音楽なんかで世界は救えない

春永チセ

文字の大きさ
43 / 64
[-00:11:56]創作

5

しおりを挟む
 有栖川纏は、夕焼けの赤を知らない。
 信号が赤く点滅することも、熟れた林檎が赤いことも、秋の紅葉の葉が赤いことも、澄んだ冬の朝焼けが赤いことも、知らない。

 纏の世界が、どうやら他の人間よりも色褪せていることに気付いたのは、纏がまだ6つのころ。
 纏の視界から奪われた赤を一番に憂いたのは、画家でもある父、有栖川優一だった。
 纏にとって父は、憧れだった。
 描くことが好きだった纏が、いの一番に完成したスケッチブックを見せに行くのは父だ。そうして、よくできてるね、と頭を撫でられるのが好きだった。いつか、父のようになりたいと幼い纏は漠然とした夢を抱いていた。
 しかし、次第に纏は色鉛筆を握ることが、無くなっていった。
 自分の網膜が映し出す陳腐でくすんだ世界に、うんざりし始めていたからだ。誰もが美しいと思うものを、尊いと思うものを、纏は同じように美しいとは思えなかった。似たような色ばかりを映し出す纏の瞳に、何一つ美しいと思えるものがなかった。
 ───彼女に出会うまでは。

「今から一番綺麗な青を探しに行こう!」

 きっかけは、忘れてしまった。
 まだ夜も明けないような早朝にチャイムが鳴った。纏がパジャマ姿で眠たい目を擦りながら外に出ると、厚手のコートにマフラーを首に巻いた透花がそう言った。
 渋る纏を無理やりに引っ張って、透花は強引に外へ連れ出した。
 たぶん、透花に深い理由は無かったのだと思う。本当に、ただ純粋に、纏が見る世界で一番綺麗な青が、知りたかっただけなのだろう。
 透花は出会ったころから、周りの人間とは少し違っていた。
 彼女は、青が好きだった。彼女がスケッチブックに描く青だけは、纏の目を通した陳腐な世界をほんの少しだけ彩ってくれた。
 透花に手を引かれ、たどり着いたのは、纏たちが住む町を一望できる高台だ。当然、人の影は無く、纏と透花のふたりだけ。ペンキが剥がれた錆ついたベンチに腰を下し、透花はスケッチブックを広げた。悴む手で透花の好きな青色のアクリル絵の具たちが並べられる。
 そうしているうち、立ち昇る太陽が纏たちが住む町を照らし始めた。

「纏くんにはどんな青が見える?」

 透花がパレットで混ぜ合わせた色を、目の前に広がる光景と重なるように翳す。
 纏は訝しみながら、視界に広がる色をひとつひとつ拾い上げる。透花は小さく頷きながら、迷いのない動きでスケッチブックに筆を走らせた。
 目の覚めるような青、薄く灰色かかった青、煌々と光る黄色。
 地上を離れ、朝の知らせを町中に知らせるほど太陽が昇ったころ、彼女が筆を止め、満足げに顔を上げて、「できた!」と声を上げた。
 隣に座る纏に見えるよう、両手で持ったスケッチブックを高く広がった空へと掲げる。
 そこに描かれたのは、纏がいつも見ている、つまらない日常の一部だ。
 それなのに、透花は丸い瞳を細めて柔く微笑んだ。まるでそれが、何にも代えがたい宝物だとでも言うように。


「今まで見た朝焼けで、一番きれい」


 纏は、赤を知らない。
 彼女が見ている世界の美しさを何一つ共有できない。きっと生涯、この青い朝焼けを綺麗だと思うこともないだろう。

 けれど、ただ、ひとつ。
 纏は一等惹かれる青を、知っている。
 有り触れた青に呑まれた世界の中で、彼女の深い青の瞳だけが、綺麗だと思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

現実とサキュバスのあいだで ――夢で告白した相手が、同居を始めた話

そう
青春
ある日家に突然現れた謎のサキュバスのホルさん! 好感度はMAXなようで流されるがまま主人公はホルさんと日常を過ごします。 ほのぼのラブコメというか日常系小説 オチなどはなく、ただひたすらにまったりします 挿絵や文章にもAIを使用しております。 苦手な方はご注意ください。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

地味男はイケメン元総長

緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。 GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。 お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが! 「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」 「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」 ヒミツの関係はじめよう? *野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。 野いちご様 ベリーズカフェ様 エブリスタ様 カクヨム様 にも掲載しています。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...