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[-00:21:11]青以上、春未満
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そして、冒頭に戻る。
7月26日。時刻、22時13分。
締め切り2日前である。
「も、も、もうっ、もうだめだーーーーーー!! もう無理だああ、締め切りに間に合いませんーーーーーー!!!」
『アリスの家』の一室から透花の悲痛な叫び声が響き渡る。放り出したタブレットペンが転がり、床に落ちた音がやけに空しい。
すでに夏休みに入って4日目である。もちろん透花たちも休みに突入したわけだが、長期の休みに浮足立つ間もなく、動画制作が大詰めを迎えていた。
優一の計らいで、『アリスの家』で空き部屋一室を借り、ずっと缶詰状態である。夜遅くまで動画制作、家に帰って泥のように眠り、また起きて動画制作。無限地獄だ。
透花は顔を伏せて、唸る。完成が近づくほどに、粗ばかりが目について修正しても修正しても不安ばかりが透花の肩に重くのしかかっていく。
期待したほどの評価が得られなかったら? 逆にその評価が悪いものだったら? 悪い方に考え出したらキリがない。ペンの進みが遅くなるのも無理はなかった。
「これで本当に……大丈夫なのかな……。いいもの、作れてるのかな……」
「弱気だね、透花」
組んだ腕の隙間から、落ちたはずのペンを拾い上げ、机に乗せる細長い指が見えた。
思わず透花が身体を起こすと、目尻を下げて緩やかに微笑む律が立っている。
「り、律くん!?」
「しー。緒方さん起きちゃうよ」
「あ、ご、ごめん。……なんでここに?」
人差し指を口に押し付けた律が、手に引っ提げたコンビニ袋を透花の前に置く。
「バイト帰りに寄ってみた。そろそろメンタルが疲れるころかなーと思って。はい、これ差し入れのアイス」
「わあ、糖分だぁ! ありがとう!」
アイス。その甘い言葉に透花の沈んでいた気分が一気に持ち上がる。透花の興奮した声に隣で気絶するように眠っている佐都子が、ううん、と唸った。透花は慌てて自分の口に手を当てる。上目使いで律を見上げ、透花が眉を下げてへにゃりと笑った。つられて律も笑う。そして続けざまにドアの方を指さして言った。
「透花、ちょっと外で休憩しない?」
心地の良い清涼感のある風が頬を撫でた。鈴虫の鳴き声が草むらのどこかから聴こえてくる。
真夏の深夜の公園には、人影一つない。昼間の賑わいが嘘のようである。
ブランコに腰を下した透花は早速差し入れのアイスを手に取る。ストロベリーを選んだ透花は付属のスプーンで掬って舌の上に乗せる。ほろりと、口の中で甘酸っぱさが平熱に溶かされて消えてく。
「ど? おいし?」
隣のブランコに座った律が、子供を見守るような温かい目で問う。
「んーこのために生きてるー! って感じがする」
「ふはは、大袈裟。分からんでもないけどね。俺も曲完成させた後に食べるラーメンが一番好き」
「ラーメンは罪深いね」
何でもないような会話が心地いい。言葉を交わすほどに夢中になっていく。両手に収めたアイスカップの内側が人肌でじんわり溶けていくのすら気が付かないほどに。
半分ほどアイスが溶け切ったころ、律はブランコから立ち上がった。重さを失ったブランコがわずかに虚空を漕ぐ。
「……透花」
「なあに?」
「透花にだけは、先に言っておきたいことがあるんだ」
「わたしだけに? もしかして歌詞の変更とかそういう、」
「───来年の3月5日に『ITSUKA』は解散する」
およそ言葉も出ず、喉の奥がきゅっと締め付けられるような衝撃だった。透花は口に運ぼうとしていたアイスを止めて、見上げる。
夜風に攫われた律の黒髪の先が、頭上に浮かぶ月夜のように白金色に染まっている。透花を見つめる瞳が灰色がかった透明な瞳が、切なく細められた。
「そうしたら、俺はもう、二度と音楽はしない」
ぽたり、とスプーンから零れたアイスが透花の白い太腿に落ちた。
7月26日。時刻、22時13分。
締め切り2日前である。
「も、も、もうっ、もうだめだーーーーーー!! もう無理だああ、締め切りに間に合いませんーーーーーー!!!」
『アリスの家』の一室から透花の悲痛な叫び声が響き渡る。放り出したタブレットペンが転がり、床に落ちた音がやけに空しい。
すでに夏休みに入って4日目である。もちろん透花たちも休みに突入したわけだが、長期の休みに浮足立つ間もなく、動画制作が大詰めを迎えていた。
優一の計らいで、『アリスの家』で空き部屋一室を借り、ずっと缶詰状態である。夜遅くまで動画制作、家に帰って泥のように眠り、また起きて動画制作。無限地獄だ。
透花は顔を伏せて、唸る。完成が近づくほどに、粗ばかりが目について修正しても修正しても不安ばかりが透花の肩に重くのしかかっていく。
期待したほどの評価が得られなかったら? 逆にその評価が悪いものだったら? 悪い方に考え出したらキリがない。ペンの進みが遅くなるのも無理はなかった。
「これで本当に……大丈夫なのかな……。いいもの、作れてるのかな……」
「弱気だね、透花」
組んだ腕の隙間から、落ちたはずのペンを拾い上げ、机に乗せる細長い指が見えた。
思わず透花が身体を起こすと、目尻を下げて緩やかに微笑む律が立っている。
「り、律くん!?」
「しー。緒方さん起きちゃうよ」
「あ、ご、ごめん。……なんでここに?」
人差し指を口に押し付けた律が、手に引っ提げたコンビニ袋を透花の前に置く。
「バイト帰りに寄ってみた。そろそろメンタルが疲れるころかなーと思って。はい、これ差し入れのアイス」
「わあ、糖分だぁ! ありがとう!」
アイス。その甘い言葉に透花の沈んでいた気分が一気に持ち上がる。透花の興奮した声に隣で気絶するように眠っている佐都子が、ううん、と唸った。透花は慌てて自分の口に手を当てる。上目使いで律を見上げ、透花が眉を下げてへにゃりと笑った。つられて律も笑う。そして続けざまにドアの方を指さして言った。
「透花、ちょっと外で休憩しない?」
心地の良い清涼感のある風が頬を撫でた。鈴虫の鳴き声が草むらのどこかから聴こえてくる。
真夏の深夜の公園には、人影一つない。昼間の賑わいが嘘のようである。
ブランコに腰を下した透花は早速差し入れのアイスを手に取る。ストロベリーを選んだ透花は付属のスプーンで掬って舌の上に乗せる。ほろりと、口の中で甘酸っぱさが平熱に溶かされて消えてく。
「ど? おいし?」
隣のブランコに座った律が、子供を見守るような温かい目で問う。
「んーこのために生きてるー! って感じがする」
「ふはは、大袈裟。分からんでもないけどね。俺も曲完成させた後に食べるラーメンが一番好き」
「ラーメンは罪深いね」
何でもないような会話が心地いい。言葉を交わすほどに夢中になっていく。両手に収めたアイスカップの内側が人肌でじんわり溶けていくのすら気が付かないほどに。
半分ほどアイスが溶け切ったころ、律はブランコから立ち上がった。重さを失ったブランコがわずかに虚空を漕ぐ。
「……透花」
「なあに?」
「透花にだけは、先に言っておきたいことがあるんだ」
「わたしだけに? もしかして歌詞の変更とかそういう、」
「───来年の3月5日に『ITSUKA』は解散する」
およそ言葉も出ず、喉の奥がきゅっと締め付けられるような衝撃だった。透花は口に運ぼうとしていたアイスを止めて、見上げる。
夜風に攫われた律の黒髪の先が、頭上に浮かぶ月夜のように白金色に染まっている。透花を見つめる瞳が灰色がかった透明な瞳が、切なく細められた。
「そうしたら、俺はもう、二度と音楽はしない」
ぽたり、とスプーンから零れたアイスが透花の白い太腿に落ちた。
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