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12.和解
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工藤先生は、この場にいる全員の視線を受けながらも黙っていた。何も反論してこようとしなかった。
「……あの、工藤先生。何も反論してこないってことは、犯行を認めるんですか?」
この重い空気に耐えられなくなったのか、真っ先にパパが口を開いてくれた。
「はい。認めます。私が国枝先生を殺して、三津井先生を殺しました。そして三津井先生の首を、監視カメラを通さず校庭に出現させた方法は、先ほど刑事さんが再現した通りです」
刑事ドラマだとこういうときって、犯人はひたすら悪あがきをするものだと思っていたけど、意外とあっさり認めるのね。現実って、こんなものかしら。
「あの、こういうときって、犯人はひたすら『自分はやってない!』って反論するものだと思っていたけど。やけにあっさりと、犯行を認めるんですね。今どきの犯人って、こういうものなんですか?」
あら、大理先生。あたしと話が合うじゃない。ただ「今どきの犯人は」というのは、さすがに答えられないと思うわよ。
「殺人の時効はとっくに撤廃されました。一連の犯行の最重要容疑者として私が名指しされてしまった以上、警察は徹底的に私を見張ったり尋問したりするでしょう。一生、警察に追われるより、潮時だと思ったところで幕を引こうと、最初から決めていましたから」
工藤先生が犯人だということより、犯人が意外と冷静で落ち着いていることに、皆が戸惑いを感じているようだった。当然、あたしも。まあ刑事が四人も同じ部屋にいる状態だし、今さら罪を重ねようとしないか。これ以上、人を殺してしまったら、死刑もあり得るし。
「あの、ところで、工藤先生。何で国枝先生と三津井先生を殺したんですか?」
そう聞いてきたのは長井校長だったけれど、全員が聞きたくてウズウズしていたに違いない。一字一句、聞き漏らさないように、聴覚に神経を集中させている。
「私は、国枝先生とお付き合いをしていたんですよ。いえ、正確には……お付き合いをしていたと思っていたのは、私だけだったようですが」
やっぱり、あたしの女の勘は当たりだったのね。工藤先生は国枝に気があった。でも国枝の方はそうでもなかった、ということか。
「犬飼さん、子猫のジェットちゃんが死んだとき、実は私も現場にいたんです。あの日、帰宅途中に裏門で三津井先生と偶然、遭遇して……家まで送ってもらうことになりました。そういえばあのとき、茂みから一匹の黒猫が私たちの様子を伺っていましたが……あれは犬飼さんが連れていた黒猫だったのかもしれません」
それって、子猫が死んだ現場に、母猫が居合わせてしまったということ? もう少しオニキスが現れるのが早くて、きちんとジェットを連れて帰ることができていれば、こんな悲劇は起こらなかったのかしら?
「そのときに三津井先生の車の助手席に座ったのですが……座席のシートをずらしたときに、見つけてしまったんです。国枝先生にプレゼントしたピアスを」
工藤先生が国枝にアクセサリーをプレゼントして、国枝はそれを受け取ったということ? あたしは今まで非モテっぽい工藤先生が勝手な勘違いをしたと思っていたけれど……この状況なら、ただの同僚以上の関係だと勘違いしても仕方ないと思うわ。
「で、でも……それって単に、偶然、同じピアスが落ちていただけじゃないんですか?」
確かに偶然、同じものが落ちていただけ、っていうのはあり得るわね。世の中に同じデザインのアクセサリーなんて、大量に出回っている訳だし。さもないと一般人が買えるような低価格で提供できる訳ないし。
ちなみに暁兄ちゃんと昴兄ちゃんだって、同じデザインの服を着ていること、よくあるわよ。もちろんサイズは違うから、どちらがどちらのものか、間違えることはないけれど。そういえば親が兄弟に同じデザインの服を着せるのって、どちらかが迷子になったときに警備員に特徴を伝えやすくするため、らしいわね。
「同じピアスが偶然、落ちていた、ということはあり得ないんです。なぜなら私が作ったものですから。世界で一点しかない代物です」
工藤先生、図工の先生というだけあって、器用なのね。アクセサリーも作れるなんて。学校の先生を辞めて、アクセサリー職人に鞍替えした方がいいんじゃないかしら? それとも公務員という肩書きを捨てるのが惜しかったのかしら。
「でもそんなの、たまたま帰りが同じタイミングだったときに、家まで送ってもらっただけじゃないの?」
その可能性もあるわよね。国枝の両親は過干渉っぽいから、たとえ同僚でも男に車で送ってもらったなんて知ったら、うるさそうではあるけれど。
「もちろん、そのときは、たまたま帰りが遅くなったときに送ってもらったことがあるのかもしれない、と思いました。しかし一度、疑い出すと、二人の行動全てが怪しく見えてきたんです。二人とも同じメニューのお弁当を食べていたり、同じシャンプーなのか香水なのか分からない香りを漂わせていたり……」
この辺りの推理は、暁兄ちゃんと昴兄ちゃんの推理と見事に一致していた。
「そしてどうやら二人が付き合っていることは、暗黙の了解だったんですね。私は何も知らず、あの国枝先生の恋人は自分だと思い込んで、一人で浮かれていました。本当に馬鹿でした」
工藤先生の勘違いは、彼が馬鹿だったからじゃないわ。今回ばかりは、勘違いを誘導するような行動をした国枝に責任があると思うわ。
「そしてあの日、職員会議が終わってそれぞれが解散した後に、もうほとんどの先生が帰ってしまったからと、油断していたんでしょう。たまたま聞こえてしまったんです。本命である三津井先生と電話しているのを」
国枝、仕事が終わったとはいえ、まだ学校にいるんだから、私用電話は控えておきなさいよ!
