藤と猫との不思議な散歩

歌川千暁

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消えゆく街の思い出

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 あの不思議な経験から早一年。高校生だった賢矢は大学生になった。
 進学に伴い、都心で一人暮らしを始めたのだが、料理に洗濯、課題にバイトなど慣れない生活が続いていた。
 そんな生活も当たり前になり始めた頃。
 その日は久々に散歩に出ようという気持ちになれた。
 地下鉄に乗り、どこに行こうかと考える。そんな時だ。
「次はN駅医大前、N駅医大前。医大、N神社、N中学校にお越しの方は右のドアから降りて下さい」というアナウンスが聞こえた。
 神社に興味を持った賢矢はそこで降りる事にした。地上に出てみると真っ先に目に入ったのが白い大きな建物だ。先程、確認した地下鉄の地図を頭に浮かべた賢矢はそれが医大であることに気が付いた。
(白いな。後ろに見える建物と色味が違うし、前の方が新しく建てられたのかな)
 そんな事を考えながら神社がある右側に道を歩き始めた賢矢。
 見渡す限り、先程の病院側の道は真新しいビルが多く目立っており、一階の所にはコンビニや飲食店があり、道が大きくきれいだ。方や、賢矢が今、歩いている道は年季があるビルや脇道から見える民家があり、飲食店やコンビニもあるがその前の道は細くデコボコして見える。
 まったく対比的な坂道を降りていくと赤い円柱が見える。
 鳥居だ。とても綺麗でその奥にある参道も社も神々しく見えた。
 年季がある建物の中で、そこだけが異質なほどの存在感である。
 社の方に行ってみるとやはり、真新しい建物を正面に右奥には駐車場、左奥には小さな社と大きな緑の山が見える。案内図を見てみるとそれは塚と呼ばれるものだった。
 そして、いくつかの小さな祠や舞台殿などが取り巻いている。
(なるほど。ここも向かい側の再開発と同じ時期に建て直しをしてるんだな。道理でここだけ新しく見えるわけだよ)
 神社内をあらかた、見尽くした賢矢は再び、先程の坂道を下り始めた。
 坂道を降りると反対側にも年季が入った建物が見えてきた。そして、その前には三叉に分かれた横断歩道があり、左右に工事中の建物も見える。車道が大きいせいか見通しは良く、さらに奥にまた同じように三本に広がった道はまるで別の道を通っていた人と車の合流地点のように感じた。
 賢矢が奥の横断歩道の所に来た時だった。向こう側の道にある工事用の壁。そこにはモノクロな絵と文字が目に留まった。
 それが何なのか気になった賢矢は近くで見るために歩道を渡った。
 それは大きく印刷されたモノクロの写真だった。
 その上に『Nの今昔[その1]~明治時代から高度経済成長まで~』と書かれた説明文がある。どうやら、再開発で変わっていくこの街の歴史を語っているようだ。
 面白いと思った賢矢は通行の邪魔にならないよう気を使いながらも興味深く読んでいく。
 時系列ごとに施設や橋、商店街、オリンピックの聖火リレーなどの当時の様子が映し出されている。
 賢矢はそれを見ているうちになぜか、悲しくなってきた。
 賢矢の生まれ育った地域には古い家を再利用したお店や施設がいくつかある。中には技術や伝統を若い世代に教えるための体験教室を開いている家もある。
 賢矢の実家もそのような体験教室をしており、その先生であった祖母からよく言われていた。
「家にも物にもそこに込められた思いや思い出が沢山、ある。そこに新しいも古いも関係ないんだよ」と。
 最初はその言葉の意味が分からなかった。けれど、家の老朽化に伴い、建て直す事を決めた時、壊される家と最後のお別れをする時の祖母の泣き顔を見て少しだけその言葉の意味を分かったような気がする。
 だからだろうか、この土地に住んでいた人を考えると悲しくなってくるのは。
(別に新しいのが悪いわけじゃないけれど。……ここを離れなければいけないと決まった時の人はどう思ったんだろうか)
 そう考えると賢矢は胸の奥がのど飴を舐めたようにツンと感じた。
 さて、掲示されているものには1と書かれていた。他にも掲示されているのではないかと考えた賢矢はとりあえず、完成された建物? 建設関係施設? がある方向に足を進める事にした時である。
“キーン”という音ともに視界が変わった。
 いや、世界が変わったようにも見える。なぜなら、先程までは工事用の壁とその奥にタワーマンションのような高いビルの間を賢矢は歩いていた。しかし、今はその影も形もなく、代わりに入口のガラスから鯉が泳いでいる姿が見える池と小さな橋の飲食店や扉ギリギリに密着した赤い鳥居らしきもの、色とりどりの花が並ぶ店などがあるビルや民家、マンションのような建物だった。
 慌てて賢矢は振り向いたが後ろの景色も工事の風景はなく、ただ看板がぶら下がった建物が並んでいた。
(え、え? どうなってんの?)
 急な事に頭がグルグルと回るように混乱する。念の為、向かい側の道を見てみる。
 向かい側は変わっていないようにも見えたが、何か違和感を覚える。実際、賢矢は気にもしなかった店が違っていたり、未完成の建物がある。賢矢は違和感の真っ只中にいた。
 スマホで場所を確認しようとしたが、なぜか画面は真っ暗になっており、電源ボタンを押しても反応がない。
「どうなってるんだ」
「んなー」
 思わず、呟いた賢矢に返事をするものがいた。
 その声がした方を見てみるとおにぎりのような形が足元に座っていた。いや、おにぎりではない。
 だっておにぎりはこんなに綿毛のようにフワフワしていないし、緑色の目をクリクリと動かしているはずがないのだ。
 よく見るとそれは真っ白い猫である。
(こいつ。どこかで? あ、あんときの猫!?)
 そう、その猫は賢矢が藤神からお守りを貰うきっかけを作った猫であった。
 その事に気が付いた賢矢は驚きと同時に、どうしてこんなところにと疑問を隠せない。
 この猫と出会った場所はここからかなり離れた所だ。この一年で住処を変えたとしてもこんな偶然があるのだろうか。
 そんな賢矢の気持ちを知らないで猫はあの時と同じく裾を引っ張る。
 どこかに案内したいようだ。
(前もこんな感じで不思議な所に連れて行ってくれたし、今回もそうかな。……大丈夫だよな?)
 前回、自身には見えて他人には見えないという奇妙な写真が撮れた事で、少々、警戒をしてしまう。あの後、家族には受験の疲れでおかしくなったのではと心配されてしまった。
 警戒している賢矢にしびれを切らしたのか、賢矢の後ろの方に回り頭突きをし始めた猫。流石に猫の全体重がかかった頭突きは痛かったので大人しく付いていく事にした。
 そうして案内されたのは今では見るのが少なくなってきた回転ジャングルジムやブランコ、螺旋滑り台が置いてある公園だった。子供が遊んでいる様子もなく、周りには誰もいない。
「この公園の今の時間帯は子供も学校とかでいないし、人も時々しか通らない。放課後や休日になれば話は別だがにゃ」
「ああ、なるほ……。ん?」
 誰かが賢矢に話しかけてきたが、周りには誰もいない。
「どこ見ているにゃー。ここにゃ、ここにゃ」
(……うん。声も聞こえるし、間違えないんだろうけれど。いやでも、うん。認めたくない。認めたくない!)
 声は明らかに賢矢の足元から聞こえてきた。足元にはさっきの猫しかいないはず。
 変わった風景に続いてまさかな出来事に軽く現実逃避を起こしながら賢矢は下を向いた。
 そこには予想通り、猫の姿が……。
 当たってしまった現実に思わず、足が崩れかけるが、何とか持ち直す。
「話、進めていいかー?」
「待て。色々とこんがらがっているからちょっと待て。とりあえず、一番気になっている事。お前、何?」
「ただの猫にゃー。……神様に仕えているだけの、普通の猫にゃの」
「それ、ただの猫じゃない。普通じゃない」
「そんな事どうでもいいにゃ」
 ますます、困惑する賢矢を置いて話を進める猫。
「まったく、お前さんは。強い感情になるとたちまち引きずられるな」
「……どうゆう事だ?」
 何か知っているようなものぶりに賢矢は戸惑う。
 猫は戸惑っている賢矢を放ってベンチの上に飛び上がる。
 そして、ふるるっと両耳をゆすると、賢矢をじっと見つめた。
「お前さんは波長が合いやすい人間にゃー。無念、執着、憎悪、親しみ。そういった感情にな。その感情に波長があってこういった過去の世界や異空間に迷い込みやすいんにゃ」
「そんな事、今まで一度も……。いや、去年のあれ以外、経験した事ないぞ」
「まあ、今までは人気があまりないのも合わさって特に問題なかったんにゃ。波長が合うっていっても、潜在能力的な感じで目覚めていなかったというのもあるし」
「じゃあ、なんで?」
「一言で言ってしまえば、おいらのせいかな」
「はぁ?」
 その言葉に思わず顔をしかめた賢矢。猫は前足で頭を書きながら言葉を続ける。
「お前さんがおいらが仕えている神が住んでいる空間にたまたま、迷い込んだ時にお前さんの潜在能力が一気に開花しちゃったのにゃー」
「……」
 無言になった賢矢は猫の脇の下に手を入れ、持ち上げる。そして、そのまま猫を思いっきり上下に振った。
「ニャ―――‼」
「おま、ふざけんじゃねぇー! 今すぐ、帰せ。元の世界に帰せ‼」
 当然、猫は目を回し、賢矢はなぜか急に息苦しくなった。
 そして、賢矢はベンチに手をつくように、猫は仰向けに伸びるように力尽きていた。
「あ、あんま。急に動かない方がいいにゃ。能力開花のせいか、お前さん。波長があったり迷い込んだりすると一気に体力が削られるみたいにゃ」
「そ、それを先に言ってほしかっ、た……」
 しばらくしてある事に疑問を感じた賢矢は猫に質問する。
「なあ、仮に俺の潜在能力が開花したってぇのが本当だとして。なんでこの一年、何にもなかったんだ? 受験とかで結構、人気が多い所にも出かけたぞ」
「それは簡単にゃ。貰っただろ、お守りを。それのおかげにゃ」
 賢矢はポケットに入れていたあの時のお守りを取り出した。お守りはあの時と変わらず、藤の匂いがする。
「お前さんは波長が合うだけじゃなく、妖怪とかいったもんには極上の餌になりえる存在だったからにゃ。そのお守りで守っていた。けど、それにも限界があって、今回みたいに強い思念とかにはあまり役にはたたない。かわりにそれを目印にして、おいらやあのくそ神が来られるようにしてるんにゃ」
(今、くそ神って言わなかったか?)
 とりあえず、賢矢は状況を整理する事にした。
 まず、久々の散歩で訪れた街は再開発されている所であちこちが工事中だった。その工事の一角にあった写真の掲示があったので見てみる事にして、続きを探そうとしたら急に景色が変わる。驚いているうちに見覚えがある猫が現れて、人気がない公園に連れてきてくれる。そこで自身が感情類に波長が合いやすい潜在能力を持っていた事、前の藤神様の異空間に迷い込んだ時に開花してしまった事、貰ったお守りのおかげでここ一年間は無事であった事を知る。
 そこまで整理した賢矢は肝心な事に気が付いた。
「なぁ。とりあえず、まだ納得はいかないけれど現状は分かった。ここが過去の世界っていうのもな」
「うん」
「……か、え、り、み、ち、は?」
「知らんにゃ」
 その清々しい答えに賢矢はもう一度、猫を抱き上げてシェイクする。
 猫はその制裁から逃れるようと後ろ脚で賢矢の胸辺りを蹴る。その反動を使って空中で一回転して着地した。
 賢矢は蹴りの衝撃で思わず、せき込んでしまう。
 それをよそに猫は毛並みを整えながら言う。
「とにかく、お前さんをここに連れて来た強い感情の持ち主を探すにゃ。まず、そこからにゃ」
「探してどうすんの?」
「分からにゃん」
「おい」
「まずはその感情がどんな事に対するものなのかを知らにゃきゃ対策もできないにゃー。妖怪にゃらおいらか、最終手段で藤神様がなんとかするが。人間だとまず、話を聞かなきゃ難しいにゃ」
「何をするにしても原因を探すべき、か」
 ひとまず、この辺りを見て回る事にした賢矢は立ち上がる。その肩に猫は乗った。
「そういえば、お前。名前はあんの?」
月白つきしろにゃ」
「白い月って書いて? 色の和名の?」
「そうにゃ。よく知っているにゃ」
「昔、祖母ちゃんに習った」
 そんな話をしながら二人は公園を出た。すると、右側の方から音楽が聞こえてくる。右側には民家と駐車場。道は自転車や歩行者用で車自体は入れない。
 賢矢はその道に沿って歩いた。道なりに歩いていくと左の方へ直角に曲がっている。
 そこを曲がると住民たちの花壇や自転車が置いてあったが、それでも片方によれば二、三人くらい並んで通れる大きさの道だった。
 そこを抜けると一方通行の車道に出た。真っ先に目に入ったのは向かいの水鉄砲やゲーム、鎧をまとったロボットのプラモデルを売っているおもちゃ屋さん。その隣には缶ビール入っている箱が積まれた酒屋さん。他にも手前側には八百屋や銀行の看板が見えた。
 辺りを見渡すと左奥の方。丁度、街道に合流する所にアーチ型の看板が見えた。真ん中には時計がある。
「K商店街っていうのか」
 そして、その反対側の方でヨーヨーや綿菓子、クジ引きといった屋台が出ていた。先ほど、聞こえた音楽はそこから流れてきたようだ。
「……」
 しかし、賢矢が驚いたのはもっと別の所だった。
 道路の真ん中に薄黄色の人の赤ん坊くらいの大きな岩がある。しかもそれはノロノロと遅くではあるが、動いているのだ。
 まあ、喋る猫にあったのだから、他にも予想外の事は起きるのではないかと身構えていたが、やはり驚くものは驚く。
「おや、あんたはあれを見るのは初めてかい?」
 話しかけてきたのは髪をお団子にまとめたお婆さん。
 あの岩を見て驚く人が初めてじゃないように優しく説明してくれた。
「ありゃあ、亀だよ」
「亀、ですか」
 確かによく見るとずっしりとしてる手足が生えていた。石のように固そうな甲羅の陰に隠れて見える尻尾がなんとも可愛らしい。
(なんか亀の上に乗っているのがいにゃいか)
「……あの。小さい子が亀の上に乗っていますけど、大丈夫ですか?」
「ああ、いつもの事じゃ。あそこの酒屋さんの亀じゃが他にも看板犬が二匹いるし、従業員のお子さんが遊びに来るから慣れ子じゃよ」
「えーと、車とかに轢かれません?」
「一定時間、この商店街は通行止めをしているから問題ないんじゃ。亀だってたまには日光浴をしたいじゃろ」
「はぁ」
 そんな話をしながら亀の散歩を眺めた。
 小さい子が甲羅に触ったり、大人の足にしがみつきながら見ていたりと好奇心旺盛な反応もあれば、姿に驚いたのか大泣きしている子もいる。
 都会なのにここだけのどかな田舎のような雰囲気だった。
「にしてもあんたも随分と可愛い猫を連れているね」
 お婆さんは肩にいた月白の顎をかいてやる。それを月白は気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。
「ええ、いつも僕が外出しようとすると付いてくるんです」
 とっさについた噓だが、あながち間違っていない。
 本人はそれが不服だったのか、賢矢の肩に爪を立ててきたが……。
「それにしても今日は何かイベントの日だったんですか」
「そうだよ。この商店街のお別れ会さ」
 お婆さんが指差した先には天幕が張られており、大きく『ありがとう! K商店街』と書かれていた。そして、目に涙を溜めるほど悲しそうに話す。
「区の再開発とかでここら辺一帯に立ち退き指示がきてね。ここもなくなるから最後に盛り上がろうって話になってね」
「それは。なんか寂しいですね」
「ありがとうね。でも、時代の流れは変えられないさ。人がいなくなり、壊され、新しいものが建てられる。そして、新しい人がくるが誰も昔の事を知らない。思い出してはくれない」
「お婆さん?」
 お婆さんの目がだんだん、暗く虚ろになっていく。それに合わせて周りもノイズが走ったような黄昏の世界に変わっていく。
 人もいなくなった。いるのは賢矢と月白。そして、先ほどのお婆さんだけ。
「下がるにゃ!」
 そう言うと、月白は肩から飛び出すように降り立つ。そして、お婆さんに対し、毛が逆立つくらいの怖い顔を向ける。
 賢矢は月白が飛び出した勢いで尻餅をついてしまう。
 その瞬間だった。
 目の前のお婆さんから離れなくては。
  そう思うくらいの嫌な警鐘が頭の中に鳴り響く。
 尻餅をついたまま、後に下がる。
 そして、見てしまった。
 先ほどまで穏やかで優しそうな表情を浮かべていたお婆さんの目が、血のように赤くぎらついた目になっていた事に。
「……どうやら、おいら達は思い違いをしていたようにゃ」
「月白?」
「再開発でいなくなった人達の未練がおいら達を過去の世界に連れて来た。そう思うくらいの景色だったにゃ。……でも、違った! ここはこの土地神が作った異空間だったんにゃ‼」
「な!?」
 その事実に思わず、愕然となる。実際、賢矢はここを過去の世界だと思い込んでいた。店が違っていたり、未完成の建物があるのもその当時はそうだった光景だと思い込んでいたからだ。そう思うくらいのリアル感があったのだ。
「正確には私の力とここを離れざる得なかった人達の無念から創り上げた空間だね。いつでも帰ってこられるように本物と大差ないようにしたのさ」
「帰ってくる?」
「そう。帰ってくる」
 そういうとお婆さんは過去を思い出すように天を見る。
「かつては人が賑わっていたこの商店街も時が流れるにつれ、近所の人しか来なくなった。けれど、沢山の人の声は途切れなかった……。だが、くだらない再開発のせいで皆、いなくなってしまった!」
 空間全体を使っているのか、お婆さんの声は大きく反響するように響き渡る。
 その声を聞いていると、賢矢の胸は何かに鷲掴みされたように痛くなる。
 息苦しくなる。
 顔には無数の汗が流れる。
「賢矢!? しっかりするにゃ!」
 苦しそうな賢矢に気が付いた月白が側によると、身体が光りだす。
 そして、月白を中心に半径5メートルくらいの青白く丸い結界が出来た。
 先ほどとは違い、痛みも息苦しさもなくなり、楽になった。
「ハッ、ハッ」
「あの土地神の悪意をもろに受けすぎにゃ! お前さんの身体が持たないぞ」
「悪意とはひどいね。私は善意でやってるのよ」
「少なくとも関係ない奴を巻き込んでいる時点で悪意を感じるにゃ」
「確かにその子はこの土地とはなんもゆかりもない。けれどね、私はその子の潜在能力に用があるんじゃ!」
「な、何のために?」
 息を整えながらも目の前にいるお婆さんを見据える賢矢。
 そんな賢矢をお婆さんはうっとりしながら見ていた。その目には狂気が宿っているように感じる。
「あんたの力を取り込んでここを離れた者の魂を呼び戻す。そして、ず――っとここで暮らすのさ」
 その言葉共にノイズから岩が出てきて、賢矢達に降り注ぐ。
