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秘密の約束
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「ええ。本当の話よ。イェレミアスがそこのぼんくらを決闘で打ち倒しちゃったんだから」
そう言って公爵令嬢キシュクシュは得意げな表情で親指で後ろに控えている護衛の騎士ヒルシェンを指差した。ヒルシェンは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
本来であれば護衛の騎士が決闘の末敗れ、情けをかけられたなどというのはその主にとっても同様に恥であるが、キシュクシュはそんなところに頓着する様子はない。なぜならその打ち負かした本人が彼女の婚約者だからだ。
「本当なのかヒルシェン」
「お恥ずかしながら」
「ううむ」
別に騎士を咎めているわけではない。単純に信じ難かっただけなのだ。キシュクシュと話していた金髪の偉丈夫は顎をさすって唸った。
「そういうわけで、ガッツォ様も油断できないわよぉ。敵はアシュベルだけだと思ってたでしょうけど、イェレミアスはきっと王別の儀なんて簡単にパスしちゃうんだから」
アシュベルと同じように身長は高く、しかしこちらはまさしく”偉丈夫”という表現がしっくりくる頑強な体を持っている。イェレミアスと違って彫りの深い強面の顔が、彼とは腹違いの兄弟であることを強烈に主張している。長兄のガッツォ王子である。
長兄のガッツォと次兄のアシュベルは側室の子であり、王位継承の順位はイェレミアスよりも低い。しかし既に二人とも王別の儀を通過しているため、このままイェレミアスが王別の儀に不合格になるか、棄権すればどちらかが次期国王となるはずである。
しかしイェレミアスが公爵家の騎士を決闘にて下したとなれば話は変わってくる。まっとうな戦い方をして勝利したというのならば、体格で勝るガッツォはともかく、その実力はアシュベルよりもおそらく上。
だが、ガッツォはこのキシュクシュの言葉を笑い飛ばした。
「ハハハハッ、何を言うか。次期国王の人材が豊富となればこのグリムランドにとっても好ましいこと。俺は歓迎するぞ」
「ふふ、余裕も今のうちよ。あなた、ただでさえ議会派で陛下の心象悪いんだから」
「王党派も議会派も国をよくするための手段に過ぎない。こだわりはないさ」
そこまで言ったガッツォは言葉を区切って考え込む。
「こだわりはないが、ちなみにイェレミアスは王党派と議会派、どちらなのか?」
「さあ? あいつ最近まで政治に興味なかったみたいだし。今度会ったら聞いといてあげるわ。っていうかガッツォ様もリィングリーツ宮の中に住んでるんでしょ? 自分で聞けば?」
そう言うとキシュクシュは騎士ヒルシェンを引き連れて歩いて行った。リィングリーツ宮からは少し離れた王城の一角。護衛を引き連れたまま公爵令嬢のキシュクシュは豪奢な馬車に乗り込んで行先を告げる。
「今日は屋敷に帰る前に花屋に寄ってほしいのよ」
「使用人にでも言いつければいいでしょうに。誰か呼びましょうか?」
ヒルシェンはそう言ったが、公爵令嬢には珍しく、何も言い返さずに頬を紅く染め、その長い睫毛を伏せた。
まだ彼が令嬢の護衛を仰せつかってそう長い時が立ったわけではない。しかしその短い任期の中でも見たことのないリアクション。たとえるなら、そう、まるで恋する乙女のそれである。
「自分で選びたいの。彼、どんな花が好みかしら」
いや、「まるで」ではない。まさにに恋する乙女なのだ。当然ながら、彼女には婚約者がいる。順当に考えれば、その婚約者に送るための花。女から男に送るというのはあまりないが。
だがそれにしてもいまいち釈然としない。何しろ自分が護衛となってから、二人が仲睦まじい姿を見せることはほとんどなかったからだ。
むしろ、キシュクシュはあの婚約者の事を小馬鹿にしているようにしか見えなかった。
だからこそ、ヒルシェン自身が王子と関係を結ぶことにも抵抗が無かったところもある。護衛であるヒルシェンは王宮に出向く頻度は多い。あれからも数度、王子から情けを賜っているのもまた事実。
その裏で、知らぬうちにキシュクシュとイェレミアスの仲が育まれていたのか。それとも別に浮気相手でもいるのか。
「で、でしたら……花を贈る手配を」
「花は私の部屋に飾るの」
頬を染めたままキシュクシュが答える。しかしその真意は分からなかった。
「今夜、彼が私の部屋に来るわ」
気付けばキシュクシュは一枚の手紙を大事そうに、抱きしめる様に手に持っていた。瞬間、ふわりと、あの香しい芳香が漂い、ヒルシェンの鼻腔をくすぐる。何度も嗅いだあの香り。彼を虜にした王子の纏う空気。それが確かに手紙から感じられたのだ。
(間違いない……王子が、今夜キシュクシュの部屋に来ると)
おそらくは手紙で彼女にそう宣言したのだ。いくら婚約者とはいえ、夜中に公爵邸に忍び込むことなど不可能。
「そんなこと……出来る筈ないでしょう」
出来る筈がない。
「そうね。出来る筈がないわ。でも、彼なら……」
不思議な魔力を持った少年。確かに彼なら出来る。そんな気がしてくる。
(だが、なぜ?)
