ハイ・オーダー

桐坂数也

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第二章:お花見顛末記

老兵は語らず笑うのみ。

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 すでに日はとっぷりと暮れ、見上げる空は漆黒。ライトアップされた桜の大枝が広がり、四人の上に薄桃色の大きな雲を投げかけている。


「おかしなものね。敵さんに背中を預けてるなんて」
 香凜かりんの言葉に、
「頼りになるおじいさんじゃないか。少し休ませてもらおうよ」
 あんな目に遭っておきながら、修成しゅうせいは泰然としたものだ。


「さて、それじゃ」
 拓斗たくとが立ち上がって三人に向き直った。

「まず人払いをしよう。
彩奈あやな、きみの能力は精神干渉だといったな。この辺りの人間全部を、ここから遠ざけることはできるか? もしくはこの木が目に入らないようにするのでもいい。どうだ?」
「ええと……」

 彩奈はちょっと考え込んで、

「そうですね、思考のループを作ります。
 この木を目にすると向こうの出口に向かうように、反射行動を設定します」
「できるか?」
「こんな大がかりなのは初めてだけど、やってみます」

「うん、がんばれ、あやや」
「はい」
 拳を握ってうなずき合う女子ふたり。

「で、ぼくらは?」

 修成に問われて、拓斗はちょっと考え込んだ。

「この木から高次元体を切り離して処理してしまえば簡単なんだが……」
「何か迷ってるの? めずらしいわね」

 香凜と修成は正面から、彩奈は横眼で拓斗に問いかける。


「この木は高次元体と一体化している。それによって、この木は命を永らえているんだ。それくらいの老木なんだよ。だから、高次元体を引き剥がせば、この木は枯れる」
「えっ?」
 拓斗の言葉に香凜が意表を突かれて沈黙する。

「こんな立派な木なのになあ。そんなにくたびれているんだ」
 修成は無骨な幹に触れて上を見上げた。
 大きく広がる枝には一杯にピンク色の花が咲き誇り、はらはらと花吹雪を散らしている。

「ソメイヨシノの寿命は60年くらい。もう寿命なんだろうな」
 拓斗が答える。

「こんなに元気に見えるのに……なんだか可哀そう。なんとかならないの?」
 香凜が問いかける。早くも目が潤んでいる。意外に涙もろい。

 拓斗も頭上の枝を仰ぎ見た。


 彩奈の施術で、四人の周りに人はまばらになっていった。近づいた人も彼らには注意を払わず、思いついたように出口の方へ足を向ける。
 近くにいて木の影響を受けた者も、距離をとるに従って影響を離れ、元に戻っていた。


「寿命が尽きたものは死んで次の世代に道を譲る。それが生物のあるべき姿なんだ」
「でも、この木はたまたま高次元体と一体化して、なんというか、スーパーソメイヨシノになったんでしょ? だったらそれも運命じゃないの? このままそっとしておいてあげようよ」
「だけど、このままでは悪影響が出るだろうね。今日みたいに」
「なにか対策をしないといけないってことですか? でも退治するのは可哀そう……」

 彩奈の最後の言葉が、一同の心境を代弁していた。


 このままこの立派な木を枯らせてしまうのは、見るに忍びない。
 だが放置してもおけない。

「なにか、桜の木の中の人に語り掛けることはできないかな?」
 修成の言葉に、
「言って聞かせて、通じるのかしら?」
 香凜が問うでもなく答える。

「そうね。やってみます」
 彩奈がそう言って、桜の木の幹に手を当てた。

 そのままじっと、動かない。三人は黙って見つめていた。
 うまく対話ができているのだろうか。沈黙している彩奈からは窺い知れない。

 やがて彩奈は、力尽きたようにへたりと座り込んだ。
「あやや! 大丈夫!?」
 幹に手をついたまま、彩奈が黙ってうなずく。


 やがて彩奈は、みなに向き直って言った。

「この木の精か、高次元体か、わからないけど、意志らしいものは感じられました。
 今、自分は力に溢れている。嬉しいって」

 やっぱり。
 一同は思った。この木は、今ある生を謳歌している。微笑ましく思うと同時に、暗い気分にもなる。こいつは排除するしかないのか。
 できれば、そんなことはしたくないのだが……。

「……けれどそれが良くないことなら、正しい方向に導いてほしいと」
「……つまり、自分が枯れてしまうことも受け入れるのか?」

 拓斗が訊いた。

「…………はい。かまわないと」


 四人は沈黙した。
 桜の木の精は、事態を正しく把握している。その上で自分の運命を泰然と受け入れ、「然るべく」と言うのだ。


「……わかった。それが彼、あるいは彼女の望みなら、そうしよう」
「拓……」
「なに、すぐに枯れてしまうわけじゃない。今年は綺麗な、満開の花を見せてくれるさ。ただ……」