「二人で食事に行く約束でもしていたみたいです。十九時半に駅と逆方向のファミレスに集合ね、と言っていました。そのときに、自分とは遊びだったんだな、って確信して。私自身の存在を軽んじられたことに無性に腹が立って……気付いたら、たまたま持っていた金槌で彼女を後頭部から殴っていたんです。我に返ったときは、もう息をしていませんでした。あのときは、とにかく死体を隠そうと思って。しかし学外に運ぶには監視カメラをかいくぐらないといけない。それで匂いのせいで誰もあまり近寄ろうともしないチャボ小屋に隠すことを思いつきました」
とっさに思いついたにしては、なかなかいい隠し場所よね。工藤先生、アクセサリー職人だけでなく、そっちの方面でも才能があるのかしら。
「ちなみに、いつまでも待ち合わせ場所に来ない国枝先生のことを三津井先生が気にしているかなと思い、彼女のスマホの電源は切っておきました。そうすれば学校に様子を見に来るかなと思いましたが……いつまで経っても彼は来ませんでした」
工藤先生が十時まで学校にいたのは、授業の準備だけでなく、三津井が来るのを待っていたというのもあるのかしら。でも三津井が来たら、国枝のこと、どう言い訳するつもりだったのかしら。
「それどころか翌日、三津井先生は国枝先生がいつまでも待ち合わせ場所に来なかったことを、気にも止めていないようで。むしろ行方不明になのをいいことに、大理先生にいつも以上に言い寄っていましたよね。何だか虚しくなりましたよ。私が夢中だった国枝先生の本命は、彼女のことは遊びだったんです」
工藤先生は国枝に片思いをしていて、国枝は三津井に片思いをしていて、三津井は大理先生に言い寄っていて、大理先生は長井校長と付き合っていて……こうして関係を整理してみると、昼ドラも驚きのドロドロの関係だわ!
「三津井先生のことは、殺してやりたいと思うほど恨みはなかったですが……私が殺してしまった国枝先生なら彼を許さないだろうなと思ったのと、国枝先生を殺した容疑から外れるために、彼のことも殺しました。それに……私自身、つまらない人生を送ってきたと思っていたので、最後に主役になってみたかったんです。謎解き要素のある殺人事件の犯人という、影の主役に」
三津井の方は首を切られて残虐な殺され方をしていたから、てっきり犯人は彼の方への恨みが強いと思っていたけれど……あれはこのトリックを成功させるための布石でしかなかったのね。
「あの、でも。国枝先生を殺してから、たった一日であんなしっかりした凧を作ったんですか? そもそもあんなトリック、強風がないと成立しないのに」
暁兄ちゃんが不思議そうに聞いてきた。あたしもそれは思っていたわ。いくら図工の先生で手先が器用だったとしても、いくらなんでも作業が早すぎる。暁兄ちゃんと昴兄ちゃんは二人がかりで結構、苦労して作っていたのに。もちろん出来がいまいちで修復が難しいと判断するたびにホームセンターに新しい材料の買い出しに行ったから、そのたびにパパが悲しそうにしていたわ。
「凧については、あらかじめ作っていたんです。長井校長に無理強いされた形になりましたが……重い物でも持ち上げられる凧を子供たちに披露すれば、それが教育に繋がるだろうとね。揚力は飛行機の開発に携わる人なら、絶対に知らないといけない知識ですから。三津井先生を殺そうと思った日、たまたま強風が吹いていたから、このトリックが使えるかもしれないと思って実行してみたら……見事に成功したということです」
工藤先生がそう言い切った後、誰も何も言葉を発せず無言の空気が流れてしまった。だからあたしはずっと口を閉じていたけれど……ついに開かせてもらったわ。
「情けないわよ! 工藤先生!」
あたしの声に、誰も何も反応しようとしなかった。でもあたしは言葉を続けさせてもらった。ずっとおとなしく黙っていたんだから、これくらいいいでしょう?
「あのね、工藤先生。同じ日本って国で、同じ人間として生まれて、同じ言葉を使えるんでしょ? それなら言えばいいじゃない。浮気なんてしないでくれって。自分だけを見てくれって。あたしだって『ぼおいふれんど』の虎太郎が他の女を見るたびに、あんたの『があるふれんど』はあたしでしょ! って、しっかり叱っているわよ。何でまだ四歳のあたしができることを、アラサーのあなたができない訳?」
以心伝心なんて言葉があるけれど、人間はそんな魔法、使えない。ちゃんと言葉で伝えなきゃ。絶対に相手には伝わらないわよ。
「……あんた、前を向きなさいよ」
ここであたしの直後に口を開いたのは、意外にも、犬飼さんだった。ジェットを死なせたことでひたすらクレームをつけてきた保護者とは、百八十度、印象が違う。
「私は昔、旦那に浮気されて逃げられてね。一人息子……つまりスミレの父親を、一人で、必死で育てた。そりゃあ旦那のことは恨んださ。今でも殺してやりたいと思っている。でもね、それよりも残された家族を大事にすることを優先すべきだと思った。国枝先生のことは、どんなに恨んでもいい。でも怒りに飲まれてはいけない。あんたはそんな二股女は切り捨てて、自分が幸せになることを最優先にするべきだったんだよ」
犬飼さん、分かっているじゃない。あなたもジェットを死に追いやった三津井を恨んでもいいけど、残された家族を最優先すべきだったのに。それとも、ひょっとして……。
「お祖母ちゃん、本当は三津井先生を恨んでいた訳ではないんじゃない?」
どうやらスミレさんは気付いたようね。犬飼さんは、本当はキチガイなクレーマーなんかじゃないって。
「何でそう思うんだい?」
まさかまだ小学校六年生の孫に、自分の心境を見抜かれたとは思わなかったのかしら。でもね、子供は大人が思っている以上に、子供じゃないのよ。
「私がお母さんに、望まない中学受験をやらされていることを、可哀想に思ってくれたんじゃない? でも同居してもらっている身だから、お母さんに強く出られなかった。だからジェットが死んだときに……言い方は悪いけど、それを利用してクレーマーのフリをしたんじゃない? そうすれば私の担任だった国枝先生に、調査書にひどいことを書かれて、中学受験しても全落ちして、緑が丘中学校に……皆と同じ中学に通えることになると思ったから」
