43 / 107
43. 震え
しおりを挟む晧月が知らせを受けたのは、翌日のことだった。
重華はあれから飲食ができていなかった。
春燕と雪梅が何を用意しようとも、重華は自身の震えを止めることができず、罪悪感から完全に寝室に閉じ籠ってしまっていた。
「重華、入るぞ」
本当は誰にも会わずに、1人で居たかった。
けれど、重華にはとても皇帝である晧月を止めることなどできなかった。
「申し訳、ありません……」
「それは何に対する謝罪だ?」
「その……ごはんを食べていないから……」
食事量を増やすように言われていたのに、今の重華は増やすどころか何も食べれていない。
重華は申し訳なくて、晧月をまともに見ることさえできなかった。
「どうやら、朕が脅かしすぎたようだ」
晧月がそう言うと、何やらかちゃかちゃと音がしてきて、重華はようやく顔をあげる。
すると、晧月が部屋に入る際に持ってきたのだろうか、ここにあるはずのない茶器があった。
「とりあえず、そこに座れ」
言われて、重華は晧月の目の前に座る。
すると、晧月は重華の目の前でお茶を淹れ始めた。
「あれから、飲み食いしていないのだろう?とりあえず、これはどうだ?」
晧月はそう言って、重華に自身が淹れたお茶を差し出す。
しかし、重華はそのお茶に手を伸ばすことができない。
(これでも、駄目か……)
身体を震わせる重華を見て、晧月は無理そうだと判断する。
徐々に重華の呼吸までも乱れるのを感じ、晧月は重華の手を掴んだ。
「もうよい、無理はするな」
その言葉に、重華はびくりと肩を揺らすと、慌てて椅子から立ち上がり、床へと座り込んだ。
そのまま床に手をつき、頭を床にこすりつけそうな勢いで震えながら頭を下げる様子は、晧月に輿入れしたばかりの重華を思い起こさせた。
「申し訳ありません、申し訳……っ」
「そのようなことをさせたいわけではない、ほら、立て」
晧月がそう言っても、重華は立ち上がるどころか、顔を上げる事さえしない。
「陛下が淹れてくださったのに、私……っ」
晧月はどこか既視感を覚えながら、重華の元へと近づく。
「大丈夫だ。そなたが朕を疑っているなどとは、思っていない。だから立て」
晧月の言葉に驚いて、重華はがばっと顔を上げた。
すると、晧月はふわりと微笑む。
「まったく、本当に泣き虫な妃だな」
晧月の手に涙を拭われ、重華はようやく自分が泣いていることに気づいた。
「ほら、早く立て」
晧月はそう言うと、重華を抱えるようにして立ち上がらせ、そのまま先ほどまで座っていた椅子へと座らせる。
「朕も、昔、毒を盛られたことがある」
「えっ!?大丈夫だったのですか……?」
「今、そなたが見ている通りだ」
大丈夫だった、ということなのだろう。
少なくとも重華の目には、今の晧月は健康そのもののように見えている。
「皇子には必ず毒見役がいる。毒を摂取したのは朕ではなく、その毒見役だった。それでも、しばらくは周りが全て敵に見えたものだ」
「わ、私は……」
決して、晧月を敵だと思っているわけではない。
春燕や雪梅に対しても、もちろんだ。
けれど、自身の行動からは、とても信じてもらえる気がしなくて、重華は上手く言葉にできなかった。
「幼い頃から毒見役がいた朕とは違い、そなたは毒を盛られる想像すらしたことがなかっただろう。それがいきなり毒を盛られたとなれば、恐怖を覚えて当然だ」
安心させるように、晧月が重華の手を握る。
それだけで、重華は少しだけ身体の震えが収まったような気がした。
「そなたは、決して朕が毒を入れるなどとは考えていないはずだ。もちろん、春燕や雪梅がそんなことをするとも考えてはいない。だが、毒はいつどこで混入されるかわからない、だから怖いのだろう?」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
晧月に信じてもらえているのだとわかって、嬉しかった。
けれど、だからこそ、より一層自身が情けなく思えてしまう。
