俺達の行方【その1】

穂津見 乱

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告白

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部活動の帰り道、駅に向かって歩く俺の後ろで情けない声がする。

「あ~、腹減った。もう死にそう~。なぁ、弘人、ラーメン食って帰ろうぜ~。」

「剛、お前は身体がデカすぎるから腹の減りも早いんだよ。部活前にパン食ってたろ~。」

少しの嫌味を含んだ軽口で笑いながら振り返る俺の顔を見て、剛はヒョットコみたいな表情をしてみせる。

「何を言う!俺等はまだまだ育ち盛り!お前もしっかり食え!」

そう言って豪快に笑う剛の身長は180cmを超えている。一見するとスリムに見える身体は、意外と骨格が良くガッシリしている。スラリと伸びた長い腕と脚のバランスも良い。ヒョロヒョロノッポでもなければ、ウドの大木でもない。羨ましいかぎりだ。

そう言えば、以前に剛が話してくれた事があった。剛のお母さんのお祖父さんが外国人とかで「俺は、外国人の血を引くサラブレッドだ!」なんて冗談を言っていた。サラブレッドじゃなくて「おちゃらけたキリン」だ!…そんな事を思いながら笑ってしまう。

「なんか、俺も腹減ってきたな~。」

剛の言葉に自分のお腹をさすってみる。明日は休みだ。少々遅くなっても構わない。俺達は駅前のラーメン屋に立ち寄ることにした。2人でよく行くラーメン屋の暖簾をくぐり、ガラガラと音をたてるガラス戸を開けて店内に入る。

「いらっしゃい!」

湯気が立ち昇るカウンターの奥から威勢の良い声がする。食欲を煽るような匂いにお腹が鳴ってしまった。俺達は並んでカウンター席に腰かけて注文する。

「俺は、塩ラーメンにしようかな~。」

「俺、濃厚とんこつラーメン!」

剛は迷わず注文する。いかにも「とんこつ」が好きそうな顔だ。つまり、コッテリ顔なのだ。少しアクの強さはあるが、パーツが整っているだけに男前だ。ただ、いつもニヤケたようなトボケたような表情と独特の喋り口調が軽そうな印象を与える。チャラ男ではないが「おちゃらけ野郎」だ。本来なら、長身で男前のはずが…そのイメージをガラリと崩している。

「はい、お待ち~!」

差し出されたラーメン鉢から立ち昇る湯気と共に美味しそうな匂いがする。待ってましたとばかりに箸を手に熱々のラーメンを啜る。そして、他愛ない話で盛り上がる。俺は、剛と過ごすこんな時間が好きだ。俺達は、陸上部で張り合うライバルであり、心おきなく何でも話せる親友なのだ。


初めて剛を目にしたのは小6の時だった。俺が住んでいる町は3つの校区に分かれている。毎年、その3校の6年生だけが集まって行われる陸上大会がある。小学生最後の記念イベント交流会だ。その最後のリレー競技だった。大いに盛り上がる会場の中、アンカーだった剛が他校の選手をごぼう抜きにして優勝したのだ。剛の活躍で我が校は敗北。皆が悔しがる中、俺だけは目をキラキラさせていた。もの凄い速さで駆け抜けて行く剛の姿は強烈だった。そういえば、あの頃から背が高かった。

勿論、俺も足の速さだけには自信がある。小・中学校時代は運動会の花形だった。中学で陸上部に入った俺は、大会や夏の合同合宿で剛と顔を合わせるようになり親しくなったのだ。そして今は、同じ高校の陸上部員だ。180cmを超える長身の新入生を求めて、バスケ部やバレー部、野球部からも声がかかる中、剛は陸上部を選択した。得意種目は100mハードル走。その長身と長い手足を華麗に操りながらハードルを越えて駆け抜ける姿は、初めて剛を目にした時のあの強烈な感動を思い出させる。
そして、俺の得意種目は短距離走だ。身長165cmで小柄だが、50m走だけは剛に勝る記録だ。……今のところは。


お客の少ない店内でひとしきり盛り上がった後、そろそろ帰ろうと席を立ちながら鞄の中を探る。

「財布がない!」

俺は慌てて記憶を辿り、部室に置き忘れた事を思い出す。剛に立て替えを頼んで急いで店を飛び出した。

「弘人~!今日はもう遅いぞ~!!」

「悪い!先に帰ってくれ!」

俺の背中に呼びかける剛にそう告げて、学校への道を一気に駆け戻る。辺りはすっかり暗くなり、生徒達が帰った後の校庭を月明かりが静かに照らしている。俺は、息を切らしながら校門を乗り越えて校庭を真っ直ぐ横切る。校舎から離れた北側の端にあるプレハブ小屋が陸上部の部室だ。その周りには木立があり、そこだけ別空間のような雰囲気が漂っている。昔は倉庫として使われていたらしい。

「ハァハァハァ……さ、さすがにキツイ~ッ!」

後一息のところでスタミナ切れだ。ゼェゼェと肩で大きく息をする。渇ききった口と喉を少しでも潤したくて何度も唾を飲み込む。食べたばかりのラーメンが出て来そうになった。いくら陸上部とはいえ慌てて走るのは良くないらしい。

暫く立ち止まって呼吸を整える。プレハブ小屋までは50m程だが、もう走る気にはなれない。電気の消えた部室は真っ暗だ。カギがかかっているかも?と思いながらゆっくりと歩いて行く。部室のカギは校舎横の用務員室にある。ここからでは遠い。息を切らして走って来たのだ。カギがかかっているとしても確認したくなるのが人間の心理というものだ。


部室のドアに手をかけた時だった。中から誰かの険しい声が聞こえた。

《あれ?誰か居るのか?》

入ってはいけない様な気がしたが中に財布があるのだ。このまま帰るわけにもいかない。俺はゆっくりとドアノブを回してみる。カギはかかっていないらしい。やはり、誰か残っているようだ。僅かに開けたドアの隙間から中の様子をそっと窺う。その視界に人影らしきものは見えないが、奥からくぐもった声が聞こえる。恐る恐るドアの隙間から頭だけ突っ込んでみる。

電気の消えた室内は窓からの月明かりで薄ぼんやりとして見える。ドアを開けて直ぐのスペースがミーティングルーム、その奥が更衣室になっている。室内を仕切るように横一線に並べられたロッカーの背が壁の役割りを果たしている。その奥でボソボソと話す2人の声。内容は聞き取れないが、時折、強くなる口調が途切れて交ざる。何か揉めているようだ。

「……、…だ。……何で!?……だろ!」

「……宗、声!……、……」

聞き覚えのあるその声の主は、陸上部主将の「佐川 宗真(さがわ そうま)」」先輩だ。そして、佐川先輩を「宗」と呼ぶのは鮎川先輩しかいない。
「鮎川 昇(あゆかわ のぼる)」「鮎が、川を、昇る」面白い!で真っ先に覚えた先輩の名前だ。佐川先輩が知ったら怒鳴られそうだ。2人は幼馴染みだと聞いている。普段から仲も良くて口喧嘩している姿など目にした事がない。その先輩達が揉めているのだから余程の事なのだろう。

それに比べたら、俺と剛の口喧嘩なんて小学生レベルだ。冗談を言いながらふざけ合っている内に、ヒートアップして口喧嘩になっているパターンだ。いつも俺がムキになってふてくされているだけかもしれない。剛がムキになる事は殆どない。時にはカッとなる事もあるが、自分が悪ければ素直に謝る潔さがある。後腐れもなく気分の切り替えも早い。素直になれずに意地を張ってしまう俺の心の気まずさまでも軽々と吹き飛ばしてくれる。剛と一緒に居ると…俺は素直になれる。

剛の性格は豪快であっけらかんとしている。物事に無頓着なところもあるが、デリカシーが無いわけではない。一言で言うなら「あっさり」している。ちょっと神経質な俺には、剛のような存在は有り難い。

《俺は、いつも剛に救われているような気がする》


先輩達の気配を探りながらミーティングルーム内をグルリと見回す。

《あ、あった!》

壁際に置かれた丸椅子の下に財布らしき黒い物体が落ちている。俺は物音をたてない様に静かにドアを開けて中に滑り込んだ。息を殺しながら慎重に床を這って移動し、ゆっくりと手を伸ばす。

《間違いない!俺の財布だ~!》

財布を手にして安心した途端、身体の緊張が少し緩んだ。ふと気付くと先輩達の口論が止んでいる。

《…ヤバイかも?!》

ヒヤリとして身体が固まる。息を詰めて気配を探る。1分…2分…3分…先輩達が動く様子はないようだ。意を決して出口に向かおうとした時だった。

【ガタン!】

突然の大きな物音に心臓が飛び上がった。再び、俺の身体は固まってしまう。

「宗、ダメだ…誰か来たらどうする!」

ロッカーの奥から鮎川先輩の声がする。

《俺も、ダメだ…身体が動かねぇ~!》

そう心の中で叫びながら泣きたくなった。先程から心臓がドキドキしっぱなしだ。極度の緊張で変な汗が滲む。強張った身体は動かない。気持ちだけが焦る。どうにか自分自身を落ち着けようと目を閉じる。ふと剛の顔が浮かんだ。

剛は物怖じしない度胸がある。軽そうに見えても、どことなく落ち着きがある。そんな剛を羨ましく思う時もある。そして、親友であることを自慢に思う時もある。

《クッソ~!俺も、剛みたいになりてぇ~!!》

そんな事を考えている内に、俺は少しずつ落ち着きを取り戻す。奥から聞こえる微かな物音。先輩達が何をしているのかも気になるが、気付かれる前に逃げるのが先だ。強張った身体をゆっくりと動かし始める。

「んう…っ……あぁ…」

不意に聞こえた小さな呻き声にビクッとなる。一瞬、自分の耳を疑った。

《なんだ…?今のは…?》

もう一度確認しようと目を閉じて耳を澄ませてみる。

「ん…んん…っ……はぁ」

それは喉の奥から絞り出されるような悩ましげな声。思春期の男なら一度ぐらいは耳にした事がある。俺の心臓がドキンと鳴る。

《こ、これは、もしかして…?先輩達、エロDVDを観てるのか!?…俺も観てみたい~!》

先程までの緊迫したドキドキ感が違うドキドキに変わる。俺は、引き寄せられるようにロッカーの端に向かって這い寄って行った。


月明かりに照らし出される室内は薄っすらと青白く、影は真っ暗な闇のように深い。その中に浮かび上がる2つのシルエットが重なり合う。ぼんやりとした視界の中で、佐川先輩と鮎川先輩の姿を目にした瞬間、俺の身体は完全に固まり機能停止した。

はだけられたシャツから露わになった肌は月の光を受けて艶かしい。その肌に伸びた手がゆっくりと滑ってゆく。それを追うように口唇が押し当てられ、舌が優しくゆったりと肌を這う。妖しく濡れたその肌は、指と口唇と舌の動きに翻弄されるように小刻みに震えてのけぞる。甘くとろけるような喘ぎ、切なく懇願するような小さな呻き、熱く絡みつく吐息。それに重なるように荒く乱れる息づかい。大きくのけぞる肢体、しなやかに反れる首、切なげに眉をひそめて下口唇を噛みしめるその表情、小さく首を振る度にゆれる髪の毛の先までもが、甘美な悦びにうち震える。淫美に濡れた口唇と舌は生々しく、熱くはじける欲望の波の中に飲み込まれてゆく。激しく乱れて絡み合う熱い息づかいだけが夜の闇を埋め尽くす。

【ドン!】

突然の物音がその場の空気を打ち破る。まるで時間が止まったかのように固まっていた俺の呪縛が解ける。

「ニャ~~~」

猫の鳴き声と駆け出す足音が天井の上を通り過ぎる。俺は一気に現実へと引き戻された。人は、受けた衝撃が大き過ぎると脳が麻痺するのだろうか…?目にした光景が「まるで無かった事」のように俺の頭は妙に冷静だ。先程までの動揺も感じない。そのまま、忍び込んだ時と同じように静かに部室を後にした。先輩達が俺の存在に気付くことはなかった。


学校を後にして駅に向かう道を歩き始めた時、停止していた機能が一斉に作動した。心臓はフル回転、肺が酸素を求めて喘ぐ。沸騰した血液が全身を駆け巡る。かなりの時間差で、俺は強烈な衝撃と激しい動揺に襲われた。

「うわっ!うわ~っ!うわわわ~っ!!」

パニックで思考がまとまらない。

「え~!?マジ…?えぇ~!?うわ~っ!」

暫くの間、その場でアワアワしてしまう。それでも、16歳の脳は柔軟なのだろう。少しずつその事実を受け止める。

「あぁ~、見てはいけないものを見てしまった…。」

今度は罪悪感で落ち込んでしまう。深い溜め息をつきながら重い足を引きずるようにして歩き始める。目に焼き付いた光景を振り払おうとして何度も頭を振ってみるが、目の前でチラチラするばかりだ。

「俺には刺激が強すぎる~!」

そう口にしながら両手で頭をグシャグシャと掻き回す。思春期ともなれば恋愛にも興味がある。性にも目覚めるお年頃なのだ。思春期の男子が集まればそういう話題にもなる。ただ、興味はあっても恥ずかしさが邪魔をする。しかも、それが毎日顔を合わせている先輩達ときている。その上、男同士なのだ。考えた事もなかった衝撃的な光景に動揺しながらも、妙に胸がドギマギしてしまう。全てを振り払うように、俺は駅まで駆け出した。


駅に着くと、駅前のベンチに見慣れた姿がある。剛が俺を待ってくれていたらしい。店を飛び出してから随分経過しているはずだ。俺なら先に帰っているだろう。その気持ちは有り難いが、今の心境は複雑だ。出来れば誰にも会いたくなかった。俺は大きく深呼吸をしてからゆっくりと歩み寄る。

剛は眠り込んでいるらしい。その長い脚を大きく開いて無造作に投げ出し、胸の前で腕組みをしてベンチの背もたれに身体をあずけている。カクンと後ろに倒れた頭、だらしなく開いた口元、軽い寝息まで聞こえてきそうだ。人通りのある駅前のベンチで、これほど無防備に居眠りする奴なんて見た事がない。

《まったく…、長身の男前が台無しだな》

思わずフフッと笑いが込み上げる。その緊張感の無さにつられて身体の力が抜けてゆく。剛の隣にドサリと腰を下ろして小さく息を吐く。今までの緊張や動揺が少しずつ薄らいでゆくような気がする。

「財布あったか?」

いつの間に起きたのか?それとも起きていたのか?同じ姿勢のままの剛が問いかけてきた。いつもと変わらぬ剛の声。

「うん…。」

俺は小さく頷いた。

「…なら、良かった。」

それ以上は何も言わず、何も訊いてこない。ただ、黙って俺の隣に居てくれる。そんな剛のさり気なさに…俺は、また救われている。


あの日以来、何だか訳の分からないモヤモヤに取り憑かれた気分だ。授業中もぼんやりしてしまう。クラスメイトと楽しくはしゃいでいる時でさえも、何となく上の空だ。部活動では先輩達の顔をまともに見ることも出来ず、練習にも身が入らない。夜、布団に入るとあの光景が蘇ってしまう。まだ恋愛経験のない俺には、誰かを本気で好きになる気持ちが良く分からない。恋愛というのは、異性だから意識して好きになるものだと思っていた。

《先輩達はどうしてなんだろう?何が違ったんだろう…?》

それを考えると頭の中がグチャグチャになってくる。

「こんな事、剛にだって話せないよな…。」

そう呟いては溜め息が出る。結局、独りでモヤモヤとしたまま…その答えは出ないままだ。


寝不足気味の日々が続いたある日、それは突然に起きた。

放課後の部活動、いつもの練習メニューを終えた後の暫しの休憩。俺は、野球部のネット近くでぼんやりと練習風景を眺めていた。

【カキーン!】

「お~い、そこ!気をつけろ~!」

遠くでそんな声が聞こえたような気がした…。


ふと気付いて目を開ける。見慣れない部屋の天井とクリーム色のカーテン。軽く鼻を刺激するアルコール臭が漂う。

《あれ?ここって保健室…?》

起き上がろうとして頭の中がグラリとゆれる。思わず呻き声が出てしまう。

「うう…っ」

「おい、大丈夫か?」

心配そうな表情で覗き込んでくる剛の顔。

「あ、剛か…。俺、何でここに…?」

状況が分からず問いかける俺を見て、剛はホッとした様子で大きく息を吐いた。

「お前、何も覚えてないのか?」

少し驚いた表情をしながらも、安心したように俺の傍らにドサッと腰を下ろす。

「…で?頭は大丈夫か?」

「俺の頭がどうしたって?」

再び身体を起こそうとして頭がズキンと痛む。思わず手で押さえると、額の右横辺りにたんこぶらしき腫れがある。その辺りはヒンヤリと冷たい。ずっと冷やしてくれていたのだろう…枕元にアイスノンが置かれている。

「う~、痛い。」

小さく唸りながらアイスノンを額に押し当てる。

「そりゃ~痛いだろ!野球のボールが当たったんだからな~。」

剛は眉をしかめながら痛そうな表情で言う。その目は本気で心配している。

「まぁ…大事にならずに済んで良かったけどよ。お前がぶっ倒れた後、それはもう大騒ぎだったからな~。」

そう言いながら俺の身の上に起きた出来事を簡単に話してくれた。

部活動の休憩中、野球部のネット近くに居た俺の所にボールが飛んで来たらしい。高く打ち上げれたボールは大きく弧を描き、失速しながら落ちて来たものの、気付くのに遅れた俺の頭に直撃。そして、俺はそのままぶっ倒れて…保健室に運ばれて寝かされていたという訳だ。
鈍い痛みが残る額を冷やしながら、少しぼんやりする頭を巡らせてみる。


『おい!弘人!危ない!上~ッ!!』

剛の大声にハッとして上を見上げた瞬間、目の前に迫るボールと強い衝撃。そして目の前が真っ暗になった……。


「あぁ…、そうか…。」

一瞬の出来事だった気がする。また、俺はぼんやりしていたのだろう。あの日から、気が付くとぼんやりしている事が多くなった。大騒ぎになった事を想像すると申し訳ない気持ちになる。

「それで…他の皆は?」

「ん?あぁ、野球部の連中もかなり心配してたな。でも、向こうだけが悪い訳じゃないしな。避けられないボールじゃなかったし、ボーッとしてたお前も悪い。その辺りは、佐川先輩が話してたみたいだ。お前が無事なら、この件は終わりにしようってさ。」

「ああ、俺は大丈夫だから、その方がいい。」

周りに迷惑をかけてしまった事がズシリと重くのしかかり、俺の気分は重くなるばかりだ。

「マジで大丈夫か~?」

まだ心配そうに覗き込む剛に、俺はどうにか笑って頷いてみせる。

「んじゃ、俺、先輩達に報告してくるな。」

そう言って保健室から出て行く剛の後ろ姿を見送りながら、俺は深い溜め息をつく。気分は最悪だ。

それから暫くして、主将の佐川先輩と副主将の新井先輩に続いて保健の矢野先生までもが入って来た。白衣姿の矢野先生がベッドに腰かけて俺の顔を覗き込む。額の状態を確認した後、他にもいくつか確認してからニッコリ微笑んだ。

「やはり、軽い脳しんとうみたいね。それほど心配は無さそうだけど、もう暫く休んで行きなさい。」

それから先輩達と少し言葉を交わして出て行った。

「葉山、どうだ?大丈夫か?」

そう言いながら佐川先輩が歩み寄って来る。

《うわっ!ど、どうしよう!?》

俺はかなり焦った。この数日間、俺を悩ませている原因だ。その当人が間近に迫る。佐川先輩の顔を見るだけであの日の光景がフラッシュバックする。俺は思わずギュッと目を閉じた。

「だ、大丈夫です!御迷惑をおかけしてすみませんでした!」

出来るだけ大きな声で返事をする。

「お~、元気、元気!それなら大丈夫そうだ。とにかく大怪我せずに済んで良かった。」

その太くて明るい声は新井先輩だ。佐川先輩の肩越しから覗き込んでくる。動揺して真っ赤になった俺の顔を見てニヤニヤ笑う。

「佐川主将殿、こいつは大丈夫そうだから俺達は退散といきましょう!」

そう言って明るく笑いながら佐川先輩の肩を叩いて促す。新井先輩は陽気で明るいムードメーカーだ。神妙な表情の佐川先輩や俺達後輩の気持ちを和らげるための気遣いらしい。

「大丈夫ならいいが、無理はするな。気を付けて帰れよ。」

佐川先輩の少し険しい表情は、本気で心配してくれている証だ。

全体的に引き締まった印象の顔立ち。意志の強そうな目元には主将の威厳が漂う。部活動では厳しい面を見せるが、変に威張った感じはなく気さくな性格で周りからは慕われている。陸上部のエースであり、後輩部員の憧れと尊敬の的なのだ。俺達1年生部員には近寄り難い存在でもある。新井先輩が俺の反応をどう受け止めたのかは分からないが…とにかく助かった。

「佐久間、後は任せていいか?」

先輩達は戸口付近に立っている剛と言葉を交わした後、保健室から出て行った。

再び、剛が俺の傍らに腰掛ける。

「もう誰も来ないから気兼ねなく休んで行けってさ。帰る時に矢野先生に声をかけるように言われてる。お前の家には、ちょっと遅くなるって電話しといたからな。」

「皆に迷惑かけてしまったな…。剛、ごめんな。ありがとう。」

「なぁ~に、気にすんなって。それより、気分はどうだ?」

「ああ、大丈夫だ。剛は先に帰れよ。俺は、もうちょっと休んでから帰る。」

「何言ってんだ!ほっとけるかよ!」

いつもより強めの口調で俺を軽く睨む。ムスッとした顔で立ち上がると、ベッド脇の椅子にドカッと腰を下ろして腕組みをする。剛が怒るのは珍しい。

「弘人、少し寝ろ!俺も寝る!」

そう言うと、フンと鼻を鳴らして目を閉じてしまった。

《まぁな、これが逆なら、俺も同じかも?》

剛が怒るのは本気で心配してくれているからだ。滅多に見せない剛の態度に少しくすぐったさを感じて…思わず笑みがこぼれてしまう。俺の最悪だった気分も少し軽くなる。俺は…又しても、剛に救われている。