スミレさんがしょっちゅう塾に遅刻していることから、彼女が中学受験に乗り気じゃないのは明らかだった。彼女と同居している犬飼さんだって、とっくに気付いていたのね。
そういえば、スミレさんのご両親は、ジェットを死なせた三津井を責めるようなことはしなかったと言っていたけれど……あれは、本当は、三津井を責めるのは逆恨みだと思っていた訳でなくて、調査書に悪いことを書かれるのを恐れたのかもしれない。
「最初はお祖母ちゃん、孫の私より、死んだジェットのことばかり気にかけているのかって思って、悲しかった。でも私が図書室で居眠りをして帰らなかった日に、私を心配して学校まで来て、夜の校舎を一時間も探してくれたんでしょ? 三津井先生はいつも逃がされていたから、どうせ放課後に学校に来たって、会えないことは分かっていたはずなのに」
最初に会ったときは、とんでもなく面倒な老害とか思っちゃったけれど、自分が悪者になってまで孫娘を守ろうとしただけだったのね。さすが元警察官なだけあるわ。市民を守るために自分を盾にしようとできる……。
「あのね、お母さんに私からちゃんと言うよ。中学受験を辞めたいって。皆と同じ中学に行きたいって」
「でもあんた、そんなことしたら、お母さんにどんなに叩かれるか……」
スミレさん、お母さんに叩かれていたの? 教育虐待ってやつ? 中学受験を巡って親子で刃傷沙汰になるって話は珍しくないけれど。でもそんな複雑な家庭にいながら、花壇の花に水やりをかかさない、優しい子に育ってくれたのね。
「あのね。実は……今までお母さんに模試の結果が悪いことで罵声を浴びせられたり、叩かれたりしたってことについては、鍵アカウントでSNSに書いているんだ。そのときの証拠になりそうな写真も、スマホで撮影して載せているから。お祖母ちゃん、昔から私に話してくれたじゃん。何か犯罪に巻き込まれたら、とにかく証拠を残しておけって」
さすが元警察官。大事な孫娘に、ちゃんとそういう話をしているのね。
「ただ、まだ十二歳の私に単独で告訴は難しいけど……十五歳になったら私一人で告訴ができるって聞いたから、お母さんがこのまま変わってくれないようであれば、それまでしっかり記録を残しておくつもりだったよ。だから中学受験を辞めるって言って、お母さんに叩かれたところで、告訴のための証拠が増えるだけだよ」
スミレさん、なかなか、したたかだったわ。でもできれば実の母親を告訴することがないように、周りの大人たちがしっかり守ってあげられるよう、子供を守るための制度を整えるべきなのだけどね。
「あの、それじゃあとりあえず、犯人は分かったし、自供もしていることだし。詳しくは署の方で……」
パパがそう言って、工藤先生を連れて行こうとしたときだった。大理先生が「待って!」と声をかけた。
「工藤先生。私は実は、国枝先生の家に行って、二人きりで飲んだことがあるの」
大理先生が、国枝の家で二人で飲んだ? ああそうか、アラサーなのに今でも親がうるさくて夜に飲みに行くのも難しい国枝だけど、同性の同僚が彼女の家で飲むことに関しては、文句を言われずに済んだのか。
「だからそのとき、酔った彼女が思わず漏らしていたけれど……彼女はあなたとのこと、遊びじゃなかったわよ」
工藤先生とのことは、遊びじゃなかった? でも三津井とも付き合っていたのよね? どういうこと?
「大理先生、そんなの信じませんよ。だって現に……」
「国枝先生と三津井先生が付き合っていたのは認めるわ。でもね、国枝先生は……工藤先生に乗り換えようとしていたの」
この言葉にはその場にいた全員が驚いた様子だった。確かに三津井は浮気性だったみたいだけど、でも三津井を捨てて、この地味な工藤先生に乗り換えようとしたと?
「三津井先生は、ほら、あんな浮気性だし。しかもまだ遊びたいみたいで、国枝先生との結婚は考えていないみたいで。でも彼女自身は過保護な親から離れるため、早く家を出るために結婚したがっていた。でも彼女に近寄ってくるのは、三津井先生みたいなチャラい男ばっかり」
そりゃそうよ。だって国枝自身が、チャラい男を引き寄せるようなファッションばかり選んでいるんだもの。遊び目当ての男を引き寄せたくないなら、男受けするようなファッションばかり選んでいないで、もっとお硬い感じのファッションを選ぶべきだったのよ。大理先生のように。
「それでね、いろいろあって工藤先生と二人で食事に行ったりするようになったけど、こういう誠実な人は自分の周りにいなくて新鮮だったって。自分はこの人と一緒になりたいと思ったって。そう言っていたわ」
まあ確かに、付き合うだけなら三津井の方が刺激があっていいかもしれないけど、結婚となると無害そうな工藤先生の方がいいって女性はいると思うわ。
「だから国枝先生が殺された日は、三津井先生とは別れ話をするつもりだったのよ。ほら二人が約束していたのって、ファミレスだったんでしょ? 付き合いが長い二人だとしても、いい年した大人がデート場所にファミレスは選ばないでしょ?」
それは確かに。学生や長年、連れ添った夫婦ならともかく、アラサーでまだお付き合い中のカップルが、デートにファミレスを選ぶって、あんまり考えられないわね。
「ちなみに私が、別れ話をするならチェーン店の喫茶店とかファミレスとか、人目が多いところにするようにって言ったの。これが家で二人きりとなると、別れ話がこじれたりプライドを傷つけられたってことで恨まれたりで、刃傷沙汰になる可能性があるから。人目があるところなら刃傷沙汰になりにくいし、最悪の場合は周りが警察を呼んでくれるから」
それは一理あるわね。メモしておきましょう。あたしも今は全然、考えていないけど、もし虎太郎と「ぼおいふれんど」「があるふれんど」の関係を終わらせたいと思ったら……皆がいる場所で別れ話を切り出すことにするわ。
「もちろん、のりしろ期間があった訳だから、彼女がしたことは褒められたことではないけれど……完全な遊びだったっていうのは誤解だから。それだけは知っておいてあげて欲しい」
工藤先生は「そうですか」と言ったきりだった。彼の心には響かなかったのだろうか。それとも国枝を殺してしまったことを、今更ながら後悔しているのだろうか。
「あの、工藤先生。もしかして工藤先生が国枝先生にプレゼントしたのって、ピンクのチューリップのピアスですか?」
工藤先生にそう声をかけたのは、暁兄ちゃんだった。そういえば、国枝と「ピンクのチューリップのピアス」の話をしていたっけ。
「俺は国枝先生が工藤先生をどう思っていたかとか、大理先生ほど近くにいた訳ではないので分からないですが。でも国枝先生、ピンクのチューリップのピアスは気に入っていて、失くしてしまったけど見つけたら教えて欲しいって、俺に言ってきましたよ」
「そういえば、警備員の私にも、何度も聞いてきましたよ。ピンクのチューリップのピアスが、校舎のどこかに落ちてなかったかって」
二見さんまで加勢してきた。ブランド物でもないピアスなんて、失くしたってそこまで必死に探そうとしないでしょうけど、大事な相手からもらったものとなると、話は変わってくるわね。
工藤先生はもう一度「そうですか」とだけ言って、それ以外は何も言わずに、パパたちと一緒に校長室を出ていった。
人生で一度くらい主役になってみたかったと言っていた工藤先生。あの日、誤解で国枝を殺すようなことにならなければ、彼女にとって「人生のパートナー」という主役となった人生を送れたかもしれないのに。あたしの言った通り、ちゃんと言葉で話し合うべきだったのよ。
「そうそう、ここに残っているあなたたちに話しておくわ!」
パパたちが出ていったあと、残った暁兄ちゃん、昴兄ちゃん、スミレさん、犬飼さん、二見さん、長井校長、そしてあたしに向かって、大理先生が声を荒げた。
「あのね、あたしは長井校長と付き合ってなんかいないわよ! 彼とは推し活をしている仲間なのよ!」
全員が「工藤先生が犯人だった」以上に驚いた表情を見せた。だって、押し活仲間ってことは……。
「あの、それって、長井校長が韓流スターマニアなんですか? それとも大理先生が鉄道マニアなんですか?」
ここで皆を代表して口を開いてくれたのは暁兄ちゃんだった。どちらにしても、意外すぎる趣味だわ。
「正確にはね、長井校長の娘さんと孫娘さんが、韓流スターマニアなの。彼女たちがもうずっと長井校長に対して冷たい態度を取っているらしくて『何か共通の話題を持てば、自分も家に居場所が見つかるかもしれない』って思ったみたいで……私が韓流スターに夢中だって知って、私に色々と聞いてきたの。校長室に二人きりだったときは、別にこの『おっさん』と小学校であるまじき行動をしていたんじゃないわ。韓流スターのライブ映像を一緒に見ていただけよ」
「どちらにしても、小学校であるまじき行動だと思いますが……」
スミレさんの言葉に、長井校長を除いた全員がウンウンと頷いた。せめて学外の会議室とか借りなさいよ。それに韓流スターマニアなら、同僚の中で探せば他にもいるでしょう。人が多ければ多いほど安く借りられるんだから、こんな還暦近くの「おっさん」と二人で見るより、他の同好の士も探して皆で一緒に見れば、変な疑いを持たれずに済んだんじゃない!
「えー。でも大理先生が胸に刺していた、鉄道のイラストが描かれたペンは?」
暁兄ちゃんは、自分の推理が外れたと認めたくないらしくて、食い下がっている。
「たまたま書くものが必要だったときに借りたままだっただけよ。ちゃんとあの後、返したわよ!」
まあ確かに、同僚からペンを借りるなんて、不自然でも何でもない行動よね。
「でも二人から同じ香辛料が漂ってきたことがありましたけど。二人で食事に行ったからじゃないんですか?」
昴兄ちゃんも自分の推理が外れたと認めたくないのかしら。あと「二人から同じ香辛料が漂ってきた」って、そんなことが分かること自体が不自然よ! まあ昴兄ちゃんなら不自然でもないか。
「そんなの給食がないときに、同じエスニック料理店で一緒に出前を頼んだだけよ」
確かに同僚とまとめて同じお店で出前を取るのは、不自然でもなんでもないわね。
「で、でも……さっき長井校長とアイコンタクトを取っていましたよね? これ以上、二人が付き合っていることを隠さなくていい、という合図だったんじゃないですか?」
そうよ。だからこそ犯人はスムーズに工藤先生だって絞られたんだし。
「ここで付き合っていると認めれば、私たちは二人とも容疑者から外れるからよ。さもないと、誰がこんな『おっさん』と付き合っていると認めるものですか!」
なるほど。この件に関しては、暁兄ちゃんと昴兄ちゃんの推理は、見事に外れてしまった訳か。
「あの、ところで……さっきから長井校長のことを『おっさん』呼ばわりして……今後、大丈夫ですか?」
スミレさんがおずおずとそう聞いてきた。そういえば一応、職場の上司にあたるのよね。長井校長はさっきから「おっさん」呼ばわりされているのが応えているみたいで、しょんぼりしている。
「実は私も、そろそろ退職を考えていたの。東京での生活に慣れちゃったし、公務員という立場を捨てる訳だから迷っていたけれど……国枝先生は三津井先生と別れを決心していた。犬飼スミレさんは母親に、中学受験をしたくないことを告げようと決意した。私も決意しないと……って思ったわ。私の実家、大分県の温泉街で旅館を経営しているんだけど、退職して女将を継ごうと思うわ」
あら、いいじゃないの。美人女将がお出迎えしてくれる温泉旅館。それなりに需要があると思うわ。
「大分県って、福岡県の隣ですよね。そこから韓国の釜山まで船で三時間弱。飛行機だと一時間弱。それも理由ですか?」
「当たり前じゃない! 女将が韓流スターマニアを卒業しなきゃいけないなんて法律はないわよ!」
むしろそれなら、何で今までずるずると小学校の先生を続けていたのよ!
「……あの、工藤先生。何も反論してこないってことは、犯行を認めるんですか?」
この重い空気に耐えられなくなったのか、真っ先にパパが口を開いてくれた。
「はい。認めます。私が国枝先生を殺して、三津井先生を殺しました。そして三津井先生の首を、監視カメラを通さず校庭に出現させた方法は、先ほど刑事さんが再現した通りです」
刑事ドラマだとこういうときって、犯人はひたすら悪あがきをするものだと思っていたけど、意外とあっさり認めるのね。現実って、こんなものかしら。
「あの、こういうときって、犯人はひたすら『自分はやってない!』って反論するものだと思っていたけど。やけにあっさりと、犯行を認めるんですね。今どきの犯人って、こういうものなんですか?」
あら、大理先生。あたしと話が合うじゃない。ただ「今どきの犯人は」というのは、さすがに答えられないと思うわよ。
「殺人の時効はとっくに撤廃されました。一連の犯行の最重要容疑者として私が名指しされてしまった以上、警察は徹底的に私を見張ったり尋問したりするでしょう。一生、警察に追われるより、潮時だと思ったところで幕を引こうと、最初から決めていましたから」
工藤先生が犯人だということより、犯人が意外と冷静で落ち着いていることに、皆が戸惑いを感じているようだった。当然、あたしも。まあ刑事が四人も同じ部屋にいる状態だし、今さら罪を重ねようとしないか。これ以上、人を殺してしまったら、死刑もあり得るし。
「あの、ところで、工藤先生。何で国枝先生と三津井先生を殺したんですか?」
そう聞いてきたのは長井校長だったけれど、全員が聞きたくてウズウズしていたに違いない。一字一句、聞き漏らさないように、聴覚に神経を集中させている。
「私は、国枝先生とお付き合いをしていたんですよ。いえ、正確には……お付き合いをしていたと思っていたのは、私だけだったようですが」
やっぱり、あたしの女の勘は当たりだったのね。工藤先生は国枝に気があった。でも国枝の方はそうでもなかった、ということか。
「犬飼さん、子猫のジェットちゃんが死んだとき、実は私も現場にいたんです。あの日、帰宅途中に裏門で三津井先生と偶然、遭遇して……家まで送ってもらうことになりました。そういえばあのとき、茂みから一匹の黒猫が私たちの様子を伺っていましたが……あれは犬飼さんが連れていた黒猫だったのかもしれません」
それって、子猫が死んだ現場に、母猫が居合わせてしまったということ? もう少しオニキスが現れるのが早くて、きちんとジェットを連れて帰ることができていれば、こんな悲劇は起こらなかったのかしら?
「そのときに三津井先生の車の助手席に座ったのですが……座席のシートをずらしたときに、見つけてしまったんです。国枝先生にプレゼントしたピアスを」
工藤先生が国枝にアクセサリーをプレゼントして、国枝はそれを受け取ったということ? あたしは今まで非モテっぽい工藤先生が勝手な勘違いをしたと思っていたけれど……この状況なら、ただの同僚以上の関係だと勘違いしても仕方ないと思うわ。
「で、でも……それって単に、偶然、同じピアスが落ちていただけじゃないんですか?」
確かに偶然、同じものが落ちていただけ、っていうのはあり得るわね。世の中に同じデザインのアクセサリーなんて、大量に出回っている訳だし。さもないと一般人が買えるような低価格で提供できる訳ないし。
ちなみに暁兄ちゃんと昴兄ちゃんだって、同じデザインの服を着ていること、よくあるわよ。もちろんサイズは違うから、どちらがどちらのものか、間違えることはないけれど。そういえば親が兄弟に同じデザインの服を着せるのって、どちらかが迷子になったときに警備員に特徴を伝えやすくするため、らしいわね。
「同じピアスが偶然、落ちていた、ということはあり得ないんです。なぜなら私が作ったものですから。世界で一点しかない代物です」
工藤先生、図工の先生というだけあって、器用なのね。アクセサリーも作れるなんて。学校の先生を辞めて、アクセサリー職人に鞍替えした方がいいんじゃないかしら? それとも公務員という肩書きを捨てるのが惜しかったのかしら。
「でもそんなの、たまたま帰りが同じタイミングだったときに、家まで送ってもらっただけじゃないの?」
その可能性もあるわよね。国枝の両親は過干渉っぽいから、たとえ同僚でも男に車で送ってもらったなんて知ったら、うるさそうではあるけれど。
「もちろん、そのときは、たまたま帰りが遅くなったときに送ってもらったことがあるのかもしれない、と思いました。しかし一度、疑い出すと、二人の行動全てが怪しく見えてきたんです。二人とも同じメニューのお弁当を食べていたり、同じシャンプーなのか香水なのか分からない香りを漂わせていたり……」
この辺りの推理は、暁兄ちゃんと昴兄ちゃんの推理と見事に一致していた。
「そしてどうやら二人が付き合っていることは、暗黙の了解だったんですね。私は何も知らず、あの国枝先生の恋人は自分だと思い込んで、一人で浮かれていました。本当に馬鹿でした」
工藤先生の勘違いは、彼が馬鹿だったからじゃないわ。今回ばかりは、勘違いを誘導するような行動をした国枝に責任があると思うわ。
「そしてあの日、職員会議が終わってそれぞれが解散した後に、もうほとんどの先生が帰ってしまったからと、油断していたんでしょう。たまたま聞こえてしまったんです。本命である三津井先生と電話しているのを」
国枝、仕事が終わったとはいえ、まだ学校にいるんだから、私用電話は控えておきなさいよ!
