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006:扉のむこう
しおりを挟むやってしまった……のだろうか。
あの夜は特に問題なかった。次の日の会社の上のほうの役職の人たちが集まる会議室に呼ばれて、警備室の人たちと一緒に報告させられたが特に何もなかった。そう思ってたのに、なぜまた呼び出されてしまったのだろうか。すべてを説明したわけではないけど、それでもおかしなことは言っていないはず。ちゃんとごまかせたはずだ。
「添頼くん。なんかこの間の話、上の人が時間とってもうちょっと詳しく聞きたいんだって」
井桁さんが電話を切るなりそう言った。
行かないことはできないのだろうか。何でいまさら。そんなことを考えていると「話聞きたいけど仕事量がやばそうだから、今からフロアまで来てほしいんだってさ」と告げられる。仕事で時間がないのならわざわざそんな時間を作らなくてもいいじゃないか。
けれども僕はここでは『声が出せないおとなしい一般人』として認識されている。そこからはみ出すような行動は絶対にとれない。生きていくためにお金が必要だし、バイトですら採用されるのが難しいご時勢だ。今追い出されたら生活費が払えなくなってしまう。
『わかりました。その間の業務お願いしてしまってすみませんが行ってきますね』
「いいっていいって。この間だって本来だったらこっちが行ってたはずだったんだし……むしろいろいろ面倒なこと対応させちゃった形になってごめんねぇ」
『いえ……それこそ井桁さんのせいではないですし!』
「せめて面談中はゆっくりしてきなよ。上のフロアの椅子ってすごく座り心地良さそうだったしさ」
井桁さんは「でも面談って言われると緊張するだろうし、ゆっくりはできないかぁ」と笑って言うので、あわせてこちらも笑ってみせた。
大丈夫。普段通り笑えていたはずだ。
『それじゃあ、お願いします』
「うん。どれくらいかかるかわからないって聞いてるから、時間は気にしなくていいからね。終わったらメールで連絡くれたらいいよ。それじゃ、頑張ってね」
……時間、かかるのかぁ。
普段通り笑えていたはずだけど、微妙に笑顔が引きつってしまった気がしないでもない。
そのまま通常通り作業に向かった井桁さんと別れ、僕は連絡があったフロアに向かった。
(ここって……第二秘書室、だよな)
作業用エレベーターを出て、井桁さんが取ってくれたメモをもう一度確認する。フロアはここで間違いないし担当の名前もメモに書かれているが、どこの扉も締め切られシンと静まり返った階全体の空気に、本当にここでよかったのかと不安になる。
わざわざもう一度呼び出してまで聞きたいことが何なのかわからないが、ひとまず落ち着こう。自分に非がないのに焦っていたら余計に怪しく映ってしまうだろうし。
意を決して扉をノックすると、中で人が動く気配がした。
カチャリと静かに扉が開かれると、眼鏡をかけた美人さんが出てきた。ピシッとしたスーツ、つやつやとした黒髪はきっちりとまとめられていて、眼鏡の奥のつり目がちな瞳がじっとこちらを見つめてきた。
僕はあらかじめ入力しておいたテキストが見えるよう、端末を彼女に向ける。
『お疲れさまです、清掃の添頼奏と申します。こちらに来るようにご連絡いただいたのですが、担当の方をお願いできますでしょうか?』
井桁さんが残してくれたメモには、聞き取れなかったのか「ヒョウミ? ヒヨミ?」と曖昧に書かれていたのでさすがにそのままは書けなかった。
「――はい、お伺いしております。どうぞお入りください」
女性は端末の文字を見て、それから僕を案内してくれた。第二秘書室の中は思ったよりも広い。小さなブースにいくつも分かれていて会議室としても使えそうだ。
ブースのひとつに案内され、「ただいま担当を呼んで参りますので、すみませんがもう少々お待ちください」と丁寧に頭を下げられた。
一対一、もしくは数人での話をするにしてもこのブースはいささか広い。一人でただ待っているとなんだか落ち着かない感じがする。
扉に近い席に座って待つが、五分経ってもまだ誰も来ない。仕事が忙しいから来てほしいとのことだったが、本当にそのようだ。
