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能天使と権天使と怠惰

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第6階級 能天使アイズ
第7階級 権天使プリシア

担当の罪人は【怠惰】の糸瘉しゆ

「罪人の魂を救うことについて、プリシアはどう思いますか?」

二人の天使が自分達の担当する罪人のもとへ足を向かわせる最中
アイズは相方のプリシアにそう尋ねた。
権天使プリシアは
元々は数多の下級天使を指導していた育成者であり中々の苦労人。
九歌隊と言う組織に配属されて使命が変わり、妙に晴れた表情の彼女は

「さあ?その罪人に会ってみないとわからないわ」

と楽観的な笑顔で答えた。

そんなプリシアの様子に不機嫌そうに眉をひそめるアイズは
何故こんな人と組まされてしまったのか、と心の内で考えていた。
これから会いに行く罪人に付けられた罪名は【怠惰】

すぐに思い浮かんだ人物像は、当たり前に怠けた社会不適合な人間だった。

それこそ、どうして私達が足を運ばなければならないのか
救ってほしいと願うのならば、そちらから出向くのが筋ではないのか

アイズはそんな事を悶々と考えすでに苛立ちを感じていた。

「あなたの頑固なところは嫌いじゃないけど、これはお仕事なのよ、我慢して」

心中を察したのか、プリシアは少し真剣な顔をして諭す。
アイズは変わらず不機嫌そうだったが
そうこうしている間に罪人【怠惰】が居るとされる部屋へと辿り着き
扉を軽く二回ノックする。

………

………

中から反応が無い。

怠惰と言うだけあって、まさか扉を開ける気力すらないと言うのか
アイズはそう考えまた苛立ちを募らせた。

もう一度、今度は強く扉をノックする。

………

………

「ん…?すごく微かにだけど声が聞こえた気がするわ」

「それはつまり、中に居るのに私達を出迎える気が無いと言う事ですか」

アイズはついに我慢できなくなり強く音をたてて扉を開けた。
姿を見るなり一言怒鳴ってやろうと思っていたが
二人が罪人【怠惰】の姿を確認すると、そんな気は一瞬にして無くなった。

視線の先には
ベットに力無く横たわり、点滴で投薬を受けている
明らかな"病人"がいた。
そばには車椅子も置かれており
口をぱくぱくさせて何かを喋っているようだが
その声量はあまりにも小さく、扉からベットの距離では聞き取れない。

一目で、彼は自分で歩けないから
扉を開けることができなかったのだと理解した。

少し、申し訳なさそうに顔を俯かせるアイズの手を引き
プリシアは【怠惰】の少年、糸瘉のもとへ近付く。

「はじめまして糸瘉くん
私はプリシア。あなたを救う為に参りました、天使です」

糸瘉は目だけを動かし二人を見ると
弱々しく、今にも消え入りそうな小さな声で
「天使様がどうして僕のところへ…?」と言った。
目と口だけがゆっくりと動いているが
体は固定されているかのように微動だにしない。

二人の天使は思った。

こんな状態で人を殺められると言うのか…?

アイズは素直に問う。

「あなたは本当に人の命を奪ったのですか?」

あまりに直球な質問に、プリシアは目を見開き慌てた。
「アイズは順序と言うものを知らないの!?」と肩を掴む。

そんな二人を横目に、糸瘉は、震えた声で言う。

「はい、僕は人を殺しました」

アイズとプリシアは顔を見合わせる。

糸瘉の目に、涙が浮かんできた。

二人はすぐに、この少年が人を殺せるはずないと、そう思った。

「誰をどうやって殺したのですか?
あなたは一人で動くことができないのではないですか?」

「ちょっとアイズ…!もう少し言葉と順序を考えて…!」

「私はこの少年が人を殺せるとは思いません。
もし殺していないとすれば、この少年はただの哀れな病人です。
ならば直ちに天国へ導いて差し上げなくてはならない。
私は、その判断をしたいのです」