「二人で食事に行く約束でもしていたみたいです。十九時半に駅と逆方向のファミレスに集合ね、と言っていました。そのときに、自分とは遊びだったんだな、って確信して。私自身の存在を軽んじられたことに無性に腹が立って……気付いたら、たまたま持っていた金槌で彼女を後頭部から殴っていたんです。我に返ったときは、もう息をしていませんでした。あのときは、とにかく死体を隠そうと思って。しかし学外に運ぶには監視カメラをかいくぐらないといけない。それで匂いのせいで誰もあまり近寄ろうともしないチャボ小屋に隠すことを思いつきました」
とっさに思いついたにしては、なかなかいい隠し場所よね。工藤先生、アクセサリー職人だけでなく、そっちの方面でも才能があるのかしら。
「ちなみに、いつまでも待ち合わせ場所に来ない国枝先生のことを三津井先生が気にしているかなと思い、彼女のスマホの電源は切っておきました。そうすれば学校に様子を見に来るかなと思いましたが……いつまで経っても彼は来ませんでした」
工藤先生が十時まで学校にいたのは、授業の準備だけでなく、三津井が来るのを待っていたというのもあるのかしら。でも三津井が来たら、国枝のこと、どう言い訳するつもりだったのかしら。
「それどころか翌日、三津井先生は国枝先生がいつまでも待ち合わせ場所に来なかったことを、気にも止めていないようで。むしろ行方不明になのをいいことに、大理先生にいつも以上に言い寄っていましたよね。何だか虚しくなりましたよ。私が夢中だった国枝先生の本命は、彼女のことは遊びだったんです」
工藤先生は国枝に片思いをしていて、国枝は三津井に片思いをしていて、三津井は大理先生に言い寄っていて、大理先生は長井校長と付き合っていて……こうして関係を整理してみると、昼ドラも驚きのドロドロの関係だわ!
「三津井先生のことは、殺してやりたいと思うほど恨みはなかったですが……私が殺してしまった国枝先生なら彼を許さないだろうなと思ったのと、国枝先生を殺した容疑から外れるために、彼のことも殺しました。それに……私自身、つまらない人生を送ってきたと思っていたので、最後に主役になってみたかったんです。謎解き要素のある殺人事件の犯人という、影の主役に」
三津井の方は首を切られて残虐な殺され方をしていたから、てっきり犯人は彼の方への恨みが強いと思っていたけれど……あれはこのトリックを成功させるための布石でしかなかったのね。
「あの、でも。国枝先生を殺してから、たった一日であんなしっかりした凧を作ったんですか? そもそもあんなトリック、強風がないと成立しないのに」
暁兄ちゃんが不思議そうに聞いてきた。あたしもそれは思っていたわ。いくら図工の先生で手先が器用だったとしても、いくらなんでも作業が早すぎる。暁兄ちゃんと昴兄ちゃんは二人がかりで結構、苦労して作っていたのに。もちろん出来がいまいちで修復が難しいと判断するたびにホームセンターに新しい材料の買い出しに行ったから、そのたびにパパが悲しそうにしていたわ。
「凧については、あらかじめ作っていたんです。長井校長に無理強いされた形になりましたが……重い物でも持ち上げられる凧を子供たちに披露すれば、それが教育に繋がるだろうとね。揚力は飛行機の開発に携わる人なら、絶対に知らないといけない知識ですから。三津井先生を殺そうと思った日、たまたま強風が吹いていたから、このトリックが使えるかもしれないと思って実行してみたら……見事に成功したということです」
工藤先生がそう言い切った後、誰も何も言葉を発せず無言の空気が流れてしまった。だからあたしはずっと口を閉じていたけれど……ついに開かせてもらったわ。
「情けないわよ! 工藤先生!」
あたしの声に、誰も何も反応しようとしなかった。でもあたしは言葉を続けさせてもらった。ずっとおとなしく黙っていたんだから、これくらいいいでしょう?
「あのね、工藤先生。同じ日本って国で、同じ人間として生まれて、同じ言葉を使えるんでしょ? それなら言えばいいじゃない。浮気なんてしないでくれって。自分だけを見てくれって。あたしだって『ぼおいふれんど』の虎太郎が他の女を見るたびに、あんたの『があるふれんど』はあたしでしょ! って、しっかり叱っているわよ。何でまだ四歳のあたしができることを、アラサーのあなたができない訳?」
以心伝心なんて言葉があるけれど、人間はそんな魔法、使えない。ちゃんと言葉で伝えなきゃ。絶対に相手には伝わらないわよ。
「……あんた、前を向きなさいよ」
ここであたしの直後に口を開いたのは、意外にも、犬飼さんだった。ジェットを死なせたことでひたすらクレームをつけてきた保護者とは、百八十度、印象が違う。
「私は昔、旦那に浮気されて逃げられてね。一人息子……つまりスミレの父親を、一人で、必死で育てた。そりゃあ旦那のことは恨んださ。今でも殺してやりたいと思っている。でもね、それよりも残された家族を大事にすることを優先すべきだと思った。国枝先生のことは、どんなに恨んでもいい。でも怒りに飲まれてはいけない。あんたはそんな二股女は切り捨てて、自分が幸せになることを最優先にするべきだったんだよ」
犬飼さん、分かっているじゃない。あなたもジェットを死に追いやった三津井を恨んでもいいけど、残された家族を最優先すべきだったのに。それとも、ひょっとして……。
「お祖母ちゃん、本当は三津井先生を恨んでいた訳ではないんじゃない?」
どうやらスミレさんは気付いたようね。犬飼さんは、本当はキチガイなクレーマーなんかじゃないって。
「何でそう思うんだい?」
まさかまだ小学校六年生の孫に、自分の心境を見抜かれたとは思わなかったのかしら。でもね、子供は大人が思っている以上に、子供じゃないのよ。
「私がお母さんに、望まない中学受験をやらされていることを、可哀想に思ってくれたんじゃない? でも同居してもらっている身だから、お母さんに強く出られなかった。だからジェットが死んだときに……言い方は悪いけど、それを利用してクレーマーのフリをしたんじゃない? そうすれば私の担任だった国枝先生に、調査書にひどいことを書かれて、中学受験しても全落ちして、緑が丘中学校に……皆と同じ中学に通えることになると思ったから」
