別れ道(婚約破棄は計画的に!)

ねこまんまときみどりのことり

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婚約破棄は計画的に!

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「クロエよ。俺は貴様との婚約は破棄して、愛しいサブレーヌと結婚する。その時になれば、この邸から即刻立ち去って貰うぞ!」

「……そうですか。要望ならば、お父様に言ってくださいな。それでは、私は失礼します」

「ふんっ、生意気な奴だ。本当は悔しいのだろう。俺と結婚できなくて、泣きたいのを我慢しているのじゃないのか?」


 侯爵家の庭で婚約破棄を叫んでいるのは、伯爵令息のリンゼール・ガルダ。彼の最愛は、クロエの義妹のサブレーヌだと言う。

 リンゼールとクロエは、親同士が決めた利害が絡む政略結婚の相手だった。

 クロエ・クラウテンは彼よりも格上の侯爵令嬢であったが、父親の無理な商会経営は多大な悪化を辿り、侯爵家は借金まみれであった。

 彼女クロエの母、ダブリエは病で寝込んでいたが、彼女が12才の時に逝去した。

 亡くなる前に、形見のロザリオをクロエの首にかけて囁く。

「クロエ、弱い母を許して。
一人残された貴女は、きっとたくさんの困難が待ち受けているでしょう。でもわたくしはずっと見守っていますよ。貴女が幸せになれるように。
 だから諦めずに頑張るのですよ。
 そして何を奪われても貴族としての誇りを守り、毅然としていなさい。
 奪われてはいけないのは、そのロザリオだけ。
 必ず味方は現れます。
 残念ながらレンバック、貴女の父は信用に値しません。
 こんな場所に残していって、ごめんね。

 愛しているわ。私のクロエ…………………」



 ダブリエは最期の時まで娘を心配していた。
 夫であるレンバックは、ダブリエに全てを頼り遊び歩いていた。
 だが彼の言い分は勝手なものだった。

「妻は何にでも口を出して、俺を否定する。だからもう、俺は妻の好きなようにさせてやってるんだ。その分少し、好きなようにさせて貰ってるけどな。はははっ」 

 レンバックの回りには彼にたかって遊ぶ悪い者が多く、彼はそれに気づかず煽てられて散財していた。

 ダブリエは口出しではなく、詐欺や無謀な投資を止めるように注意しただけだ。レンバックのせいで今まであった侯爵家の蓄えは減り、彼女は知人から借金をしたが財政は火の車だった。

 レンバックの両親は領地暮らしで口を挟まないが、資金の援助もしなかった。ダブリエとの結婚当初は、お金の無心をして来たくらいだった。
 侯爵家の現状を知らせても、自分達で何とかしろと言い、援助は期待出来なかった。

 ダブリエは自分の両親にも、助けを求められなかった。レンバックとの結婚はわりと反対を押しきったものだったから、援助を言い出すことが躊躇われたのだ。
 頼ることがあれば、きっと離縁しろと言われただろう。


 何とか伝手を辿り、やりくりをしていたダブリエが病に倒れ、それに目をつけたのがガルダ伯爵家。リンゼールの父親マイルだった。

「リンゼールが侯爵家の婿に入れるなら、ガルダ家は援助を惜しみませんぞ」

 そう言うマイルに、ダブリエは反対した。
 ガルダ伯爵家には悪い噂があったからだ。

 だがレンバックは、それを覆して婚約を承諾した。

「侯爵家の為だ。クロエとリンゼールを婚約させよう」

 そんな風に決まった婚約だった。




◇◇◇
 その後にダブリエは亡くなり、喪が明けてすぐに義母となるアカシア・バレリーが邸に現れた。
 その隣には父と同じ金髪と青い瞳の女の子が、二人に大事そうに囲まれて笑っていた。

「やっと私も、侯爵令嬢になれるのね」と、嬉しそうに。

 13才のクロエより3か月年下のサブレーヌは、父の実子だと言う。

「今日からよろしくね、お義姉様」
「私もよろしくね。クロエ」


 新しく入り込んで来た母子は、不敵に笑ってクロエを見定めた。
 レンバックは愛おしそうに母子を見るが、ついぞクロエには関心を示さずに自室へ去って行った。



◇◇◇
 ダブリエの優美な部屋はアカシアが占拠し、クロエの部屋はサブレーヌに奪われた。

 洗練された部屋が趣味の悪い赤やピンクに変わっていくと、使用人達は嘆いていた。

「死人が使っていた物なんて、縁起が悪いでしょ。私に相応しい物で統一したいわ」


 そう言うアカシアは、宝石以外の家具を捨てるように使用人に命令する。
 指示を受けた使用人は、何処からか来た身なりの良い人達に、それを渡す。

 大切に傷を付けぬよう、赤絨毯を敷いた綺麗な荷馬車に積み込まれていく。


 邸の裏手、日当たりの悪い場所に部屋が移ったクロエは、その様子を黙って見ていた。

「お母様の家具だわ。売られたのかしらね。
でも……。アカシアに無惨に使われるよりも、綺麗に大切にされる方がよっぽど良いわね」

 そう呟いて、荷物を見送ったのだ。

 荷物を運ぶ者はクロエを見ると、最上級な紳士の礼をした。
 クロエもつられて、カーテシーで応えていた。

「名のある商人なのかしら? とても礼儀が行き届いておりましたわ」

 母の持ち物達との別れは辛かったが、久し振りに敬われた気がして、気分が少し晴れたのだった。



◇◇◇
 母が亡くなり、家の実権は父に移ったようだ。
 家に寄り付かなかった父は、今は本邸でアカシアとサブレーヌと共に幸せそうに笑っている。

 そしてまた、詐欺のような商いに投資し借金を負ったそう。
 それでもガルダ伯爵家が何とかしているようで、侯爵家に取り立てに来る者はいなかった。

 レンバックはマイルに、「済まないね、伯爵。今度こそは上手くいくと思ったんだけど」と、言い訳しながら誤魔化すように笑った。

「持ちつ持たれつですよ」

 そう言いながら、アルカイックスマイルを浮かべている。

 それを聞きながら、リンゼールと共に応接室に同席しているクロエは遠い目をした。

(これは恩を着せられている、のかしらね。本来なら娘の私がここにいる必要はない筈だもの)

 リンゼールも美しい相貌を崩すことなく、優雅にお茶を口にしていた。
 金糸のような艶のある長い髪と、少しつり目のアーモンドアイは婦女子に人気があると聞く。碧い瞳は理知的に見えるそうだ。

 でもクロエは、彼の冷たい瞳が苦手だった。隙のない言動は立派な紳士然としていたが、自分に1ミリの興味もないことはなんとなく分かっていた。

 母と同じ銀髪と紫の瞳のクロエは、その色から冷たそうな印象を持たれるが、実は世話焼きである。弱い者には庇護欲が半端ない。
 顔はレンバック寄りの可愛い系である。母に似ず美人系ではなかったのだ。たとえるなら、きめ細かい人形のような美しさだった。

 長く共にいる者はクロエの正体に気づいていて、不器用な彼女を回り込んで守っていた。
 いくら家の財政が厳しい時でも支障なく学園に通えていたのは、有能な執事がいろいろと采配したお陰でもあった。

 サブレーヌと言えば、自宅で家庭教師を付けて学んでいたのに淑女教育は進まず、学園には通えていなかった。はたから見ても、全くやる気もなかったようだ。

 

 なのでクロエの義妹が、どんなに愚かであるかは未だに知られていない。
 それどころか、義母のアカシアのことさえも知られていない。
 レンバックが再婚したことさえも。

 ただレンバックが、愛人達を侯爵邸に入れたことだけは知られるところだった。

「愚かな……」

 そう呟かれるだけ。
 レンバックの出来の悪さは、既に多くの者が知っていたから。


◇◇◇
「お嬢様、何時いつまでこうしているのですか?」

 家令のウルベルは、侯爵家の秘密を話した上でクロエに問う。

「悪いわね、ウルベル。もう少し待って欲しいのよ。まだ覚悟が出来てなくて…………」

「申し訳ありません、お嬢様。責めるつもりは御座いませんでした」
 頭を深く下げる彼に、クロエは首を横に振り伝えた。

「良いのよ。私の為に言ってくれているのだもの」

 そして寂しく微笑むが、その顔には痛々しさが滲んでいた。


 レンバックが再婚しても、使用人達はクロエに尽くしていた。
 古参の者で態度を変える者はいなかったが、新しく入ったアカシアとサブレーヌ付きの使用人達は、クロエに陰口を言い放った。

「愛されない子は可愛そうね」
「この家のお嬢様なのに、あんな端にある部屋に追いやられて」
「食事も家族と別なんでしょ」
「外出の時もいつもお留守番」

 嘲笑い貶めて、クロエの尊厳を奪おうとする。
 アカシアやサブレーヌの差し金なのか、父親から冷遇される令嬢だからと貶めて楽しんでいるのかは分からないけれど。

 クロエの侍女は悔しそうだが、本人は気にしていない。

「他に仰りたいことは? 無ければ失礼するわ」



 顔色を僅かに変えることもなく、優雅な動きを崩さない彼女を、面白くない顔で見送る使用人達。どうやら、性格のよろしくない者が集まっているようだ。

「教育のされていない、不届き者めが!」
「お嬢様になんて失礼な!」

 誰とも分からぬ言葉に、怒りが盛れ出す使用人達をクロエは止めた。

「ありがとう、みんな。貴方達がいるから、私は生きていけるわ」
「「「お嬢様っ!!!」」」

 そして使用人達は、主の言葉に従い引き下がる。
 こうして全面的な紛争にはならず、また日々が過ぎていくのだった。



◇◇◇
「ああ、楽しいな。本当の家族と一緒に暮らせるなんて」

「私もよ、愛するレンバック」

「お父様、サブレーヌも幸せです」


 今日もレンバック達は、高級レストランに来て美食を楽しんでいた。
 その後は観劇に行く予定だ。
 2人はレンバックと腕を組んで、彼の喜ぶ言葉を囁き続ける。
 その言葉に自尊心は満たされ、更に2人に甘くなっていくのだ。

(この2人はダブリエやクロエとは違い、俺を馬鹿にした目で見ない。尊敬を向けてくれる。俺はもうあんな顔をされるのは嫌なのだ)

 ダブリエと同級生だったレンバックは、全てに普通の成績だった。
 才女と言われたダブリエと違う伯爵家の三男の彼は、高位貴族の従者にでもなろうとしていた。
 執事見習いでもしようと思った矢先に、高位貴族のクラウテン侯爵家から婚約の打診が来て、両親が受け入れたのだ。

 接点のない侯爵令嬢との婚約や結婚に、不安はあった。
 自分は焦茶の髪に黒い目の冴えない男だ。
 学力も剣技も人並みで誇れる特技もない。
 だがそれも、結婚して慣れてしまうとタガが外れた。

「俺は侯爵令嬢である美しいダブリエに愛されている、次期侯爵なのだ」

 根拠のない強気な自信で、快楽に身を焦がし始めた。
 それでもダブリエからの愛情は変わらず、調子に乗り続けた。そしてそれに慣れ増長した。


 現在進行形で仕事は家令任せにし、何もしないで散財していくレンバック。
 何かしても騙されて借金が膨らむので、何もしない方が良いと言えるのか。


 商人達は知っていた。
 金を取り損ねないように、何かあればガルダ伯爵家に支払って貰えと。
 そうしてレンバック達を煽てつつ、散財させる商人達は何枚も上手なのだ。



◇◇◇
「ああ、サブレーヌ。なんて君は美しいのだ。愛しているよ」
「私もですわ、リンゼール様。……でも貴方はお姉様の婚約者ですわ。好きになってはいけないのに。でも好きです」

 侯爵家の応接室で、侍女達がいるのにも関わらず迂闊に話す男女。その瞳は恋に酔っているようで、相手しか見つめていない。

「ああ、なんて奥ゆかしいのだサブレーヌ。俺はクロエから、冷たい瞳で見られる度に心が冷えるのだ。君の天真爛漫さを見習って欲しいものだ」

 婚約者の陰口を平気で口にする男に、義妹は囁く。

「リンゼール様がそう思うなら、私が婚約者に変われませんか? 私だって同じ侯爵家の娘ですもの」

「そう言うことなら、お父様に聞いてみようか? 俺はその方が良い。サブレーヌが好きだ」


 喜び勇んで帰っていくリンゼールを、サブレーヌは嘲笑う。

「あんなに甘ちゃんが婚約者なんて、可哀想なお姉様。いや、血なんて繋がってないけどね。なんで侯爵も分からないのかしら?」

 レンバックがアカシアと関係を持っていた時、アカシアには別の男ホルンがいた。
 その男はサブレーヌと同じ、金髪と青い瞳を持つ美しい男だった。

 アカシアは贅沢をしたくて、サブレーヌをレンバックの子だと嘘を吐いた。
 何故レンバックの子ではないかと言えば、顔がホルンにソックリだったからだ。

 サブレーヌもレンバックを信じていない。
 実の娘クロエを虐げるような男を信じられる訳がない。
 そして成長したサブレーヌは、クロエが気の毒に思えていた。
 だから彼女は、侯爵家を乗っ取ろうとするリンゼールの婚約者を自分に変更し、様子を見て逃げる気だった。 
   
  そして貢がれるプレゼントを次々に換金していった。

 リンゼールは、愛らしく弱々しく演じる可憐なサブレーヌに、煽てられ褒められまくる。

「格好良いです。やっぱり頼りになりま~す。素敵ですわ」

 可愛い子にそう言われると、もうその気になってしまう。ある程度は仕方がないよね。

 ただサブレーヌは下町暮らしで、貴族の怖さも知っていた。
 普通に考えると、侯爵家のお嬢様に無礼は許されない。それにレンバックの血なんか一滴も入ってない。
 バレたらどうなるんだろう? 
 いくら鈍そうとはいえ。



「母さんは侯爵から離れる気がないみたいだけど、どう考えてもあれは泥舟だろうに。私は良いところでお別れするわ」




◇◇◇
「あらぁ。父親に愛されない娘が廊下をお通りよ。ふふふっ、私達は昨日も観劇に行ったのよ。貴女は……。ああ、ごめんなさいね。少し意地悪だったわね」

 時々会うと、意地の悪い言葉を必ずかけて来るアカシア。
 それとは逆にサブレーヌは出会っても頭を下げ、そのまま下を向いて歩いていくだけだった。

 そんなことが時々あるくらいで、それほど変わりない生活を送るクロエ。
 家令と領地経営を熟し、後継者教育を受け、合間に学園の課題を片付ける。

 レンバックとは関わらない忙しい日々。

 そろそろ16才。
 この国では爵位の継承が行える年だ。

「そろそろ動きましょうか?」
「はい。お嬢様」

 彼女は爵位継承権を認めて貰う書状を、王宮へ送ることを家令のウルベルに頼んだ。
 その書状にはロザリオの下の部分にある蓋を外し、名前の横にちょんと押したしるしがあった。
 それはちょうど、小指の爪の半分ほどの大きさだった。



◇◇◇
 後日クロエは国王に呼ばれて、レンバックと共に王宮の謁見室に訪れていた。


 階の上段には国王と王妃が座し、近衛騎士が両側に控えていた。
 勿論扉や広いホール部分にも、多くの騎士が控えている。物々しさはいつもと同じで、厳かな空気が漂っていた。
 そして礼の姿勢を取るクロエとレンバックに、国王は声をかける。


「レンバック・クラウテンとクロエ・クラウテン。頭を上げなさい」

「はい」
「はい」

 この時、レンバックは不思議に思った。

(俺は今、クラウテン侯爵の筈だ。何故、クラウテンだけで呼ばれたのだろう。間違えたのか? 国王ともあろうものが)
 少し苛立つも、口にも顔にも出せない。
 権力の前に、不満を飲み込むレンバック。


「クロエ・クラウテンから申請があった爵位継承権の移譲を許可する。本日から貴殿がクラウテン侯爵だと認めよう」

 そう宣言を受けて、クロエは発言する。

「賜りました。全力をもって職務に当たることを誓います」
 そして最上級のカーテシーを、国王に向ける。


「う、嘘だ。何故、勝手に」
 自分が侯爵だと思っていたレンバックは、思わず口に出していた。

 近衛騎士に「許可なき発言、不敬であるぞ」と咎められ、慌てて口に手を当て頭を下げた。


 だがその気持ちを悟っている国王は、発言の許可を出す。

「恐れながら、侯爵はレンバックではないのでしょうか? 申請とは何のことでしょうか?」


 その問いに、国王は答える。
「この国は、女性も爵位を継げるのを知っているか?」

「はい。何らかの事情がある時は、女性も爵位を継げます」

「そうだ。事情がある時は女性が継げる。クラウテン侯爵家には長男がいたが、我が第二王子の婿入りと共に隣国へ移り住んだ。だから侯爵家はダブリエが継いだのだ。

 本来なら、侯爵家を継ぐサリバンを側近として付けた。その恩義に報いる為に、クラウテンには便宜を図って来たのだ。本来ならもっと優秀な婿を迎えることを望んだ私の意見を却下し、望みのままにお前を婿と認めた。
それなのに…………」

 国王は苦悩の表情で、レンバックを見た。
 そして言葉を続けた。

「私は反対したのだ。凡庸なレンバックでは、ダブリエに萎縮して落ち着けないだろうと。
 それでも、どうしてもお前が良いと言うから結婚を許したのだ。
 だがお前は仕事を放棄して、あまつさえ愛人を作り借金を増やした。
 そして当主でもないのに、婚約者まで決める愚かな行為まで。許されんぞ!」


 怒りを露にする国王に、レンバックは何が何だか分からず混乱する。

「恐れながら申し上げます。
 申請をして私が侯爵になったのではないのですか? 
 ダブリエが亡くなり、家を継ぐ者が不在では困ると思い、すぐに手続きをした筈です!」

 懸命に言い募るも、国王は冷たい目を向ける。


「許可証は来たのか? 確認をしていないのか?」

 レンバックは愕然とした。
 確かに確認していない。
 問題がないから、てっきり受理されているものだと信じていた。

 じゃあ、今までどうなっていたと言うのだ。

 その疑問に国王が答える。

「ダブリエの兄サリバンが、一時的に侯爵代理として就いていたいたのだ。特例でな」

「どうしてですか? 私がいるのに!」
 恥も外聞も構わず、叫ぶレンバック。

「何故、か? それも分からないのか? 愚かな!」
 最早呆れを隠さない国王は、力を抜いて話していく。

「まず第一に、侯爵家の血をひかないお前は侯爵家は継げない。継げるのは、サリバンかクロエだけだ。お前に出来るのは、出来て中継ぎだけだ。それも解らずに、侯爵移譲の申請をするとはな。片腹痛いわ」


 顔を青くするレンバック。
 不勉強な彼は本当に知らなかったのだ。
 せめて親に相談くらいは出来ただろうに。
 欲に目が眩んだせいもあり、その時は手続きを急いだのだ。

「それにだ」
 国王は確認するように、質問を続ける。

「お前は侯爵家当主が持つ、青い印章の存在を知っているか?」
「印章ですか?」

 不思議そうな顔をするレンバックを見て、知らないことを確認した国王。


「侯爵家後継者となる者は、当主から印章を譲られる。それを押した青い印影がなければ、重要書類は王宮へは上がらずに、その家へ送り返される。
 もしや知らないのか? お前だって、婚約や結婚の時は書類を見ただろう? 侯爵家の署名の隣に、青い印影はなかったか?」


 レンバックは記憶を手繰る。
 すると名前の横にはいつも青い印があった。
 まさかあれが…………。

「この国の侯爵家以上の家門は、ある事件が起こった時から偽造防止の為に特別な印章を持つのだ。
 特別な印章職人が彫り込んだ1点もので、偽造すれば即死刑。今度虫眼鏡で見てみろ。キチンと家名と紋章が彫られているから。
 知らない者には、シミのように見えるだろうがな。

 どうやらお前は、それほどダブリエに信頼されていなかったのかな? 可哀想に」


 少なくとも仕事を手伝っていれば、いくらなんでも分かったことだった。けれど…………。


「あ、あの女は、俺を裏切っていたのか? チクショウ」
 国王の面前なのに、抑えられず怒りを顔を歪ませるレンバック。

 それでも国王は、もうレンバックに興味を失っていた。


「そう言うことで、レンバック。これからは当主の指示に従うと良いぞ。では退室せよ」

 クロエはカーテシーを、レンバックは項垂れたままでその場を後にした。


◇◇◇
 リンゼール・ガルダは両親と相談し、婚約者をクロエからサブレーヌに変更していた。

 それはレンバックが王宮へ呼び出される前だったので、レンバックの記名だけだった。


 ガルダ伯爵家では、侯爵家以上が持つ印章のことを知らなかった。だから書類に不備があると思わなかったのだ。

「気難しそうなクロエよりも、サブレーヌが妻になった方が侯爵家を乗っ取りやすいだろう」

 リンゼールの父マイルは、そんな風に軽く考えていた。
 頭の足りないレンバックなど、簡単に御せると欲をかいたマイル。
 でも肝心なレンバックが馬鹿すぎて、どうにもならなかったみたいだ。

 既にサブレーヌは侯爵邸を去り、ずいぶんと遠い場所の船上にいた。

 何も知らないアカシアは、サブレーヌを探していた。

「どこなの、サブレーヌ? まさか、父親のホルンのところに行ったの? 何も言わないなんて、まさか誘拐?」


 そんなアカシアに、手紙が届く。

『私は逃げるわ。母さんもトンズラした方が良いよ。なんかそこの侯爵は、おかしいよ。仕事もしないで暮らせる訳ないわ。健闘を祈る』

「な、何これ? 嫌よ、ここから出て行くなんて。末端の貧乏男爵出のメイドが掴んだ幸せよ。譲れる訳ないじゃない!」

 愛とかよりも、裕福な生活が捨てられないアカシア。

 そこに、項垂れて帰って来たレンバック。


 クラウテン侯爵家は、婚約のことは一切関与しないと文書が届き、憤りレンバックに詰め寄るガルダ伯爵達。

 元々ダブリエはこの婚約に反対だったから、ロザリオの陰影をクロエ達の婚約届けに押してはいなかった。
 レンバックが納得しないと思い、国王と相談して保留状態にしてあったのだ。
 それをサブレーヌに変更したのだから、籍の入っていない彼女サブレーヌとリンゼールの婚約は侯爵家とは無関係となる。
 サブレーヌとリンゼールの婚約は、クロエの婚約破棄書類を出さなくても認められる状態だったのだ。


「どう言うことだ、レンバック。君は侯爵ではなく、代理にもなっていなかったそうじゃないか。それにアカシアとは入籍していないし、サブレーヌも侯爵家の籍に入っていないと書いてあった。君は私に詐欺を働いたのか?」

 顔を真っ赤に染めて、叫びまくるマイル。
 リンゼールはサブレーヌを探し、いつものように家内を歩き回る。
 彼は可愛らしく演じる彼女を、思った以上に愛してしまっていた。

「何処だ。出ておいで、君が侯爵家の娘でなくても良い。愛しているんだ!」

 マイルの妻シャインラーは冷静だった。

「何でも良いから、お金を返して欲しいわ。マイルに任せていたら大損害よ。クロエ嬢、聞こえているんでしょ?」



 不遜な態度の彼らは、護衛により玄関ホールに集められていた。

「ちょっと触らないで、放しなさいよ、この変態! 本当、この家の騎士はイヤらしいんだから!」

「俺は伯爵だぞ。無礼だろうが!
 おい、レンバック。どうなってるんだ!」

「なあ、あんた達。サブレーヌは何処にいるんだ? あのクソ女に虐められてるんじゃないのか? 可哀想に、今助けてやるからな!」



 自分が発端なのにレンバックは頭が働かず、いつものように緊張感なく笑って誤魔化そうとしていた。

「いや、俺も、受理されていないことを知らなくてさ。騙した訳ではないんだよ。なあお金は、ちょっと待ってくれよ」
 
 アカシアは何が起きているか分からずに、混乱していた。
(まさか、これがサブレーヌが懸念していたこと。ああ、どうしたらいいの!?)

「騒がしいですわよ、皆様」

 クロエが、ウルベルと屈強な護衛を10人ほど従えて姿を現した。



◇◇◇
「貴方方がかわした誓約書や借用書には、侯爵家の印章がない筈です。従って侯爵家では何も致しませんわ。不満があるなら国に訴えてくださいな。
 血縁上の父であるレンバックの借金は、母が生きていた時の分は母の兄に借りて精算しました。
 その後の借金は、レンバックに請求してください。彼は侯爵代理失格となった際に、全ての権限は剥奪されています。
 借金は彼と、彼の両親へご請求くださいな。
 伝えたいことは以上です。
 なお、国に訴えても無駄ですわよ。既に国王からの許可を得ていますから」

「さんざん世話になって、なんて言い方なの?」
「そうだ! 父親の責任は娘が取れ!」
「貴様が、愛しいサブレーヌを監禁してるんだろ? この下衆が!」

「侯爵家を継いだお嬢様に、何てことを!」
「捕らえますか?」
「いえ、良いわ。そこまでしなくても」
(まあ、少しは世話になったしね。お父様が悪質な金融業者に手を出さなかったのも、ガルダ伯爵家がいたからだと思うし)

 ガルダ伯爵家は、伯爵家では珍しく金融業を手広く行っていた。取り立ても裏に回れば悪質でさえあると聞く。
(だから、民間の金融業者が手を退いたのでしょうし)

 レンバックとは国王からの勧めで縁を切ったとは言え、見捨てれば酷いことになりそうだし。まあ一刻も早く、遠くに送ってあげないといけないわね。ふふふっ。

「今日は疲れたので、伯爵家の方達にはお帰り願いますわ。後は貴方達お願いね」
「「「畏まりました!」」」


 そう命令すると、護衛達がガルダ伯爵家の者を追い出したのだが、罵詈雑言は酷く耳に残るものだった。

「金にがめつい、踏み倒し女め!」
「汚い守銭奴!」
「美しいサブレーヌを羨む、醜い監禁魔め!」等々と、玄関を出されても叫んでいる。


「あんなに下品だなんて。うまく猫を被っていたものね。さすが悪徳。でもちょっと見習わないといけないかしら? まあ、リンゼール様はいつもと同じね」

 だがその日以降も、存外にしつこく訪問するガルダ伯爵家に辟易し、レンバック名義で借用した分はその後すぐにクロエが返済した。

「さすが裏では名の知れた金貸し屋ね。国王が怖くないのかしら? それとも私が舐められているだけ? でももう、精神衛生に悪すぎるわね。使用人達の為にも、今回はしょうがないか」

 金利は書かれていなかったので、元本のまま返す。
 きっと返せると思っていなかったんだろう。
(まあ、確かに伯父に借りてるお金だけどね。
伯父は返さなくても良いと言うけど、侯爵家当主がいつまでも甘えていられませんから。でもこの程度でダメージを受けるなんて、それこそ未熟者のあかしね。当主って大変)

 勿論それは、お父様の借金に速攻で追加したけどね。

 その後は彼らの立ち入りを拒絶した。サブレーヌを探すリンゼールは、無視である。
 まあもう、ここにはいないから諦めた方が良いのに。 嫌いだから教えないけどね。


「愛しいサブレーヌよ。何処にいるんだい?」
 そろそろご近所からの苦情で、騎士が来そうな雰囲気だ。

 サブレーヌに渡した金品は、高い授業料だと思って諦めて欲しい。そこはもう伯爵が何か言っても、返済には応じない。無関係すぎて断固拒否である。

 さすがに諦めてくれたようで、元本支払い後はリンゼール以外の伯爵家の者を見ることはなくなった。


◇◇◇
 その後のガルダ伯爵家。
 マイルは妻シャインラーに、こってりと搾られていた。
「高位貴族の繋がりを舐めるなと言ったよな? どこで誰が絡んでくるか、予想もつかないんだから。今後は勝手なことはするなよ。うちの商売潰したくないだろ?」

 頭脳を買われた婿養子のマイル。ついでに顔も美形。
 彼はシャインラーを愛しており、シャインラーも彼を愛しているが、商売関係の話は別である。

「俺はお前に、侯爵家をあげたかったんだよ」
「………ま、まあ、今回は許すわ。次はないからね」
「ああ、勿論だ。マイハニー」
「………もうっ」

 何を見せられているんだかと、荒くれ者の従業員は毎度のことに呆れていた。

 毎度って。面白半分で乗っとりしとんのかい?




◇◇◇
 そしてレンバックとアカシアの前には、人相が悪くて屈強な男達が姿を現した。

「侯爵様、こいつらを鉱山で働かせるんですか? すぐへばりますよ」

レンバックとアカシアは抱き合って震えた。
「嫌だ無理だよ、鉱山なんて」
「なんで私まで。悪いことはしてないわ」


 クロエは少しだけ思案して答えた。

「まあ様子を見て、少し軽めにして頂戴。すぐに死んでしまうと、資金の回収が出来ないので。
 あー、あとね、亡くなったお母様が悲しむから、レンバックの貞操は奪わないでね。そうとう、可愛がってたみたいだから。後は適当によろしくね」

「了解しました、侯爵様」

「助けてくれ、クロエ。娘じゃないか?」
「何でもするから助けてよ。鉱山なんて嫌よ!」

 泣いて縋る訴えにも、表情を変えないクロエ。

「レンバックさん。私は貴方の知らないところで、ずいぶんと尻拭いしてきました。
 今やっと、後5年計画で返済が終わるまで圧縮できました。私が使っていない物を後5年もですよ。
 奴隷として売らないだけ、マシだと思ってくださいな」

「アカシアさんも、何年も私を馬鹿にして贅沢を享受したでしょ? 次期侯爵家当主に、たかだか男爵令嬢だった女が長年無礼を働いたのですからね。
 騎士団に捕まって死刑になるより、寛大な処置と思ってくださいね」

 まあ私は、どっちでも良いですけどね。
 アルカイックスマイルのクロエは、誰よりも貴族らしかった。
 アカシアの子サブレーヌが、レンバックの子ではないとばらさないのは僅かな恩情。


 もう後は逆らわず、ドナドナされて行った。
 レンバックの両親と兄弟達は、速攻でレンバックと縁を切った。
 普段から仲が良ければ多少は助けたかもしれないが、侯爵家に入ったことで威張り散らしていたから、すっかり気持ちも離れていたらしい。



 サブレーヌは改心した後、クロエにごめんなさいの手紙と一緒に、リンゼールからのプレゼントを売り払ったり、レンバックに買って貰った宝石を全て売ったお金を送って来た。
 船代だけは使ったと追記して。

 それで許されるかは分からないけど、もう関わらないから勘弁してと書いてあった。


「まあ、良いわ。許してあげる」

 クロエは呟いた。
 断罪前に謝ったのは評価するわと言って。

 何となく、サブレーヌも許して貰える気がしていた。

 もし改心していなかったら、侯爵家ではなくサリバンが密偵でも冒険者でも雇って追いかけていただろう。
 侯爵家の矜持を守る為に。
 そして連れていく先は、高く彼女を買う娼館まっしぐらだったろう。

 彼女は、ギリギリで逃げ延びたのである。



◇◇◇
 そして当初に邸から運び出された、ダブリエの荷物は綺麗なまま再び侯爵家に戻された。

 運んで行った業者は、母の友人の商人だったらしい。

 クロエに侯爵就任祝いだそう。
「今後とも取り引きをよろしくね」と、言って笑っていた。


 学園の友人も、母の友人達も、先々代侯爵も祝福してくれていた。

 まだ公に公表していないのにだ。
 今後、盛大には無理でも、ホームパーティーでお返しをしていこう。

 先々代侯爵のダブリエの両親は、手は出さぬとも様子を見守っていたそうだ。
 もし傷つくことがあればすぐに助けられるように、ウルベル達に指示していたそう。

 そこまで父と関わることもなかったからね。
 なんなら、無視されてたし。

 そしてレンバックの雇っていたメイド達は、涙を浮かべて謝った。もう土下座で。
 クロエは給料を渡し、その場で退職させた。

「悪口言ってたから、紹介状は出さないからね」

「「「「はい。ありがとうございました。ご恩は一生忘れません!!!!!」」」」

 レンバック達が鉱山に送られて、そうとうびびっていたらしい。彼女達は今後、真面目に生きて行くだろう。


 お人好しのクロエは、レンバックとアカシアが改心すれば、もっと楽な仕事を斡旋しようと思っていた。
 やはり父を捨てられない気持ちがあったからだ。

「お母様は子熊みたいな愛らしさのある、お父様が好きだったそうよ。昔からそう。可愛いものに目がないのだもの」


 何度も何度も、レンバックには分水嶺があった。
 あっさり幸せになる道も、もっと不幸になる道も。


「腰が、腰が痛い。こんなに重い台車、もう押せないよ」
 筋力がほぼなく、すぐに疲れたと不満を言うレンバック。
 少し動いただけで息が切れ、筋肉の突っ張りが生じている。

「何、甘いことを! 侯爵様の願いだから、鞭も使わずにいるんですぜ。さあっ、もうそろそろ働きなよ。面倒くさくなったら、侯爵様に死んだって連絡して賠償金を支払って、売っぱらちまうぞ! あんたの女の方が、よっぽど根性あるじゃん」

 アカシアはクロエとは他人だ。
 なので気が変わって捕まることになる前に、ここから去りたいと考えて死ぬ気で働いていた。
(何とか自分の借金分だけでも返して、ここを出るのよ。これ以上堕ちてたまるもんですか!)
 気合い入りまくりである。

 レンバックとアカシアを監視しているのは、女の監督官サベナだ。レンバックに呆れながらも、厳し過ぎず甘過ぎずを繰り返していた。

 他の監督官ではレンバック達が潰されると重い、監督官長に賄賂を渡して頼んでいた者がいた。
 それはダブリエの兄、サリバンだった。

(あんただってダブリエに関わらなきゃ、ここまで堕落しなかっただろうからね。何とか足掻いてみなよ)

 サリバンは妹の特殊性癖に気づいていた。

 それは『だめんずめーかー』だ。
 とことんまで甘やかすことで、男のやる気を失くす悪癖。

「俺はあんなに反対したんだよ。お互いに幸せになれないからって。なのにあの親達は! まあ結局は、誰の言うことも聞かないだったけどさ」

 クロエはまだ恋も知らない。
「どうかその性癖を受け継がないように」と、願うサリバン。

 元々クロエは、人懐っこい寂しがり屋だ。
 アカシア達が意地悪をしなければ、仲の良い家族になれただろう。だから自分以外の家族が出かけて行くのを見る度に、楽しそうなのを見る度に寂しくて悔しくて泣いていた。1人での食事も、最初はとても辛かった。

 それを支えたのが、古参の使用人達である。
 彼女アカシア達が本当の家族になっていないことや、ロザリオの秘密を打ち明けなかったのもクロエの為である。

 ウルベルはサリバンと相談しながら、打ち明ける時期を模索していた。
 そうでもしなければ優しいクロエは、ロザリオの陰影を押してしまい、全てを奪われただろう。
 その後はサリバンからレンバックへの復讐合戦になった筈だ。きっと国王達を味方に付けているサリバンの、一方的な追い込みになっただろう。

 ロザリオの秘密を知った後も、ずっとクロエは迷っていた。
 父親を追い詰めることを。
 だがもう彼女は侯爵として歩むことを選び、断罪を行うことを決意したのだ。

 …………でも、決意が揺るがないかはまだ分からない。
 まだ若い彼女は、これからも葛藤して生きていくのだ。




 これからレンバックは、自ら選んだ足場の悪い分水嶺を歩く。
 さて、どうなることだろうか?

 そしてクロエにも、たくさんの決断が待ち受けている。



 彼らがより良い未来を、選べますように♪









《サリバンの独り言》

 銀髪と紫の瞳で、神秘的な雰囲気を持つ妹ダブリエは、聞き分けが良く明晰な頭脳を持っていた。
 その為、手のかからない子だと両親に思われていた。
 
けれど妹は気に入ったモノへの執着が強く、時には怖いと感じることもあった。

 俺はレンバックのことは、知らなかった。
 妹と同じ年で俺の3才下だと知ったのは、彼女がレンバックと結婚したいと言い出した時だった。

 調べてみると、レンバックと妹には接点はなく、妹の一方的な片想いだった。

 レンバックは可も不可もない、真面目な貴族の子息だった。

 ただ妹の思いだけがあり、向こうは妹の気持ちなど知らないのだ。

 ただでさえレンバックは伯爵家の三男であり、侯爵令嬢を娶るには負荷がかかるだろう。
 クラウテン侯爵家の保有する子爵位を彼に渡し、彼を子爵にすれば彼にも多少はうまみはあるだろう。
 だが何の爵位も得られないままでは、彼には負担しかない。

 長男ではない彼は、領地経営等の教育などは受けていないから、今から学ぶのも大変だろう。

 そもそも彼は、妹を愛していない。
 妹との接触がないから、意識さえしたこともないだろう。


 だから俺は反対した。
 お互いに幸せにはなれない。
 彼にとっては負担が強すぎるからと。


 それでも諦めない妹は、第二王子を巻き込んだ。
 留学中の帝国の王女と友人となり、学園の3年生だった第二王子をくっ付けたのだ。
 皇帝は溺愛する一人娘を、他国に嫁には出さないだろう。留学さえ、王女がねだるから仕方なくだったから。

 この国よりも大きな帝国だ。
 国王も友好関係が結べれば利益がある。
 王女は武芸に長けている第二王子にめちゃ惚れで、別れる気はないようだ。第二王子も面白い話を多く知る王女を愛していた。

 勿論、清い交際であった。

 皇帝が2人の結婚を前提とした婚約を許し、第二王子は帝国で伯爵位を賜ることになった。

 向こうに行くことが決まった際に、ダブリエが第二王子に囁いた。

「王女は愛らしく、とても人気があります。他国から王女をさらった王子には、反発する男性も多いでしょう。
もし貴方が死んで寡婦となろうとも、引く手数多ですわ。刺客から身を守る為には、信用できるサリバンが最適だと思われます」

「だってサリバンは、侯爵家の嫡男じゃないか?」

 瞬いている第二王子に妹は微笑み、さらに第二王子にこう囁く。

「兄の忠誠は国のものです。王国の平和の為なら、家を継ぐなど些細なことですわ」

 妹が第二王子の不安を煽り続けた結果、俺は帝国へ渡り第二王子の側近となったのだ。

 第二王子と国王、王太子は、公ではない所で俺にずいぶんと謝罪してくれた。

 そして今、俺は妻も娶り平和に暮らしている。
 大変な時期もあった。
 それこそ妹の言うように、第二王子が狙われたことも。それも乗り越えて来た。



 多忙に過ごす最中、妹は俺を追い出して好き勝手に動き始めた。
 妹にとって両親を丸め込むのは、お手のものだったろう。

 高位の侯爵家クラウテンからの申し込みで、レンバックを強引に婿に迎え、教育もしないで彼を飼い殺しにした。

「仕事は私がするから、貴方は自由にして良いから」と、そう言って居場所を奪い、金だけは与え依存させて逃げられないようにした。

 本当の愛があれば、レンバックが苦労しても学ばせて共に領地や商会を経営しただろう。

 だけど学ばせもせず、だからと言って行動を制限することもなく好きにさせた。

 レンバックの矜持など無視して、寧ろ失敗して謝ってくるのを待っていたくらいだ。
 そんなだから、クロエも愛せなかったのかもしれない。

 彼女の誤算は、自分が病に罹ったことだろう。

 自分が動けなくなって、仕事が出来なくなり借金が膨らんだ。

 それでも、ロザリオはレンバックに渡さなかった。

 もしかしたら自分の死後に、彼が困るのを想像して恍惚の思いでいたのかもしれない。


 そう思うと娘のクロエさえ、妹の手駒だったのかも知れない。


 借金が嫌なら、離婚して立て直しも可能だった。
 借金の多くは、レンバックの散財だったから。

 既存の商会経営や領地経営はすこぶる順調だった。
 借金の金利が多かったが、ダブリエならいくらでも解決可能だった筈だ。


 でも妹はお金よりも、最期までレンバックの妻であることを選んだ。
 クロエのことなど、二の次だったろう。


 レンバックとクロエは、彼女の被害者なのだ。

 …………と、思う。



 俺の調査は多くの想像を含むので、違う面もあるかもしれない。
 けれど妹の狂気で、不幸になった人がいるのは確かだ。


 だからクロエのことは、これからも守りたいと思う。レンバックにも立ち直って欲しい。



 そして妹の狂気が遺伝しないことを祈るばかりだ。









《サブレーヌの恐怖》

 断罪前に、母親を置いて帝国に逃げたサブレーヌ。
 彼女はリンゼールに貢がれた物を売り、大金を持ったことで余裕があった。

 侯爵令嬢としての贅沢な生活は手放したが、平民とすれば2年は遊んで暮らせる金貨を手にしていたからだ。

「なんで母さんは、逃げなかったんだろ? もしかして、あのおじさんが好きだったのかな?」


 アカシアはサブレーヌが生まれてからは、ホルンとはこっそり会うくらいで、その存在はサブレーヌにも秘密にしていた。
 だからサブレーヌが、レンバックが父親ではないと気づいたのは、ずいぶん後になってからだ。

 それまでは本当に侯爵令嬢になれたと思って、贅沢をしたし、義姉を疎んでいた。

 同じ父親の血を引くのに、自分と母親は大した立派ではない家で暮らしていたのだと思って。
 平民とすれば贅沢な状況なのだが、侯爵家に来てから考えは変わったのだ。

「クロエはずっと着飾って贅沢をしてきた。だからあんなに優雅になれたのよ。私だってここで生まれていたら、苦労して急に知識を詰め込む必要はなかったのに。本当に嫌になっちゃうわ」

 そう思って嫌みを言ったり、物を取ったり、買った物を自慢して鬱憤を晴らしていた。

「こんなにスッキリするなんて、お義姉様がいてくれて最高だわ。全てを奪ってあげる。くふふっ」 

 なんて、思っていたこともありました。


 けれども街で偶然見かけた、母親と腕を絡ませて歩く男性を見て、全てを悟ったサブレーヌ。
 髪と瞳が自分と同じ色で、顔も似ているのだから。

「ああ、終わった。ねえこれ、誰も気づいていないの? 嘘でしょ?」

 顔を真っ青にして、その場を素早く立ち去った彼女。


 その後は、自分サブレーヌに侯爵家を継がせたいレンバックの言う通りに、リンゼールを誘惑して顔色を窺っていた。そして逃走資金も貯めていた。

 自分なりには、上手く立ち回ったつもりだった。


でも………………。


 逃走中の船内の食堂で、彼女は聞いたのだ。

「隣国から来た元第二王子が、我が帝国の美人姫と結婚しただろ? それに横恋慕して、暗殺者を仕掛けた侯爵令息が断罪されたらしい。
 暗殺者は1人を除いて一刀両断され、生き残った男が自白したらしいぞ。
 守護した側近は、確か隣国のクラウテン侯爵家の嫡男で、サリバン・クラウテン、だったかな? 
 夜間の襲撃らしいが、15人を相手にしたらしいぞ。
 騒ぎで他の騎士が駆けつけるまで1人で王子を守り、血塗れだったが全てが返り血だったそうだ。
 彼はかなりの切れ者で、これまでも多くの敵を屠って来たらしい。彼に目を付けられれば最後、地獄に落とされるそうだ」

「お前はなんで、そんな話しをするんだよ」

「いやな、彼の妹の子が家を乗っ取られそうになって、最近その入り婿の父親が鉱山に送られたそうだよ。それを聞いて思い出してさ」

「馬鹿だな、そいつ。そんなおっかないの相手にして」

「なあ。お前もそう思うよな。わははっ」

「ああ、思う思う。あははっ」


 酒のツマミにされる侯爵家の断罪。

(ああ、ほら。言わんこっちゃない。おじさんはまあ、しょうがないけど、母さんも送られたのか? 平気かな? まあさ。私が娘じゃないと知りつつしれっとする、精神の強靭さは認めるけどさ)

 そして思った。
 サリバン・クラウテンが自分を見逃すだろうかと。

 裏で画策していたならば、自分(サブレーヌ)の悪事もバレている筈。もしかしたら、この船にも手の者がいるのかもしれない。

 もう遅いかもしれない。
 けれど、諦めない!

 出来る限りの償いをしようと思い、陸に着いてから身に付けているアクセサリーも全部売り払い、クロエに送った。
 謝罪文も急いで書いて荷物に入れた。

 もうこれ以上、出来ることはない。


 こうしてサブレーヌは帝国に降り立ち、食堂に就職した。名前も『レーヌ』と変えた。

 そして怯えながらも、懸命に働いている。

「どうか見逃してください、サリバン様。もう誰も傷つけませんから。どうか、お願い致します」

 寝る前には月に祈りを捧げ、心静かに眠っていた。



 サリバンは手の者から聞いていた。
 サブレーヌがリンゼールと婚約しようとしたのは、クロエの為でもあったことを。

 ちなみに、船上でサブレーヌが侯爵家の断罪の話しを聞いたのも仕込みだ。

 だからサリバンは許すことにした。
「暫く帝国での様子を見ていたが、真面目に暮らしているようだし、月に祈りを捧げているしな」

 そう呟いて、くつくつと笑って。


 本当にギリギリセーフ。
 帝国で問題を起こしていたら、即アウトだった。

「あんな風に、何処ででも上手く生きられるなら、諜報に丁度良いんだけどな」

 なんてことも思われながら。




 ただ、命の危機だけは、脱したようだ。


 今後もそれを知る術のないサブレーヌは、真面目に生きる。そしてちょっとだけ、幸せが訪れるのだった。


    
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