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005:ミラー・ミラー
しおりを挟む「……どういうことだ」
報告書を見て思わず眉間の皺が深くなる。
驚くことに病院で目が覚めてから二週間もの間症状が出なかった。軽減ではなく、消失だった。倒れた拍子に頭を打って、脳のどこかに異常が出たかもしれないと疑いもした。
今まで『カナリア』の声を聞いたところでここまで症状が抑えられたためしがない。たとえば歌ってもらっている間であればこちらも多少なり睡眠が取れたり頭痛が治まったりするのだが、彼らが喋るのをぴたりとやめてしまった瞬間、いつも通りの不快感が戻ってきてしまうのだ。しっかりと休もうとするのであれば、彼らにはひたすらに囀り続けてもらわなければならない。しかし、それも『カナリア』としての力が強くなければ何の効果も得られない。砂漠に水を一滴たらしたところで広がりきった渇きが潤うことはないのと同じだ。
それに加え、『カナリア』は自分よりも力の強い者への恐怖をとても強く感じてしまう。『カナリア』同士がどうかは知らないが、『ケージ』同士でも力の強い者の威圧は、力の弱い者へ本能的な恐怖を強制的に与えることができる。力が拮抗している者同士や第2タイプを持たない一般人であればそこまで強く影響は出ないが、特に『カナリア』は俺たち『ケージ』の影響をダイレクトに受けやすい。
特に最近は凶暴化して『カナリア』を襲い、命を脅かしている『ホーク』のニュースも頻繁に流れている。普段おとなしくしている『ケージ』たちがいつ暴徒と化すかわからない状態で喉元をさらけ出しているのだ。いつ喰いつかれるかという恐怖をコントロールするにも訓練が必要になる。だからこそ『カナリア』は保護され、きちんと国の管理下に置かれているわけなのだが――。
「なぜ見つからない?」
提出された報告書には「該当者なし」とはっきりと書かれていた。
「そうは言うけどさ、そもそも基本的に書類の段階で弾いてるんだよ」
「……出入りの業者は?」
「それも調べたって。そう指示したのお前だろ?」
「見落としは」
「入出管理確認してもらって洗い出ししたって。全員一般人か、いても『ケージ』のみ。ダブルチェックしたから間違いないって」
「そんなはずは……」
思わず書類を持つ手に力がこもり、くしゃりと紙に折り目が入っていく。
歩の仕事は精確だ。彼がいないというのなら、本当にそうなのだろう。今までであればそのまま報告として受け流すだけだっただろうが、今回は内容が内容なだけに、結果を聞いても「そうか」と素直に納得できそうにない。
「つかさー、なんで屋上なんかで倒れてたんだよ。社長室ならともかく、屋上なんてろくに行ったこともないだろお前」
「……そうだ、扉の入出管理ならデータは――」
「はーいもう見ましたー。残念だけど特に不審なとこはなかったよ。非常階段にはカードキーいらないし、屋上もカードキーじゃなくて普通のタイプだから誰が出入りしたかはわからない。非常階段には防犯カメラとかもないからなぁ」
「屋上にカメラは」
「……ある。でも前から調子が悪かったらしくて修理の依頼が出てた。他に優先箇所あったから後回しにしてたらしい。だから、お前が屋上で倒れてた日のデータはなかったよ」
「……そうか」
目が覚めてから調子がよかったのは二週間程度だ。だからこそ喜びもしたが、またじわりじわりと頭痛が現れ始めた。歩はそうでもないが、周りの音には少しずつノイズがまた混じり始めていた。
あれが本当に現実だったのかは今となってはわからない。多くは個人差があるが、欠乏状態の症状には幻覚・幻聴などもある。そろそろ薬だけではどうにもならなくなってきているというのもあった。
一時的とはいえ消失していた症状は、眠っただけで軽減されるものではない。最たるものが特有のノイズだろう。それが聞こえなくなっていたということは確実に俺は『カナリア』の声を聞いたのだとも言える。そうでなければこの不可思議な状態に説明がつかない。
「そういえば一人だけ可能性がありそうなのがいたんだけど……」