スミレさんがしょっちゅう塾に遅刻していることから、彼女が中学受験に乗り気じゃないのは明らかだった。彼女と同居している犬飼さんだって、とっくに気付いていたのね。
そういえば、スミレさんのご両親は、ジェットを死なせた三津井を責めるようなことはしなかったと言っていたけれど……あれは、本当は、三津井を責めるのは逆恨みだと思っていた訳でなくて、調査書に悪いことを書かれるのを恐れたのかもしれない。
「最初はお祖母ちゃん、孫の私より、死んだジェットのことばかり気にかけているのかって思って、悲しかった。でも私が図書室で居眠りをして帰らなかった日に、私を心配して学校まで来て、夜の校舎を一時間も探してくれたんでしょ? 三津井先生はいつも逃がされていたから、どうせ放課後に学校に来たって、会えないことは分かっていたはずなのに」
最初に会ったときは、とんでもなく面倒な老害とか思っちゃったけれど、自分が悪者になってまで孫娘を守ろうとしただけだったのね。さすが元警察官なだけあるわ。市民を守るために自分を盾にしようとできる……。
「あのね、お母さんに私からちゃんと言うよ。中学受験を辞めたいって。皆と同じ中学に行きたいって」
「でもあんた、そんなことしたら、お母さんにどんなに叩かれるか……」
スミレさん、お母さんに叩かれていたの? 教育虐待ってやつ? 中学受験を巡って親子で刃傷沙汰になるって話は珍しくないけれど。でもそんな複雑な家庭にいながら、花壇の花に水やりをかかさない、優しい子に育ってくれたのね。
「あのね。実は……今までお母さんに模試の結果が悪いことで罵声を浴びせられたり、叩かれたりしたってことについては、鍵アカウントでSNSに書いているんだ。そのときの証拠になりそうな写真も、スマホで撮影して載せているから。お祖母ちゃん、昔から私に話してくれたじゃん。何か犯罪に巻き込まれたら、とにかく証拠を残しておけって」
さすが元警察官。大事な孫娘に、ちゃんとそういう話をしているのね。
「ただ、まだ十二歳の私に単独で告訴は難しいけど……十五歳になったら私一人で告訴ができるって聞いたから、お母さんがこのまま変わってくれないようであれば、それまでしっかり記録を残しておくつもりだったよ。だから中学受験を辞めるって言って、お母さんに叩かれたところで、告訴のための証拠が増えるだけだよ」
スミレさん、なかなか、したたかだったわ。でもできれば実の母親を告訴することがないように、周りの大人たちがしっかり守ってあげられるよう、子供を守るための制度を整えるべきなのだけどね。
「あの、それじゃあとりあえず、犯人は分かったし、自供もしていることだし。詳しくは署の方で……」
パパがそう言って、工藤先生を連れて行こうとしたときだった。大理先生が「待って!」と声をかけた。
「工藤先生。私は実は、国枝先生の家に行って、二人きりで飲んだことがあるの」
大理先生が、国枝の家で二人で飲んだ? ああそうか、アラサーなのに今でも親がうるさくて夜に飲みに行くのも難しい国枝だけど、同性の同僚が彼女の家で飲むことに関しては、文句を言われずに済んだのか。
「だからそのとき、酔った彼女が思わず漏らしていたけれど……彼女はあなたとのこと、遊びじゃなかったわよ」
工藤先生とのことは、遊びじゃなかった? でも三津井とも付き合っていたのよね? どういうこと?
「大理先生、そんなの信じませんよ。だって現に……」
「国枝先生と三津井先生が付き合っていたのは認めるわ。でもね、国枝先生は……工藤先生に乗り換えようとしていたの」
この言葉にはその場にいた全員が驚いた様子だった。確かに三津井は浮気性だったみたいだけど、でも三津井を捨てて、この地味な工藤先生に乗り換えようとしたと?
「三津井先生は、ほら、あんな浮気性だし。しかもまだ遊びたいみたいで、国枝先生との結婚は考えていないみたいで。でも彼女自身は過保護な親から離れるため、早く家を出るために結婚したがっていた。でも彼女に近寄ってくるのは、三津井先生みたいなチャラい男ばっかり」
そりゃそうよ。だって国枝自身が、チャラい男を引き寄せるようなファッションばかり選んでいるんだもの。遊び目当ての男を引き寄せたくないなら、男受けするようなファッションばかり選んでいないで、もっとお硬い感じのファッションを選ぶべきだったのよ。大理先生のように。
「それでね、いろいろあって工藤先生と二人で食事に行ったりするようになったけど、こういう誠実な人は自分の周りにいなくて新鮮だったって。自分はこの人と一緒になりたいと思ったって。そう言っていたわ」
まあ確かに、付き合うだけなら三津井の方が刺激があっていいかもしれないけど、結婚となると無害そうな工藤先生の方がいいって女性はいると思うわ。
「だから国枝先生が殺された日は、三津井先生とは別れ話をするつもりだったのよ。ほら二人が約束していたのって、ファミレスだったんでしょ? 付き合いが長い二人だとしても、いい年した大人がデート場所にファミレスは選ばないでしょ?」
それは確かに。学生や長年、連れ添った夫婦ならともかく、アラサーでまだお付き合い中のカップルが、デートにファミレスを選ぶって、あんまり考えられないわね。
「ちなみに私が、別れ話をするならチェーン店の喫茶店とかファミレスとか、人目が多いところにするようにって言ったの。これが家で二人きりとなると、別れ話がこじれたりプライドを傷つけられたってことで恨まれたりで、刃傷沙汰になる可能性があるから。人目があるところなら刃傷沙汰になりにくいし、最悪の場合は周りが警察を呼んでくれるから」
それは一理あるわね。メモしておきましょう。あたしも今は全然、考えていないけど、もし虎太郎と「ぼおいふれんど」「があるふれんど」の関係を終わらせたいと思ったら……皆がいる場所で別れ話を切り出すことにするわ。
