9 / 64
[-00:25:24]消せない春で染めてくれ
8
しおりを挟む3日ぶりの学校はうんざりするほど変っていなかった。
雨宮律は息苦しくなって、顔を覆うマスクを指でつまんで呼吸をする。治りかけの喉に春の乾燥した空気を送り込まれる。グラウンドから聞こえてくる野球部の声援をBGMに律は校庭の花壇に水撒きをしていた。4月から委員会をバイトを理由で休んでいた分と風邪をひいて休んだ分を合わせると、当面は律の当番になるだろう。
あれほど掻き立てられていた創作意欲はどこへ行ってしまったのか、無気力が頭を支配していた。むしろ今は音楽から遠ざかりたかった。花に無心で水をかけているほうが何も考えなくて済む。
『ごめんなさい、』
……ああもう、ほら、気が抜けるとすぐ思い出す。
ため息をついて律は大きく頭を左右に振った。そのまま視線を下に向けると、いつの間にかホースから水がぽたぽたしたり落ちるほど、勢いがなくなっていることに気が付いた。どこかでホースがねじれたか、蛇口からホースが外れてしまったのだろう。律はもう一度ため息をついて、手洗い場に向かう。
手洗い場には人影がひとりいた。蛇口を何度も捻りながら「もーなんで出ないんよ……やばいやばいバイト遅れる」とつぶやいている。手にじょうろを持っているところを見ると、律と同じ委員会の当番の最中のようだった。
「水でないの?」
「あーそうなん、で……ぎゃっ!! あ、あまみやせんぱい……」
後ろから唐突に声をかけたせいか、振り返った茶髪の女子は悲鳴を上げると律からすぐさま距離をとった。若干顔が赤い。
「水やり当番の子?」
「ひゃっ、は、はい」
「あーほんとだ。水出ないね」
試しに律も蛇口をひねるが水は出ない。
「先生に言いに行かないとダメか」
「……ですよね」
「俺があとやっとくから、帰ってもいいよ」
「えっ、それはさすがに……」
茶髪の女子は目を見開いて、申し訳なさそうに眉を下げた。
「バイトあるんでしょ? 俺、この後も暇だから残りの仕事もやっとく」
「き、聞いてたんですか」
「結構でかい独り言だった」
「……」
「じゃ、バイト頑張れ」
「……あ、あのっ、本当にすいません。ありがとうございます!」
茶髪の女子は律に頭を下げると踵を返した。手を拭くためか、スカートのポケットに手を入れてハンカチを取り出した時、一緒に何かが滑り落ちて地面に落ちる。
スマホだ。落とした本人はまだ気が付いていない。律は「ちょっと待って」と彼女を呼び留め、そのスマホを拾い上げて───固まった。
律のところへ小走りでかけてきた彼女は手を伸ばした。
「す、すいません───ひゃ!?」
そして、スマホを受け取ろうと伸ばした手を唐突に掴まれ、引き寄せられた。目を白黒させて混乱する彼女を他所に、律はそのスマホを食い入るように見たまま動かない。
「雨宮……先輩?」
「……これ」
そう言って律はスマホの画面を彼女の眼前に持っていく。そこに映し出されたのは、スマホのロック画面だ。律が何度も目にした、薄花色と月光のイラストが画面の中にあった。
掴んだ腕をさらに強く握り、律はどうかそうあってくれ、と縋るような気持ちで目の前の少女に問いかけた。
「───きみが『透』?」
「……とおるって?」
現実は創作のようにはいかなかった。
見つめ返してくる無垢な瞳が律の淡い期待を無残にへし折る。燃えた灰のような期待だけ、空しく律の心に残留したまま。
「ごめん。人違いだった」
自分自身を嘲笑うように薄く笑い、律は掴んだその腕を離す。そしてスマホを彼女の手に握らせた。一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
「勝手に掴んでごめんね。痛くなかった?」
「大丈夫です、よ? 雨宮先輩の方こそ調子悪そうですけど、大丈夫ですか?」
「そっか、ならよかった。俺は平気だから気にしないで」
律の顔色が悪いことを心配した少女が手を伸ばす。それを逃げるようにかわして、律は校舎に向かって一歩踏み出した時、
「あの!」
今度は逆に彼女が律の腕を掴んで引き留めた。無気力に振り返ると、目が合う。彼女は肩を跳ね上げて、掴んだ手を離した。そしてしばらく視線を泳がせた後、意を決したように口を開いた。
「雨宮先輩、このイラストの作者探してるんですか?」
心臓が口から出るのかというほど大きく脈を打っている。
「……知ってるの?」
燃え尽きた期待が、途端に膨れ上がっていく。
「私の友人です。名前は透花って言うんですけど───」
「本当に!?」
「きゃっ、」
律は思わず少女の両肩を掴んで目を見開いた。顔を真っ赤に染めた目の前の少女のことなど、気に掛ける暇もなかった。
「『透』を知ってるの!?」
「顔近っ、え、とあ、あの、『透』は透花のSNSのハンネなんですぅ……!」
「じゃあ、」
今からでも会って……、会って……何を言うんだ?
すんでのところで出しかけた言葉が喉の奥に引っ込んだ。
すでに断られたにも関わらず往生際悪く、なお言葉を重ねて『透』に何を言う?
律の身勝手な理由を『透』に押し付けてしまえば、もう律の曲を聴いてくれることも無くなるかもしれない。それは、それだけは嫌だった。
「……先輩?」
深く息を吐いて、律は『透』の友人の肩から両手を離した。血が上り切った頭に酸素を送り込み、いくらか冷静さを取り戻した。急いていた気持ちが先行しないようぐっと堪えながら、律は『透』の友人に問いかけた。
「名前、教えてくれる?」
「私ですか? 佐都子です。緒方佐都子」
「緒方さん。明日、緒方さんに渡したいものがあるんだ」
「渡したいものですか?」
「そう。それを『透』に渡してほしい」
「まあ渡すだけなら……分かりました」
「ごめん、ありがとう」
律はその日、『Midnight blue』で久々にPCを立ち上げた。まだ歌詞すらのせていない未完成の曲をUSBに取り込む。
ファイル名は『消せない春で染めてくれ.mp3』。
そして、音声データとともに、メッセージを残した。『返事を待ってる』───と。
次の日、律はそのUSBを佐都子に手渡した。
みっともないと笑われても可笑しくないほど、最後の悪あがきだった。
0
あなたにおすすめの小説
現実とサキュバスのあいだで ――夢で告白した相手が、同居を始めた話
そう
青春
ある日家に突然現れた謎のサキュバスのホルさん!
好感度はMAXなようで流されるがまま主人公はホルさんと日常を過ごします。
ほのぼのラブコメというか日常系小説
オチなどはなく、ただひたすらにまったりします
挿絵や文章にもAIを使用しております。
苦手な方はご注意ください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
地味男はイケメン元総長
緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。
GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。
お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが!
「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」
「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」
ヒミツの関係はじめよう?
*野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。
野いちご様
ベリーズカフェ様
エブリスタ様
カクヨム様
にも掲載しています。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる