黒猫は見た

杠葉 縞

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01.黒猫

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 今日も仕事が長引いた。空が暗くなってからどれくらいの時間が経つのだろう。俺は肩を鳴らしながら、小学校の校舎を抜けて裏門に向かおうとした。
 仕事が長引いた理由は単純だ。老害代表の長井校長が「今どきの子供たちにも日本らしいお正月を」とか言い出したせいで、再来月の図工のカリキュラムとして、凧揚げ用の凧やら独楽回し用の独楽やらの作り方を、子供たちに教えることになったからだ。おかげでこの時間まで、そのための準備に明け暮れていた。しかも普段の仕事に加えてだから、俺にとってはたまったものじゃない。
 職員会議では長井校長の提案に、誰も異議を唱えなかった。上司に逆らいづらかったとか、そんな理由じゃない。その仕事は全部、図工の担当教員である俺に回ってくるからだ。つまり自分たちに関係ないことはどうでも良かっただけだ。
 それだけならともかく、職員会議をまったく聞いていないやつだっている。疲れてウトウトと居眠りしているやつなんてまだ可愛い方だ。例えばこっそりスマホをいじっているやつ。ワイヤレスのイヤホンで音楽を聞いているやつ。若い女性教員である国枝先生や、美人と評判の大理先生を、チラ見どころかガン見しているやつ。お前ら、何のために大変な思いをして「小学校教諭免許状」を取得したんだ?
 話は戻るが……凧揚げやら独楽回しやら、そんなの教えたところで、今どきの子供たちがお正月にそれを楽しむか? あいつらを見てみろ。正月なんて、四人に一人は中学受験の冬期講習のために塾に通っているぞ。残りの三人は、家でスマホかゲーム。公園にいたとしても、友達同士で集まってスマホかゲーム。正月にやる正月らしい遊びなんて、せいぜい双六や歌留多などの、現代でも残る「ボードゲーム」に近い遊びばかりだろう。というよりボードゲームなら、やりたくなったときにやるだろう。正月しかやってはいけないなんて決まりはない。
 大体、最近の公園は制限が多すぎるから、正月らしい遊びを教えたところで、凧揚げだって独楽回しだってできやしないだろう。ボール遊びはしてはいけないとか、自転車で乗り込んではいけないとか。ひどいところは従来あった遊具が撤去されていると聞く。それらが、怪我人を出さないようにするためというのは認める。でも他人に迷惑をかけたら謝る、お互いが気持ち良く利用できるように配慮の気持ちを持つようにする、それだけでいいじゃないか。最初からあれもこれも禁止するからこそ、公園に寄りつく子供たちは激減している。
 その結果、公園は年寄りの憩いの場にしかならなくなった。それだけならまだいい。ホームレスたちの住処代わりになっていないか? お役所は本来の使い方を禁止する策を出すより、そのホームレスたちに仕事を斡旋するための策を講じるべきじゃないのか? ありとあらゆる職場が「人手不足」と嘆いているが……本当に人手不足なのか?
