに笑った。
そしてセノンは、うっすらと理解する。
カイオは、この状況すら楽しんでいる。
もう、セノンの命を救う気はないのだ。
そのことを理解した瞬間、セノンの張りつめていた緊張の糸がぷつりと切れ、体から力が抜けた。
僅かに起こしていた体が崩れ落ちると、べちゃりと血の跳ねる音がした。
もとより痛みを誤魔化していただけで、傷は一切塞がっていないのだ。
血だまりはいつの間にか大きく広がり、明らかに血を失いすぎていた。
「どうしてだよ、カイオ…僕は君のことを、信じてた、のに…」
失血の影響で次第に意識を混濁させながら、セノンは小さく呟いた。
カイオの方に顔を向けたが、瞳に映るその姿はゆっくりとぼやけ始める。
「ああ…たまらないです。強い決意であれ、人を救おうという意思であれ、これまで貴方が見せてくれる感情は強く正しいものばかりでした。迷ったり苦しんでも、最後には希望を見出だしていました」
カイオはうっとりした表情と声色で、セノンに近づく。
血に濡れた頬に、手を差し伸べた。
「ですが、よく分かります。今の貴方は、心の底から絶望している。これもこれで、極めて強い感情です。その表情といい、感情の発露といい…たまらないほどに、貴方が愛しくなります」
カイオはそう言いながら、頬に触れた掌を下げ、セノンの顎、首をなぞった。
やがてはだけた胸元にたどり着き、血に塗れた傷口に触れる。
感覚が鈍っていても感じる痺れるような痛みに、セノンは呻き声を上げる。
僅かに、混濁した意識が覚醒した。
「ぅ…」
「さあ…貴方の美しい感情を、もっと見せて下さい。貴方が秘めていた欲望も、もう隠すことはありません。すべてはもう…私の物です」
カイオは熱に浮かされた表情で、セノンの体を抱き寄せた。
血を失ったその体は冷たく冷え切っていたが、反対にカイオの頬はかつてないほどに紅潮し、瞳孔も開ききっていた。
自らの体に触れるカイオの体は、それまで感じたことがないほどに暖かく、いっそ熱いくらいだった。
こんな状況でも、カイオの体の柔らかさと暖かさに、セノンは心地よさを覚えた。
しかし流石にその情報は、にわかに信じることが出来なかった。
「そんなの…うそ、だよね…?」
「別に信じて頂かなくても結構です。…ああでも、貴方が昔こっそり屋根裏で泣いていたことを知っていると言えば、信じてもらえますかね?」
カイオはくすりと笑う。
確かにセノンは孤児院時代の幼い頃に、寂しくなると院の屋根裏で一人泣いていた。
その場所はたまたま彼だけが発見した場所であり、彼の「秘密基地」として誰にもその存在を教えていなかった。
だが見つけてから二月も経たないうちに偶然大人にその存在が露見し、すぐに「子供が入り込むと危険だ」と塞がれてしまっていた。
だからあの屋根裏はセノンとごく一部の大人しか存在を知らず、そこで泣いていたことは誰にも知られていないはずだった。
――ただそれは、セノンが泣いているとどこからともなく屋根裏に入り込んできていた黒猫を除けば、だ。
最早、信じるほかない。
「なんで…そこまでして、僕を…?そんなことをする、意味が、よく…」
わからない、と。
セノンは思わず、そう問いかけた。
訳の分からないことだらけの中で、まず浮かんだのはその疑問だった。
「貴方の生命の輝きに、私が一目惚れしてしまったのですよ」
しかしカイオの返答は人間らしさの薄い、セノンには理解しえない、『御遣い』という存在ならではの答えだった。
「最初は傍で見ているだけで満足だったのですが、より光の当たる表舞台に立って欲しいと、より強く光り輝いて欲しいと、だんだん欲が出てしまいまして。…その結果、つい貴方を討伐者として導いてしまいました」
カイオは言いながら、セノンに顔を近づける。
その瞳は爛々と輝き、瞳の奥には狂気的な熱情が宿っていた。
「想像より遥かに、貴方は素晴らしかった。人々のために力を振るい、悩み、苦しみ、傷つけられ、しかし美しい心の輝きを失わなかった。…もう傍で見ているだけでは、多少触れるだけでは、我慢が出来なくなってきました。ちょうどいい機会なので、ここで貴方を私のものにしようと思います」
カイオの言わんとしてることを、セノンは分からないなりに、朧気ながらも理解し始めた。
それはつまり、今ここでセノンが死んでもいいと考えているということだ。