「大丈夫だ、春燕や雪梅もそなたが疑っているなどとは思っていない。だからもう、自分を責めるな」
それは、重華が最も欲しかった言葉なのかもしれない。
情けない弱い自分を、許して貰えたような気がした。
いろんな感情が入り混じり、重華は溢れる涙を止められなかった。
晧月が重華の身体を抱き寄せると、重華は晧月の胸に縋りつくようにして泣きじゃくった。
重華が落ち着くまで、晧月はただ黙って重華に寄り添ってくれた。
「落ち着いたか?」
重華がこくんと頷くのを確認すると、晧月は重華に淹れたはずのお茶を自分で飲み干した。
そうして空になった湯呑みに、再度お茶を注ぎ、一連の動作を不思議そうに見つめている重華へと湯呑みを差し出した。
「これはどうだ?先ほど朕が飲んだ茶と同じものだ」
「あ……」
「無理はしなくていい。駄目なら、また他の方法を考える」
その言葉で、晧月が自分のためにいろんな方法を考えてくれていることを重華は知った。
それに少しでも応えたい、そんな気持ちが重華の中に芽生えた。
重華は震える手で、湯呑みを手にとった。
湯呑みを手にして尚、手の震えは止められなかったけれど。
(大丈夫、大丈夫)
重華は何度も自分にそう言い聞かせて、ようやく一口、お茶を口に含んだ。
「よく、がんばったな」
たった一口お茶を飲んだだけで、大袈裟だとは思ったけれど、それでも晧月に褒められたことが重華は嬉しかった。
「食事も共にしよう。大丈夫だ、ちゃんと食べられる」
そこには、何の根拠もなかった。
けれど、晧月にそう言われると、重華は本当に食べられそうな気がした。
机の上には、いつものように様々な食事が並べられる。
しかし、重華はやはり箸を持とうとするだけで手が震えてしまい、とても食べられそうにはなかった。
そんな重華の目の前にあるお椀を、晧月はひょいっと取り上げる。
「陛下……?」
晧月は重華の目の前で、迷うことなく一口食べると、重華の目の前にお椀を戻した。
すると、今度は別のお椀へと手を伸ばし、また一口食べては、重華の前へと戻す。
そうした行為を、晧月は全てのお椀に対して同様に行っていった。
「あ、あの……」
晧月の意図が読めず、重華がおそるおそる声をかけると、晧月は安心させるように重華に笑いかける。
「大丈夫だ、全部ちゃんとおいしい。だから、食べてみろ」
全てのお椀を重華の元へ戻し終えた後、晧月がそう言う。
先ほどのお茶と同じなのだ、と重華はようやく気づく。
目の前にあるのは全て、晧月が食べて大丈夫だった料理ばかりだ。
重華は震えながらも、なんとか箸を握りしめた。
(大丈夫、大丈夫、大丈夫)
先ほどのお茶の時と同様に、何度も何度も自分に言い聞かせる。
それでも、お茶よりも勇気が必要で、なかなか先には進めなかったけれど、重華はようやく目の前の料理を一口、食べることができた。
「おいしい……」
食事ができなくなったのはつい昨日のことなのに、重華はなぜかものすごく久しぶりに食べたような気がした。
春燕と雪梅は、まだたった一口ではあるものの、重華がようやく食事に手をつけられたことにほっと胸を撫でおろしている。
とはいえ、食べる速度は非常にゆっくりで、食べられた量はいつもの半分にも満たないほど。
それでも、その日は晧月にもっと食べるようにとは言われなかった。
「しばらくは一緒に食事をしよう。朕が毒見をしてやる」
「え?そ、それでは……」
「大丈夫だ、毒なんか入っていないんだから」
あくまで、重華を安心させるための形式的なもの。
この琥珀宮で、春燕と雪梅によって調理されたものは、決して毒など入ったりしないと重華が信じられるように。
晧月はしばらくの間、3食全てを重華と共にとることに決めたのだった。
26
あなたにおすすめの小説
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
愛しているのは王女でなくて幼馴染
岡暁舟
恋愛
