97 / 107
97. 空虚
しおりを挟む「すまなかった。おまえが、喜ぶかと思ったんだ……」
重華の反応は、晧月にとって予想外だった。
丞相との血の繋がりが証明されれば、重華は喜ぶだろうと思っていたのだ。
だが、重華もまた、それは同じだった。
ずっと父に娘だと認められたいと、思い続けていた。
認められたら、幸せになれるのだと信じていた。
それなのに、こうして血縁関係が証明されたところで、そこに喜びの感情など何もなく、あるのはただどうしようもない虚しさだけだった。
「どうして、なんでしょう……」
これを、晧月に言っても仕方がない。
言うべき相手は、決して晧月ではない。
困らせたいわけではないのに、困らせてしまう。
全てわかっているのに、重華は言葉を止められなかった。
「どうして、母の言葉は信じてもらえなかったんでしょう……」
何度も、何度も、重華は丞相の娘なのだと、重華の母は訴えていたはずなのだ。
「どうして……こんな風に調べられるなら、どうして……」
どうして、父は調べようとさえ、してくれなかったのだろう。
きっと、調べるまでもないと、そう思われてしまったのだろうとは思っている。
けれど、ほんの少しでも、丞相が娘かもしれないと思ってくれたら、調べてみようと考えてくれたら、それだけで重華の人生は随分変わったはずなのだ。
「もっと、もっと早く、調べてくれていたら……」
そう、せめて、母が生きているうちであってくれたなら。
「私は……っ、あんな風に、母に恨まれることも、なかったのに……っ」
間違っている、とわかっている。
今、この場で言うことではないのだと、理解している。
本来なら、先ほどの場で、全て父である丞相に向けるべき言葉なのだと、そう思っている。
それなのに、重華は気づけば責めるような口調で、全てを晧月にぶつけてしまっていた。
「陛下……?」
晧月は、かけるべき言葉を見つけられなかった。
代わりに重華の手を引き、自身へと抱き寄せると、小さな子をあやすかのように何度も頭を撫でた。
その暖かさに、重華は落ち着きを取り戻すとともに、先ほどぶつけてしまった言葉に対する罪悪感も覚えた。
「ごめん、なさい……私……、陛下が、悪いわけじゃ、ないのに……」
「いい。それで、おまえの気が、少しでも晴れるなら」
晧月はそう言ってくれたが、重華は気が晴れた、とは思えなかった。
ただただ虚しさが募るばかりで、だからこそ罪悪感も増すばかりだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
重華は何度も何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、泣き崩れてしまった。
(泣いて、少しでも気が楽になればいいんだがな)
そんな思いで、晧月はただ黙って重華が泣き止むまで寄り添っていた。
「おまえの母上は、きっと、おまえが思うほどおまえを恨んではいない。だから、そんなに……」
ようやく泣き止んだ重華に、少しでも気休めにでもなればと、そんなつもりでかけたその一言を、晧月はすぐに後悔することとなった。
重華は晧月の言葉を否定するように、激しく左右に首を振った。
「いいえ、母は、恨んでいたはずです」
「そんなことは……」
晧月が否定しようとすれば、重華はまたすぐさま激しく首を振る。
「今でも、よく、覚えているんです」
それは、重華にとっては忘れたくても、忘れることもできない出来事だった。
「5歳の誕生日の、前の日のことだったんです」
重華はゆっくりと目を閉じた。
すると、まるで昨日のことのように、当時の光景が鮮明に思い浮かぶような気がした。
「その頃の母は、怒っていたり、不機嫌なことの方が多くて、なかなか優しい言葉をかけてもらえることなんて、なかったんです」
長く父に信じてもらえず、母も精神的に追い詰められていたのだろうと重華は思っている。
ちょっとしたことで、重華を怒鳴ったり、時には重華に手をあげたり、そんなことがどんどん当たり前になっていった。
「でも、その日は、私の誕生日を覚えててくれて、お祝いしなきゃ、何か準備しなきゃいけないねって、そう笑ってくれて」
その優しい笑みが、重華はすごく嬉しかった。
久々に、優しい母に戻ってくれた、その時はそう信じていたのだ。
「だから、誕生日をすごく楽しみにしながら、眠ったんです」
そう言った重華の表情は、
(いい話、ではないのか……?)