「だから僕を、見殺しにするっていうのか…!?」
「別に、積極的に亡くなっていただこうとは思っていなかったのですよ?今この状況を引き起こしたのは、すべてあなたの選択の結果です」
カイオの指摘は、相変わらず正しかった。
竜に挑むことを決めたのも、持ち掛けられた引き際を拒否したのも、竜を仕留めることに二度失敗したのも、すべてセノンだ。
むしろカイオは、少しでもセノンの危機を防ごうと手を尽くしていた。
「貴方が上手くやれなかったために貴方は今も死に向かい、私も死にかけました。この状況は、貴方が負うべき責任です。ここで私が本来使えない回復魔法で貴方を救うことは、世の理を捻じ曲げることになります。それは、正しいことではありません。…そうでしょう?」
肉体が歪むことに目を瞑っても、ここで救いの手を差し伸べることは道理に反している、とカイオは言う。
カイオの言っていることはどこまでも正論だ。
しかし、セノンもこのまま死ぬ訳にはいかない。
「お願いだ、カイオ…僕はまだ、ここで死ぬ訳にはいかないんだ…!せめて、あの竜だけでも討伐しないと、あの村は…!」
「戦いの中で死ねないのは、誰しも同じです。セノン様だけ、特別に救われてよい道理はありません」
「僕を助ければ、もっとずっと一緒にいられるだろ!僕が人を救っているところが見たいって言うなら、これから幾らでも見せてあげられるよ!だから、お願いだから…!」
セノンは思わず叫び、懇願する。
失敗してもう打つ手もなくなったであれば、諦めるしかないと考えていた。
さっきまでは、自分の命は諦めてもカイオさえ助かればいいとさえ思っていた。
しかし、いざ目の前に助かる手段を見せつけられて、それをあっさり諦めることは出来なかった。
「ああ、いいですね。いい感情の爆発です。貴方のような美しい存在に、そのような強い感情を向けられることが、私には何より心地よいのです。死の間際で、より感情が高ぶっているのが分かります…素晴らしいです」
しかしそのセノンの様子に、カイオは嬉しそうに笑った。
そしてセノンは、うっすらと理解する。
カイオは、この状況すら楽しんでいる。
もう、セノンの命を救う気はないのだ。
そのことを理解した瞬間、セノンの張りつめていた緊張の糸がぷつりと切れ、体から力が抜けた。
僅かに起こしていた体が崩れ落ちると、べちゃりと血の跳ねる音がした。
もとより痛みを誤魔化していただけで、傷は一切塞がっていないのだ。
血だまりはいつの間にか大きく広がり、明らかに血を失いすぎていた。
「どうしてだよ、カイオ…僕は君のことを、信じてた、のに…」
失血の影響で次第に意識を混濁させながら、セノンは小さく呟いた。
カイオの方に顔を向けたが、瞳に映るその姿はゆっくりとぼやけ始める。
「ああ…たまらないです。強い決意であれ、人を救おうという意思であれ、これまで貴方が見せてくれる感情は強く正しいものばかりでした。迷ったり苦しんでも、最後には希望を見出だしていました」
カイオはうっとりした表情と声色で、セノンに近づく。
血に濡れた頬に、手を差し伸べた。
「ですが、よく分かります。今の貴方は、心の底から絶望している。これもこれで、極めて強い感情です。その表情といい、感情の発露といい…たまらないほどに、貴方が愛しくなります」
カイオはそう言いながら、頬に触れた掌を下げ、セノンの顎、首をなぞった。
やがてはだけた胸元にたどり着き、血に塗れた傷口に触れる。
感覚が鈍っていても感じる痺れるような痛みに、セノンは呻き声を上げる。
僅かに、混濁した意識が覚醒した。
「ぅ…」
「さあ…貴方の美しい感情を、もっと見せて下さい。貴方が秘めていた欲望も、もう隠すことはありません。すべてはもう…私の物です」
カイオは熱に浮かされた表情で、セノンの体を抱き寄せた。
血を失ったその体は冷たく冷え切っていたが、反対にカイオの頬はかつてないほどに紅潮し、瞳孔も開ききっていた。
自らの体に触れるカイオの体は、それまで感じたことがないほどに暖かく、いっそ熱いくらいだった。
こんな状況でも、カイオの体の柔らかさと暖かさに、セノンは心地よさを覚えた。
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