下級貴族出身のロビンソンは国境の治安維持・警備を仕事としていた。そんなロビンソンの幼馴染であるメリーはロビンソンに淡い恋心を抱いていた。ある日、視察に訪れていた王女アンナが盗賊に襲われる事件が発生、駆け付けたロビンソンによって事件はすぐに解決した。アンナは命を救ってくれたロビンソンを婚約者と宣言して…メリーは突如として行方不明になってしまい…。
皇后陛下の御心のままに
アマイ
恋愛
皇后の侍女を勤める貧乏公爵令嬢のエレインは、ある日皇后より密命を受けた。
アルセン・アンドレ公爵を籠絡せよ――と。
幼い頃アルセンの心無い言葉で傷つけられたエレインは、この機会に過去の溜飲を下げられるのではと奮起し彼に近づいたのだが――
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
国宝級イケメンとのキスは、最上級に甘いドルチェみたいに私をとろけさせます♡ 〈Dulcisシリーズ〉
はなたろう
恋愛
人気アイドルとの秘密の恋愛♡コウキは俳優やモデルとしても活躍するアイドル。クールで優しいけど、ベッドでは少し意地悪でやきもちやき。彼女の美咲を溺愛し、他の男に取られないかと不安になることも。出会いから交際を経て、甘いキスで溶ける日々の物語。
★みなさまの心にいる、推しを思いながら読んでください
◆出会い編あらすじ
毎日同じ、変わらない。都会の片隅にある植物園で働く美咲。
そこに毎週やってくる、おしゃれで長身の男性。カメラが趣味らい。この日は初めて会話をしたけど、ちょっと変わった人だなーと思っていた。
まさか、その彼が人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーだとは気づきもしなかった。
毎日同じだと思っていた日常、ついに変わるときがきた。
◆登場人物
佐倉 美咲(25) 公園の管理運営企業に勤める。植物園のスタッフから本社の企画営業部へ異動
天見 光季(27) 人気アイドルグループ、dulcis(ドゥルキス)のメンバー。俳優業で活躍中、自然の写真を撮るのが趣味
お読みいただきありがとうございます!
★番外編はこちらに集約してます。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/693947517
★最年少、甘えん坊ケイタとバツイチ×アラサーの恋愛はじめました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/411579529/408954279
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
イケメン恋人が超絶シスコンだった件
ツキノトモリ
恋愛
学内でも有名なイケメン・ケイジに一目惚れされたアイカ。だが、イケメンはアイカ似の妹を溺愛するシスコンだった。妹の代わりにされてるのではないかと悩んだアイカは別れを告げるが、ケイジは別れるつもりはないらしくーー?!
【受賞&書籍化】先視の王女の謀(さきみのおうじょのはかりごと)
神宮寺 あおい
恋愛
謎解き×恋愛
女神の愛し子は神託の謎を解き明かす。
月の女神に愛された国、フォルトゥーナの第二王女ディアナ。
ある日ディアナは女神の神託により隣国のウィクトル帝国皇帝イーサンの元へ嫁ぐことになった。
そして閉鎖的と言われるくらい国外との交流のないフォルトゥーナからウィクトル帝国へ行ってみれば、イーサンは男爵令嬢のフィリアを溺愛している。
さらにディアナは仮初の皇后であり、いずれ離縁してフィリアを皇后にすると言い出す始末。
味方の少ない中ディアナは女神の神託にそって行動を起こすが、それにより事態は思わぬ方向に転がっていく。
誰が敵で誰が味方なのか。
そして白日の下に晒された事実を前に、ディアナの取った行動はーー。
カクヨムコンテスト10 ファンタジー恋愛部門 特別賞受賞。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる