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幸せになりたかった話
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夕日の沈む砂浜、全てをかき消すような波音を聞きながら僕とミツルは世界を眺める。
「なあ、カナト。俺たちの関係ってそんな簡単に間違いだとか悪だとか否定されるようなものなのかな」
ポツリと落ちた声は彼にしてはひどく弱々しい。
そんなことはないって今すぐにでも否定したいのに、僕は言葉すら紡げず呻き声を上げた。繋いだ手に一層力を込めるとミツルの鼻を啜る音が聞こえる。
どちらともなく肩を寄せ合えば、感情を抑えることなどできなかった。
みっともないくらいに泣き喚いてお互いの温もりを確かめ合う。手放せる訳などない。一度知ってしまった体温は、僕のものと溶け合って既に体の一部になっている。
それでも、僕らは愛を知るには幼すぎたらしい。
「俺、母さんならわかってくれると思ってた。ようやく恋人ができたのね、なんて喜んでくれるんじゃないかとすら妄想してた」
ミツルの絞り出した声が脳を揺らす。心臓が締め付けられて、それだけで気を失ってしまうんじゃないかと錯覚した。少しでも慰めたくて、ミツルの首筋に擦り寄る。
「僕も。父さんと、母さんなら……分かってくれるって」
震えた声でようやく言葉を返せば、繋いだ手の縁をミツルの親指が労わるように何度も、何度も滑っていく。
ああ、こんなことならば両親に報告しようだなんて、僕らの家族なら受け入れてくれるなんて、無責任なことを言うんじゃなかった。後悔ばかりが押し寄せて申し訳なくなる。
ミツルにこんな顔をさせる為に「両親に報告しよう」などと言ったのではない。分かっていたならば一生秘密にしていたってよかったのに。
幸せすぎて浮かれて失敗してしまった。
みんなからも祝われたい、なんて出過ぎた欲だったのだろう。
僕の口から「ごめん」と音が溢れる。それをミツルが死にそうな表情で聞くから、余計に涙が溢れて止まらない。
世間がLGBT+に向き合い始めて、何かにつけてテレビ番組が取り上げる。それらを「別にいいんじゃない」なんて寛容ぶって眺めるから、勘違いしてしまったのだ。どこかの誰かならば受け入れられる事象でも、自分の子どもや兄弟姉妹ならば話が変わってくるなんて感覚も、忘れてしまっていた。
「まだ高校生じゃない。もし、勘違いだったらどうするの?」
「これからも人生は長いのよ。今決めなくたっていいんじゃない?」
「少し離れてみれば変わるかも知れないよ?」
「小学生の頃は女の子が好きだったはずだろう?」
心配するフリをして拒絶の言葉を吐き出す両親に、僕らはなんて返せばよかったのだろう。バケモノでも見たかのように歪んでいく表情にどんな言葉を尽くせばよかったのだろう。
結局僕とミツルがどれだけ「愛」を語ったって、全てが間違いだとでも言うように言葉は右から左へと流されていく。
思考回路の違いは、それだけで別の生き物へと変えてしまうらしい。荒れていく両親たちの言葉に、それ以上の否定を聞きたくなくて、ミツルにも聞かせたくなくて、手を繋いで家を飛び出した。
「だってまさか、うちの子がって、思うじゃない……」
扉が閉まる直前聞こえた声はやけに耳に残っている。けれど、と思うのだ。
ヒトは、友愛では利かなくなってしまった思いを、恋と呼ぶには生々しくひどく独善的なこの感情を「愛している」と表現するのではないのだろうか。
友人に欲情してしまったことに気がついた怖さを知らないとでも思っているのだろうか。
同性愛について、一切悩まなかったとでも思っているのだろうか。
相手に「好き」だと伝える怖さを経験しなかったとでも思っているのだろうか。
将来への恐怖を抱いたこともないとでも思っているのだろうか。
子どもを見せてやれない罪悪感を、感じていないとでも思っているのだろうか。
多分、思いつく限りの悩みは一通り悩んだ。
僕1人でも、ミツルと2人でも、悩んで、苦しんで。けれどそれ以上に楽しくて、嬉しくて、幸せで。僕らは息が楽になる場所を知ってしまった。
一緒に遊んだ時も、勉強した時も、なんでこんなにも違うんだろうって自分でも不思議なくらい何もかもが違って。恋は魔法だなんて言葉を『馬鹿馬鹿しい』と感じていた過去の自分を笑いたくなるほどに世界は変わってみせた。
密かに思いを募らせていた時間さえ、今となってはその苦しさが眩しいのだから全くもって可笑しなものだ。
抑えきれなくなった感情に「好き」が声になって飛び出た時も、驚愕に見開かれた瞳が緩く細く形取った時も、重ねてきた想いが降り積もって笑みを連れてきた。
念願叶ってお付き合いを始めた時は毎日のように「夢じゃないよな」なんて確認し合い、その度にこれが現実であることを喜んだ。
自分の好きな人が自分のことを好いてくれている奇跡に何度感謝したか分からない。
もちろん、喧嘩だって何度もした。けれど、過ぎて仕舞えばそれさえいい思い出だと感じるのだ。
こんな僕らの、何が普通と違うのだろう。
何が「恋」と違うのだろう。
積み上げてきたもの全てが否定され崩れていく。
記憶の中の両親までもが嫌なものだった気がして、そんな感情を持ってしまった自分に吐き気がした。
悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか。負の感情は混ざり合って解けない。
暗い思考の中、ふと思ってしまう。
「僕たちが20歳を超えていたら、何か変わったのかな。あと2年、打ち明けずにいられたら、何か……」
過去に戻れるわけもないけれど、それでも呟かずにはいられない『もしも』の世界線。長い間『成人』としてのボーダーラインに立ち続けたその年齢を越えれば、言葉に説得力でも出ただろうか。
ミツルも僕と同じ答えに辿り着いたらしく小さく首を振る。
「むしろ、今より最悪な事態になっていただろうな。俺もカナトも家族よりお互いを選択するだろうけど、その先に待ち受けているものがあまりにも大きすぎる」
ふぅ、と小さく息をついた。日の入りと共に冷えてきた空気が肺の中に染み込んで僕らの脳を冷やす。
「最悪縁を切らなければならなくなったとして、すぐに大学の費用を払える経済力もないだろう。中退したとしても奨学金に頼るとしても、その後の苦労は想像以上のものになるはずだ」
初めから目指してないのなら給付型の奨学金は望み薄だろうからな、とミツルは少し声を落として言葉を続ける。
「それに親と縁を切るってことは多分、いや絶対に、2度とこの土地には帰ってこれなくなる」
ああ、と察してしまったのは思い当たりがあったから。
『南区の清水さん家の長男くん。あんたより2歳上のあの子。せっかく東京の大学に行ったのに馴染めなくて鬱になっちゃったらしいわよ』
そんな、何処かの誰かの話を『可哀想』だとか『だから都会になんて行かなければ』だとか言って憐れむフリをして楽しんでいる人がいる。
刺激の少ない田舎町で消費されていく娯楽の一つとして僕らも面白おかしく話題にされるのだろう。そんな場所に戻れるとするならば、きっと何十年と先の話だ。
嫌な経験や面倒な付き合いがあるとはいえ、結局は自分が育ってきた土地だ。嫌いになれるはずもないし、何よりこの場所はミツルとの思い出が多すぎる。それを、全て捨てなければならない。
そうでなくとも、苦労の上から重ねるように突然そんな出来事があったら、心身ともに疲弊して僕らは終わりを迎えていただろう。
「ああ、でも、今日の喧嘩の声がお隣さんにも聞こえていたら明日には、僕ら噂の中心人物になっていそうだ」
もう既に手遅れだね、なんで笑えば確かに、とミツルも苦笑する。その瞳は何かを諦めているような、けれども少しだけいつもの表情に近い気がした。
「世間で同性愛者を受け入れようと言う動きが見えたところで、現実はこんなもんだ。日本を捨てて海外に行くにしても今の俺たちには大した語学力はない。どんな道を取るにしても準備期間は必要だろうから、その間はどうするんだって話になっちまう」
