皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ

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97. 空虚

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「すまなかった。おまえが、喜ぶかと思ったんだ……」

 重華の反応は、晧月にとって予想外だった。
 丞相との血の繋がりが証明されれば、重華は喜ぶだろうと思っていたのだ。
 だが、重華もまた、それは同じだった。
 ずっと父に娘だと認められたいと、思い続けていた。
 認められたら、幸せになれるのだと信じていた。
 それなのに、こうして血縁関係が証明されたところで、そこに喜びの感情など何もなく、あるのはただどうしようもない虚しさだけだった。

「どうして、なんでしょう……」

 これを、晧月に言っても仕方がない。
 言うべき相手は、決して晧月ではない。
 困らせたいわけではないのに、困らせてしまう。
 全てわかっているのに、重華は言葉を止められなかった。

「どうして、母の言葉は信じてもらえなかったんでしょう……」

 何度も、何度も、重華は丞相の娘なのだと、重華の母は訴えていたはずなのだ。

「どうして……こんな風に調べられるなら、どうして……」

 どうして、父は調べようとさえ、してくれなかったのだろう。
 きっと、調べるまでもないと、そう思われてしまったのだろうとは思っている。
 けれど、ほんの少しでも、丞相が娘かもしれないと思ってくれたら、調べてみようと考えてくれたら、それだけで重華の人生は随分変わったはずなのだ。

「もっと、もっと早く、調べてくれていたら……」

 そう、せめて、母が生きているうちであってくれたなら。

「私は……っ、あんな風に、母に恨まれることも、なかったのに……っ」

 間違っている、とわかっている。
 今、この場で言うことではないのだと、理解している。
 本来なら、先ほどの場で、全て父である丞相に向けるべき言葉なのだと、そう思っている。
 それなのに、重華は気づけば責めるような口調で、全てを晧月にぶつけてしまっていた。

「陛下……?」

 晧月は、かけるべき言葉を見つけられなかった。
 代わりに重華の手を引き、自身へと抱き寄せると、小さな子をあやすかのように何度も頭を撫でた。
 その暖かさに、重華は落ち着きを取り戻すとともに、先ほどぶつけてしまった言葉に対する罪悪感も覚えた。

「ごめん、なさい……私……、陛下が、悪いわけじゃ、ないのに……」
「いい。それで、おまえの気が、少しでも晴れるなら」

 晧月はそう言ってくれたが、重華は気が晴れた、とは思えなかった。
 ただただ虚しさが募るばかりで、だからこそ罪悪感も増すばかりだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」

 重華は何度も何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、泣き崩れてしまった。

(泣いて、少しでも気が楽になればいいんだがな)

 そんな思いで、晧月はただ黙って重華が泣き止むまで寄り添っていた。



「おまえの母上は、きっと、おまえが思うほどおまえを恨んではいない。だから、そんなに……」

 ようやく泣き止んだ重華に、少しでも気休めにでもなればと、そんなつもりでかけたその一言を、晧月はすぐに後悔することとなった。
 重華は晧月の言葉を否定するように、激しく左右に首を振った。

「いいえ、母は、恨んでいたはずです」
「そんなことは……」

 晧月が否定しようとすれば、重華はまたすぐさま激しく首を振る。

「今でも、よく、覚えているんです」

 それは、重華にとっては忘れたくても、忘れることもできない出来事だった。

「5歳の誕生日の、前の日のことだったんです」

 重華はゆっくりと目を閉じた。
 すると、まるで昨日のことのように、当時の光景が鮮明に思い浮かぶような気がした。

「その頃の母は、怒っていたり、不機嫌なことの方が多くて、なかなか優しい言葉をかけてもらえることなんて、なかったんです」

 長く父に信じてもらえず、母も精神的に追い詰められていたのだろうと重華は思っている。
 ちょっとしたことで、重華を怒鳴ったり、時には重華に手をあげたり、そんなことがどんどん当たり前になっていった。

「でも、その日は、私の誕生日を覚えててくれて、お祝いしなきゃ、何か準備しなきゃいけないねって、そう笑ってくれて」

 その優しい笑みが、重華はすごく嬉しかった。
 久々に、優しい母に戻ってくれた、その時はそう信じていたのだ。

「だから、誕生日をすごく楽しみにしながら、眠ったんです」

 そう言った重華の表情は、

(いい話、ではないのか……?)

 やはり、重華の母は重華を恨んではいない。
 辛い環境だったが故に、辛く当たってしまうことがあったとしても、やはり重華を大切にしていたのではないか。
 晧月は、そう考えていた、この瞬間までは。

「でも、誕生日の日、朝起きて、私が見たのは、首を吊って冷たくなってしまった母でした」
「……っ」

 晧月は言葉を失った。

(5歳の少女が目にする光景にしては、あまりにも……)

 想像するだけで、ぞっとするような光景だ、あまりにも惨い、そう思わずにはいられなかった。

「きっと、あれが、母からの贈り物だったんです。わざわざ誕生日にそんなものを見せるくらい、私は母に恨まれていたんです……」

 重華さえ、生まれてこなければ、そんな風に言われたことも何度もあった。
 きっと、自身が生まれてきたことを心底恨んでいるからこそ、わざわざ重華の誕生日に死を選んだのだと、重華はそう思っている。

「だから……」
「もう、いい。それ以上、何も言うな。もう、何も言わなくていい」

 むしろ、何も言わないで欲しい、そんな思いから晧月はただ強く強く重華を抱きしめた。

「わた、わたし……っ」

 ぽろりと重華の瞳から涙が零れ、不自然に言葉止まった。
 ひゅっと、聞き覚えのあるような嫌な呼吸音が聞こえ、晧月は慌てて重華の身体を放し、重華の顔を覗き込む。

「重華……?」

 そこには、見たくないとそう思っていた三度目の過呼吸を起こしてしまった重華がいた。





 晧月はすぐに、柳太医を呼ぶよう指示を行い、前回と同様に重華を落ち着かせようとした。

「大丈夫だから、落ち着け」

 きっと今回もすぐに落ち着かせられるはずだ、晧月は最初こそそう信じて重華の背中を撫でながら声をかけていた。
 しかし、どれほど声をかけようとも、重華の過呼吸が収まる様子はなく、むしろ酷くなっていくような感覚すらあった。
 そのため、晧月の声にも徐々に焦りの色が見え始める。

「重華、落ち着け。ゆっくり、呼吸をするんだっ」

 もっと、自身が落ち着いて声をかけなければ、そう思っているはずなのに、どんどん上手くいかなくなっていく。
 それがまた重華の過呼吸を悪化させ、さらに晧月に焦りや動揺をもたらしてしまう。
 晧月は、そんな悪循環に陥ってしまっているような気がしてならなかった。

「重華!?」

 柳太医が到着する頃には、重華はあまりの苦しさからか、晧月の腕の中で意識を失ってしまっていた。



「今は落ち着かれて、薬で眠っておられます。今日は、このままお休みいただくのがよいかと」

 治療を終えた柳太医は、晧月に重華の様子を問われそう答えた。

「そう、か……」

 重華の部屋を覗くと、先日と同様に香が焚かれているのが目に入った。
 晧月は少しだけ眠る重華の顔を眺めると、後の事は春燕と雪梅に任せ、気落ちした表情でその場を後にした。
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