令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第7話(1) 宵闇の執事

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 ひっそりと闇に沈んだ廊下を、黒一色の執事がランタンの灯りを頼りに西へ歩んでいく。

 城内における夜回りもシドの重要な仕事である。
 彼がここへ来てニヶ月ほど経っただろうか。環境にも随分慣れ、もう城の一員として仕事にも人々にも馴染みつつある。

 これまで四度ほどフィリアと書庫の探索を行ったが、相変わらず何の発見もないままだった。

 シドにとっては不思議なことに、令嬢は始めこそ完璧な淑女のようであったが、なぜか最近よく笑い、よくしゃべるようになった。ともすれば勘違いしてしまいそうなほど情のこもった笑顔を向けてくるので戸惑うこともよくある。噂では見目も以前よりめかし込む様になっているらしい。
 婚約の決定が近いからだと従僕たちの間で専らの噂だが、そのような話はまだ上級使用人側には下りて来ていない。

 彼女がなぜ顔も見ていない黒髪の騎士を探しているのかをシドは知らないが、自分を救った騎士に乙女らしく淡い夢を見ているだろうことは容易に想像できた。しかし、手がかりが見つからないことを本人がそれほど気にしていない様子なのには首をかしげるばかりだ。

 一介の使用人に対して特別な感情を抱いているなどと思い上がったりはしないが……腑に落ちないことが多いのも事実である。


 彼は戸締りと火の気のないことを確認しながら使用人の居住棟を出て階段を下り、別棟へ向かった。出入り口に待機する守衛に声を掛け、特に異常がないことを確認しあう。

 二つ目の階段の手前で、前方から明かりが近付いてくるのが見えた。
 近づくにつれ、その主は執事補佐役のノイグ・キッシュなのだと分かった。

 ノイグは壮齢でこの城に長く住み込んでいる使用人である。
 ブラウンの短髪はよく切り揃えられており、頬がこけていて細身だが、それがかえって灰色の従僕服のラインを際立たせ、暗がりに半分溶けながら落ち着いた所作で歩いて来る様子は遠目から見ても文句の付けようがない優美さだった。

 年次で言えばシドよりずっと上であり、一見神経質そうでとっつきにくいが、都会の貴族家出身のせいか知識、技量とも優秀な男である。

「これはシド殿、夜回りですか」
「はい。一通りこちらは終わりました。貴方はこんな時間に何を?」
「はは、今から詰め所へ行く所です。オリーズ候のお部屋で侍従のモア様と三人で話し込んでいたら時間を忘れてしまいましてね。隣の部屋から奥様がいらして怒られてしまいました」

 ノイグは小声でおかしそうに説明した。二人とも向かう方向が同じだった為、階段を共に降りて行く。

「バゼル様が亡くなってそろそろ三ヶ月になりますか。あの方は候爵家のことを一番に考えておられる素晴らしい執事だった。どうですか、お仕事の調子は」
「おかげさまで、随分慣れてきたと思います。祖父の行っていたようにできていれば良いのですが」
「それは私の目から見て十分だと思いますよ。私が補佐などせずともシド殿は想像していた以上に随分と管理者の心得を習得されているようだ。あれはやはりバゼル様からの教えですか」
「はい、幼い頃から仕込まれました」
「どうりで。従僕どもの取りまとめには感服致しました」
「痛み入ります」
「ところで、シド殿。あなたは……いつまでここでの仕事を続けられるおつもりで?」
「…………、」

 見れば、ノイグは鉄に貼り付けたような偽の微笑を向けていた。

 なるほどと、シドは思った。バゼルの死後、執事代理として中継ぎをしていた彼は、本来の序列であれば間違いなく後継についていたはずだ。アイボット家出身というだけで候爵から執事に任命されたシドを快く思っているはずもないだろう。これがこの男の本性だとしても驚くようなことではなかった。

 シドは特に動じることもなく歩き続ける。

「さあ、分かりませんね。まだここへ来て間もないですから。私はアイボット家の人間ですので、生涯ここにいる可能性もありますが」
「はっはっ、生涯ですか。出世を待ちわびている従僕共が気絶してしまいますよ」
「……あなたには申し訳ないことですが、こればかりは宿命のようなものですから」
「宿命……! これはこれは、お気になさらずに。もうじきお迎えすることになるフィリアお嬢様の旦那様にも恐らく侍従が必要になるでしょう。オリーズ候の采配によってはあなたがそこへ付くことになるやもしれませんからね」
「……、さようですか」

 一階まで下りると、ノイグは嫌味すぎない程度ににやりと笑いかけ、「それでは、シド殿、お先に休ませていただきます」と一礼して再び闇の中へ消えて行った。

 所作は美しいが、どことなく含みを感じさせる言葉遣いが癇に障る男だった。


 シドは彼とは逆の方向へ進み、使用人用の扉を解錠して外の渡り廊下へ出た。
 渡り廊下は中庭の小道を横切って石畳が敷かれている。
 夜辺のそこへ立つと、ひやりとした秋の涼気が体を覆い、心地良い薫風が頬をかすめていった。
 夏といえど気温がそれほど上がらないのがこの国の良い所だ。空には型でくり貫いたかと思うほど丸い月が青白く浮かんでいる。おかげで明かりのない中庭の生垣や花々も辛うじてぼんやりと目に見えた。
 渡り廊下は静まり返り、彼の足音だけがカツカツと響いていく。

 しばらく歩いている内にふと、誰かに呼ばれた気がした。

 気のせいかと思ったが、立ち止まって振り仰いでみれば別棟の塔の上に光る物が見えた。
 塔の屋上で月明かりが反射し、そこだけ世界が変わったように白銀色に淡く光っている――あれは。

 唄が聞こえる。
 木漏れ日のような、暁のような歌声だ。
 いつの時代か、誰の作だったか、もう知る者はない、懐かしく古い星の唄。
 その、辛うじて星座の名だけが解せる言葉はまじないに似て。


――ラサノオーラ ウースナーヤ
  ソーゾウゥ ロドーウィー
  ラサノウーラ ムーイナーヤ
  ビーヨルゥ ロドーウィー
  オー イギレティオーナ
  オー イギレティオーナ
  ラサノオーラ ウースナーヤ――


 真っ白な絹織りのドレスと、まるで空から降りてきたのかと見間違うほど星のように煌く白銀の髪。その横顔と眼差しは深秘の色をなし、手は星屑を掬うように高く差し伸べられている。

 そういえば星を見るのが好きだと言っていたか――。

 月夜のフィリアは驚くほど美しかった。
 精霊に見初められているのだと人が噂する理由も、この不思議めいた神秘性を見れば明らかである。
 初めて見た者なら誰でも時を忘れて見入ってしまうことだろう。

――出会えたとて……――

 シドも少し見とれたが、すぐに視線を落として歩き出した。その表情は闇に紛れ、フィリアが初対面で目撃した時と同じような翳りのある鷹の目へと変化する。


「追え! 中庭へ逃げたぞ、追えー!」


 突如として静寂が打ち砕かれた。

 声のした方――広い中庭の闇の向こうに松明がいくつも集まって来るのが見え、衛兵達の叫び声とけたたましい足音とが響き渡る。

 シドが何事かと身構えれば、茂みをかき分ける葉擦れの音が見る見るうちに近付き、あっという間に黒く怪しい人陰が飛び出してきた。ギラリと光る刃物を向けて突進してくる!

<つづく>
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