【完結】男装ホスト令嬢は今宵も愛を売る-婚約破棄?ご自由に。私には仕事《ホスト》がありますので。-

天堂 サーモン

文字の大きさ
14 / 18

第14話 薔薇の檻、涙の鍵

しおりを挟む
 ――シャーロットに売られてから、一体どれほどの時間が経っただろうか。

 今、王宮からほど近いシャーロットの私邸にて、私は『クロード』として彼女の傍に立っている。

「クロード、そこに跪きなさい」

 命じられるまま、彼女の前に跪く。
 シャーロットは満足げに目を細め、一糸纏わぬ足先で、私の喉元をなぞった。

 「ふふ……やっぱりクロードの姿の方が、美しいわ……。ときどき覗くソフィアもまた、格別だけれど」

 足先が喉を彷徨うたび、胸の奥のどこかがひび割れ、ひと筋ずつ、崩れ落ちていく。


 政庁への出仕を命じられ、適当な肩書を与えられた『ソフィア』はシャーロット侍女として王宮に仕えることになった。

 公の場では『ソフィア』として、私的な場では『クロード』として、昼夜問わず彼女の傍に侍り、言われるがまま振る舞う。基本的に、私には一切の自由がなかった。

 彼女の気性を考えれば、こうなることは必然だった。父が私を売ったとき、うっすらと予想もしていた。

 けれど実際にこの日々に沈んでみると、思った以上に心は、昏く蝕まれていった。



 されるがまま私が黙っていると、不意に顎を軽く蹴り上げられる。

「なんだか、無礼なことを考えている気配がしたけれど」
「滅相もございません」

 私が深く頭を下げると、シャーロットは深く嘆息する。

「……今回は許してあげます。もう眠るから、いつもの用意をしなさい」
「かしこまりました」

 私は立ち上がり、一礼ののち、彼女のもとを離れる。部屋の隅に控えている使用人に伝え、湯舟を部屋に持ってこさせた。シャーロットは眠る前、花の香りのする湯に身を浸すのが習慣だった。

 あっという間に湯舟が運ばれると、シャーロットは人目に頓着せず衣服を脱ぎ捨てそのまま湯に浸る。そして、覆い布の内側から手招きしてきた。

「失礼いたします」

 私は命じられる前に、シャーロットの髪を解き、手入れをしていく。

「クロードは何でもできるのね……。前任のときより髪の調子がとてもいいのよ」
「もったいないお言葉です」
「……あなたの手は、いつも私を癒してくれる。とくに、最近のあなたの奉仕は凪いだ湖面のように穏やかで……」

 シャーロットは湯舟に浮かべられた花びらを弄び、ぽつりと呟く。

「私に仕えることでより洗練されたのね。……そう、きっと……」

 彼女の頬が赤らんでいるのは、湯の熱さにあてられたからか、どうか。……分からないが、私に関係なければいい。

 湯あみを終えると、使用人たちが彼女の肌を拭い、寝間着をまとわせ、髪をゆるく結ってゆく。私はそのあいだに、香油瓶を取りに行く。

 シャーロットの機嫌やその日の気分を思い返しながら、ふさわしい一本を選ぶ。そのときだけが、私が彼女の目の前から合法的に姿を消せる時間だった。



 シャーロットの部屋を出ると、香油の保管場所へと足早に向かう。彼女の支度が整う前に用意をしなければ、また厄介な仕置きに付き合う羽目になる。

 棚にずらりと並ぶ瓶の中から、迷わず一本を選び取った。瑞々しく、鼻の奥に残らない、控えめな香りを。シャーロットの心が、不用意に波立たないように。

 ふと、瓶の陰に小さな紙片があることに気が付いた。

 シャーロットの使用人たちはよく躾されていた。こんな場所に塵が落ちているわけはない。

 紙片は、二つに折りたたまれた羊皮紙の端切れだった。端に『R』と小さく書いてある。……まさか、レイン……? そんなわけはないと否定するが、その生真面目そうな筆跡には確かに見覚えがあった。……なにか、『ルクレール』に問題でも起きたのだろうか。

 紙片を開くと、そこには……信じられない文字が並んでいた。



『リリィ様の居場所が分かりました。もう、あなたは自由になれる』



 目の前がぐらりと揺れる。
 全身に力が入らない。足元がふらつく。

 手元から香油瓶が床に落ち、乾いた音を立てて砕けた。

 あたりに、記憶の底を撫でるような、やさしい香りが漂う……。



 リリィが……見つかった? あの子は、生きて、いたの……。



 気が付くと、涙がとめどなく頬を伝っていた。心ではまだ、喜びも、驚きも、感じていないのに。けれど、少しずつ身体に心が追いつき、最後に頭が追いついて、ようやく理解する。



 リリィが生きていた。
 もしかしたら、あの子に、会える。
 そうすれば、私は……もう、誰にも従わなくていい。



 ――この事実を、万一にも露見させてはいけない。

 私はレインからの紙片を飲み込んで始末し、ハンカチで涙を拭った。代わりの香油を棚から選び取る。シャーロットを酔わせるような、強く甘い香りのものを。そして、床に撒かれた香油を踏まぬよう、部屋から出る。


 香油瓶を手にシャーロットの部屋に戻ると、ちょうど寝室へ移る準備が整ったところだった。シャーロットは妖艶に微笑み、私に手を差し伸べる。

「いいタイミングね。……さあ、私をエスコートして」

 私は高鳴る鼓動を悟られぬように、いかにもクロードらしく、恭しくシャーロットの手を取り、彼女を寝台へと誘う。

「今夜は、昨日の詩集の続きを読んでくれる?」

 寝そべる彼女の手首に香油を垂らす。続けて、喉元、うなじへと。新しく選んだ薔薇の香油はひときわ甘く、肌の熱と溶け合いながら、理性の輪郭をぼかしていく。

「あなたがこんなに挑発的な香りを選ぶなんて……今日は、この香りのように甘い声で囁きなさい」
「シャーロット様の仰せのままに」


 リリィが生きている。もうすぐ会えるかもしれない。

 そう思えば、地獄と感じていた彼女の世話も、ただの通過儀礼に思えた。
 ならば、喜んで演じよう。甘く、優しく、従順な――理想のクロードを。


 彼女を堕とし、この檻から出るために。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!

志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」  皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。  そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?  『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!

ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。 そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。 ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。 イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。 ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。 いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。 離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。 「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」 予想外の溺愛が始まってしまう! (世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

聖女は秘密の皇帝に抱かれる

アルケミスト
恋愛
 神が皇帝を定める国、バラッハ帝国。 『次期皇帝は国の紋章を背負う者』という神託を得た聖女候補ツェリルは昔見た、腰に痣を持つ男を探し始める。  行き着いたのは権力を忌み嫌う皇太子、ドゥラコン、  痣を確かめたいと頼むが「俺は身も心も重ねる女にしか肌を見せない」と迫られる。  戸惑うツェリルだが、彼を『その気』にさせるため、寝室で、浴場で、淫らな逢瀬を重ねることになる。  快楽に溺れてはだめ。  そう思いつつも、いつまでも服を脱がない彼に焦れたある日、別の人間の腰に痣を見つけて……。  果たして次期皇帝は誰なのか?  ツェリルは無事聖女になることはできるのか?

元平民だった侯爵令嬢の、たった一つの願い

雲乃琳雨
恋愛
 バートン侯爵家の跡取りだった父を持つニナリアは、潜伏先の家から祖父に連れ去られ、侯爵家でメイドとして働いていた。18歳になったニナリアは、祖父の命令で従姉の代わりに元平民の騎士、アレン・ラディー子爵に嫁ぐことになる。  ニナリアは母のもとに戻りたいので、アレンと離婚したくて仕方がなかったが、結婚は国王の命令でもあったので、アレンが離婚に応じるはずもなかった。アレンが初めから溺愛してきたので、ニナリアは戸惑う。ニナリアは、自分の目的を果たすことができるのか?  元平民の侯爵令嬢が、自分の人生を取り戻す、溺愛から始まる物語。

ループした悪役令嬢は王子からの溺愛に気付かない

咲桜りおな
恋愛
 愛する夫(王太子)から愛される事もなく結婚間もなく悲運の死を迎える元公爵令嬢のモデリーン。 自分が何度も同じ人生をやり直している事に気付くも、やり直す度に上手くいかない人生にうんざりしてしまう。 どうせなら王太子と出会わない人生を送りたい……そう願って眠りに就くと、王太子との婚約前に時は巻き戻った。 それと同時にこの世界が乙女ゲームの中で、自分が悪役令嬢へ転生していた事も知る。 嫌われる運命なら王太子と婚約せず、ヒロインである自分の妹が結婚して幸せになればいい。 悪役令嬢として生きるなんてまっぴら。自分は自分の道を行く!  そう決めて五度目の人生をやり直し始めるモデリーンの物語。

お子ちゃま王子様と婚約破棄をしたらその後出会いに恵まれました

さこの
恋愛
   私の婚約者は一つ歳下の王子様。私は伯爵家の娘で資産家の娘です。  学園卒業後は私の家に婿入りすると決まっている。第三王子殿下と言うこともあり甘やかされて育って来て、子供の様に我儘。 婚約者というより歳の離れた弟(出来の悪い)みたい……  この国は実力主義社会なので、我儘王子様は婿入りが一番楽なはずなんだけど……    私は口うるさい?   好きな人ができた?  ……婚約破棄承りました。  全二十四話の、五万字ちょっとの執筆済みになります。完結まで毎日更新します( .ˬ.)"

処理中です...