糸瘉のそばで言い合いをする二人の天使

アイズはとても純粋で頑固な性格だ。
正義感が強く悪の悉くを嫌悪している。
そんなアイズが少年の様子を一目見ただけで感じた。

この少年は救うに値する人間だと。

しかし一方でプリシアは
空気を読む力や察する能力に長けている
人の心を多少だが理解している彼女は
アイズが言った
『この少年はただの哀れな病人です』
と言う言葉に、糸瘉が大きく反応を示した事に気付いていた。

「…僕は天国へは行けません。行きたくありません。

行く資格がありません。

僕は、お母さんを殺してしまいました」

大粒の涙をボロボロと流しながら
まるで教会で行う懺悔のように罪を告白する。

…………

…………

…………

糸瘉は生まれ付き病弱な身体だった。

幼い頃はまだかろうじて動けていたが
自分の口で固形物を食べる事ができず、鼻からチューブを通して
専用の注射器を使って栄養を得ていた。
成長するにつれて、病状は回復するどころか悪化していく。
歩くことができなくなって、車椅子での移動を強いられた。
手足が硬直したみたいに動かなくなって、自分で生活できなくなった。
目と口は動いたから、コミュニケーションは取れたけれど
ほとんど植物状態の自分の体は
誰かの力無しでは生きられなくなっていた。

そんな糸瘉をずっと支え続けたのは、糸瘉の母親だ。

父親は居なかった。
自分の世話を全てさせてしまっている手前
子供心に申し訳なさを感じていた糸瘉は
父親についてなんて聞けなかったが

母親は片親で仕事をしながら常に糸瘉のそばについていた。

定期的に病院へも行かなければならない
生活のために仕事を辞めるわけにはいかない
糸瘉はひとりでは生きられないから目を離せない

どれだけ大変だっただろうか。

糸瘉が生まれてすぐ、お医者様にも
この子は長くは生きられないだろう、と宣告を受けていた。

それでも母親は
たった一人の我が子のために、必死だった。

動けなくても、何もできなくても良い
ただ生きていてくれればいい

母親は、ただひたすらに自分の子供を愛していた。

けれど
糸瘉はそれがとても苦しかった。

ずっと拭えない気持ちがある。

「僕が生きているせいで、お母さんを苦しめている」

お母さんに迷惑をかけないと生きていられない
僕はお母さんに何もしてあげられないのに
ただ生きているだけ、そのせいで
お母さんはどんどん衰弱していくんだ。

歳をとった体に無茶を強いる生活は
母親を過労で苦しめていた。
日に日にやつれていく母親を、見ている事しかできない糸瘉は

「お願いお母さん、休んで…、僕のことは放っておいて大丈夫だから」

そう何度も言ったが
母親はその度に笑って答えた

「大事な糸瘉を放っておけるわけないでしょう」

その愛情が苦しかった。
いつしか糸瘉は、自分が死ねばお母さんは解放されるんじゃないか
そんな事を考えるようになってしまう。

ある日も、いつも通り母親が糸瘉の介護をしていた。
ベットに横たわって動かない息子に、優しく話しかけていた。

それは突然の事だった

母親が糸瘉の眠るベットに倒れ込んだ。
寝た、と言う様子ではない。

本当に突然、倒れたんだ。

まだ微かに息をしていた。

母親は生きている。

まだ生きている。

すぐに救急車を呼べば助かるかもしれない。

どんどん呼吸が浅くなる。

はやく救急車を呼ばないと

お母さんが死んでしまう。

はやく、はやく救急車を呼ばないと

呼ばないといけないのに

どうしても体が動かない

動いてくれない

お母さん、お母さん

消え入るような小さな声で何度も呼んだ

返事は返ってこない

そんなの当たり前だ

浅かった呼吸が止まった。

次第に体温が消えていった。

冷めていくのを、ずっと見ていた。

見ていただけだった。

僕は、

最後まで何もしてあげられなかった。

僕はお母さんを見殺しにしたんだ。

後日

仕事先の人が母親を心配して様子を見に来た

ようやく母親の遺体は回収された。

死因は、過労死だった。


…ああやっぱり

僕の存在がお母さんを殺したんだ。


………

………

………


話を聞き終えたアイズは、それでもなお言った。

「やはりあなたは、紛れもなく、ただの哀れな病人です」

その言葉に、糸瘉は微かに声量を上げ感情を露わにする
「ただの哀れな病人だからいけなかったんだ…!
何もできないのにお母さんに迷惑だけをかけ続けて
ただただ生きていただけだから、お母さんは死んだんだ…!」

