藤と猫との不思議な散歩

歌川千暁

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藤と猫の導き

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 その日は慣れない大学受験のせいなのか、なぜかイライラしていた。
 気晴らしでもなんでもいいからなんとなく知らない場所に行ってみたいと思った。
 賢矢は趣味の散歩の延長で地元から少し、離れたY駅に降り立つ。
 北口と南口があった。コンビニがある北口の方へ出てみると、青く広がった空と共に日照りが眩しく出迎えてくれた。
 そのせいで輝いて見える大きなバス停と木が間を開けながら並んだ広場。その先に小さな芝生の坂と坂の中にあるトイレが目に入る。
 賢矢は真っ直ぐ広場の方へ歩いて行った。
 広場の向かい側は線路が通る高架橋になっていて、その下にはスーパーと保育園らしい。
 さらに進むと十字の道路があり、高架下の自転車置き場、十字路の一方には住宅街へと続く。
 暫く、線路沿いを歩いてみた。
 時折、上で走る電車の音や保育園? 幼稚園? のお迎えバスや車以外、凄く静かに感じた。
 ほんの数分ですぐに大通りが見えた。
 そして、賢矢の左側に綺麗な光景が見えた。
 最初に移ったのはピンク色だった。次に白、紫とまるでグラデーションのようなカーテンに咲いている藤の花だった。
(綺麗だ。なんとなく、降りたけれど来て良かったな)
 いつの間にか、その藤の下まで入り込んでいた。近くで見ると益々、綺麗でトンネルのような、高波の中のような光景に息を呑んだ。
「ニャー」
 見惚れているうちに何か暖かいものが足元を触れている。
 慌てて下を見ると藤の花に負けないくらいの真っ白い猫がいた。
「ここはお前の縄張りかい?」
 賢矢は猫の視点まで身を小さくし、撫でる。とてもふさふさしていて気持ちいいと感じた。
 最初に感じていたイライラもこの風景と猫のお陰で穏やかな気持ちに変わっていく。
 猫はその手に自身の身体を擦り付けた後、「ニャー」とまた、一鳴きし、自分について来いと言わんばかり、服を引っ張った。
 賢矢は頭をかしげながらもその猫の後を歩いてみる。
 いつからか、車の音にも気にしないくらい静かで周りは藤の花だらけだった。でも、気にすることなく、賢矢は歩く。
 やがて、着いたのは小さな祠だった。
 祠は全体に白く、所々、藤を巻いている。
「まるで藤の神様を祀っているようだ」
「あら、よくお分かりで」
 ずっと、賢矢以外は猫しかいないと思い、呟いた言葉だったが、まさか、返事をしてくれる人がいるとは思わず、飛び上がってしまう。
 慌てて、後ろを向くとそこには藤の刺繡がされた巫女服のような着物をきた自分と同じ年ぐらいの若い女性がいた。
「ふふ、驚かしてごめんなさいね。坊や」
「坊やってあなたと対して変わらないと思いますが」
 さすがの坊や呼ばわりに賢矢は顔をしかめる。しかし、女性は気にすることなく、質問をする。
「坊や、どうやって来たの? ここは簡単に入ってこられる場所ではないわよ」
「え、そうなんですか。普通に散歩していたら立派な藤が咲いている所に着いて、それに見とれていたら猫がきてここまで案内してくれたんです」
「その猫って祠の前で変な格好して寝ている白猫?」
 女性が賢矢の後ろを指差す。
 指差した先には先ほどの猫が仰向けになって片腕を伸ばし、もう片方の腕を頭の上にのけって寝ていた。
「はい、その猫です。あの、写真、とってもいいですか?」
「ええ、勿論。むしろ、ブサイクに撮ってくださいな」
 賢矢が写真を撮っている間、女性は考え込んでいた。
 そして、写真を撮り終わった賢矢の顔を間近で見ようと顔を近づける。
(うわー。近くで見るとめちゃくちゃ、肌が白くて美人。……じゃなくって⁉)
「あ、あの?」
「ああ、なるほど。波長が合う子ね。この辺じゃ見ない顔だからか。でも、このままだと都心とか人が多い所は危険ね」
「えーと?」
「ふふ、その子が連れて来た理由が分かった気がするわ。ねえ、せっかく出会った記念としてこのお守りをあげるわ」
 女性が渡したのは藤の模様が描いた薄紫色のお守り。少し、傾ける色が白、ピンクと変わるように見え、藤の香りがした。
 それを受け取った賢矢はさすがに悪いと思い、返そうとするが、強い向かい風が花と共に吹いてきて思わず、目を閉じてしまう。
 再び、目を開けると、そこはすっかりと落ちた日によってオレンジ色に彩る駅の前だった。
 夢かと思ったが手に持っているお守りがある。
(不思議な体験をしたな)と思いながらその日は帰った。

 その晩、賢矢は撮った写真を母に見せた。しかし、
「猫なんて何処にもいないじゃない。ただの白い風景しか見えないわよ」
 と答えた瞬間、賢矢の背中を冷たい雨のようなものが流れた気がした。
 父にも友達にも見せたが、同じ答えが返ってくる。
 どうなってるんだと考えながら再び、賢矢は同じコースを歩いてみた。
 しかし、そこには藤の花はなく、水たまりと草が生えたコンクリートの広場らしきものしかない。
 地元の人に話を聞くとそこは土地区画整理でできた調節池しかなく、誰も藤の花なんか、育ててないと言う。
「どうなってんの……」
 呆然としながら駅広場のベンチに座りこんでお守りを見てみる。
 すると、ご年配の方が話しかけてきた。
「おや、お前さん。運がいいの。藤神様のお守りを貰えたんだから」
「藤神様?」
「ああ、昔、この地域に藤畑があってその神様を祀る祠があったんじゃが、開拓や空襲で無くなってしまってのう。だが、祠だけはその前に何処かに消えてたって話じゃ。それからじゃ、白い猫の使いが時々、藤神様の祠に連れていき、お守りを授ける事があるとな。そのお守りを授かった者は生涯、安心して暮らせるそうじゃ」
「そうなんですか。教えて下さりありがとうございます」
「何々、いいんじゃよ」
 ご年配にお礼を言うと、賢矢は立ち上がり、駅へ向かった。
 その後ろ姿に向かって
「特にお前さんは最高の餌になりやすいから気を付けるにゃー」
 と呟き、去ったのには気付きもしない。
 その影は何故か猫の形をしていた。
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