現実は非情だ。計画もなく無防備に手を取り合えるほど甘くはない。バイト禁止の高校に通う僕らではどのくらいの期間で目標金額が貯まるかも、その大変さも想像することしかできない。
知らない、は、怖い。
分からない、は、怖い。
震えて、不安で。断頭台に立たされていると錯覚するほどに、先が見えない恐怖は心身を蝕んでいく。
「結局は自分の稼ぎで独り立ちができるようになるまで俺たちには両親という名の首輪がついているんだ」
安全装置にも、枷にもなる見えない首輪が。
僕はスルリと自身の首を撫でる。勿論そこには無いもないが、言葉にされたことでより一層息が詰まった気がした。
「どの大学を選択するのも自由だとか、自分の将来を考えてだとか、言葉ではいくらでも重ねられるけれど、どうしたって考慮しなければいけない事項は出てくる」
それは金銭的なものだったり、世間体的なものだったり、一括りにはできないものだろう。けれど間違いなく、親の意向を汲まねばならない。
「そういう世界で俺たちは生きてきた。そういう世界に、いつまでもいられると思っていた」
きっと誰かからしたら甘い考えで、恵まれていて、手放すなんて正気じゃない場所。だけどそこは残酷で、不自由で、僕らの願いを叶えるにはあまりにも不条理だった。
ミツルと一緒にいたいならば、覚悟を決めなければならない。全てを手に入れるなんてそんな都合の良い話があるはずもないのだ。
「心中は、嫌だ。俺は今のカナトに触れていたい」
うん、と僕は頷く。
「でもお前に苦労をさせたくもない。体を壊させるのはもっての外だ」
うん、と僕は再び頷く。
「それでも、俺だけが苦労をすることをカナトが良しとしない事も俺は知っている」
微笑しながらそう続けたミツルに僕は笑顔で「うん」と返す。それから、今度は僕が言葉を続けた。
「2人で、苦労しよう。今を捨てる、覚悟を決めよう」
自由には対価が必要だ。そこにいくまでに払わなければならない、代償が、必要だ。
最終目標にあるのは『幸せ』かもしれないけれど、それも今は横に置いておこう。
こんなものはただの共依存だと言われるかもしれない。あまりにも急いだ考えだと言われるかもしれない。
それでも良いじゃないか。
「まずは知識集めだな。今から進路変更ってなると英先生とか五月蝿そうだけど」
あーあ、と背伸びしたミツルがゆっくりと倒れる。僕もつられて地面に背を預けた。
街灯りに遮られながらも星が輝いている。月が濃く輝いて見えるのは僕の心が吹っ切れたせいだろうか。
「でも、怖いけど、ミツルと離れなくても良いんだって思うとなんだかワクワクしてきたかも」
ふふ、と笑い声が漏れた。途端に僕の視界を影が覆う。
「離さねぇよ。誰に、なんと言われようとも」
表情は薄暗くて見えにくいのに、その目は確かにギラついていて心臓がドクリと音を立てる。
「カナトの覚悟も聞いた。俺も覚悟が決まった。なら、もうブレねえ。あれこれ考えるのはやめだ」
再び横に倒れたミツルは目を細めて小さく笑う。その姿がいつもの何倍も大人びて見えて、カッと頬が熱くなった。
「シンプルにいこう。俺とカナトの2人で生きれる道を探す。んで、お互いシワが増えて白髪が生えた時に『幸せだった』って言うのが目標な」
ハハと、ようやくミツルの笑い声が漏れた。それだけで僕の心が幸福だと疼き始める。
「もしかしたらツルッパゲになっているかもよ?」
全身の力が抜けていくのが分かった。
「うわあ、それは……確かに不安だな。俺はカナトが禿げても愛している自信があるけど」
ワカメを食べるのが良いんだっけ、なんて真剣に返してくるものだからもう耐えられない。
今度は僕がミツルに飛び乗った。
「大丈夫、僕だってミツルがどんな姿になっても愛しているよ!」
これからも喧嘩はするだろう。もしかしたら今の判断を後悔する日も来るかもしれない。それでも、何度ぶつかっても、僕はミツルから離れられないだろう。
このまま幸せでいたかった。
このまま幸せになりたかった。
このまま幸せにしたかった。
けれど、まあ、それと全部置いておいて。
「苦労もいつかは笑い話になるかもね」
そんな未来を想像して、一歩踏み出そうじゃないか。
「なあ、カナト。俺たちの関係ってそんな簡単に間違いだとか悪だとか否定されるようなものなのかな」
ポツリと落ちた声は彼にしてはひどく弱々しい。
そんなことはないって今すぐにでも否定したいのに、僕は言葉すら紡げず呻き声を上げた。繋いだ手に一層力を込めるとミツルの鼻を啜る音が聞こえる。
どちらともなく肩を寄せ合えば、感情を抑えることなどできなかった。
みっともないくらいに泣き喚いてお互いの温もりを確かめ合う。手放せる訳などない。一度知ってしまった体温は、僕のものと溶け合って既に体の一部になっている。
それでも、僕らは愛を知るには幼すぎたらしい。
「俺、母さんならわかってくれると思ってた。ようやく恋人ができたのね、なんて喜んでくれるんじゃないかとすら妄想してた」
ミツルの絞り出した声が脳を揺らす。心臓が締め付けられて、それだけで気を失ってしまうんじゃないかと錯覚した。少しでも慰めたくて、ミツルの首筋に擦り寄る。
「僕も。父さんと、母さんなら……分かってくれるって」
震えた声でようやく言葉を返せば、繋いだ手の縁をミツルの親指が労わるように何度も、何度も滑っていく。
ああ、こんなことならば両親に報告しようだなんて、僕らの家族なら受け入れてくれるなんて、無責任なことを言うんじゃなかった。後悔ばかりが押し寄せて申し訳なくなる。
ミツルにこんな顔をさせる為に「両親に報告しよう」などと言ったのではない。分かっていたならば一生秘密にしていたってよかったのに。
幸せすぎて浮かれて失敗してしまった。
みんなからも祝われたい、なんて出過ぎた欲だったのだろう。
僕の口から「ごめん」と音が溢れる。それをミツルが死にそうな表情で聞くから、余計に涙が溢れて止まらない。
世間がLGBT+に向き合い始めて、何かにつけてテレビ番組が取り上げる。それらを「別にいいんじゃない」なんて寛容ぶって眺めるから、勘違いしてしまったのだ。どこかの誰かならば受け入れられる事象でも、自分の子どもや兄弟姉妹ならば話が変わってくるなんて感覚も、忘れてしまっていた。
「まだ高校生じゃない。もし、勘違いだったらどうするの?」
「これからも人生は長いのよ。今決めなくたっていいんじゃない?」
「少し離れてみれば変わるかも知れないよ?」
「小学生の頃は女の子が好きだったはずだろう?」
心配するフリをして拒絶の言葉を吐き出す両親に、僕らはなんて返せばよかったのだろう。バケモノでも見たかのように歪んでいく表情にどんな言葉を尽くせばよかったのだろう。
結局僕とミツルがどれだけ「愛」を語ったって、全てが間違いだとでも言うように言葉は右から左へと流されていく。
思考回路の違いは、それだけで別の生き物へと変えてしまうらしい。荒れていく両親たちの言葉に、それ以上の否定を聞きたくなくて、ミツルにも聞かせたくなくて、手を繋いで家を飛び出した。
「だってまさか、うちの子がって、思うじゃない……」
扉が閉まる直前聞こえた声はやけに耳に残っている。けれど、と思うのだ。
ヒトは、友愛では利かなくなってしまった思いを、恋と呼ぶには生々しくひどく独善的なこの感情を「愛している」と表現するのではないのだろうか。
友人に欲情してしまったことに気がついた怖さを知らないとでも思っているのだろうか。
同性愛について、一切悩まなかったとでも思っているのだろうか。
相手に「好き」だと伝える怖さを経験しなかったとでも思っているのだろうか。
将来への恐怖を抱いたこともないとでも思っているのだろうか。
子どもを見せてやれない罪悪感を、感じていないとでも思っているのだろうか。
多分、思いつく限りの悩みは一通り悩んだ。
僕1人でも、ミツルと2人でも、悩んで、苦しんで。けれどそれ以上に楽しくて、嬉しくて、幸せで。僕らは息が楽になる場所を知ってしまった。
一緒に遊んだ時も、勉強した時も、なんでこんなにも違うんだろうって自分でも不思議なくらい何もかもが違って。恋は魔法だなんて言葉を『馬鹿馬鹿しい』と感じていた過去の自分を笑いたくなるほどに世界は変わってみせた。
密かに思いを募らせていた時間さえ、今となってはその苦しさが眩しいのだから全くもって可笑しなものだ。
抑えきれなくなった感情に「好き」が声になって飛び出た時も、驚愕に見開かれた瞳が緩く細く形取った時も、重ねてきた想いが降り積もって笑みを連れてきた。
念願叶ってお付き合いを始めた時は毎日のように「夢じゃないよな」なんて確認し合い、その度にこれが現実であることを喜んだ。
自分の好きな人が自分のことを好いてくれている奇跡に何度感謝したか分からない。
もちろん、喧嘩だって何度もした。けれど、過ぎて仕舞えばそれさえいい思い出だと感じるのだ。
こんな僕らの、何が普通と違うのだろう。
何が「恋」と違うのだろう。
積み上げてきたもの全てが否定され崩れていく。
記憶の中の両親までもが嫌なものだった気がして、そんな感情を持ってしまった自分に吐き気がした。
悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか。負の感情は混ざり合って解けない。
暗い思考の中、ふと思ってしまう。
「僕たちが20歳を超えていたら、何か変わったのかな。あと2年、打ち明けずにいられたら、何か……」
過去に戻れるわけもないけれど、それでも呟かずにはいられない『もしも』の世界線。長い間『成人』としてのボーダーラインに立ち続けたその年齢を越えれば、言葉に説得力でも出ただろうか。
ミツルも僕と同じ答えに辿り着いたらしく小さく首を振る。
「むしろ、今より最悪な事態になっていただろうな。俺もカナトも家族よりお互いを選択するだろうけど、その先に待ち受けているものがあまりにも大きすぎる」
ふぅ、と小さく息をついた。日の入りと共に冷えてきた空気が肺の中に染み込んで僕らの脳を冷やす。
「最悪縁を切らなければならなくなったとして、すぐに大学の費用を払える経済力もないだろう。中退したとしても奨学金に頼るとしても、その後の苦労は想像以上のものになるはずだ」
初めから目指してないのなら給付型の奨学金は望み薄だろうからな、とミツルは少し声を落として言葉を続ける。
「それに親と縁を切るってことは多分、いや絶対に、2度とこの土地には帰ってこれなくなる」
ああ、と察してしまったのは思い当たりがあったから。
『南区の清水さん家の長男くん。あんたより2歳上のあの子。せっかく東京の大学に行ったのに馴染めなくて鬱になっちゃったらしいわよ』
そんな、何処かの誰かの話を『可哀想』だとか『だから都会になんて行かなければ』だとか言って憐れむフリをして楽しんでいる人がいる。
刺激の少ない田舎町で消費されていく娯楽の一つとして僕らも面白おかしく話題にされるのだろう。そんな場所に戻れるとするならば、きっと何十年と先の話だ。
嫌な経験や面倒な付き合いがあるとはいえ、結局は自分が育ってきた土地だ。嫌いになれるはずもないし、何よりこの場所はミツルとの思い出が多すぎる。それを、全て捨てなければならない。
そうでなくとも、苦労の上から重ねるように突然そんな出来事があったら、心身ともに疲弊して僕らは終わりを迎えていただろう。
「ああ、でも、今日の喧嘩の声がお隣さんにも聞こえていたら明日には、僕ら噂の中心人物になっていそうだ」
もう既に手遅れだね、なんで笑えば確かに、とミツルも苦笑する。その瞳は何かを諦めているような、けれども少しだけいつもの表情に近い気がした。
「世間で同性愛者を受け入れようと言う動きが見えたところで、現実はこんなもんだ。日本を捨てて海外に行くにしても今の俺たちには大した語学力はない。どんな道を取るにしても準備期間は必要だろうから、その間はどうするんだって話になっちまう」
現実は非情だ。計画もなく無防備に手を取り合えるほど甘くはない。バイト禁止の高校に通う僕らではどのくらいの期間で目標金額が貯まるかも、その大変さも想像することしかできない。
知らない、は、怖い。