「もちろん、のりしろ期間があった訳だから、彼女がしたことは褒められたことではないけれど……完全な遊びだったっていうのは誤解だから。それだけは知っておいてあげて欲しい」
工藤先生は「そうですか」と言ったきりだった。彼の心には響かなかったのだろうか。それとも国枝を殺してしまったことを、今更ながら後悔しているのだろうか。
「あの、工藤先生。もしかして工藤先生が国枝先生にプレゼントしたのって、ピンクのチューリップのピアスですか?」
工藤先生にそう声をかけたのは、暁兄ちゃんだった。そういえば、国枝と「ピンクのチューリップのピアス」の話をしていたっけ。
「俺は国枝先生が工藤先生をどう思っていたかとか、大理先生ほど近くにいた訳ではないので分からないですが。でも国枝先生、ピンクのチューリップのピアスは気に入っていて、失くしてしまったけど見つけたら教えて欲しいって、俺に言ってきましたよ」
「そういえば、警備員の私にも、何度も聞いてきましたよ。ピンクのチューリップのピアスが、校舎のどこかに落ちてなかったかって」
二見さんまで加勢してきた。ブランド物でもないピアスなんて、失くしたってそこまで必死に探そうとしないでしょうけど、大事な相手からもらったものとなると、話は変わってくるわね。
工藤先生はもう一度「そうですか」とだけ言って、それ以外は何も言わずに、パパたちと一緒に校長室を出ていった。
人生で一度くらい主役になってみたかったと言っていた工藤先生。あの日、誤解で国枝を殺すようなことにならなければ、彼女にとって「人生のパートナー」という主役となった人生を送れたかもしれないのに。あたしの言った通り、ちゃんと言葉で話し合うべきだったのよ。
「そうそう、ここに残っているあなたたちに話しておくわ!」
パパたちが出ていったあと、残った暁兄ちゃん、昴兄ちゃん、スミレさん、犬飼さん、二見さん、長井校長、そしてあたしに向かって、大理先生が声を荒げた。
「あのね、あたしは長井校長と付き合ってなんかいないわよ! 彼とは推し活をしている仲間なのよ!」
全員が「工藤先生が犯人だった」以上に驚いた表情を見せた。だって、押し活仲間ってことは……。
「あの、それって、長井校長が韓流スターマニアなんですか? それとも大理先生が鉄道マニアなんですか?」
ここで皆を代表して口を開いてくれたのは暁兄ちゃんだった。どちらにしても、意外すぎる趣味だわ。
「正確にはね、長井校長の娘さんと孫娘さんが、韓流スターマニアなの。彼女たちがもうずっと長井校長に対して冷たい態度を取っているらしくて『何か共通の話題を持てば、自分も家に居場所が見つかるかもしれない』って思ったみたいで……私が韓流スターに夢中だって知って、私に色々と聞いてきたの。校長室に二人きりだったときは、別にこの『おっさん』と小学校であるまじき行動をしていたんじゃないわ。韓流スターのライブ映像を一緒に見ていただけよ」
「どちらにしても、小学校であるまじき行動だと思いますが……」
スミレさんの言葉に、長井校長を除いた全員がウンウンと頷いた。せめて学外の会議室とか借りなさいよ。それに韓流スターマニアなら、同僚の中で探せば他にもいるでしょう。人が多ければ多いほど安く借りられるんだから、こんな還暦近くの「おっさん」と二人で見るより、他の同好の士も探して皆で一緒に見れば、変な疑いを持たれずに済んだんじゃない!
「えー。でも大理先生が胸に刺していた、鉄道のイラストが描かれたペンは?」
暁兄ちゃんは、自分の推理が外れたと認めたくないらしくて、食い下がっている。
「たまたま書くものが必要だったときに借りたままだっただけよ。ちゃんとあの後、返したわよ!」
まあ確かに、同僚からペンを借りるなんて、不自然でも何でもない行動よね。
「でも二人から同じ香辛料が漂ってきたことがありましたけど。二人で食事に行ったからじゃないんですか?」
昴兄ちゃんも自分の推理が外れたと認めたくないのかしら。あと「二人から同じ香辛料が漂ってきた」って、そんなことが分かること自体が不自然よ! まあ昴兄ちゃんなら不自然でもないか。
「そんなの給食がないときに、同じエスニック料理店で一緒に出前を頼んだだけよ」
確かに同僚とまとめて同じお店で出前を取るのは、不自然でもなんでもないわね。
「で、でも……さっき長井校長とアイコンタクトを取っていましたよね? これ以上、二人が付き合っていることを隠さなくていい、という合図だったんじゃないですか?」
そうよ。だからこそ犯人はスムーズに工藤先生だって絞られたんだし。
「ここで付き合っていると認めれば、私たちは二人とも容疑者から外れるからよ。さもないと、誰がこんな『おっさん』と付き合っていると認めるものですか!」
なるほど。この件に関しては、暁兄ちゃんと昴兄ちゃんの推理は、見事に外れてしまった訳か。
「あの、ところで……さっきから長井校長のことを『おっさん』呼ばわりして……今後、大丈夫ですか?」
スミレさんがおずおずとそう聞いてきた。そういえば一応、職場の上司にあたるのよね。長井校長はさっきから「おっさん」呼ばわりされているのが応えているみたいで、しょんぼりしている。
「実は私も、そろそろ退職を考えていたの。東京での生活に慣れちゃったし、公務員という立場を捨てる訳だから迷っていたけれど……国枝先生は三津井先生と別れを決心していた。犬飼スミレさんは母親に、中学受験をしたくないことを告げようと決意した。私も決意しないと……って思ったわ。私の実家、大分県の温泉街で旅館を経営しているんだけど、退職して女将を継ごうと思うわ」
あら、いいじゃないの。美人女将がお出迎えしてくれる温泉旅館。それなりに需要があると思うわ。
「大分県って、福岡県の隣ですよね。そこから韓国の釜山まで船で三時間弱。飛行機だと一時間弱。それも理由ですか?」
「当たり前じゃない! 女将が韓流スターマニアを卒業しなきゃいけないなんて法律はないわよ!」
むしろそれなら、何で今までずるずると小学校の先生を続けていたのよ!
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