リィングリーツの獣たちへ

月江堂

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ウシャンカの老人

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「さっすがガルフの旦那だぜ! あんたがこの国を変えるんだぁ!」
「国民議会が上院になったら本当にアタシらが国を動かせるの?」
 
 日も沈んで随分と時間が立っている。酔いが回ってきているのだろう。ヤルノ達の周りの客は恐らくかろうじて読み書きができる程度の知能と教養の人間。ガッツォの言っていることはよくわかっていないだろうが、口々に彼の事を讃えた。
 
(自分で国を引っ張っていく覚悟も、その能力もない。こんな奴が王になったら大変だろうな。まあ、『仕事』が終わった後の事なんて知ったこっちゃないが)
 
 しかしヤルノだけはガッツォに表面上尊敬のまなざしを送りながらも冷めた目で彼を見ていた。
 
 彼は、ガッツォの言う「共和制」を自分が責任を取りたくないから国民全体にそれを投げる制度であると理解した。「たとえ政策が上手くいかなかったとしてもみんなが決めたことだから仕方ないよね」と、あきらめのつく制度であると。
 
 実際急に共和制に移行して貴族が政治から離れたとしても社会の構造ががらりと変わるわけではないのだ。貴族は相変わらずその潤沢な資金をもって社会の上層部に君臨するであろうし、そして責任だけは国民の肩に重くのしかかる。
 
「うるせえガキどもだな。酒も静かに飲めんのか」
 
 しかしその喧噪に水を差す声。
 
「ああん? なんだ爺さん」
「陰気に飲みたいなら家に帰んなよ」
 
 いい気分になっているところに茶々を入れられてあからさまに不満をあらわにする客達。見れば、そこには一人で座って酒を飲んでいる老人の姿があった。
 
 外見上特に目を引く特徴はない。小柄で、白髪になった口ひげを生やした老人。敢えて言うならば店の中だというのにコートを着込んでおり、そして頭にはウシャンカ(毛皮の帽子)も被ったままであるというところか。
 
 店内は暖かく、酒も飲んで体温の温まっている他の客に、そんな恰好の人間は当然ながら一人もいない。
 
 まるでその服装は、他人からの干渉を避け、跳ね除けるための鎧のようであった。
 
「ここは一人で飲んじゃいけねえ店か?」
「い、いけなかねえけどよ……」
 
 ぎろりと睨む。おおよそ堅気の者とは思えないその眼光に、文句を言った者達も全く反論する力を奪われたようであった。
 
「いやすまないな、爺さん。俺が変なこと言って盛り上げたせいだ。おい大将、悪いがこのじいさんにエールでも……」
「いらん」
 
 慌ててガッツォがフォローして老人の機嫌を取ろうとするが、しかし取り付く島もないというのはこういうことを言うのだろう。
 
「俺ぁ人に借りを作らない主義だ。ましてや人から巻き上げた金でぬくぬく暮らしてるお貴族様なんかには特にな」
 
「だから、ガルフの旦那はそういう身分にとらわれない社会をつくろうってんのに」
 
 相変わらず低くしゃがれた声でもそもそと喋る老人に、先ほど射すくめられた客も黙っていられなかったようである。
 
「そうそう。そう言う社会はもう近づいてるかもしれないわよ。知ってる? この間公爵令嬢と護衛の騎士が駆け落ちしたって話。身分違いの恋なんてロマンチック……」
 
 ドン、と大きな音が店内に響いた。女の客の言葉を遮って老人がタンブラーの底でテーブルを強く叩いたのだ。店内は水を打ったように静かになった。
 
「……あいつは駆け落ちなんざしねえ」
 
「え、まさか、公爵令嬢の関係者……」
 
 女性客の声は、しりすぼみになってしまって後半は殆ど聞き取ることができなかった。もし公爵令嬢の関係者であれば、大変に失礼な物言いをしてしまったことになる。とてもそんな身なりには見えないが。
 
老人はどうやらその言葉が引き金になったわけではないようであるが、椅子から立ち上がってヤルノ達のテーブルの前に歩み寄った。
 
「……人を殺したことのある奴の目だ」
 
 店内は静かなまま。そうでなければはっきりと聞き取れないような、やはり低くしゃがれた声であった。
 
「確かに俺は、軍隊にいたこともあるが、不躾すぎやしませんか?」
 
 そう答えたのはガッツォである。王子としての務め、彼は軍で部隊を指揮したこともある。直接その手を血で汚したわけではないが。
 
 しかし老人はガッツォではなくヤルノの方を向いて仁王立ちしていた。ガッツォの方は全く視界に入っていないようにも感じられたが、それに気付く者は酒場の客の中にはいなかった。
 
「小僧、お前ェは何もんだ」
 
「いくら何でも失礼すぎやしませんか」
 
 ウシャンカの老人はヤルノに向かって話しかけたが、しかしそれを遮って割って入る者がいた。そこいらにいる酔っぱらいよりは大分小奇麗な身なりをした若い男である。
 
「言葉に気を付けて下さい。いくらあなたでも無礼の許される相手ではないですよ」
 
「よせ、ウェルゲッツ。酒を飲むのに身分は関係ないだろう」
 
 ガッツォが名前を知っていることやその立ち振る舞い、行動からしておそらくはガッツォの正体を知る者であろう。隠れて護衛していたのか、それとも友人なのかは分からないが。そしてその口ぶりからするとどうやらウシャンカの老人の事も知っているようだ。
 
「令嬢の関係者ではなさそうですね……とすると、騎士の方の?」
 
「黙れ」
 
 老人は自分の方から話しかけておきながら、ヤルノの質問についてはシャットアウトした。
 
「お前とはいずれまた会う事になりそうだ」
 
 結局何者なのか、何をしに現れたのか、老人はテーブルの上に銀貨を置くとそのまま消えてしまった。
 
「ウェルゲッツ、『いくらあなたでも』と言っていたが、知っている男か?」
 
「私も詳しくは知りませんが……」
 
 ガッツォが先ほどの男に問いかけた。やはりこの男はガッツォの正体についてよく知っている事だけは確かのようだ。
 
「王宮で『狩人の棟梁イェーゲマイステル』と呼ばれてる老人です。何かの特殊技能の持ち主らしくて王国に多くの貢献をして、男爵の位を与える話もありましたが、本人が固辞したと」
 
「そうなのか? 俺は聞いたことがないが……」
 
「もう10年以上も昔に隠棲して、今はどこに住んでいるのかも……私も一度目にしたことがあるだけです」
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