分からない、は、怖い。
震えて、不安で。断頭台に立たされていると錯覚するほどに、先が見えない恐怖は心身を蝕んでいく。
「結局は自分の稼ぎで独り立ちができるようになるまで俺たちには両親という名の首輪がついているんだ」
安全装置にも、枷にもなる見えない首輪が。
僕はスルリと自身の首を撫でる。勿論そこには無いもないが、言葉にされたことでより一層息が詰まった気がした。
「どの大学を選択するのも自由だとか、自分の将来を考えてだとか、言葉ではいくらでも重ねられるけれど、どうしたって考慮しなければいけない事項は出てくる」
それは金銭的なものだったり、世間体的なものだったり、一括りにはできないものだろう。けれど間違いなく、親の意向を汲まねばならない。
「そういう世界で俺たちは生きてきた。そういう世界に、いつまでもいられると思っていた」
きっと誰かからしたら甘い考えで、恵まれていて、手放すなんて正気じゃない場所。だけどそこは残酷で、不自由で、僕らの願いを叶えるにはあまりにも不条理だった。
ミツルと一緒にいたいならば、覚悟を決めなければならない。全てを手に入れるなんてそんな都合の良い話があるはずもないのだ。
「心中は、嫌だ。俺は今のカナトに触れていたい」
うん、と僕は頷く。
「でもお前に苦労をさせたくもない。体を壊させるのはもっての外だ」
うん、と僕は再び頷く。
「それでも、俺だけが苦労をすることをカナトが良しとしない事も俺は知っている」
微笑しながらそう続けたミツルに僕は笑顔で「うん」と返す。それから、今度は僕が言葉を続けた。
「2人で、苦労しよう。今を捨てる、覚悟を決めよう」
自由には対価が必要だ。そこにいくまでに払わなければならない、代償が、必要だ。
最終目標にあるのは『幸せ』かもしれないけれど、それも今は横に置いておこう。
こんなものはただの共依存だと言われるかもしれない。あまりにも急いだ考えだと言われるかもしれない。
それでも良いじゃないか。
「まずは知識集めだな。今から進路変更ってなると英先生とか五月蝿そうだけど」
あーあ、と背伸びしたミツルがゆっくりと倒れる。僕もつられて地面に背を預けた。
街灯りに遮られながらも星が輝いている。月が濃く輝いて見えるのは僕の心が吹っ切れたせいだろうか。
「でも、怖いけど、ミツルと離れなくても良いんだって思うとなんだかワクワクしてきたかも」
ふふ、と笑い声が漏れた。途端に僕の視界を影が覆う。
「離さねぇよ。誰に、なんと言われようとも」
表情は薄暗くて見えにくいのに、その目は確かにギラついていて心臓がドクリと音を立てる。
「カナトの覚悟も聞いた。俺も覚悟が決まった。なら、もうブレねえ。あれこれ考えるのはやめだ」
再び横に倒れたミツルは目を細めて小さく笑う。その姿がいつもの何倍も大人びて見えて、カッと頬が熱くなった。
「シンプルにいこう。俺とカナトの2人で生きれる道を探す。んで、お互いシワが増えて白髪が生えた時に『幸せだった』って言うのが目標な」
ハハと、ようやくミツルの笑い声が漏れた。それだけで僕の心が幸福だと疼き始める。
「もしかしたらツルッパゲになっているかもよ?」
全身の力が抜けていくのが分かった。
「うわあ、それは……確かに不安だな。俺はカナトが禿げても愛している自信があるけど」
ワカメを食べるのが良いんだっけ、なんて真剣に返してくるものだからもう耐えられない。
今度は僕がミツルに飛び乗った。
「大丈夫、僕だってミツルがどんな姿になっても愛しているよ!」
これからも喧嘩はするだろう。もしかしたら今の判断を後悔する日も来るかもしれない。それでも、何度ぶつかっても、僕はミツルから離れられないだろう。
このまま幸せでいたかった。
このまま幸せになりたかった。
このまま幸せにしたかった。
けれど、まあ、それと全部置いておいて。
「苦労もいつかは笑い話になるかもね」
そんな未来を想像して、一歩踏み出そうじゃないか。
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