それよりも井桁さんが言っていたように椅子が全然違う。座り心地がとても良い。普段作業中は動き回っていることが多いからそこまで椅子に座っての作業は多くはないが、こんな良い椅子に長時間座っていたら、普段座っている椅子では満足できなくなりそうな気がしてきた。尻が贅沢な感覚に慣れきってしまわないうちに、早く来てくれないだろうか。
それからさらに五分ほど経って、ようやくバタバタと足音が聞こえてきた。
ノックの音とほぼ同時に扉が開いて男の人が入ってきた。
「いやー、遅くなってしまってすみません! やること多すぎてバタバタしてまして」
立ち上がって頭を下げると、入ってきた男の人も申し訳なさそうに頭を下げて、それから笑顔を向けて座るよう促された。
「お時間とってもらってありがとうございます。私は室長の陽臣と申します」
『こちらこそお忙しいところすみません。添頼(そより)と申します。ご不便おかけしますがよろしくお願いします』
トントンとタブレットで入力して見えやすいように画面を向けると「こちらこそ」と陽臣さんは答えた。それから陽臣さんは持ってきたノートPCを開き、僕が会話しやすいようにとチャットに招待してくれた。目の前の陽臣さんが喋って質問し、僕はチャット欄で返答を打ち込む形になった。陽臣さんは「毎回こちらにタブレットを回してもらうのも大変だし、隣に座られても落ち着かないでしょう?」と笑っていた。
会話がスムーズになることはありがたいが、返答のすべてが記録として残ってしまうということになる。下手なことは言えない。もし第2タイプのことを突っ込んで聞かれたら素直に話してしまったほうがいいのかもしれない……。
それからいろいろと質問されたが、僕が考えていたような話題にはならなかった。あの時屋上に向かったルートや他に誰か見なかったかということを改めて確認したいとのことで、前回聞かれた内容とほぼ変わらなかった。
それでも気を抜けなかったのは、笑っているが大きな丸眼鏡からこちらを見つめる瞳が時折鋭くなっている気がするからだ。僕を見定めているような気がしてなんだか落ち着かない。
この人は本当にこんなことが聞きたいのだろうか。しばらく会話のやりとりは表面上なごやかに続いているように見えても、実際はまだ本題にすら入っていないような気がしてならなかった。
けれど僕が予想していた話題のどれにも触れられず、何事もなくこの面談は終わりを迎えた。
「今日はわざわざお時間割いていただいてありがとうございます。しかも結構長い時間になってしまって……疲れましたでしょう?」
いえ、と意思表示に首を横に振る。
構えていたぶん精神的に少し疲労はしたが、椅子の座り心地が良くて物理的疲労はまったくといっていいほど感じなかった。
この後はただ退出すればいいのだろうかと思っていると、陽臣さんの携帯端末がピピピと鳴った。会話している最中の陽臣さんは笑顔を崩さなかったが、端末の文字を見て一瞬だけ露骨に嫌そうな顔をしたのを目撃してしまった。
会話中も仕事の連絡だろう通知音らしき音が何度もPCからしていた。そんな忙しいのに急かすこともなく、面倒そうな態度をとることも、僕が返答をする前に答えを決め付けるようなこともしなかった。仕事として接しているのだから当たり前のことだったのかもしれないけれど、しっかりと話を聞こうとしてくれていた。なんだか引っかかっていたけれども、僕が疑いすぎなだけかもしれない。
その後陽臣さんはエレベーターホールまで送ってくれようとしたが、忙しそうにしている様子も見ていたし、僕は業務用を使用するからと丁寧にお断りして秘書室を後にした。
秘書室の扉が閉まるとまた急に世界が静かになる。殺風景な廊下を見るに、そうそう来客がある場所でもなさそうだ。誰もいないぶん、廊下の照明か空調か、普段気にならずにかき消される音がやけに耳に入ってくるような気がする。カーペットがなければ足音だってやたらと響いて聞こえるのだろう。
そういえばこの階は担当外の階だ。たしかこの階で人が出入りしているのは基本的に秘書室くらいで、残りは倉庫だったか。日常的な業務には使わない前提で作られている部屋も多いのか、窓自体が少ない気がする。夜に社員が退勤してからの作業も慣れてはいるが、もしこの階を一人で作業することがあるとしたら……ちょっと怖いかもしれない。他の階と違ってフロアに人の痕跡をあまりにも感じない無機質さが、ちょっとだけ不気味に感じられた。