キシュクシュと関係を結びたいだけならば、いくらでもチャンスはあった筈。彼女は何度もリィングリーツ宮に招かれているし、宿泊することもあった。王宮ならば彼女の部屋への侵入の難度はぐっと下がる。
警護についている衛兵は全て王子の配下の者であるし、最後の砦である令嬢の騎士は、何を隠そうその王子との肉欲に溺れていたのだから。
(そのチャンスを生かさずに、なぜ難易度が遥かに高く、警備の硬い公爵邸にいるときにそんなことをしようとするんだ?)
「別に逢引を手伝えとは言わないわ。あなたはいつも通り私の身を守ればいい。その上でもしも彼が私の部屋にこれたなら……」
キシュクシュは頬を赤らめながらも、それでもまだどこか(明言してはいないが)イェレミアスを試すような言動をしている。まるで卵子まで辿り着くことのできた選ばれた精子だけが受精し、その実を結ぶかのように。
(そうだ、これは、ゲームなんだ)
ヒルシェンは一つの答えに辿り着いた。
互いに、本気で結ばれたいと心から思っているのではない、と結論付けた。本気で愛し合っているのならば万難を排して最も確率の高い方法を取るはずだと。
(イェレミアス様は、本気じゃないんだ。当たり前だ。あの方は私の事を……)
そう言って公爵令嬢キシュクシュは得意げな表情で親指で後ろに控えている護衛の騎士ヒルシェンを指差した。ヒルシェンは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
本来であれば護衛の騎士が決闘の末敗れ、情けをかけられたなどというのはその主にとっても同様に恥であるが、キシュクシュはそんなところに頓着する様子はない。なぜならその打ち負かした本人が彼女の婚約者だからだ。
「本当なのかヒルシェン」
「お恥ずかしながら」
「ううむ」
別に騎士を咎めているわけではない。単純に信じ難かっただけなのだ。キシュクシュと話していた金髪の偉丈夫は顎をさすって唸った。
「そういうわけで、ガッツォ様も油断できないわよぉ。敵はアシュベルだけだと思ってたでしょうけど、イェレミアスはきっと王別の儀なんて簡単にパスしちゃうんだから」
アシュベルと同じように身長は高く、しかしこちらはまさしく”偉丈夫”という表現がしっくりくる頑強な体を持っている。イェレミアスと違って彫りの深い強面の顔が、彼とは腹違いの兄弟であることを強烈に主張している。長兄のガッツォ王子である。
長兄のガッツォと次兄のアシュベルは側室の子であり、王位継承の順位はイェレミアスよりも低い。しかし既に二人とも王別の儀を通過しているため、このままイェレミアスが王別の儀に不合格になるか、棄権すればどちらかが次期国王となるはずである。
しかしイェレミアスが公爵家の騎士を決闘にて下したとなれば話は変わってくる。まっとうな戦い方をして勝利したというのならば、体格で勝るガッツォはともかく、その実力はアシュベルよりもおそらく上。
だが、ガッツォはこのキシュクシュの言葉を笑い飛ばした。
「ハハハハッ、何を言うか。次期国王の人材が豊富となればこのグリムランドにとっても好ましいこと。俺は歓迎するぞ」
「ふふ、余裕も今のうちよ。あなた、ただでさえ議会派で陛下の心象悪いんだから」
「王党派も議会派も国をよくするための手段に過ぎない。こだわりはないさ」
そこまで言ったガッツォは言葉を区切って考え込む。
「こだわりはないが、ちなみにイェレミアスは王党派と議会派、どちらなのか?」
「さあ? あいつ最近まで政治に興味なかったみたいだし。今度会ったら聞いといてあげるわ。っていうかガッツォ様もリィングリーツ宮の中に住んでるんでしょ? 自分で聞けば?」