 まあ「日本らしいお正月」の授業も、もう決まってしまったことだ。仕事の効率化を考えて提示して却下されるまでがセットだと考えると、この安い給料じゃ割に合わない。それなら黙って言う通りに作業を進める方がいいだろう。それに俺は別に子供が嫌いという訳ではないんだ。さもなければ、いくら公務員という肩書きが魅力的だからといっても、小学校の先生なんて仕事は選ばない。
 とりあえず今日は、さっさと家に帰って、アクセサリーのハンドメイド制作に取りかかろう。学校の仕事よりも、そっちの方がずっと楽しい。特に、対人関係の面倒な気遣いが必要ないのはありがたい。
 俺は昔から手先は器用だったから、離れて暮らしている姉から頼まれたピアスやネックレスなどのアクセサリーを作って彼女に渡し、代わりに小遣いをもらっている。はっきり言って、本職よりもずっと割のいい仕事だ。もちろん、公務員は原則的に副業が禁止されているのは知っている。しかしこれはあくまで「制作したアクセサリーを無償で姉に提供している」であり「弟として姉から小遣いをもらっている」だから問題ないと、自分で勝手に思っている。そのアクセサリーを姉がどういう風に扱っているかは、弟の俺は知らない。もちろん薄々、勘付いてはいるけれど。
 今はフリマアプリが乱立している時代だし、毎月のように姉から「このデザインのピアスを作って」「このアニメのキャラクターがしているネックレスを作って」というような依頼が来るということは、彼女はそれなりに儲けを出しているんだろう。収入だけを考えるなら、小学校の先生なんて辞めてアクセサリーのハンドメイド作家に専念しようかと考えたことはあるが、やはり公務員という社会的立場という名の保険を捨てる勇気はなかった。フリーランスは世の中の景気に左右されやすいという話もよく聞くし。
「工藤先生! 工藤先生じゃないですか?」
 突然、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返るとそこには、同僚の三津井がいた。振り返ったりせず聞こえないふりをして、さっさと立ち去れば良かった。
 俺はこいつが好きじゃない。好きか嫌いかでいえば、嫌いだ。特に嫌いになるようなきっかけがあった訳じゃない。同い年ということもあり、何度か二人で飲みに行ったこともあるし、他の教員たちも交えてだけど、何度か彼の家で飲んだこともある。単純接触効果で好感を持つには充分な出来事だろう。それでも彼を好きになれない理由は単純だ。
 三津井は、小学校教員には相応しくない、スラリとした体躯に甘いマスクの持ち主だ。生徒の保護者、つまり母親たちが色めきだっているのも知っている。それに対して俺は、日本人の平均的な体型ではあるけれど「その辺にいそうな男」という平凡な顔立ちをしている。過去に何度か合コンに人数合わせとして呼ばれたことはあるし、女性と連絡先の交換をして何度かデートに漕ぎ着けたこともあるが、交際に発展したことはほとんどない。マッチングアプリで恋人探しをしてみたこともあるが、交際に発展したことは一度もない。つまり俺は世間で言う「非モテ」の男だ。現在、新しい恋人が欲しいと思っている訳ではないから、別にいいのだが。
 つまり俺が三津井に対して抱いている感情は、ただの嫉妬だ。言い換えれば逆恨みだ。だからといって彼に冷たい態度を取ろうとか、そんなことは考えていない。いい年した大人なんだし。ただし関わりたくないとは思っている。しかし他人を納得させられるような嫌いになる理由もきっかけもない訳だから、結局はダラダラと業務外でも付き合いを続けている。こうして考えると、何だか倦怠期の恋人同士みたいだな。もちろん俺は同性愛者ではないのだが。
「今、お帰りですか? 僕も今から帰宅なんですよ。車で来ているんで、良かったら途中まで乗っていきませんか?」
「え、ええ。ではお言葉に甘えます」
 おい。三津井は何で俺を誘ってきたんだ? 今夜は女と用事はないのか? そして俺は何でこいつの誘いに乗ったんだ? それは仕方ない。うまい断り文句が思いつかなかったんだ。それに今日は車で来ているなら、飲みに誘われることはないだろう。直帰できるなら送ってもらうに越したことはない。ガソリン代を要求されるようなこともないだろうし。
 俺たちが勤める緑が丘小学校は、おおよそ縦横八十メートルずつの敷地で、北側三分の一程を校舎が占めており、その校舎のさらに北側に教員用の車を置く場所と裏門がある。小学校から徒歩十分ほどで地下鉄の緑が丘駅だから、俺は通勤に電車を使っているが、三津井はいつも車で通勤している。車がないと不便な地域に住んでいるという訳ではなく、単に車を持っているというステータスを見せびらかしたいだけだろう。昨今では免許を持っていても車を持たない若者は珍しくない。車自体を買うことはできても、維持費や保険料を払い続けるのが厄介なのだ。