(……結構時間経っちゃってる。早く作業に戻ろう)
井桁さんに連絡をするべく端末に指を走らせるが、トントンとタップする音が静かなフロアに響くのがほんの少しだけ気になって思わず指が止まる。
(ホラーゲームだったら、こういうときに後ろから襲われちゃうんだよな)
心の中でひとり冗談を言ってはみたが、シンと静まり返ったフロアが次第に不気味さを増してしまっていて、ぞわぞわと後ろに気配を感じたような気がする。人はいないはずなのに視線を感じる。見られている。そんな嫌な感じがした。
業務用エレベーターに向かっていたが、エレベーターに乗り込んだら普通は入ってきたほうへ向き直る。振り向いてしまうことになるだろう。乗り込んだまま後ろ手にボタンを押して移動するのもなんだかおかしい。それに閉じたあとはいいものの、誰もいない密室。他の階に止まって扉が開いた時、そこは本当にいつもの場所なのか。振り返ってはいけない状態になっていそうでなんだか落ち着かない。
(もし、後ろを振り返ったら……)
気のせいだとは思いつつ一度考えてしまうとどうにも止まらなくなってしまう。
すぐそこに業務用エレベーターが見えてはいたが、そのまま横の非常階段の扉を開けて階段で何フロアか急ぎ足で下りた。
駆け下りてきたからか心臓がバクバクと鳴っていた。恐る恐る扉を開けると、普段通りに人の気配があちこちに感じられた。休憩室側に続いているので業務フロアとは別の騒がしい音が溢れていた。いつもなら煩わしく感じてしまうのにこういうときだけはほっとしてしまう。
一息ついたところで井桁さんに連絡を入れ、無線で連絡をしてコツコツと合図を送った。
少しして端末から送った連絡を確認したらしい井桁さんの声が無線から聞こえてくる。
「添頼くんお疲れさま。ずいぶんかかったね、大変だったでしょ。いったん戻ってきていいよ。こっちもキリがいいからちょっと休憩にしようかな」
無線でイエスの合図を送ってから、緊張を深呼吸と一緒に吐き出す。
ほっとしたら喉が渇いていたことを体が思い出したようだ。お茶が飲みたい。ついでに一口サイズの甘いお菓子とかも。近くにあった自販機の商品に自然と目が行ってしまう。オフィスの自販機は飲料だけでなく軽食やお菓子などいろいろな種類があって、見ているだけでも結構楽しい。お菓子やパンなどの期間商品が入ってくると、もうそんな時期なのかと一年の流れを感じることもある。ちらりとラインナップを確認すると新商品のパンやお菓子なんかも入っていた。普段は詰め所の近くのフロアの自販機を利用するか、あらかじめ買ってきたものを持って来ることが多い。いつものフロアとはまた違った品揃えに、たまには別の階の自販機を利用してもいいかもと思う。ただわざわざ休憩中に買いに行くには階が遠いので、利用するなら退勤前くらいになりそうだけど。
ぱっと目に入った新商品のお菓子とこっちのアイスはちょっと気になる。定時後の人が減った時間なら共用の休憩室も利用しやすいだろうし、退勤してから休憩室でコーヒーでも飲んで一息ついて帰るのもありかもしれない。オフィス用自販機はちょっと安めの値段設定になっているし。
……いやでも正社員でもない僕が、退勤後とはいえあまり自分と関係のないフロアに長居するのは良くないかもしれないな。呼び出されていろいろと説明をしたばかりだし、変に怪しまれても困る。アイスは溶けてしまうから無理そうだけど、お菓子や軽食程度なら買って帰ればいいか。万が一不審に思われても、単純にこの階の自販機を帰りがけに利用しに来ただけならば特に何も言われないだろう。僕のカードキーは重要な部屋は立ち入れないようにはなっているし、そもそも自販機や休憩室の利用は自由だったはずだ。あくまで利用できる範囲で利用しているだけ! 別に何もしてませんので!
(……って、何をそんなに必死になってるんだ僕は)
忙しない脳内に自分自身でツッコミを入れながら詰め所へ向かって歩くうちに、先ほど感じた視線のことなどすっかりどうでもよくなってしまっていた。
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