壁の時計に目をやると午後7時半を過ぎている。殆どの生徒が帰った頃だろう。辺りは静まり返っている。俺は目を閉じた。しかし、先程の佐川先輩の顔が…あの時の光景が…頭の中でグルグル回転するばかりだ。しかも、佐川先輩を目の前にしたばかりで余計に落ち着かない。どうにか振り払おうとして頭を振るとクラクラした。また、深い溜め息が出てしまう。

「弘人、眠れないみたいだな。」

眠っていると思っていた剛の声にビクッとなる。顔を向けると、いつになく真剣な表情で俺を見据える剛の視線とぶつかった。俺は思わず目を逸してしまう。

「あ、あれ?眠ってたんじゃないのか?」

その気まずさを誤魔化すように言ってみる。剛は暫く黙ったまま俺を見据えている。その視線から逃れたくて背中を向ける。剛の雰囲気がいつもと違う。その口調や表情からは普段の軽そうな印象が消えている。

《なんか気まずい…。こんな真剣な剛を見るのはハードルに向かって走る時ぐらいだ》

何となく身構えてしまう俺の背中に剛が話しかけてくる。

「お前、最近変だよな。俺が気付いてないとでも思ってるのか?」

そう言って小さな溜め息をついた。

「俺、お前の事だけは…よく見てるからな。」

それは何か含んだような響きだった。

「え…?べ、別に…何も…。」

俺は剛の雰囲気に圧されて言葉に詰まってしまう。

「あの日、財布を取りに戻ってからだ。何があった?」

穏やかな口調に有無を言わせぬ響きが加わる。

《ゲッ!気付かれてる!?》

俺はギクリとする。

「佐川先輩と何があった?」

問いかけのようでいて強く断言した響き。剛は何かを確信しているかのようだ。

《うわっ!な、何で剛が知ってるんだ~!?》

唐突に核心を突かれた俺は頭をど突かれた気分になる。背中を向けたまま何も答えない俺に痺れを切らしたのか、ベッドに歩み寄って来た剛の手が俺の肩を掴む。グイッと仰向けにされた俺の真上から剛が真っ直ぐに見下ろしてくる。有無を言わさぬようなその視線に耐えられず、俺は顔を背けて目を伏せた。

《ああ~っ!最悪だ~!!》

そう思った時、剛の口から出た言葉に俺は焦った。

「まさか、お前…佐川先輩と!?」

「違う!俺じゃない!!佐川先輩は鮎川先輩と…っと…とと。」

《あっ!しまったぁ~!!》

咄嗟に手で口を塞いでみたものの…あとの祭だ。本当は誰にも話してはいけない事なのだ。

《ど、ど、どうしよう…》

狼狽える俺の様子を見た剛が小さく息を吐く。俺の身体から手を放してゆっくりとベッドに腰を下ろす。

「それで…?何があった?話してみろよ。」

動揺している俺を宥めるような落ち着いた声。それに促されるようにして俺は話すことにした。この数日間、俺の頭を悩ませている原因を…。


剛の手を借りてベッドの上でゆっくりと起き上がってみる。少しクラリとしたが大分楽になっている。横になった状態で話せる内容ではない。ポツリポツリと話し始めた俺の言葉を剛は黙って聞いている。普段の会話では豪快に笑い飛ばしたり茶化したりするのだが、いつになく真面目な表情の剛を前にして、俺の動揺した心も少しずつ落ち着いてゆく。

「…それで、覗いてみたんだ。そしたら佐川先輩と鮎川先輩が…その、え~と…あれだ…。」

話の核心部分に入って言葉に詰まる。

《こんな事、恥ずかしくて言えねぇ~!》

この先を口にするのは躊躇ってしまう。しかも、剛とはそんな話をした事さえないのだ。仲間内で話題に出る事はあるが、剛は余り関心がない様子だ。女子にモテる要素が有りながらも本人にはその気がないらしい。剛がその気になればモテモテのはずなのだ。思春期の男子なら誰もが関心を示す事にも無頓着なところがある。そんな剛には話しにくい内容だ。

話すのを躊躇ってしまう俺の傍らで、剛は静かに俺の言葉を待っている。その真剣な眼差しが真っ直ぐ俺を見つめている。親身になって俺の話を聞いてくれている。

《こんな剛を見るのは初めてだな》

自分だけアタフタしているのがバカらしく思えてきた。

「あのな、佐川先輩と鮎川先輩が…抱き合ってキスしてた。」

そう口にして剛をチラリと見る。剛は、一瞬だけ目を見開いたがあまり驚いた様子を見せない。

「あれ?もしかして、知ってたのか?!知らないのは俺だけ…とか?」

「いや、多分…誰も知らないと思う。…確かにそれは言いにくいだろうな。」

剛がボソリと言う。

「それで…?」

話の続きを促す剛の言葉には、単なる興味や非難や否定の響きはない。

「その後、先輩達は…え~と、その…何て言えばいいのか…。」

そう口にしながら、あの光景を思い出した俺の顔がカーッと熱くなる。そんな俺に気を遣ったのだろう、剛は俺から視線を外して壁の方へ顔を向けた。

「弘人、お前は…それを…見たのか?」

剛の表情は見えないが、その声は真剣なままだ。少し戸惑いがちではあるが、俺のように動揺した様子はない。

「それ…って、剛は何の事か分かるのか?」

「あぁ、大体は…な。」

その返答に俺は驚いた。普段はこういう話題に関心を示さない剛が、こんな突拍子もない話をすんなり受け入れているのだ。普通なら想像もしないような事だ。実際に、俺はかなりの衝撃を受けて悩んでいるのだから。