「それを早く言えよ!」
思わず身を乗り出してしまった俺に、歩が驚いた表情を浮かべた。
「や、ありそうってだけだったんだよ。ほら、三嶋さんが言ってたろ? 誰かがお前の電話に出たってさ」
「そういえばそんなことを言っていたな……」
あの日いつまでも降りてこない俺を心配して、三嶋が俺の携帯に電話をかけてきた。その時俺は倒れた後で意識はなかったが、誰かが電話に出たと言うのだ。
「名乗らなかったのか?」
「三嶋さんもわからないってさ。聞こうと思ったらしいけど電話切られたって。で、その後すぐ警備室に連絡して屋上に向かったってわけ。その間も他の社員とか不審な人物はいなかったし、映像でも何も問題なかったんだよな~」
三嶋が喋っているのであれば、俺の幻覚という線はなくなった。となると逃げ道はなさそうなものなのに、いったいどこへ消えたのだろうか。
「そういや警備室より先に清掃員がひとり、お前のところに到着してたって報告あったな」
「それならその清掃員じゃないのか?」
「いやー……だって探してるのって『カナリア』だろ? それはないと思うぞ」
「なぜ違うと言い切れる?」
いつも慎重でどんな可能性も考慮している男が、珍しく初回で言い切ったことに少しだけ興味がわいた。
「そいつ電話には出られないんだよ。声が出ないらしいからさ」
警備室とのやりとりで電話や無線機を使うこともあるが、その清掃員の応答はイエスかノーの二択。それも端末を軽く叩いて反応してくるだけという。それ以外は基本的にはメールを使用しているらしい。そんな特殊な清掃員が一人だけ残っているというのも少々引っかかる。
「普段は別のおっさんが残ってるらしいんだけどさ、家の都合だかなんだかでたまに残れない日があるんだと。で、その可哀想な子が代わりに残業引き受けてるらしいよ。まあ清掃員だから基本的にそう作業量多くないだろうけどね。あ、でも――」
屋上の施錠は清掃員に任せている。
それを聞けただけでもよかった。なんだかほっとしたような気持ちになったが、足がかりが途絶えていないことに対してだろうと深く考えるのはやめた。
「つか、仮にそいつが『カナリア』なら重大な身分詐称だろ? そこまでのリスク背負ってまでうちに来る理由も考えられないんだよな。仮にタイプ関係なく産業スパイだとしてもよ? 警備室や社員として入ったほうが情報盗るには絶対いいと思うんだよねー……」
「それならその清掃員に話を聞けばいいだろう」
「……う~ん……筆談? チャットでのやりとりになるだろうから時間かかりそうだけど、まあやれと言われればやるけどね?」
「頼む」
いつもどおり「はいはい」と適当に流されるのだろうなと思っていたら、歩はふふっと笑っていた。
「なんかそこまでお前が必死になってるの珍しいな」
必死? 誰が? 俺が?
「いや、俺は別に」
「はいはい。いいんですよー俺は維孝社長の優秀な秘書なんでぇー? ちゃんとお仕事しますしー?」
茶化すように笑って、それから歩は溜息とも深呼吸ともつかない息を吐いた。
「俺はちゃんとお前が休んでくれるなら何だってするよ。だからさ維孝」
珍しく真面目なトーンになった歩の声。まだ以前ほどノイズものっていないが、なんとなくざらついているような気がした。
「…………」
「……なんだよ」
「……あー、やっぱいいわ。なんか上手いこと言おうと思ったけど何も出てこなかったわ」
あははといつものように笑っている歩だが、それでもなんだかいつもと少し様子が違うような気がした。
「まあ、ぼちぼち行くわ。お前が気になるみたいだから、さっきの清掃員に詳しく話聞けるか確認とるから、お前は爆睡してる間に溜まった仕事片付けながら待っとけなー」
「ああ……頼む、歩」
部屋を出て行く直前、「もっと頼れよ」と言われたような気がした。いつものようにアイグラスをかけていたなら、きっと音声を拾って字幕でも表示されていたことだろう。ここ最近出番のないままのアイグラスを、装着せずにデスクの上に置きっぱなしだったことを少しだけ後悔した。
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