そう言うとキシュクシュは騎士ヒルシェンを引き連れて歩いて行った。リィングリーツ宮からは少し離れた王城の一角。護衛を引き連れたまま公爵令嬢のキシュクシュは豪奢な馬車に乗り込んで行先を告げる。
「今日は屋敷に帰る前に花屋に寄ってほしいのよ」
「使用人にでも言いつければいいでしょうに。誰か呼びましょうか?」
ヒルシェンはそう言ったが、公爵令嬢には珍しく、何も言い返さずに頬を紅く染め、その長い睫毛を伏せた。
まだ彼が令嬢の護衛を仰せつかってそう長い時が立ったわけではない。しかしその短い任期の中でも見たことのないリアクション。たとえるなら、そう、まるで恋する乙女のそれである。
「自分で選びたいの。彼、どんな花が好みかしら」
いや、「まるで」ではない。まさにに恋する乙女なのだ。当然ながら、彼女には婚約者がいる。順当に考えれば、その婚約者に送るための花。女から男に送るというのはあまりないが。
だがそれにしてもいまいち釈然としない。何しろ自分が護衛となってから、二人が仲睦まじい姿を見せることはほとんどなかったからだ。
むしろ、キシュクシュはあの婚約者の事を小馬鹿にしているようにしか見えなかった。
だからこそ、ヒルシェン自身が王子と関係を結ぶことにも抵抗が無かったところもある。護衛であるヒルシェンは王宮に出向く頻度は多い。あれからも数度、王子から情けを賜っているのもまた事実。
その裏で、知らぬうちにキシュクシュとイェレミアスの仲が育まれていたのか。それとも別に浮気相手でもいるのか。
「で、でしたら……花を贈る手配を」
「花は私の部屋に飾るの」
頬を染めたままキシュクシュが答える。しかしその真意は分からなかった。
「今夜、彼が私の部屋に来るわ」
気付けばキシュクシュは一枚の手紙を大事そうに、抱きしめる様に手に持っていた。瞬間、ふわりと、あの香しい芳香が漂い、ヒルシェンの鼻腔をくすぐる。何度も嗅いだあの香り。彼を虜にした王子の纏う空気。それが確かに手紙から感じられたのだ。
(間違いない……王子が、今夜キシュクシュの部屋に来ると)
おそらくは手紙で彼女にそう宣言したのだ。いくら婚約者とはいえ、夜中に公爵邸に忍び込むことなど不可能。
「そんなこと……出来る筈ないでしょう」
出来る筈がない。
「そうね。出来る筈がないわ。でも、彼なら……」
不思議な魔力を持った少年。確かに彼なら出来る。そんな気がしてくる。
(だが、なぜ?)
キシュクシュと関係を結びたいだけならば、いくらでもチャンスはあった筈。彼女は何度もリィングリーツ宮に招かれているし、宿泊することもあった。王宮ならば彼女の部屋への侵入の難度はぐっと下がる。
警護についている衛兵は全て王子の配下の者であるし、最後の砦である令嬢の騎士は、何を隠そうその王子との肉欲に溺れていたのだから。
(そのチャンスを生かさずに、なぜ難易度が遥かに高く、警備の硬い公爵邸にいるときにそんなことをしようとするんだ?)
「別に逢引を手伝えとは言わないわ。あなたはいつも通り私の身を守ればいい。その上でもしも彼が私の部屋にこれたなら……」
キシュクシュは頬を赤らめながらも、それでもまだどこか(明言してはいないが)イェレミアスを試すような言動をしている。まるで卵子まで辿り着くことのできた選ばれた精子だけが受精し、その実を結ぶかのように。
(そうだ、これは、ゲームなんだ)
ヒルシェンは一つの答えに辿り着いた。
互いに、本気で結ばれたいと心から思っているのではない、と結論付けた。本気で愛し合っているのならば万難を排して最も確率の高い方法を取るはずだと。
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