《剛って…心底、無頓着なのか?!…俺の胸のモヤモヤを話したら何て言うんだろう…?》

そんな事を考えて黙ってしまった俺に剛が言葉を繋ぐ。

「それで…、弘人はどう思ってるんだ?」

「どう?…って?」

「普通の奴なら、興味本位で誰かに話して終わりだろ?」

「そう…かもな。」

「誰にも話せない秘密だとしても、お前ほど悩む事ではないだろ?」

「そう…なのかな…?」

「弘人…。お前は、何をそんなに悩むんだ?」

剛はゆっくりと言葉を選びながら俺の心に問いかけてくる。

「俺にもよく分からない…。最初はかなりビックリした。動揺して頭が真っ白になって…その場から動けなくなった。先輩達には気付かれずに逃げ出せたけど…見てはいけないものを見てしまったって思うと…なんか、気が重くなって…。こんな事、誰にも話せないしな…。」

モヤモヤした胸の内を少しずつ吐き出してゆく。俺の言葉を黙って聞いていた剛がポツリと呟く。

「そうだよな…。そんな事、誰にも言えるわけがない。」

それは重く噛み締めるような口調だった。壁の方を向いたまま少し俯きかげんの剛の表情は全く見えない。話の内容が重いせいだろう、剛の雰囲気も沈みがちに見える。俺は話を続けた。

「考えないようにしても…頭から離れないんだ。あれから、先輩達の顔もまともに見れないし…。こんな事、お前にだって話せない。なんか、胸の中がモヤモヤするだけで…それがどうしてなのかも…?分からない。自分でも…何がなんだか…分からないんだ。」

こうして話していても、何をどう言いたいのか?どうしたいのか?それさえも分からない。頭の中がグルグルして胸の中がモヤモヤするだけだ。そんな俺の話を剛は辛抱強く聞いてくれている。出口のない話のように思えて、剛に対してすまない気持ちになってくる。もう話すのを止めようかと思った時だった。

「それで…、お前は、それを見て嫌じゃなかったのか?」

不意に問いかけられて顔を上げると、剛が真っ直ぐに俺を見つめている。何かを思いつめたような表情、その瞳には少し翳りがある。先程までの真面目な顔も真剣な眼差しも珍しいが、未だかつて見た事がない愁いのある表情。それが何を意味するのか分からずに、俺はただ剛を見つめ返していた。

《剛のこんな顔…初めて見たな。なんか、綺麗だ…。ちょっと見惚れてしまうかも…?》

剛に問いかけられた事も忘れてその顔に見惚れてしまう。そして、知らず知らずの内に顔を近付けていたらしい。

「お、おい、弘人…?!」

戸惑う剛の声にハッとする。剛の顔が間近にあった。俺は慌てて身を引く。

「あ、悪い!つい…。」

「つい…?何だ?」

「お前のそんな顔、見た事なかったから…。やけに綺麗だな~って。ついつい見惚れてた。」

俺はヘヘッと笑って舌を出す。剛は一瞬だけ妙な表情をして、ついと顔を背けた。その横顔が心なしか赤いような…?

《あ…、マズかったかも?》

親身になって話を聞いてくれている剛に冷やかすような事を言ってしまった。

「剛…?」

小さく呼びかける俺の声に剛が振り向く。その顔は〈いつもの剛〉に戻っていた。少しニヤケたようなトボケたような軽い感じの見慣れた表情だ。俺は何となくホッとした。ただそれだけの事なのに、先程までの頭のグルグルや胸のモヤモヤまでもが軽くなったような気がする。剛に話した事で心の中に溜まっていたものを吐き出したからだろうか…?それとも、剛の表情を見て安心したからなのか…?

《俺って…単純なのかも?》

剛がいつもの口調で問いかけてくる。

「なぁ、弘人。お前、男同士でも嫌じゃないのか?」

その問いかけに、先程までの重い気分とは違って自然に言葉が出る。

「う~ん、どうなんだろ?嫌とかそんな事よりも、先輩達は何が違ったのかな…?と思ってな。同じ〈好き〉でも同性なら友情で異性なら恋愛になるだろ?剛は、男と女の友情ってあると思うか?」

「さぁな~、俺には女友達なんていないし、女子を好きになった事もない!」

そう言って剛がニヤリと笑う。

「え~、マジで?初恋もなし?!」

いつもの剛との会話になり俺は嬉しくなった。この数日間、半分上の空だったからだ。それに、普段は口にしない剛の恋愛話が聞けるチャンスだ。

「なぁなぁ、マジで好きな奴とかいないのか~?」

「そういうお前こそ、いないだろ~が!」

ガハハと豪快に笑いながら茶化すように言う剛につられて、俺も負けじと言ってみた。

「ブッブー!ハズレ~!俺にも好きな奴はいる!」

面白そうに笑っていた剛が不意に真顔になる。

「誰だよ?それ…。」

「それはな~、お前だ!剛!」

俺はニヤリと笑って勢い良く剛を指差した。いつものようにガハハと笑うだろうと思っていたのだが、剛は少し驚いたような戸惑うような微妙な反応をした。それから、真っ直ぐに俺を見据えてくる。

