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[-00:11:56]創作
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しおりを挟む病院の待合室は深い青に呑まれていた。
大きな窓ガラスから差し込む月夜の明かりが、ビニール床に反射して点々と続いている。
静寂に包まれた待合室の一角で、纏はただぼうっと誘導灯の明かりを眺める。ぱちり、ぱちり、と今にも電球の切れそうな音が響き渡る。
「纏」
ふと、纏の横から影が差した。声の主は、振り返るまでもなく律だ。
纏は何も言わず、顔を伏せる。黙って何処かへ行ってくれ、という纏の願いをおそらく感づいていながら、律は一つ席を空けて腰を下した。
「ん」
一音だけ言い放って、律は自販機で買ってきたホットコーヒーを空白の席に置く。纏が受け取るのも確認せず、律は手に持ったコーヒーのプルタブを開けて、一口煽った。開けた缶の口から湯気が立つ。
「透花、さっき目が覚めた。軽い貧血みたいなものだって」
纏の強張っていた身体が弛緩した。律はその言葉を最後に、ふたりの間に沈黙が流れた。
纏は、置かれたコーヒーに手を付けることなく、立ち上がる。
そのまま横を通り過ぎようとする纏の腕を、思わず律は掴んだ。見上げた視線の先で、纏は顔を伏せたまま何も言わない。
「どこ行くつもりだよ」
無意識のうち、律は問い詰めるような口調になっていた。纏はしばしの無言の後、諦めたように息をつく。
「……、透花のところ」
「行ってどうするつもりだよ」
「は、言う必要ある? いいから離せ」
掴まれた腕を振り払おうと乱暴に寄せようとするが、律はそれを許さなかった。腕に跡が残るほど強く掴み、律が顔を顰める。
「落ち着けよ、纏。お前らしくない」
は、と纏の口から零れたのは、自嘲するような乾いた笑い声だった。
「……僕らしいって、何?」
「いつものお前はもっと冷静に状況を見てる。今のお前は焦り過ぎて周りが見えてない」
「この状況で、冷静でいろって?」
振り返った纏は、雨の中を彷徨う迷子みたいに居所のない瞳で律を睨む。
「今こうしてる間に、何んにも知らない他人が透花のことを誹謗中傷してるのにか!? それでも冷静でいろってお前は言うのかよ!!」
「少なくとも、今、纏がやろうとしてることが間違いだってことは、俺にも分かる」
「っだから、方法はもう一つしかないんだってば。それなら、炎上が広まる前に対処すべきだろ!? だから僕は、」
「何を犠牲にしてでも、透花の創る世界を守るって言葉は、全部嘘か?」
纏は一瞬、目を見開いて、くしゃりと顔を歪めた。
言い訳がましい言葉がそこから喉を通ることは無かった。力なく首を垂れる纏は、それまで抵抗していた腕をすとんと重力のままに落とした。
いつか纏は、透花に問いかけた。
覚悟はあるのか、と。その問いかけに、透花は頷いた。揺らぐことのない、まっすぐな瞳で。纏の青に染まった世界を綺麗だと言ってくれた、唯一、纏がきれいだと思った青で。
何が、透花の創る世界を守るだ。
何が、透花を守れるならなんだってするだ。
よくもそんな、上辺だけ誂えた、空気よりも軽い言葉を吐けたものだ。
覚悟がなかったのは、纏の方だったというのに。彼女を犠牲にして、彼女の創作を守るなんて選択、纏には出来なかった。なぜならば、纏は彼女を守るために必要なものが何もかも足りない、無力な只の中学生だったからだ。
「……どうして、」
纏は、揺らぐ視界の中、ただ嘆いた。
「どうして、僕は……こんな、無力なの……」
重力に逆らうことなく、涙が零れ落ちる。
「ねえ、律でも、いいから」
駄々を捏ねる子供みたいに、纏は言う。
「誰でも、いいから。どうにか、してよ」
喉に絡みつく息苦しさに藻掻くように、纏は救いを求め律の胸に縋る。
「僕は、透花が創作を嫌いになるの……もう、見たくないよっ……」
笹原夕爾という一人の天才が、いた。
彼の才能が世間に認められたのは、彼が高校一年生になった頃である。
若干16歳という若さで、才能を認められた天才。
彼の最も特筆すべき才能は、その成長速度にあった。とある大手の漫画雑誌に投稿した作品が、編集者の目に留まり、ついに連載が開始したのは中学3年のころである。
それから、彼は驚くべきスピードで作画や構図、ストーリーの展開において、成長を見せた。次第にその漫画に魅せられていく読者が増えていった。
誰もが、彼を天才だと称える。
人気絶頂の最中、彼の漫画が名誉ある漫画の賞を受賞した。
さらに彼の漫画は世間に名を轟かせた。何より、16歳という若き天才という肩書が、メディアから大いに持て囃されたのだ。
そんな最中に、事件は起こった。
───『二目メメ』の漫画は、俺の作品の盗作だ。
とあるネットの掲示板に書かれた、一文で、界隈は大いに揺れた。
匿名という隠れ蓑を利用して、『二目メメ』の漫画に描かれたストーリーが盗作である所以を、次々に投稿していった。そのどれもがどちらとも判断が付かないような曖昧な情報ばかりだった。確かに、それが確たる証拠ではないと主張する人間もいた。
ただ、この世界はおかしなことに、声の大きい人間の方が正義だと思われる。それが例え、事実であろうが、無かろうが。
情報は次第に単純化され、ただ『二目メメ』が盗作をした、という情報だけがネットの海に流れ、多くの人間の目に触れていく。