「今、鍵を開けますね。助手席にどうぞ」
 三津井はキーレスキーを、黒い車に向けた。ロックが解除されたような音が聞こえたので、俺は車の正面から向かって右側のドアを開けてシートに座った。眠気覚ましなのか、ミントの香りがした。それ以外の香りは一切しなかった。別に嗅覚に自信がある訳ではないので、断定はできないが。
 そういえば三津井は嫌煙家で、煙草を吸わないどころか煙草を吸う人を車に乗せることもしないと言っていたっけ。よくよく思い出してみると、一緒に飲みに行くときも、完全禁煙か分煙がしっかりできているお店を選ぶようにしていたな。煙草を吸う人を軽蔑するような発言をしていたと、彼の受け持ちの生徒が言っていたこともあったっけ。
 そして助手席に座ってから気付いた。やはり足元が狭くなっている。俺より明らかに背が低い人間、つまり女性を乗せてそのままにしておいたのだろう。俺はシートを後ろにスライドさせた。そして隙間から、彼が直近で女性を乗せた痕跡である、どう見ても女性用だろうピアスを見つけてしまった。
 隣ではすでに三津井が運転席に乗り込み、シートベルトを装着していた。彼はそのままエンジンのキーを回した。その直後だった。
『ギャー。ドカン、ドカン』
 急に悲鳴のような爆発のような音が、俺たちの聴覚を襲った。お互いに「今のは?」という表情で顔を見合わせる。
 エンジン自体はどうやらかかった様子だ。しかし夜でありながら、車の周りには煙が立ち込めているのが見えた。しかも車にあまり乗らない俺でも分かるような、異常な振動を感じる。エンジンをかけたときに、何かしらの異常事態が発生したのは間違いない。
「すみません。ちょっと僕、見てきます」
 三津井は一旦、エンジンを切り、車から降りて外に出ていった。俺は「自分がしゃしゃり出るのも何だし……」と心の中で言い訳をしながら、助手席から静かに彼の様子を伺った。
「うわ……」
 何が起こったのか、異常を感知したときから三津井は想像していたようだった。彼はボンネットを開けて、中身を見て驚愕の表情を見せた。
 ああ、なるほど。自分でも想像がついた。おそらく小動物がボンネットの中に入り込んで、エンジンをかけたときにファンの回転に巻き込まれてしまったのだろう。そしてその小動物は、そのまま……。
 まだ十一月と捉えるか、もう十一月と捉えるか。人によって違うだろうが、寒くなってきたから、そういうことがあってもおかしくない。特に野良猫が寒さを凌げる暖かい場所を求めてボンネットの中に入り込むことがあるから、車に乗るときはボンネットを叩く、いわゆる「猫バンバン」をするようにと、あれだけテレビやインターネットでも警告が出ていたのに。
 これは俺にも責任があるのだろうか? いや俺はこの車の所有者でもないし、そこまでの責任はないはずだ。エンジンのキーを回したのはあくまで三津井だ。つまり彼に責任がある。エンジンをかける前に「猫バンバン」をするべきだったんだ。まあ「猫バンバン」をしたところで、事故は百パーセント完全に防げる訳ではないんだが。衝撃を感じても出ていってくれない子はいるから、あくまで事故の確率を下げることしかできない。
 三津井は助手席のドアを手で開けると、俺に車を降りるように促した。
「すみません、工藤先生。ちょっとトラブルがありまして。僕の方から送ると言ったのに、送っていけなくなりました。いつも通り、電車でお帰りいただいてもよろしいですか?」
「あ、ああ……」
 三津井はスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。保険会社か整備会社にでも連絡しているのだろう。俺も面倒事に巻き込まれたくなかったし、さっさとここを退散することにした。
 俺は車を降りて後手でドアを閉めた。気にならないと言えば嘘になるけれど、見て気持ちのいいものでもない。ボンネットの方には目を向けないようにしよう。
 そう思いながら裏門に足を向けた途端、俺はギクリとなった。草むらで、二つの黄色い目がこちらを向いている。
 ゆっくりと動いていた雲が月を覆い隠すのをやめた途端、月明かりが差し込んできて、その二つの目が一匹の黒猫のものだということが分かった。
「ひょっとして……」
 三津井の車の事故に巻き込まれた小動物と、あの黒猫は、何か関係があるのだろうか。
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