《あれれ?何だ?何だ?》

想像と違う反応に俺は少し戸惑う。

《一体、どんな切り返しがくるんだろう?》

そのまま暫く俺を見据えていた剛が口を開く。

「弘人、お前、さっき言ってたよな?同じ〈好き〉でも相手が男なら友情で女なら恋愛になるって…。」

そう言った後、俺の方にグッと身を乗り出して顔を近付けてくる。

「お前、俺のこと…マジで好きか?」

そう訊かれてドキッとなる。真顔の剛を前にして変な冗談では済まされない気がした。俺は剛に敵わないところが多い。それをコンプレックスに感じる事もあるが、素直に凄いとも思う。ただ、負けず嫌いな俺はついついムキになってしまうのだ。素直じゃない俺を、剛はさり気なくカバーしてくれる。同じ16歳とは思えないぐらい凄い奴だと思う。そんな剛が真顔になったら、俺が敵うはずもない。

《剛のやつ…何、考えてんだ?!》

頭の中で色々と考えを巡らせてみるものの、真顔の剛に太刀打ち出来る策は思い浮かばない。そうやって暫くの間、剛と顔を突き合わせていた。

《剛って…真顔になるとマジで男前だな》

俺は妙に感心して見入ってしまう。普段から表情豊かな剛はいつも笑っているイメージだ。真顔になると男前度がグッと上がる。こんな剛を間近で見るのは俺ぐらいだろう。女子達が見たらキャーキャー騒ぎそうだ。親しい奴等でも見た事はないはずだ。そう思うと自分だけが特別な気分になってくる。

そうなのだ、剛と一番親しい俺は周りから羨ましがられる時もあるのだ。剛は結構人気がある。全く着飾らないあっさりした性格は男子に受けが良い。その見た目と運動神経の良さは女子の注目を集めている。剛と一緒にいるのが自然になっていたのだが、人気を集める剛の一番近くに居るのが自分だと思うと…なんだか気分が良くなる。それに、俺はいつも剛に救われている。剛のさり気ない優しさが俺に向けられている事を知っているのだ。

「俺だけが特別…なんだよな。」

自分の口をついて出た言葉にハッとする。慌てて訂正しようとした俺の両肩を剛がガシッと掴んできた。その勢いに押されて後ろに倒れ込む。

【ゴン!】

鈍い音と衝撃、目の前がチカチカする。俺はベッドの頭側の柵に後頭部をぶつけたのだ。

「いってぇ~~!!」

「すまん!弘人!」

剛が慌てて俺の身体を引き寄せてその大きな手で後頭部を包み込む。懸命に擦ってくれているが、暫くの間は頭の中がクワンクワンしていた。

少し落ち着いて目を開けると、俺の身体は剛の身体の下にスッポリとおさまり抱きしめられた体勢になっている。

「おい、剛。もう大丈夫だから。」

そう言って剛の身体の下から抜け出そうともがいても全く動けない。逆に、強く抱きしめられてしまった。

「え…?お、おい。剛?何してんだ~!重いからどけ~!!」

今度は力いっぱいもがいて暴れてみる。

「もう…ダメだ…。」

剛の消え入りそうな声がした。

「え…?何だって?」

そう聞き返したものの、妙な雰囲気を感じた俺の身体が固まる。

「弘…人…。」

剛の切なげにかすれた声と震える熱い息が耳元にかかる。俺の身体がゾクリとする。

《な、な、何だ…!?》

固まったままの俺の耳元で剛が囁く。

「弘人、俺のこと…マジで好きなんだろ?お前だけが特別って…その意味分かってるか?」

剛の息が耳や首すじにかかる。まるで撫でられているような感覚に俺の身体がビクビクッと反応してしまう。

《うわ~ッ!!何だこれ!?なんかヤバイ…!!》

親友に抱きしめられている状況よりも、身体が変に反応した恥ずかしさの方が増して顔がカーッと熱くなる。俺はそれを隠そうとして平静を装う。

《お、お、落ち着け~!俺!!》

「お、おい、剛。お前、何言ってんだ?!さ、さっきのは…い、い、言い間違いだ!」

俺の言葉はしどろもどろだ。口が渇いて上手く喋れない。勝手に心臓がバクバクし始める。

《うぅ…。何がどうなってる?!もう、分かんねぇ~!!》

暫く黙っていた剛がポツリと言う。

「じゃあ、俺のことは嫌いか…?」

「な、何でそうなるんだよ~。」

俺は情けない声になる。

「じゃあ、好きか?」

「だああぁ~!!も~ぅ!何なんだよこれは~!!」

その状況に耐えられなくなった俺は、心の叫びをそのまま口にした。

「弘人…ごめん。…こんな事するつもりじゃなかった。…俺の本心を…お前に…伝えるつもりなんか…なかった。…でも、もう…辛すぎる。これ以上…抑えられない…。」

剛がポツリポツリと言葉を繋ぐ。その声は喉から絞り出すようにかすれて震えている。

《…!?》

突然の剛の告白に俺は言葉を失う。身体は金縛りにあったようにピクリとも動かない。頭の中は剛の言葉の意味を解釈するのを拒んでいる。それでも、胸は締めつけられるように苦しくなってゆく。
それは、俺が考えもしなかった現実。そして、受け入れたくない現実だ。

《…!?》

俺の首すじを流れてゆくのは…何だ?…これは涙?