やはり、重華の母は重華を恨んではいない。
辛い環境だったが故に、辛く当たってしまうことがあったとしても、やはり重華を大切にしていたのではないか。
晧月は、そう考えていた、この瞬間までは。
「でも、誕生日の日、朝起きて、私が見たのは、首を吊って冷たくなってしまった母でした」
「……っ」
晧月は言葉を失った。
(5歳の少女が目にする光景にしては、あまりにも……)
想像するだけで、ぞっとするような光景だ、あまりにも惨い、そう思わずにはいられなかった。
「きっと、あれが、母からの贈り物だったんです。わざわざ誕生日にそんなものを見せるくらい、私は母に恨まれていたんです……」
重華さえ、生まれてこなければ、そんな風に言われたことも何度もあった。
きっと、自身が生まれてきたことを心底恨んでいるからこそ、わざわざ重華の誕生日に死を選んだのだと、重華はそう思っている。
「だから……」
「もう、いい。それ以上、何も言うな。もう、何も言わなくていい」
むしろ、何も言わないで欲しい、そんな思いから晧月はただ強く強く重華を抱きしめた。
「わた、わたし……っ」
ぽろりと重華の瞳から涙が零れ、不自然に言葉止まった。
ひゅっと、聞き覚えのあるような嫌な呼吸音が聞こえ、晧月は慌てて重華の身体を放し、重華の顔を覗き込む。
「重華……?」
そこには、見たくないとそう思っていた三度目の過呼吸を起こしてしまった重華がいた。
晧月はすぐに、柳太医を呼ぶよう指示を行い、前回と同様に重華を落ち着かせようとした。
「大丈夫だから、落ち着け」
きっと今回もすぐに落ち着かせられるはずだ、晧月は最初こそそう信じて重華の背中を撫でながら声をかけていた。
しかし、どれほど声をかけようとも、重華の過呼吸が収まる様子はなく、むしろ酷くなっていくような感覚すらあった。
そのため、晧月の声にも徐々に焦りの色が見え始める。
「重華、落ち着け。ゆっくり、呼吸をするんだっ」
もっと、自身が落ち着いて声をかけなければ、そう思っているはずなのに、どんどん上手くいかなくなっていく。
それがまた重華の過呼吸を悪化させ、さらに晧月に焦りや動揺をもたらしてしまう。
晧月は、そんな悪循環に陥ってしまっているような気がしてならなかった。
「重華!?」
柳太医が到着する頃には、重華はあまりの苦しさからか、晧月の腕の中で意識を失ってしまっていた。
「今は落ち着かれて、薬で眠っておられます。今日は、このままお休みいただくのがよいかと」
治療を終えた柳太医は、晧月に重華の様子を問われそう答えた。
「そう、か……」
重華の部屋を覗くと、先日と同様に香が焚かれているのが目に入った。
晧月は少しだけ眠る重華の顔を眺めると、後の事は春燕と雪梅に任せ、気落ちした表情でその場を後にした。
16
あなたにおすすめの小説
皇宮女官小蘭(シャオラン)は溺愛され過ぎて頭を抱えているようです!?
akechi
恋愛
建国して三百年の歴史がある陽蘭(ヤンラン)国。
今年16歳になる小蘭(シャオラン)はとある目的の為、皇宮の女官になる事を決めた。
家族に置き手紙を残して、いざ魑魅魍魎の世界へ足を踏み入れた。
だが、この小蘭という少女には信じられない秘密が隠されていた!?
【受賞&書籍化】先視の王女の謀(さきみのおうじょのはかりごと)
神宮寺 あおい
恋愛
謎解き×恋愛
女神の愛し子は神託の謎を解き明かす。
月の女神に愛された国、フォルトゥーナの第二王女ディアナ。
ある日ディアナは女神の神託により隣国のウィクトル帝国皇帝イーサンの元へ嫁ぐことになった。
そして閉鎖的と言われるくらい国外との交流のないフォルトゥーナからウィクトル帝国へ行ってみれば、イーサンは男爵令嬢のフィリアを溺愛している。
さらにディアナは仮初の皇后であり、いずれ離縁してフィリアを皇后にすると言い出す始末。
味方の少ない中ディアナは女神の神託にそって行動を起こすが、それにより事態は思わぬ方向に転がっていく。
誰が敵で誰が味方なのか。
そして白日の下に晒された事実を前に、ディアナの取った行動はーー。
カクヨムコンテスト10 ファンタジー恋愛部門 特別賞受賞。
愛しているのは王女でなくて幼馴染
岡暁舟
恋愛
下級貴族出身のロビンソンは国境の治安維持・警備を仕事としていた。そんなロビンソンの幼馴染であるメリーはロビンソンに淡い恋心を抱いていた。ある日、視察に訪れていた王女アンナが盗賊に襲われる事件が発生、駆け付けたロビンソンによって事件はすぐに解決した。アンナは命を救ってくれたロビンソンを婚約者と宣言して…メリーは突如として行方不明になってしまい…。
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する
花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家
結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。
愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。
課長のケーキは甘い包囲網
花里 美佐
恋愛
田崎すみれ 二十二歳 料亭の娘だが、自分は料理が全くできない負い目がある。
えくぼの見える笑顔が可愛い、ケーキが大好きな女子。
×
沢島 誠司 三十三歳 洋菓子メーカー人事総務課長。笑わない鬼課長だった。
実は四年前まで商品開発担当パティシエだった。
大好きな洋菓子メーカーに就職したすみれ。
面接官だった彼が上司となった。
しかも、彼は面接に来る前からすみれを知っていた。
彼女のいつも買うケーキは、彼にとって重要な意味を持っていたからだ。
心に傷を持つヒーローとコンプレックス持ちのヒロインの恋(。・ω・。)ノ♡
フローライト
藤谷 郁
恋愛
彩子(さいこ)は恋愛経験のない24歳。
ある日、友人の婚約話をきっかけに自分の未来を考えるようになる。
結婚するのか、それとも独身で過ごすのか?
「……そもそも私に、恋愛なんてできるのかな」
そんな時、伯母が見合い話を持ってきた。
写真を見れば、スーツを着た青年が、穏やかに微笑んでいる。
「趣味はこうぶつ?」
釣書を見ながら迷う彩子だが、不思議と、その青年には会いたいと思うのだった…
※他サイトにも掲載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる