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バッファロー・オオミスジコウガイビルの刺青

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彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。


「バッファローの刺青」


「オオミスジコウガイビルの刺青」


人は大切なモノが壊れなければ、  


モノを大切には扱わない、


彼等がそうだったように、


最期の最期まで、 気付けないのである…。

 
―二人の男―


ある大都市の片隅に、男二人で営む「直し屋」という店があった。そこで働く二人の男は兄弟のように仲が良く、特別な仲だった。


そんな二人の夢は、直し屋の商売を成功させ、この大都市に自分たちの家を建てることだった。


大柄な男は、小柄な男の身体を後ろから抱き締めると、いつものように言った。


「二人で協力すればなんとかなる」と。


それは大柄な男の口癖だった。


大柄な男は、小柄な男の瞼を閉じさせると、いつものように優しいキスをし、自分も瞼を閉じた。


二人はこれだけで幸せだったという。


―現実の厳しさ―


だが、二人が静かに瞼を開くと、見えてくるのは厳しい現実と、今にも外れそうな店の看板だった。


直し屋という商売は「モノ」が壊れてこそ動ける商売。モノが壊れなければ、稼ぎは無かった。それに、例えモノが壊れたとしても、金を出してまでモノを直そうとする者も少なかった。


「モノは壊れたらそれで終わり」


人は、余程大切なモノが壊れない限り、それを直そうとは考えなかった。


二人の男は、そんな冷たい時代に苦悩した。


小柄な男は、眼に涙を浮かべて言った。


やはり二人だけで生きることは叶わない、一度家に戻り、家業を手伝うべきだ、夢はその後でも叶えられるかもしれない、と。


これを聞いた大柄な男は、今の関係が壊れることを恐れ、思わず叫んでしまった。


「それは許されない」


大柄な男は、小柄な男の身体を後ろから抱き締めると、また同じことを言った。


「二人で協力すればなんとかなる」と。


また同じ事を言う大柄な男に、小柄な男は複雑な心境でいた。そしていつもとは異なるその力強さに、不安も感じていた。


大柄な男は、小柄な男から離れると、小柄な男の笑顔を見る為だけに、ある行動を開始した。


それは、二人で協力するという意味とはまた別の意味での協力だった。


大柄な男が言った。


「この関係だけは壊させない、絶対に守ってみせる」と。


―壊し屋―


数日が経った。


大柄な男が、夜な夜な、店を抜け出す事が多くなった。


小柄な男は、これを心配した。


朝には、ちゃんと寝床には帰ってくるが、様子がいつもと違った。


何故かその横顔に嫌な影を感じられた。


しばらくして、店の扉が開かれ、店に小袋を抱えた客が入ってきた。それは、久しい修理の依頼だった。


小柄な男は、これに驚き、修理箱を開いて、久しい笑顔を浮かべた。大柄な男は、これが素直に嬉しかった。


だから、修理の依頼が舞い込むと、小柄な男がまたこの笑顔を見せてくれると思い込んだ。


大柄な男は、その笑顔を見つめると、安堵の表情を浮かべ、また辛そうな表情に変わり、小柄な男が作業しているのを横目に、また夜中に店を出ていった。その手には、何故か修理箱が握られていた。


―おもちゃの悲鳴―


黒雲が月を覆い隠し、大雨が降り注いだその真夜中。激しい雷鳴と共に、屋敷の窓ガラスが割られた。


割れた窓ガラスから屋敷の内部へと侵入したそれは、長い廊下を音も立てずに進んで行くと、眠る小さな青年の傍らに置かれた機関車のおもちゃをその大きな影で覆った。影は、修理道具を握り締めて言った。 


「ごめんよ、もう壊されたくないんだ」と。


それは、雷鳴と共に何かが壊れた瞬間でもあった。


―機関車の修理―


翌日。


直し屋に修理の依頼が舞い込んできた。


それは久しいおもちゃの修理依頼だった。


客の女は、泣きじゃくる息子の涙をハンカチで拭きながら言った。


朝目覚めると、息子の傍らに置いておいたはずの機関車のおもちゃが何者かの手によってバラバラにされ、廊下に放置されていた、と。


小柄な男は、この話を聞いて、この親子に同情した。


だから機関車のおもちゃを無償で修理すると、店を一旦閉め、急に舞い込み始めた依頼について疑問を抱き始めた。
  

そして、修理段階の依頼品を幾つか調べて、ある事に気付いた。


どの依頼品にも酷い傷などは付けられておらず、蓋を外したりネジを抜いているだけ、簡単に修理が出来るということに。


小柄な男は、大柄な男の背中を哀しい表情で見つめていた…。


―疑いの眼差し―


翌日。


小柄な男は、大柄な男に訊いた。


それは、最近ちまたを騒がせている


「破壊事件」の犯人、


「壊し屋」についての事だった。


小柄な男は、真剣に訊いた。


なあ、君は壊し屋って奴を 知ってるかい、故意にモノを壊して、金銭的報酬を得る罪人らしいんだ、酷い奴だろう、故意にモノを壊すんだ、君はこの事件についてどう思う、


大柄な男は、小柄な男とは眼を合わせずに答えた。


「別に良いんじゃないか、そいつのおかげで商売繁盛なんだから」と。


大柄な男は、そう言って、この話を誤魔化すと、普段は飲まない酒をコップに注ぎ入れ、一気にそれを飲み干し、記事をくずかごに捨てた。


小柄な男は、それを見て、不安な気持ちでいた。


いつもと、何かが違う、と。


―壊れてゆく―


その後も修理の依頼は次々と舞い込み、途絶えることは無かった。


気が付くと、小柄な男の修理の腕も上がり、素早い作業にも慣れてきた。


だが、その度に客が見せる辛そうな表情にはいつになっても慣れなかった。


この状態が長く続けば、きっと別の何かが壊れてしまう。


小柄な男は、修理道具を握り締めて、静かな涙を頬に伝わせていた。


そして気が付くと、いつも願っていた。


壊し屋の破壊行動が止まるように、と。


―這う再生かなづち―


だが、壊し屋の破壊行動は止まらなかった。


それどころか、小柄な男がモノを修理するたびに壊し屋の破壊行動は活発化し、沢山のモノが壊れ、沢山の人があらゆる事を原因に苦悩した。


モノが壊れても修理に出されない場合は、それよりも大きなモノが代わりに破壊され、その持ち主の心が破壊された。


小柄な男は、本当に壊れてしまったモノが人の心だということに気付くと、どこからか押し寄せてくる罪悪感に思わず立ち上がった。


もう、我慢が出来なかった。


それと同時に店の鍵がガチャガチャと揺れ始めた。


鍵のかかった扉を抉じ開け、店の中へ入ってきたのは、冷たい眼をした黒いローブの男だった。


黒いローブの男は、小柄な男に近付いてくると、あるモノを手渡した。


それは一冊の「分厚い本」だった。


小柄な男は、黒いローブの男から手渡された分厚い本を見て、顔を顰めていた。


黒いローブの男は、フッと笑みを浮かべると、小柄な男に向かって冷たく言った。


「その分厚い本を見て、修理が出来ないと思ったのならば、お前の眼はふしあなだ、直し屋の看板をさっさと下ろし、あの愚か者と共にこの大都市を去れ、だが、それが出来ないのであれば、その分厚い本を読み解き、直し屋の誇りとやらを見せろ」


「お前の全身は再生かなづち、あらゆるモノを再生させる為にある」


黒いローブの男は、そう言うと、分厚い本を手渡したまま去っていった。


―修理が出来るモノ―


小柄な男は、黒いローブの男の指示通りに分厚い本を開くと、110の不幸の中から、再生かなづちのページを見つけて読み解いた。


そうすれば、大柄な男の事を救えると思ったらしい。


そこには「オオミスジコウガイビルの刺青」と黒文字で書かれていた。


小柄な男は、分厚い本を閉じると、悲しい表情を浮かべ、辛い思いを言葉にして、ゆっくりと吐き出した。


「壊さなくては、直らないモノがある」と。


小柄な男の眼には、今にも溢れそうな涙が、少し濁ったかのように、溜まっていた。


―直し屋と壊し屋―


ある嵐の夜のことだった。


小柄な男が、隣で眠っているはずの大柄な男に、背を向けたまま訊いた。


今日は何を壊しに行くんだい、と。


大柄な男は、眼を見開くだけで何も答えなかった。


小柄な男は、枕元に隠しておいた分厚い本を手にすると、家を出て行く前にこの物語に耳を傾けてくれと「ある物語」を読み聞かせた。


それは大切なモノを守ろうとして、その行進を止められず、大切なモノと共に地獄に堕ちる、愚か者の物語だった。


小柄な男は、大柄な男を後ろから抱き締めると、真剣な表情を浮かべて言った。


「これは俺たちの分岐点なんだ、今、君が家を出ていったら大切なモノがきっと壊れてしまう、あの物語の通りになってしまう、だから頼む、もうどこにも行かないでくれ 」と。


だが、大柄な男は、最期に優しいキスをすると、また現実から眼を背け、家を出て行った。


小柄な男は、これに愕然としていた。


この声も、この辛さも、何も届かなかった、と。


そして、容赦のない声はどこからか聞こえてきた。


【這う再生かなづちよ、お前に再生能力があったとしても、愛する暴れ牛にそんな能力は存在しない、ただ、地獄への行進を続け、地面を這うモノを踏み潰すだけだ、あの行進を止める方法はひとつ、暴れ牛の大切なモノを破壊せよ、お前は再生かなづち、その身を犠牲にすれば直せるモノがある、だが、それは修理品と同じで完全には直らない、それが直し屋の悲しき運命である】


小柄な男は、絶叫した。


そして、モノのように壊れた。


その手には修理道具が、荒く握られていた。


―朝―


「壊し屋」と呼ばれた男が家に帰ってくると、そこには悲しい現実が散乱していた。


床や壁には、幾つもの修理道具が針山のように突き刺され、床に倒された木材品の椅子には、釘で書いたような文字が見え、


そこには「ナオシテクレ」の文字が悲痛な叫びとして書き残されていた。


大柄な男は、これに胸を締め付けられると、眼に涙を浮かべ、自分の過ちに気付き、小柄な男のことを必死になって捜した。


だが、無駄だった。


小柄な男の姿はもうどこにも見当たらなかった。


あの頃の小柄な男の姿は、この大都市から完全に消えていた。


ああ、なんて事をしてしまったんだ…。


大柄な男は、遅すぎた後悔に押し潰され、顔を歪ませた。


そして、あの声を聞いた。


【暴れる勇姿よ、その破壊行進で沢山のモノを踏み潰してきた事実は、足裏にこびりつき、決して消えない、そして同じように足裏に張り付いたモノも再生し続け消えない、だが、お前は暴れ牛、彼のようには再生しない】


大柄な男は、床に泣き崩れると、半日泣き続けた。


そして、小柄な男の願いを叶えようと、まともに働き始めた。


だが、犯した罪はいつになっても償おうとはしなかった。


しばらくして、ある噂が隣国から流れてきた。


壊し屋と呼ばれる男が、隣国にも現れたらしい。


大柄な男は、この噂を耳にすると、修理箱を抱えて急いで店を出ていった。


アイツが生きているんだ、アイツが再生したんだ、と期待に胸を膨らませながら。


大柄な男は、優しい笑み浮かべると、どこか遠くにいる小柄な男に届くように叫んだ。


「壊したら俺がナオシテやるから大丈夫だぞー」と。  


黒いローブの男は、そんな大柄な男の背中を見送ると、「哀れだな」と分厚い本を閉じた。


そこには「バッファローの刺青」と黒文字で書かれていた。


黒いローブの男は、再び分厚い本を抱えると、次の標的が待つ地へと向かって歩き出した。


「壊し屋」と呼ばれた男と「直し屋」と呼ばれた男、


その立場は現在逆転している。


その二人の左腕には、暴れる勇姿「バッファローの刺青」と

再生かなづち「オオミスジコウガイビルの刺青」が

重なるように刻まれているという…。
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