《剛が泣いているのか…?》

その瞬間、俺の身体の力が抜ける。先程までの動揺も波がひくように静まってゆく。

剛は俺にとって大切な親友だ。俺は剛が好きだ。その気持ちに変わりはない。その剛が俺の前で泣いているのだ。

《突き放せる訳ない…》

剛がこんなにも苦しんでいるのに、俺は何も気付かなかった。先輩達の話に驚かなかったのも、剛にはその想いがどんなものか分かっていたからなんだ。ずっと俺の中にあったモヤモヤしたもの…その答えを、剛が教えてくれたような気がする。俺の話を聞きながら、一体どんな気持ちでいたんだろう…?ずっと独りで苦しんでいたんだ。俺だけが剛に救われてばかりだ。剛がこんなに苦しんでいるのに…俺は何も出来ないのか!?

《ああ~ッ!!どうする?!…俺??》

そうやって自分に問いかけてみるが、答えは出て来ない。気持ちだけが焦るばかりだ。


そのままの体勢でどれぐらい経っただろう。剛がゆっくりと身体を起こす。泣いた顔を見せないように俺から顔を背ける。俺も剛の顔を見るのが辛くて視線を外す。

「ごめん…弘人…。」

かなり辛そうなその声に、俺の胸は押し潰されそうなほど苦しくなる。

「お前を…困らせるつもりなんて…なかった…。」

その声も身体も微かに震えている。

「俺…ずっと…お前が好きだった。…お前だけを…見てた…。自分でも…何でか分かんねぇけど…な。」

途切れ途切れになる言葉は…まるで、剛が自分の心を引きちぎってゆくかのようだ。

「お前を好きな気持ちに…理由なんて…ない。…だから、苦しかったんだ…。どうしていいか…分かんねぇし…。」

剛の身体が俺から離れる。

「マジで…ごめんな。…弘人。」

それが剛の最後の言葉だ。剛が行ってしまう…。

《そんなの嫌だ!…こんなの…おかしい!!》

俺は、思わず飛び起きて剛の腕を掴んだ。

「行くなよ!勝手に…独りで…行くなよ!!」

腕を掴まれて振り向いた剛は、驚いた顔で俺を見返している。

頭で考えても答えなんて出ない。それでも、俺の中にある確かな想い。

《俺は、剛を失いたくない!》

ただ、それだけだ。
 
          ー続ー
  
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感想 2

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みんなの感想(2件)

のん
2020.06.04 のん
ネタバレ含む
2020.06.04 穂津見 乱

あんさんへ
有り難うございま〜す!(≧∇≦)♪
「のんさん」→「あんさん」に変更したのね〜ん(笑)ここでOKだよ〜ん!
お手間を取らせて申し訳ない。★登録有り難うございます。感謝!!

レオ本編クリア出来たのね!おめでとう〜(*´艸`*)どう?最後はエロぶちかましてくれたかな??(笑)
本当に楽しいゲームだったね♪終了して残念…(TдT)ウルウル。でも、これからは再就職して仕事始めないといけないから丁度良かったのかもしれない。夢の時間は終わりだわ(笑)
こうしてトーク出来るから新たな楽しみは残ったね(⌒▽⌒)ルンルン♪

このアプリはアルファポリスの管理下にあります。私が操作出来るのは「自分の投稿作品」と、頂いた感想に対する「自分の返信コメント」のみ。それ以外は勝手に削除したりする事は出来ないみたい。感想欄で公開したコメントは残るけど、私の作品自体が後ろの方に埋もれているので余り目につく事はない(笑)
今は、固定の読者様が続きを読んで下さっています(*´ω`*)有り難い〜!

このアプリは投稿される作品がエロスな世界なので禁句無し!エラー無し!だよ〜ん(笑)投稿漫画は皆さん上手い!文章で表現するのと絵で表現するのは全く違うね。私も漫画が上手く描けたら良かったんだけど…残念ながら限界あり(泣)文章で細かく表現しようとしてクドい(笑)そして、ボキャブラリーの少なさに苦戦する…(;´∀`)様々な知恵を搾り出して奮闘中!!エロ度が上昇して行くから御注意を…(爆笑)
でも、ただのエロ小説ではないテーマ性は持ってる。ただ、キャラが個々に暴走して脱線して行くので困る…(笑)

のんさんが少しでも楽しめる作品であると嬉しいな(≧∇≦)キャオ♪

では、これからも宜しくお願いしま〜す。あ、そうそう!頂いた感想コメントに返信をつけて公開という流れになるので、こちらからコメントを出せないのが残念なところ。今後、直ぐに返信出来ない場合でも…後々に必ず返信コメントを載せるので御安心を(⌒▽⌒)☆

解除
みうみ
2019.09.21 みうみ

作品を読ませていただきました。
弘人君と剛君のじれったさ、初々しさ、いい♪
もっと初々しく、いちゃついちゃってくれww
これから色々と見せてくれるのかな~(*´ω`*)

気になるのは先輩方wこちらは濃厚な予感w
どちらのカップルも期待してます、作者様ww
続きを読みたいのでよろしくです~(*≧∀≦*)



2019.09.21 穂津見 乱

温かいお言葉有り難うございます。とても嬉しく思います。
後編「俺達のスタート」公開させて頂きます。つたない文章ですが熱意を込めて書き上げました。お楽しみ頂けると嬉しいです。どうぞ宜しくお願いします。【穂津見 乱】 

解除

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