泣きながら、ひたすら自分を憎む糸瘉を見て
アイズは淡々と語る

「本当にあなただけが悪いのですか?
確かに、過労の原因はあなたにもあるのでしょう。

しかし、仕事内容はどうだったのです?
過労の原因は仕事にもあるのでは?
父親はどうしたのでしょう
他界しているのなら仕方ありませんが
もし生きていたとしたら?
母親は自分のご家族に頼ることはできなかったのでしょうか?
何か関係に問題があったのでしょうか?
周りの人間はどうして助けてくれなかったのでしょう?

母親の死の、全ての原因が、本当にあなただったのでしょうか?」

「だけど…、僕の体が少しでも動いていれば
お母さんは助かったかもしれないのに
僕はまだ生きてたお母さんを見殺しにしたんだ
天国に行くなんて…、お母さんに合わせる顔がないよ」

アイズは困り果てた。
この少年がやったことは殺人ではない。
少なくとも自分の思念ではそうなる。
けれど、この少年自身が
自分は母親を殺した、と強く後悔している。

彼は望んで病人として生まれたわけではない。
それに、彼も母親を愛していた。

こんな少年を一体誰がヒト殺しだと責め立てられるのか。

きっとそんなのは自分自身しかいないだろう。

けれど、
救えたはずの大切な人の命を目の前で取りこぼす
それがどれだけ心苦しいことか
彼女達には到底分かり得ないだろうけれど
例え何度も何度もあなたは悪くないんだよ、なんて言葉を並べようと

ああそうなんだ
僕は悪くないんだ

そんな事を思えるわけがないのだろう。

プリシアは問う。

「糸瘉くんは、お母さんのことが好き?」

「…当たり前だよ。たった一人…、僕にはお母さんしかいなかったんだ」

そう答えが返ってきて
プリシアは、それなら大丈夫、と小さく微笑んだ。

「お母さんは、糸瘉くんのお世話をすること
面倒だなんて思っていなかったはずだよ。
死ぬほど必死になるくらい、愛してたんだから」

その言葉に、糸瘉はまたボロボロと泣き出した。
「お母さんが愛してくれてたのなんてちゃんとわかってる…!
だから、僕がこんな体で生まれてこなければ……っ」

糸瘉の言葉を静止して、プリシアは大きく息を吸い込んだ。
それを合図に、二人は呼吸を揃えて

『私たちは、あなたの魂を救います』

アイズとプリシアは歌い出す。

とても美しい歌声

とても美しい音色

それは、母親が子供へ示す愛情の歌

あなただけが私の全て

生きていてくれたらそれでいい

あなたのためなら死んだって構わない

命をかけて、愛するあなたを守ってみせる

置いて逝ってごめんね

幸せにしてあげられなくてごめんね

最期まで一緒に居てあげられなくてごめんね

それでもずっと、あなたを愛してる

とても優しくて、とても悲しい、そんな歌

糸瘉はベットの上の世界しか知らないのだろうから
母親の周りの人間がどうなっていたのか、ほとんど知らないだろう。
誰かに助けを求められていたら、と思ってしまうが
それができる環境だったのかすら定かではない。
もし、それが難しい環境、状況の中であっても
母親がたった一人で守り続けてきた事実は変わらない。
それだけの愛情を持って
きっと誰よりも生まれてきてくれた事を祝福していたのに
死んだほうがいいだなんて思われてしまったら
母親があまりにも報われない。

そして間違いなく糸瘉にとっても母親は、唯一の存在だった。

「糸瘉くんがお母さんのことを愛していたなら
尚更、天国へ行かないとね。
そんなに泣いていないで、ちゃんとお母さんに会って


ありがとう、って伝えないとね」






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