不確かな情報で踊らされる愚かな人間ばかりが、彼の作品を滅茶苦茶にした。
彼の作品は、休載に追い込まれざる負えなかった。それが彼らの正義感をなお煽った。ほら見ろやっぱり、『二目メメ』は盗作だった、と。
そこからは、およそ目にも当てられない最悪の方向へと向かっていった。
情報がどこから洩れたかは分からない。
恐らく、彼の学校関係者の誰かか、少なくとも彼の情報を知る人物から、『笹原夕爾』に関する情報がネット掲示板に晒された。
その情報は直ちに削除されたものの、残念ながら手遅れだった。『笹原夕爾』という個人情報は瞬く間に全世界へと公開された。
そこから先の結末は、あまりに残酷な救いようがないものだった。
【速報】漫画家『二目メメ』氏の通う高校に不審者が侵入
『本日未明、漫画家二目メメさんが通う高等学校に凶器を持った不審者が侵入した。高校職員の通報によって警察が駆け付け、その場で現行犯逮捕された。男は「盗作をする人間は生きていてはいけない。だから殺すべきだ」などと供述している。生徒数名が軽いけがを負った。また、登下校時を狙った計画的犯行とみられ、警察は引き続き慎重に捜査を───』
その日から今日に至るまで、夕爾が物語の続きを描くことは、なかった。
皮肉なことにその事件をきっかけに、全く動かなかった大人たちが未成年を危険に晒してしまったと、当時のニュースやネット、SNSは徹底的に規制され、事態は沈静化されたのである。
それからだ。
透花が『創作』を恐れ、描かなくなかったのは。
「……本当はね、心の底から、安堵してた。透花が描かなくなって」
毎日のように通っていた『アリスの家』にも来なくなって。描きかけのキャンバスの色が日に日に色褪せていって。彼女にとって、『創作』が無価値なものへと変換されていって。
それでいいと、纏は思った。
「だってさ、あいつら、すごい似てんの。一度のめり込んだらスポンジみたいに吸収しちゃう天才肌のとことか、こだわり強くて決めたら曲げないとことか、……指でつついたら壊れちゃいそうなほど、心が繊細なとことか」
「後悔してるか?」
律の問いかけに、纏は即答した。
「してる」
『ITSUKA』として活動した日々を思い出しながら、纏は苦々しく呟いた。
「きっと、僕は、透花を止めるべきだった。今じゃなくても、透花を傷つけるようなことを言う人間なんて幾らでもいる。いつかこんな日が来てもおかしくなかった。分かってた、分かってたよ。……なのに、止められなかった。……透花があんまりに楽しそうに、青を描くから、」
(僕が、好きだったあの青の瞳で、描くから)
顔を覆いながら、纏はただ嘆く。己の無力さを噛み締めて、消化できない痛みから逃れるように息を吐き出した。
律は、独り言のようにぽつりと言葉を零す。
「……これは持論だけど、創作って、誰かの創作を噛み砕きながら自分のものに落とし込むことだと、俺は思ってる」
ゆっくり、口に含んで。咀嚼を繰り返す。自分に馴染むまで。
「今、この世界にどれだけの創作があると思う? 何十、何千、何万、途方もない数の創作がひしめき合った中で、誰の影響も受けずに創作するなんて不可能だ。俺だって、影響を受けた曲なんて腐るほどある。……創作したことない奴はさ、きっと知らないんだ。自分が見て、聴いて、触れて、感じたものでしか何かを生み出せないってことを」
律はゆっくりと瞼を閉じる。浮かぶのは、件のツイートだ。
絵に関しては全くの素人である律にも、あれが意図をもって描かれたものだと分かった。
「あれは、自分のものに出来ていなかった。だから、盗作になった」
律の一言に、纏は静かに怒りを含ませながら睨んだ。
「律、お前……透花が盗作したって言いたいのか?」
「してないって信じてる。だから、なおさら混乱してるよ」
「……どういうこと?」
「もし透花が盗作してないとするなら、向こうが盗作したってことだろ?」
「そ、れは」
纏の瞳が分かりやすく揺れた。そうして、何かを言いかけるように口を開いた。しかし、寸でのところで思い留まる。纏にしては珍しく歯切れが悪そうに、眉に皴を寄せ黙りこくる。
「証拠があれば、今の状況を変えられるか?」
律の言わんとしていることは、すぐに纏は理解した。
「……もし、証拠が見つかったとしても、透花が描きたくないって言ったら?」
「そん時はそん時だよ」
「行き当たりばっかりが過ぎるでしょ」
「それでも俺は、まだ諦めたくねえわ。透花の創作が好きだから。纏は違うのか?」
立ち上がった律が、纏の目の前で手を差し伸べる。見上げれば、影の差した暗がりの中で、唯一、浮かぶ二つの眼が纏を射抜いた。
クソったれ、と、纏は心の中で悪態をつく。
どうしてこんな時に、似ても似つかない律の瞳が、透花の青に重なって見えるのか。
気が付けば、纏の左手は律の手を握り返していた。そのまま、律の腕を伝って海の底から引き上げられるように纏の身体は立ち上がる。生まれて初めて産声を上げた日、きっとこんな気持ちだったに違いない。不安に押しつぶされながら、それでもただ声を上げる。
「1週間」
「何が?」
己の前に突き立てられた人差し指を見て、律は怪訝そうに首を傾げた。
「猶予。SNSで事実確認中とか掲載して適当に引き延ばしても、それが限界。1週間で証拠を見つける。死ぬ気で」
律はくいっと顎を上げ、不敵に笑った。
「上等」
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