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第三部 女王様の禁じられたよろこび
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田所に指示された通り、私は部屋の奥のドアに向かった。左手に鞭とローションの瓶と張り型が入ったビニールバッグを持ち、右手で把手を回して引いたのだが、鋼鉄製の厚いドアは予想外に重く、片手だと5センチほどしか動かない。思わずため息が出た。
(これなら最初から開けておいてくれてもよかったのに……)
下々の者に着替えを見られるくらいで女王の威厳は揺るがないのだが、あの営業2課補佐はそこまで気を回せる男ではなかったのだろう。やむなく小道具を床に置き、両手で把手を握り締めて踏ん張った。高貴なる身にあるまじき姿だがやむを得ない。
鋼鉄の扉が、重い軋みをたてて開いた。衣装部屋の灯りは点けたまま、再び小道具を手にした私は真珠色の仄かな光に包まれている空間へ足を踏み入れた。背後で扉が轟音とともに閉まった。
私は、螺旋階段が下りていく吹き抜けの最上部に立っていた。
見下ろすと、漆喰の壁に一定間隔で取り付けられた白色灯に照らされて、無骨な鉄製の階段が20メートルほど下まで続いている。高さからみて、地下1階ぐらいには達しているらしい。
さすがに、建物の外からでは想像もつかなかった。それはともかく、こんなふうに舞台装置が洋風づくしになるのは、そもそもSMの概念が西欧からの輸入品だから仕方がないのかも……などと思いながら私は階段へと足を踏み出す。多少気味が悪かろうが、仕事なのだから逃げるわけにはいかない。
段差はかなり急だったので、片手を手すりに添えながら注意深く足を運んだ。
1段下りるごとに、ピンヒールのたてる音が吹き抜けの空間に甲高く反響する。これも演出の一つだろう。支配者の靴音が近づいてくるのを、奴隷は歓喜に打ち震えながら聞いているのでなければならない。
螺旋階段を一番下まで下りた正面には、これまた頑丈そうな鉄製の扉があった。扉の表面には唐草模様の凝ったレリーフが全面に施されていて、ここにも施主の過剰な思い入れが感じられる。よそ様の造作を鑑賞するのはほどほどにして把手を引くと、今度はすんなり片手で開けられた。扉の先にはイメージ通り、オレンジ色の淡い光が充満する隠微な空間があった。
扉の位置から見ると室内は菱形に区切られていて、広さは6、7メートル四方ほどだが、天井が高いので間取りよりも広く見える。四つの壁それぞれに照明が一つずつ取り付けられ、壁面を橙に染め上げつつ、その光によって部屋全体の個性を演出していた。
高さ5メートルはありそうな天井からは鉤付きの鎖が二本ぶら下がり、右手の壁際には、ひじ掛けや背もたれに拘束具を取り付けた拷問椅子が一つ。かたや左側の壁には、各種の拘束具や鞭、麻縄といった責め具が雑然とフックに掛けられている。正直なところ、これは見栄えが良いとはいえない。
ベッド奥の壁には男の背丈ほどもある戸棚が置かれ、ガラス戸の中に浣腸器やらビニール容器に入ったジェルが収まっているのが見える。戸棚の上には、牛や豚をかたどったラバー製の覆面が台座に被せて立ててあり、部屋のアクセントとして存在感を振り撒いていた。これを被って遊ぶのも楽しかろうと私は思った。
拷問椅子の横に小型の冷蔵庫がある。開けてみると、ハイネケンとペリエの瓶が各3本入っていた。喉が渇いていた私は、ペリエの330ミリリットル入りボトルを開けて半分ほど飲み、冷蔵庫の上に置いた。
拷問椅子に腰かけてみると、意外に座り心地が良い。足を組んで、改めて室内を眺め回す。
もちろん、入った当初から私は気付いていた。
部屋の奥にある黒いウォーターベッドの上に、薄汚い漬物石が一つ載っている。しかし、よーく目を凝らしてみると、それは漬物石ではない。
縞模様のパンツ一枚という姿で土下座しているジジイなのだが、前衛演劇の舞台装置さながらに漬物石になりきっている。これも訓練の賜物なのか。
椅子のひじ掛けに頬杖を突いて、私は漬物石をじっくりと観察した。それは文字通り静謐そのもので、どれほど目を凝らしても微動だにしない。
当たり前だ。漬物石が滅多なことで動いては、その与えられた役割を果たせているとは言えない。たとえ震度7の揺れに見舞われようとも、漬物桶の上から転げ落ちてはならない。
退屈になったので、ビニールバッグから鞭を取り出し、コンクリートの床に振り下ろしてみた。ぴしり、と張りのあるいい音がした。しかし漬物石は漬物石のままだ。
「おかしいわね」
部屋の設計には音響も考慮されているのか、私の声は女王の威厳を伴って心地よく響き渡る。
(これなら最初から開けておいてくれてもよかったのに……)
下々の者に着替えを見られるくらいで女王の威厳は揺るがないのだが、あの営業2課補佐はそこまで気を回せる男ではなかったのだろう。やむなく小道具を床に置き、両手で把手を握り締めて踏ん張った。高貴なる身にあるまじき姿だがやむを得ない。
鋼鉄の扉が、重い軋みをたてて開いた。衣装部屋の灯りは点けたまま、再び小道具を手にした私は真珠色の仄かな光に包まれている空間へ足を踏み入れた。背後で扉が轟音とともに閉まった。
私は、螺旋階段が下りていく吹き抜けの最上部に立っていた。
見下ろすと、漆喰の壁に一定間隔で取り付けられた白色灯に照らされて、無骨な鉄製の階段が20メートルほど下まで続いている。高さからみて、地下1階ぐらいには達しているらしい。
さすがに、建物の外からでは想像もつかなかった。それはともかく、こんなふうに舞台装置が洋風づくしになるのは、そもそもSMの概念が西欧からの輸入品だから仕方がないのかも……などと思いながら私は階段へと足を踏み出す。多少気味が悪かろうが、仕事なのだから逃げるわけにはいかない。
段差はかなり急だったので、片手を手すりに添えながら注意深く足を運んだ。
1段下りるごとに、ピンヒールのたてる音が吹き抜けの空間に甲高く反響する。これも演出の一つだろう。支配者の靴音が近づいてくるのを、奴隷は歓喜に打ち震えながら聞いているのでなければならない。
螺旋階段を一番下まで下りた正面には、これまた頑丈そうな鉄製の扉があった。扉の表面には唐草模様の凝ったレリーフが全面に施されていて、ここにも施主の過剰な思い入れが感じられる。よそ様の造作を鑑賞するのはほどほどにして把手を引くと、今度はすんなり片手で開けられた。扉の先にはイメージ通り、オレンジ色の淡い光が充満する隠微な空間があった。
扉の位置から見ると室内は菱形に区切られていて、広さは6、7メートル四方ほどだが、天井が高いので間取りよりも広く見える。四つの壁それぞれに照明が一つずつ取り付けられ、壁面を橙に染め上げつつ、その光によって部屋全体の個性を演出していた。
高さ5メートルはありそうな天井からは鉤付きの鎖が二本ぶら下がり、右手の壁際には、ひじ掛けや背もたれに拘束具を取り付けた拷問椅子が一つ。かたや左側の壁には、各種の拘束具や鞭、麻縄といった責め具が雑然とフックに掛けられている。正直なところ、これは見栄えが良いとはいえない。
ベッド奥の壁には男の背丈ほどもある戸棚が置かれ、ガラス戸の中に浣腸器やらビニール容器に入ったジェルが収まっているのが見える。戸棚の上には、牛や豚をかたどったラバー製の覆面が台座に被せて立ててあり、部屋のアクセントとして存在感を振り撒いていた。これを被って遊ぶのも楽しかろうと私は思った。
拷問椅子の横に小型の冷蔵庫がある。開けてみると、ハイネケンとペリエの瓶が各3本入っていた。喉が渇いていた私は、ペリエの330ミリリットル入りボトルを開けて半分ほど飲み、冷蔵庫の上に置いた。
拷問椅子に腰かけてみると、意外に座り心地が良い。足を組んで、改めて室内を眺め回す。
もちろん、入った当初から私は気付いていた。
部屋の奥にある黒いウォーターベッドの上に、薄汚い漬物石が一つ載っている。しかし、よーく目を凝らしてみると、それは漬物石ではない。
縞模様のパンツ一枚という姿で土下座しているジジイなのだが、前衛演劇の舞台装置さながらに漬物石になりきっている。これも訓練の賜物なのか。
椅子のひじ掛けに頬杖を突いて、私は漬物石をじっくりと観察した。それは文字通り静謐そのもので、どれほど目を凝らしても微動だにしない。
当たり前だ。漬物石が滅多なことで動いては、その与えられた役割を果たせているとは言えない。たとえ震度7の揺れに見舞われようとも、漬物桶の上から転げ落ちてはならない。
退屈になったので、ビニールバッグから鞭を取り出し、コンクリートの床に振り下ろしてみた。ぴしり、と張りのあるいい音がした。しかし漬物石は漬物石のままだ。
「おかしいわね」
部屋の設計には音響も考慮されているのか、私の声は女王の威厳を伴って心地よく響き渡る。
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