 来年はわからない。



「だから今日は目いっぱい、花見を楽しもう」 
「……そっか」
「そうだね」
「そうですね」


 ◇◆◇◆◇


 
「かんぱーい!!」

 桜の木の根元、四人はジュースと少しの菓子で宴を始めた。
 拓斗は緑茶、香凜はコーラ、修成と彩奈は紅茶である。

「あんたたち本当に仲いいわね。こんな時まで同じ飲み物?」
 香凜に言われた修成と彩奈は同時に苦笑い。
 別に合わせたわけではなく、修成は紅茶党、彩奈もどちらかと言えば紅茶派、というだけなのだが。

「というか香凜、きみはもう少し飲むものを考えた方がいいぞ。いつもそんなジャンクなものばかりなのか?」
「拓、あんた健康マニア?」
「失礼な。アスリートと言え」
「とにかく、あたしは好きな時に好きなものを飲むの」

 ひとしきりわいわい騒ぎながらも、視線はつい桜に向いてしまう。
 豪奢な花の方へ。ついで無骨な幹のほうへ。


「ねえ、大人はさあ、こんな気分のときお酒を飲むのかしら?」
 しんみり問いかける香凜に、
「そうかもね。世の中には、自分にはどうにもできない事がいっぱいあるからね」
 修成も合わせて答える。
「精神には干渉できても、心は自由にならないものですね。能力と言っても、その程度なのかしら」
 彩奈が小さくため息をつく。
「全能の神の力というわけじゃないからな。だけど、どうせなら楽しい酒を飲みたいよ、おれは」
 拓斗が答える。
「今日、この木から高次元体を切り離してしまえば、明日は普通の木だ。もう人を惑わせることもない。多くの人に、花を愛でてもらうことができるだろう」

「なんだか、明日のわたしたちみたいね。いつまでこの能力を使えるのかしら」
 香凜の問いには誰も答えない。答えられるはずもない。

「香凜、お前が泣き上戸だとは知らなかったぞ」
「泣いてないってば」
「ついでに絡み酒か」
「だから絡んでないし。そもそも飲んでないし」
「やさぐれて胡坐あぐらをかいているところはタチの悪い酔っぱらいにしか見えないぞ。パンツは見えそうだが」
「どさくさに紛れてセクハラ発言かっ!」

「大丈夫だよ。香凜ちゃんなら明日もきっとしぶとく生き残るよ」
 修成が取りなすように口を挟む。
「……なにげに今、ひどいことを言われた気がする」
「ふふ。りんちゃんいじるの、楽しそう。わたしも仲間に入ろっかな?」
「あややまでそんなこと言うんだ。いいよいいよ。次元の彼方に逃げてやる」
「探さないぞ。次元の彼方で健気に生きろ」
「あんたには期待してないから、いい」

 頭上からはらはらと桜がこぼれてくる。まるで笑っているように。



「ちょっと修成くん。何してるの?」
 修成が何かしているのに気づいて、香凜が訊いてきた。
 修成の手元には金属片があり、それをいじっている。一辺が三十センチほどの四角い板。一斗缶から切り出した、缶の蓋のようだ。

「ああ、これをね……」
 指ですっと縁をなぞる。それからおもむろに、二つ折り。
「えっ?」
 三角の長辺を、きゅっと指を走らせてしっかりと折り曲げ、さらに二つに折って小さな三角を作る。その片方を起こして潰して四角にして……。

「ええ? なに? 鉄板で……折り紙?」
「そう、ぼくの能力。固体の状態を変えることができるんだ。今この板を柔らかくしたから、紙みたいに折り曲げ可能だよ」

 目を丸くしている香凜と、興味津々で眺めている拓斗、彩奈の目の前で、修成は金属片をどんどん折りたたんでいった。手には何の抵抗も感じている様子はなく、普通に紙を折っているようにしか見えない。

 ほどなく、修成の手の中で、少し大きめの折り鶴ができあがった。

「はい、完成」
 修成は香凜の手にそれを乗せた。香凜のてのひらより大きい折り鶴は、金属らしい鈍い光と、それらしい重さを持っていた。

「今、確かに折りたたんでたよね?」
 だが香凜が両手で引っ張っても、折り鶴は形を変えることはなかった。材質は間違いなく金属であり、鍛造したように頑丈に出来ている。

「へえ、これが修成くんの力かあ」
「すごいですね」
 女子二人が、折り鶴をしげしげと眺めて感心している。

「あ、そうだ」
 思い出したように修成はポケットをまさぐった。
「さっきの残りがあったんだよね」

 取り出したのは、高次元体の欠片。先ほど集めたものから取りこぼしていたものだ。
 たくさんあったので、二、三個残ってしまったのである。

「これをこの中に入れて、と」
 修成はそれを、折り鶴の腹から胴体の中へ押し込んだ。

「どうだろう? ファンタジー世界で言うところの魔法器になるかな?」

 女子二人の前に置く。
 折り鶴はほのかに光を発したように見えた。

「あ、すごい。ファンシーなアイテムになりましたね」
「見てくれがもうちょっとファンシーだとよかったんだけどね」

 修成は満足そうに、女子二人は興味深そうに眺めている。
 魔法器。なかなか面白い一品が出来上がったものだ。ただ、持って帰るにはちょっと大きいし、持って帰ったところで何に使うかと言われれば、困るしかない。


「……それ、使えるかも知れないな」
 今まで黙って見ていた拓斗が口を開いた。

「何に使うの?」
 取り敢えず香凜が訊いてみる。

 相変わらず拓斗は腕を組み、口もとに手を当てて考え込みながら、
「彩奈、この高次元体にプログラムを刻むことはできるか」
 と訊いた。

「プログラム、ですか?」
「ああ。アプリケーション、と言ってもいいかな。この木が放つ余分なエネルギーを、高次元に逃がすプログラムだ。その役割をこの折り鶴の高次元体に刻み込んで、恒常的に余分なエネルギーを取り除ければ、この木から高次元体を分離しなくて済むかも知れない」

「……ああ、そうか。そうですね」
 彩奈は拓斗が言わんとする事を理解した。

 桜の木が生きるに必要なエネルギーは残し、回りに影響を及ぼすような分は指向性を持たせて高次元に飛ばしてしまう。その機能を、この折り鶴に持たせる。
 そして折り鶴を木の根元に埋めるか、樹上高くに置くか、人の手の届かない所に安置しておけば、回りに影響を与えることなく半永久的にこの木の生命維持だけを行えるのではないか。

 そういう提案だった。

「高次元体に特定の機能をプログラムする、ってことですね」
「できるか?」
「さっきの、思考のループの方法でできると思います」

 彩奈は答えて、金属の折り鶴を手に取った。

「……つまり、この桜の木を枯らさずに済む、ってことでいいの?」
「うまくいけば、な」
 香凜の確認に拓斗が答える。だが拓斗は、彩奈の能力に疑いを持っていなかった。
 いったん諦めかけた可能性が見えてきた。

「集めた高次元体を取りこぼしていた修成は問題だが」
 横眼で見やる拓斗の視線に、
「そこはテヘペロってことで。結果オーライにしといてくれると嬉しいなあ」
 悪びれるでもなく修成が応じたが、拓斗も口先だけで、特に責めるつもりはなかった。

「拓斗くん。エネルギーの逃げ場が必要です。次元の穴、作ってもらえますか」
「そうだな。わかった」

 彩奈の呼びかけに拓斗が応じる。
 桜の木のてっぺん――夜空に溶けて見えない虚空の一点を凝視して、拓斗は小さな次元の穴を開けた。そして閉じないよう、しっかりと意識して固定する。
 次元の穴は不安定ですぐになくなってしまうので、恒久的に残るよう、かと言って余分なものを吸い込まないよう、ごく小さな穴を設定した。

「永続できるかな? 彩奈、ちょっと手伝ってくれないか」
「はい」
「次元の穴を作る力を維持できるよう、ループを作ってくれ。場所は……」
 拓斗が夜空の一点を指さす。
 彩奈は拓斗の腕に手を添えて、次元の穴を作る力に自分の精神をシンクロさせる。そして、固定。
 穴を作る力は循環して、穴を維持する力に変換された。

 彩奈は再び折り鶴を手に取って、中の高次元体に再び力をかける。
 高次元体が活性化し、彩奈はその力を同じくループさせて、桜の木からあふれる力の一部を一定の割合でてっぺんの穴に逃がすよう刻み込む。


「できました。力の加減は微調整が必要かもですけど、これで大丈夫と思います」
 彩奈が振り返って、手の上の折り鶴を差し出した。
「これで……この桜を助けられるのね?」
 折り鶴を受け取って、香凜が確認する。
「はい。大丈夫です」
 彩奈が笑って請け合う。

「よし。これを……人目につかないように根元に埋めてしまおう」
 拓斗が指示する。
「オーケー」「了解」
 修成が桜の根元の土の分子結合をばらばらにほどく。
 土はさらさらの砂に変わった。香凜がそれを手で掘っていく。

「気をつけてね、りんちゃん」
 調子よく穴を掘り進める香凜に、彩奈が声をかけた。
「桜の木の下にはなんとかが埋まっているって言うからね……」
「ちょっと! 恐いこと言わないでよ!」
「ふふふ……」
「なによその、何か知ってそうな含み笑いは?」
「まあまあ。穴はそのくらいでいいかなあ。死体の掘り出しは別の機会に」
「修成くんまで! あたしそんなもの掘りたくない!」

 思わず立ち上がる香凜。

「あたし、そういう話嫌いなのよ! もう!」
 頭を抱える香凜を、生温かく眺める修成と彩奈。

「ふーん。そうかあ。いいこと聞いちゃったな~」
「あやや、やめてよお」
「はいはい。高次元体の死体は埋めたよー。化けて出るかもね」
 修成が声をかける。完全に面白がっている。

 再び頭を抱える香凜の脇で、彩奈が桜の木に手を当てて確認する。

「はい。うまく動いています」
「よし。これで当面は大丈夫だろう。だいぶ回り道をしたが、うまく解決できたな」
 拓斗が桜の木を見上げた。



 人は未来のことはわからない。
 それは、異能者である彼ら四人も変わらない。

 思いがけずよい結果を得られていい気分で帰宅した彼らが、今日の帰宅の遅さを叱られて一日を終えようとは、予測すらしていなかった。



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