 岩は結界にぶつかっては砕け散るが、その度に月白の顔は険しくなる。
 少しでも力を抜けば下敷きになるのは確定だったからだ。
「月白!?」
「大丈夫にゃ!」
「アハハ! 動けない子を庇っていたらいつか、潰れちゃうわよ」
 お婆さんは余裕の笑みを浮かべ、攻撃を続ける。
 やがて、結界にヒビが入る。破られるのは時間の問題だった。
 自身の勝利を確信したお婆さんはさらに笑みを深める。
 それに対し、月白は大笑いした。
「にゃははは‼」
「……何が可笑しい?」
「いや、あんたほどの高位の土地神がおいらの上の存在に気が付かないにゃんて。……地に落ちたな」
「なんだと!?」
 その言葉に怒り狂ったお婆さんはさらに攻撃を強めようとした瞬間、賢矢のポケットに入れていたお守りが輝きだした。
 賢矢はポケットから取り出すと、お守りの光は辺り一面を照らす。
 光が収まると、今度は藤の花びらが舞い踊る。そして、花びらはやがて人の形になった。
 その人の形が手を横に振ると、花びらは散った。そこから藤の刺繡がされた巫女服のような着物を着た女性が現れる。
「お、お前は……。藤神!?」
 その女性は月白の主である藤神だった。
「やれやれ、どこぞのバカ猫が家出したらと思ったら、いつぞやの坊やと一緒にいるし。どこかの土地神様は落ちかけているし。……いろいろと忙しいね」
「遅いにゃー」
「月白、大丈夫か?」
 藤神の登場に気が抜けたのか、月白は地面に倒れ込む。
 賢矢はその身体を優しく抱き上げる。
 その様子を後ろ目で見ていた藤神は目の前にいる土地神を睨みつけた。
「さて、うちのバカ猫が世話になったみたいだし。少しお礼をしなくてわね」
(さっきからバカって言ってるし。月白もくそとか言ってたし。この二人、仲が良いんだか、悪いんだか)
 さりげなく混じっている暴言に呆れてものが言えない。
 そんな事は知った事かと言わんばかりでお婆さんは建物一個分くらいの大きな岩を出し、こちらにぶつけてきた。
 しかし、藤神はそれに慌てる事もなく、手をかざす。すると岩は藤の塊になり、霧散した。
 そして、手を上に上げるとお婆さんの足元から木が生え、巻き付いていく。
「藤の木は他の植物を絞め殺すほど力が強いからそう簡単に抜け出せないわよ」
「わ、私はもう一度思い出を……」
「……たとえ、離れていてもその土地がなくなろうとも。思い出は紡いでいける」
 拘束を逃れようと必死のお婆さんに賢矢は静かに語る。
「写真でも話でもいろんな形で次の世代に受け継がれていく。大事なのはその精神だって、祖母ちゃん、言ってた。なあ、ここを去った人達はそんなに薄情な人達だったのか?」
 その言葉にお婆さんは目を開く。
 脳裏に浮かぶのは立ち退きの準備に明け暮れながらも商店街の写真を残す人、感謝の花を置く人の顔だった。
 お婆さんを拘束していた藤の木に白く輝く藤が咲いていく。
「……土地神の悪意が浄化されていくにゃ」
 月白がそう呟くと、賢矢の視界はその白い藤の花に覆われた。

 ほんの僅かだろうか。賢矢の視界を塞いでいた藤の花がなくなると、先ほどの空間ではなく、タワーマンションがあった。
 周りを見渡すと、右側に賢矢が異空間に迷い込む前に歩いていた道があった。
 スマホも確認する。無事に電源が入った。
「戻ってこられた?」
「みたいだにゃ」
 賢矢の腕の中で月白が身体を伸ばす。
 その姿を見て安心する。
 とりあえず、急な展開に疲れが出た賢矢はタワーマンションの一階にあったコンビニで飲み物を買う事にした。
 買っている間、月白には外で待ってもらっていたが、外に出てみると月白の姿が見えない。
 丁度、タワーマンションのエスカレーターの方にいた。
 そちらの方へ歩いていくと、月白はどこかに誘導するように歩く。
 ちょっと先にあった車道を右に曲がり、さらに歩いていくとタワーマンションの憩いの場なのか、木や花が植えられていた。車道を挟んで左側には小さな公園もある。
「んなーあ」
 月白が赤い石碑のような所に座り、声を掛ける。
 賢矢がその傍によると小さくって分からなかったが、透けるように見える亀がいた。
(透けてるというより透明?)
「その亀はあの土地神にゃ」
「え?」
「もっともその残骸に近いにゃ。……あそこまで穢れてしまったら浄化させて休ませないと元の形には戻れないのにゃ」
「じゃあ、これは?」
「さあにゃ。まあ、これからも待ち続けてるかもにゃ。住民が戻ってくることを」
 そういうと月白は石碑を見る。
 つられてみるとそこには『旧K商店街』と掘られた文字とその説明とモノクロ写真がある銀のプレート。
 賢矢がそれを読んでいると後ろの方で
「上村さーん、お待たせしました。ご依頼のK商店街のスケッチ集です」という声が聞こえる。
 思わず、後ろをふりむいてみるとそこには眼鏡をかけた若い女性と一匹の柴犬らしき犬を連れた白髪交じりのご婦人だった。
「いやー、ありがとうね。相田さん」
「いえいえ、それが仕事ですから」
「それにしても話に聞いた通り、本当に忠実だね。私が提供したのほんの僅かなのにここまで忠実にしかも酒屋の看板犬。ルカとルリ。あと、名前が出てこないけど亀まで」
「亀の名前はアカリですよ。実を言うと私、そこの川沿いに家がありまして。K商店街は馴染みの場所でしたし、酒屋さんはお祖母ちゃん付き合いがありましてよく遊びにいっていたんですよ」
「なるほど、だからこんなに忠実なんだね」
 そんな会話を楽しそうにしている。賢矢はそのまま、休憩しているようにして聞き耳を立てる事にした。
 ご婦人は少し悲しそうにしながら話す。
「ほんと、皆、立ち退きでここを離れてから連絡も取れなくなったし、ご年配の方もいらしたから亡くなった方もいるし。昔話ができる人がいなくって本当に寂しくって。でも、ここの事を残せないのはなんか、悔しくってね」
「……そうですね。私も当時はなんで生まれ育った街がなくなっていくんだろうと思いました。でも、授業で昔のものを紡いでいく番組を見て、私には何が出来るんだろうと考えた結果が今の絵の活動なんです」
「依頼者の写真を模写してかつての街を再現する事?」
「はい。他にも資料館とかに行って当時の街並みを再現しています。そこに込められた思い出を誰かに残せるように。それが私なりの過去を未来に残す答えです」
 そういう女性の顔には太陽のような眩い笑顔が浮かんでいた。
 亀は無言でそれを見ていた。やがて、小さな光の玉となり、賢矢の周りを一回りした後、空高く飛んでいく。
「……お婆さん、分かってくれたのかな。紡いでくれる人がいるって」
「さてね。でも、そうじゃにゃいかな」
「うん。きっとそうだよ。……ところで藤神様は?」
「け、とっとと帰ったにゃ」
 月白は忌々しいと言わんばかりに吐き出す。
 賢矢はそれを苦笑した顔で流すと、月白を抱え、帰路に着くのであった。
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