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[-00:16:08]劣等犯

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 某ファミレス───時刻、14時58分。
 透花たちはただ目を見開いて、呆然とその人物を見上げていた。
「はっじめまして! あたしが『mel』こと芦屋にちかでーす!」
 ピンクである。正確に言えば、ピンクベージュアッシュに染め上げられている。耳には少なくとも4つ以上の穴が開いていた。セーラー服のスカート丈は膝より30センチは上。カラコン入りの大きな瞳をぐるりと縁取った睫毛が瞬きするごとに震える。
『mel』こと芦屋にちかは、まごうことなきギャルだった。

「いやーまじびっくり。超偶然じゃん! まさか同じ学校に『ITSUKA』のメンバーがいるなんてさ!」
 人懐っこい笑みを向けられて、透花の肩がぴくりと跳ねた。返答の代わりに曖昧な笑みを浮かべてみる。
 そう、『mel』こと芦屋にちかは透花と同じセーラー服に身を包んで登場したのである。
 お嬢様学校だとか言われている女子高で、品位あるべし、と校則に定められるほど特に身だしなみには厳しくはずなのだが。少なくともブリーチを2、3回はやらなければ出ないであろう、その髪色がひと際目を惹いた。
 こほん、と纏の咳払いが沈黙を破る。
「とりあえず、自己紹介してもいいですか?」
「あは、ごめんごめん! よろしく」
 軽快な笑い声をあげてにちかが促した。
「僕は有栖川纏。『ITSUKA』の動画編集兼プロデューサーみたいなことしてる。こっちが音楽製作担当の雨宮律ことクソ律。で、目の前に座ってるのがMV製作担当の笹原透花と、背景担当の緒方、」
「───あなたがあの、神絵師!?」
「ひえっ」
 纏の紹介をぶった切って、にちかが突然立ち上がった。整えられた桜色の指先が透花の両手を包み込んだ。近距離に迫るにちかの迫力ある顔立ちに、透花の口から情けない悲鳴が漏れる。
「まじ!? あの超超超絶神懸ってたイラスト!! あなたが描いたの!? 構図構成やばすぎて初見でめちゃくちゃ引き寄せられたよあたし!!!」
「あの、え、えと……」
「もうっもうっ、すっごい良かったの!! 特にあのサビ!! あそこだけで100回はリピしたもん!! 曲の盛り上がりと死ぬほどマッチしててガチ涙でたから冗談抜きで!! あーやば、語彙力足んない。今から動画再生するから、あたしのおきにポイント一から説明してもいい!?」
「……」
 透花はキャパシティーオーバーだった。顔から蒸気でも出ているかもしれない。
 そんな透花のことなど目に入っていないのか、なお喋り続けるにちかに待ったをかけたのは律である。興奮するにちかの肩を叩き、制した。
「透花が死んじゃうから、それくらいにしてやって」
「えっ!? あ、ご、ごめんね!? つい興奮して」
 透花の様子に気付いたにちかが慌てて握りしめた手を離す。ようやく解放された透花は、沸騰寸前になった顔を両手で覆い隠した。恥ずかしぬと思った。
「ほら、水飲みな」
 横に座る佐都子から、氷をたっぷり入れた水のグラスが差し出される。透花はお礼を言ってストローに口をつけた。喉を通る冷たさが幾らか透花の熱を中和させてくれる。
「ごめんね……あたし、夢中になると周りに目が行かなくちゃうんだ。……あっ、それにね、なんか絵柄は全然似てないんだけど、あたしが昔大好きだった漫画家さんに雰囲気? がどっか似ててさー。何だろう、絵のタッチ? 構図?」
 ぴくり、と透花の手が震えた。震えがストローに伝わって、氷の擦れる音が鳴る。
 律が怪訝に眉を寄せながら聞き返す。
「漫画家?」
「そう! ちょうどあたしが中学生くらいの時に、史上最年少で漫画大賞受賞した『二目メメ』っていう漫画家なんだけど! その人が描いた漫画激ヤバなんだって!」
「ふーん?」
「まあ、似てても可笑しくないんじゃない」
 さも同然だとでも言いたげな纏が、つまらなさそうに付け加えた。
「だって、───透花の兄貴だし」
 そう素っ気なくつぶやいた纏に、律とにちかは振り返る。漫画家『二目メメ』の名を知らない律も、目を見開くくらいには衝撃の事実だった。透花に兄がいることも、まして賞を受賞するほど才能ある漫画家なのも、何も知らなかった。
「ちょっと、纏」
 顔を顰めた佐都子が纏を諭すが、素知らぬ顔をした纏は構わずに続ける。
「別に隠すことでもないじゃん。……でしょ、透花」
「…………ぇ? あ、……うん」
 集まる視線から逃れるように逸らしながら、透花は曖昧に頷いた。決して誰にも動揺を悟られないようにと、震える吐息を噛み殺しながら。
『二目メメ』。
 当時高校1年、若干16歳にして漫画大賞を受賞し、その才能を世間に知らしめた天才。名前は笹原夕爾。透花の3つ上の兄。優しい終末を描くひと。もう、語られることのない物語の結末を知るただひとりのひと。
 そして、わたしが───、と透花の脳内にあの日の光景がよぎったその時だった。
「───運命だよ!!」
 それは、冬の凍てつく夜空にひと際光る青星のようだった。吸い寄せられるような純粋な輝きが透花の目の前にある。もう一度包み込まれた手のひらは、燃えるように熱く、透花の心を揺さぶるには十分な熱を帯びていた。
「そんなんもう運命じゃん!」
 運命だなんて、ありきたりな言葉と吐き捨てるにはもう遅かった。
「あたし、『メメ』先生の漫画読んで救われたんだ! こんなあたしだけど、それでも生きてていいんだって、あたしはあたしでいいんだって思えたから。だからねっ、今度はあたしはあたしにしかできない方法で誰かを救いたいって、そう思ったの。だから歌う、あたしは歌でしか伝え方を知らないもの!」
 心の奥底からこみ上げる、この感情の名前を透花はまだ知らない。どうしようもなく熱くて、痛くて、脆くて、その重さに押しつぶされる。
「初めて『ITSUKA』のMVを見たとき、これだ、って思ったの。あの絵を、あの曲を聴いて、もう一歩踏み出そうって思えた。その勇気をあたしにくれた。だからあたしは歌いたい。そう思わせてくれた『ITSUKA』の曲を!」
 にちかは大きく息を吸い込んで、込められた想いをぶちまける。

「───誰かを救う歌をあたしは歌いたい! 音楽で世界が救えるって証明したいの!」
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