リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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3つの死体

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 寒さ厳しい北の大地、グリムランド。如何に貧乏人共から搾り取った税が潤沢であったとしても、さすがに城の廊下までは温めはしない。
 
 女騎士ギアンテは王子の私室の扉を背に、床を見つめていた。
 
 石造りの建物は、全ての熱を奪い、人の心から「優しさ」を盗んでいくように感じられた。そんな『石の檻』の中で自分を虐げようとする者達と戦ってきた人生だった。
 
 彼女は元々グリムランドの貴族が戯れに南方の、属州エルエトの女に産ませた庶子である。
 
 屋敷内でも蔑まれ、かといって追い出されることもなく居場所のなかった彼女には、一つだけ希望があった。
 
 この国では実戦に出る機会のない近衛騎士には見た目の華やかさから女性が登用されることがある。無論、ある程度の実力は要求されるが、それよりもよほど外見の方が重要視される。
 
 それならば、もしやすれば幼いころから蔑まれてきた、この国では特徴のある自分のこの褐色肌の外見が大きな武器になるやもしれぬ。そう思いついて騎士の道を進み始めたギアンテ。
 
 そんな時に自分の後ろ盾となってくれたのが、他国から嫁いできて、自分と同じくこの国で疎外感を感じていた王妃インシュラであった。
 
「ふぅ……」
 
 少し熱っぽい吐息を吐く。
 
 今、彼女の背中にある扉の向こう、部屋の中ではヤルノとイェレミアスが談笑している筈だ。
 
 これも『替え玉計画』を遂行する上で重要な事項である。ヤルノが王子の個人的な情報を得るとともに、彼の人となりを理解するための重要なカリキュラムの一つ。さらに、これは同年代の友人や親戚のいない王子が熱望した時間でもある。
 
 ギアンテはまたため息をついて、鎧の上から自身の心臓を押さえた。
 
 もう三日も前になるが、ヤルノは「王子はギアンテが侮辱されたら、決して許しはしない。彼にとってギアンテは、それほど大切な存在だ」と言っていた。
 
 思い出すと頬が熱くなるのが感じられた。実際に王子がそう言ったわけではない。ではこの熱い想いは、誰に向けられたものなのか。それが自分自身でも分からなかった。ヤルノの言葉に熱くなったのか、それとも王子の事を想って胸が苦しくなったのか。
 
 まだ騎士の叙勲を受ける前、従者であった時に初めてイェレミアスと出会った時の衝撃を彼女は今でも忘れられない。
 
 イェレミアスはその時まだ十歳ほど。まるでおとぎ話に出てくる妖精の様に可憐で、儚げだった。
 そして、外見だけでなく心までもが美しかった。
 
 このリィングリーツ宮で、ギアンテを一人前の人間扱いしてくれるのは、王妃インシュラと、王子イェレミアスの二人だけだったのだ。いつの間にか、この二人はギアンテにとって立身出世のための道具ではなく、命をかけて尽くす主君となっていたのだ。
 
「本当に王子は、私が侮辱されたら怒ってくれるんだろうか……」
 
 誰にも聞こえないような小さな声で呟く。
 
 だが、その思いを口に出しただけで、どんどんと胸の鼓動が早まっていくのが感じられた。
 
 そんな時、長い廊下を鬼気を孕む足音が近づいてくるのに気付き、ギアンテは慌てて心に平静を取り戻す。
 
「隊長、追加調査の結果が出ました」
 
「……イルス村の件か」
 
 冬の清浄な空気を大きく吸い込んで、ギアンテは尋ねる。この男は数日前にヤルノを迎えに行った際に同行していた騎士だ。
 
 村を焼き払った際にヤルノの両親の姿が消えてしまったためにその足取りを掴むように命令していたのである。
 
「二人は見つかったんだろうな」
 
「それが……」
 
 結果が出たというのに色よくない答え。思わずギアンテの眉間にしわが寄る。もし二人が逃げ延びていれば、全ての計画が水泡に帰してしまうのだ。インシュラとギアンテの作戦も。イェレミアスが王となってこの国を変えるという遠大な計画も。そして初めてできた王子とその友人ヤルノとの関係も。
 
だが、騎士の続く言葉は全く予想外のものであった。
 
「ヤルノの家の床下から、死体が見つかりました。そのうち二人は背格好からして、奴の両親で間違いないかと」
 
「なに!?」
 
 虚空を見つめ、顎に指を当てて考え込む。
 
「ヤルノ……が?」
 
 それしか考えられない。
 
 ヤルノが両親に別れを告げるために騎士団の人間は一旦外に出た。しかし逃げられては困ると思い、外から家を見張っていたのだ。
 逃げる者が誰もいなかったのならば、両親を殺したのは合理的に考えてヤルノ以外考えられない。
 
「自分の身柄を売った両親に怒って殺害……? とてもそんな激情家には見えなかったが……いや、待て」
 
 ぶつぶつと独り言を言いながら、ギアンテは騎士の発した重要な言葉に思い至った。
 
「『そのうち二人は』と言ったな? 死体は何人分あったんだ?」
 
 あの場にはヤルノとその両親、三人しかいなかったはずである。
 
「もう一人分……子供の死体が」
 
「子供?」
 
 ヤルノに兄弟がいた、などという情報はない。もしいたとしても、今の話に全く絡んでないその子供が何故殺されなければならないのか。
 
「隊長は、戦場に行ったことがないから知らんかもしれませんが……」
 
 騎士の言葉に若干の侮蔑の感情が感じられたがこの際そこはどうでもよかった。
 
「人間ってのは、燃やされると手足を曲げて縮こまるんです。生きてる人間は勿論、死にたての新鮮な死体もです」
 
 イルス村は全ての住人を殺し、証拠隠滅のため火を放った。ヤルノの家も例外ではない。
 
「子供の死体は丸まってませんでした。ありゃあ古い死体です。何者かまでは分かりませんが……」
 
 尾てい骨から脳髄まで、ぞわりと駆け上がるようにギアンテに悪寒が走った。
 
「ちょっと調べてみたんですが、あの村では数年前から年に何回か、陳情が上がってました。『村人が突然いなくなる。神隠しだ』と」
 
「神隠しだと?」
 
 今回の死体。燃えてしまっては確認のしようがないが、もしかすると、その『神隠しにあったうちの一人』のものが、そこから出てきたのかもしれない。
 
「ええ。バカバカしい話ですが。村には迷信がはびこってまして。『夜になると森が大きくなって村を覆い尽くす。リィングリーツの獣が村人を攫っていく。騎士団を派遣して獣を退治してくれ』って」
 
 いったいあの村で何が起こっていたのか。言いようもない恐怖に支配された二人が言葉を失っていると、部屋の中から二人の話し声が聞こえてきた。ヤルノとイェレミアスの話し声が。
 
『でも、村には友達もいたんでしょう? そうだ、好きな女の子とかは?』
 
『ええ、いましたけど、今はもう、何年も会っていなくて』
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