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プロローグ

003 軍での初めての座学

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 私が通された会議室五は、十人程度が入れる小さな部屋だった。横長のテーブルが二つ。それぞれに五脚のイスがある。前の壁にはモニターが埋め込まれている。

 私は前列の真ん中に座らされた。私の両隣に緑のリボンの女性が座り、残りの紫のリボンの女性二人はドアのそばに立った。
 赤リボンの女性はモニターの前に来てこちらを向いた。

「それでは始める」

 訓練で培われたであろう発声が、私の心臓を揺らす。

「まず、私の自己紹介をしておこう。私はメケイラ・チェンバレン。ドミューニョ部隊のトロノイだ。これから何かと関わることになるだろう」

 と、トロノイ……?
 急に意味のわからない単語が飛び出てきてぽかんとする私。

「階級の話はあとでするから、今は気にするな」

 なるほど、階級の名前なのか。
 小さく「はい」と返事しておく。

 これからきっと、軍独特の言葉をたくさん覚えないといけないんだろうな。勉強は得意じゃないけど……。

「次に、我々ドミューニョ部隊について説明する。その前に今この世界で起こっていることを把握する必要があるな」

 前のモニターが光り、文章と画像が表示された。

「お前が一番知っていると思うが、五年前に人間界とここストレーガが自由に行き来できるようになった。この計画は長らく『デュアルワールド化』と呼ばれていたな」

 そう、そのときに私たち月城一家はストレーガに引っ越したんだよね。

 スライドが切り替わる。

「だが一年前、突如として異常行動をするヒトが健全なヒトを襲うという事件が発生した。異常行動をするヒトは理性を失っていて、何かに操られているようだった。数十人の犠牲のもとに異常行動をするヒトを殺し、解剖をした結果、寄生虫のようなものを発見した。それが、我々が敵対する生物である――」

(クリサイト……)「『クリサイト』だ」

 何回その言葉を聞いただろうか。耳にたこができるほど、などの次元を超えている。聞く度に鳥肌が立つ。頭痛がする。吐き気がする。

 スライドが切り替わる。

「クリサイトの存在がわかってからも、ヒトがヒトを襲う事件は絶えず、多くの人が犠牲となった。ストレーガは人間の入界を禁止にし、ストレーガの全ての国も相互で入国禁止とした。さらに外出禁止の措置もとり、今なおその状況は続いている」

 そう、学校にも行けなくなった。同い年の人が寄生されたヒトに襲われて亡くなった。さすがにそのときは「明日は我が身だ」ってなって怖かったな……。
 まさかそのあと、それ以上のことが起こるとは思ってもなかったけど。

 スライドが切り替わる。

「クリサイトが発見されてからは、どのようにしてこの生物が生まれたのか、クリサイトを殺すにはどうすればいいか、クリサイトに寄生されたヒトを救うにはどのようにすべきか、研究が進んだ」

 スライドは、生々しい虫の画像が三枚並んだものに切り替わる。 

「研究の結果、クリサイトは人間界の昆虫『エメラルドゴキブリバチ』とストレーガの線虫『キソランタ』のキメラに、ヒトのDNAを組み込んだ生物だとわかった。このことから、何者かがエメラルドゴキブリバチをストレーガに持ち込んだと推測された」

 どんよりとした空気が立ち込める。

「……このあとのことは言うまでもないな」

 私は無言でうなずく。





 人間がストレーガに寄生虫を持ち込んだいう仮説が世に知られてから、展開は早かった。
 その日のうちに住民票からすぐさま人間の住居が導かれると、次の日には家に防護服を着た警察が来て、私たち人間は逮捕された。

 警察は逮捕理由を「人間を特定の場所に隔離して、犯人が人間界に逃げないようにするためだ」と説明した。

 非常事態なので仕方ないと思うしかなかった。「人間は外出しないように」と通達されてもそれを破る人間はいる。

 もうその時点で、私たち人間は自宅に戻るのを諦めていた。

 だが、まさかアウスティがあんな非人道的だとは思わなかった。人間界の第二次世界大戦直前のような――いやその後も続いた、ある大国が市民に行っていたような理不尽。

 ヒトとしての尊厳などなかった。





「我々は誰が原因を作ったのかを追求することはない。ただ、クリサイトの殲滅せんめつをするのみ。それが仕事だ」

 メケイラの言葉は、私の一番の心配を払拭した。

「説明を続ける。クリサイトの研究が進み、ついに半年前にクリサイトに有効でヒトに安全な武器が発明された。我々ドミューニョ部隊はその武器『ペスティ』でクリサイトを殲滅し、寄生されたヒトを元の状態に戻す任務をしている」

 スライドには何種類かの武器の写真が並んでいた。それらの上にペスティという文字も見える。

「ペスティの話はあとでする」

 色も様々で個性的なデザインをしている武器たちだったので気になったが、お預けのようだ。





「ここで先ほど触れた、階級の話をする。月城以外は一旦前に出てきてくれ」

 私の両隣にいた女性とドアの前にいた女性が、メケイラの隣に横一列で並んだ。

 切り替わったスライドにはこのように書いてある。

【幹部】
セラフィム:部隊の最高司令官。白の軍服に黒タイ。
ケルビム:セラフィムの補佐。白の軍服に青タイ。
トロノイ:作戦内容を元にして、隊員に一日の任務を通告する。黒の軍服に赤タイ。

「まず、私がいる幹部だ。私の階級は――」

 メケイラと目線が合う。か、彼女の階級を答えろってことか。

「トロノイ」
「正解だ」

 軽くうなずくも表情は変えないメケイラ。怖い。

「私は実戦に行く隊員に任務を与え、任務中も遠隔でサポートをする役目だ。非常時は我々トロノイも実戦投入されるため、黒の軍服となっている。セラフィムとケルビムは書いてあるとおり。白の軍服は偉い人、覚えておくように」

 手元にノートもペンもないので、覚えられるか不安になる私。

「ちなみに今の階級の説明は、あとで支給するコミュニカで見られるから、しっかり復習しておくように。あ、コミュニカというのは、軍独自のスマートフォンだ」

 ホッ、そりゃそうだよね。よかった。

 メケイラが「次に進む」と言うとスライドが切り替わる。今度はこのように書いてある。

【先鋭】
ドミニオンズ→部隊の先導と指揮をする。白タイ。
デュナメス→遠距離攻撃の部隊。青タイ。
エクスシア→近距離攻撃の部隊。黄タイ。
※トロノイ以下はすべて黒軍服なので省略

「この三つは実戦経験豊富な隊員たちが属する。そのほとんどは元陸海空軍にいた隊員だ。割合としては陸軍出身の隊員が多い」

 なるほど、元から軍隊にいた人がドミューニョ部隊に移ったんだね。クリサイトが寄生したヒトを取り押さえるのって、確か最初は陸軍の人たちがやってたかも……。

 毎回犠牲者を出しながら取り押さえていたのを思い出し、息苦しくなる。

「タイの色は書いてあるとおりだ。次に進む」

 これまでは考えていたのを見透かしたような発言だったが、今度は見透かせなかったようだ。

 スライドが切り替わる。

【一般兵】
アルカイ→実戦で500時間以上経験を積んだ隊員。紫タイ。
アルカンゲロイ→実技試験に合格した隊員。実戦投入される。緑タイ。
アンゲロイ→訓練段階の見習い。黒タイ。

「最後がこの三つだ。一番下の階級がアンゲロイ。これからお前が属する階級だ。訓練を積み、実技試験に合格すればアルカンゲロイに昇格する。そこから実戦で五百時間の任務を完了すると、アルカイに昇格する。アルカイはドミューニョ部隊で一番多くの隊員が属している」

 私は、これからアンゲロイになるんだ。たくさん訓練して、実技試験に受かって、しかも五百時間の実戦って……。

 具体的な数字を出されると途方もない時間に感じる。だけど、一番隊員が多いのがアルカイ。前にいる紫のリボンつけた二人はそれを乗り越えたんだ。
 ということは、隣に緑のリボンの二人は実技試験に合格して、実戦で戦い始めた人たちなんだ。

 ストレーガの中学校に入学して、まだストレーガ語もしゃべることができなかったとき、クラブの先輩がものすごくお兄さんお姉さんに見えたときと似ている。

 まだその『世界』をよく知らない、幻想のフィルターで通して垣間見える景色。『世界』を知れば知るほどフィルターは取れて、大したことないんだなと現実を見る。

 この世界もそんなものかもしれない。

「階級のことを理解してもらったところで、制服に着替えてもらうために、お前の休息部屋に案内する。制服は部屋に置いてあるからそこで着替えてもらう」
「わかりました」
「あ、月城。ここでの返事は『了解』だ。わかったか」

 そっか、イメージどおり。「~です」もつけずに「了解」だけか。

「りょ、了解」

 私は再びメケイラと四人の女性たちに連れられ、会議室五を出てエレベーターに乗りこんだ。
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