【完結】技術部アルファの想い人

笹川流宇

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帰国-1

 弾むボーディングブリッジの床は、靴底をいとも簡単に押し返す。耳の奥はジンジンするし、脳をわし掴みにされて圧迫されているような気怠さだ。十時間も雲の上にいたのだから三半規管が狂ってしまうのも無理はない。
 これだから飛行機は何度乗っても苦手なのだ。
 顔を真っ青にした塩谷多都希しおや たつきは、口元を押さえて壁に手をつく。
 空と大地の境目、浮遊感と地面を踏みしめている感覚が混ざり合う唯一無二の場所は、多都希にとってようやく地上に降り立ったという安堵に包まれるゆりかごのようなものだ。
「上手いことできているもんだな……」
 この空港ターミナルと航空機を繋ぐこの移動式の橋を造ったのは、橋梁、鉄鋼構造物の設計、施工、保全などを専業とする梅福うめふく建設。多都希が属している会社である。

 アルファ至上主義の縦社会からバース平等社会を目指し、世界が大きく変動してから十五年あまり――。
 大手ゼネコンの梅福建設は、代表取締役会長を務める梅本惣弦うめもと そうげんが定めた方針により、バース平等という言葉が流行り出すよりも前から、積極的にベータとオメガを採用してきた。
 男女性、第二性平等を理念に掲げる梅福建設は、性別問わず、優秀な者が多く在籍している。
 七年前に新入社員として入社したアルファの多都希は、技術部の海外推進課に在籍しており、今年の春にオーストラリア支部から日本の本社へと再び戻ってきた。


 多都希が海外の支社に転属希望を出したのは、失恋がきっかけだった。
 塩谷家は日本を代表する製薬会社を経営する一族で、その塩谷製薬と健康食品部門で共同研究を進めているのが、初恋の相手であり幼馴染の持田朔もちだ さくの祖父が経営する栄餅屋さかえもちや製菓だった。
 朔をいつ好きになったのかなんて覚えていない。物心と同時に恋が芽生えた。
 多都希が梅福建設に入社した最大の理由は、何かとトラブルに巻き込まれがちな朔を追いかけて同じインターンシップを希望していたからであったが、今ではやりがいのある職に就き、社会人としても一人の人間としても自立した生活を送れているため、この決断は間違いではなかったと心から思っている。
 昔から賢く美しい朔は、アルファ一族の持田家に生まれた唯一のオメガで、ただでさえ男性のオメガという希少性に拍車をかけて特異な存在だった。月光のような柔らかく美しい艶のある光を放つ白い肌に、細い首を際立たせる絹のような黒髪。着物を纏い凛と佇む姿から一転、蕾がふわっと花開くように微笑むだけで、どんな者でも心を奪われた。
 多都希は、朔がオメガだと判明する前から想いを寄せていたが、彼が運命の番に出会っても、終ぞ想いを伝えることはなかった。
 もとより、多都希は自身の想いを実らせるつもりは、第二次性が判明した時からなかったのだ。

 沈黙の片想いを貫いた理由は、大きく二つある。
 一つは、オメガと診断されて涙する朔に寄り添いながらも、アルファとオメガならば番になれると内心喜んでしまった自身の浅ましさに吐き気がしたこと。何年経っても朔に対する罪悪感は拭えなかった。
 もう一つは、多都希の父が、朔の唾液や毛髪を採取して多都希とのバース的相性を確認する事件のせいだ。
 父はパーティー会場で朔が使用したナプキンやストローなどを勝手に拝借し、自社のバース検査にかけていた。
 多都希の両親が正式に離婚した時期もその頃だった。
 アルファ同士の婚姻は、性格の不一致で離婚することが多い。
 両親は見合いによる婚姻であり、息子を二人産んだ時点で、母の気持ちは完全に決まっていたのだろう。多都希を産んだ母は、運命の番だというオメガの使用人と駆け落ちをして家を出た。しばらく法的に争っていたようだが、多都希には母に関する記憶はほとんどない。
 母に捨てられた父は、すべてはアルファを誘惑したオメガのせいだ、第二性の影響だ、と思い込むことで、自分の心を守っていたのかもしれない。
 出会いが見合いであったとしても、父は母を愛していたのだ。

 離婚した父は、ふとした瞬間に魂が抜け落ちたような顔をしていた。
 息子に自分と同じ轍を踏ませたくはなかったという親心は理解できる。多都希が朔に片想いをしていることなど、朔以外の人間は皆気づいていた。そのため息子とその想い人の第二性の相性を確認せずにはいられなかったのだろう。
 しかし、今でも持田家と友好的な関係を築けているのは、祖父同士の交流があるからだ。
 朔のDNAを勝手に拝借して検査にかけたことが孫息子を溺愛する持田の祖父に知られてしまえば、共同研究自体が白紙になりかねない。
 大勢の暮らしと未来を預かり、第二性を最も尊重すべき製薬会社の経営者が、昔からアルファたるもの実直であれと謳っていた父親が、人としての道を踏み外した。
 多都希は理想と現実の狭間で苦しんだ。
 思い悩む多都希の異変に気付いた祖父の迅速な対応によって、父の犯罪が露見することはなかったが、尊敬していた父が犯罪に手を染めたことは、思春期の多都希にとって大変ショッキングな出来事だった。

 父がもたらした不幸はそれだけではない。
 自分と朔とのフェロモンの相性がかなり悪いと知らされて、多都希はさらに絶望することとなった。
 アルファ同士の婚姻が主流の現代だが、アルファ一族同士であれば、遠い親戚であることも間々ある。
 塩谷と持田はアルファの血が近く濃すぎた。
 アルファ同士のフェロモンが反発し合い、アルファとオメガの組み合わせをもってしても中々子に恵まれないため、婚姻は避けるべきというのが、この世の定石である。
 それを証明するかのように、多都希がどれだけ想いを寄せていても朔の体はオメガでありながら、マインドはいつまで経ってもアルファのままで、運命の番に出会うまで発情期を迎えることすらなかった。
 多都希は番事故を防ぐためにアルファ用の抑制剤を日頃から服用していたので、朔のフェロモンもほとんど感知できなかった。


 大学在学中に朔が一週間ほど病欠で休んだことがあった。
 嫌な予感がした多都希は、朔の姉であり持田家の長女である五月を取った。不安は的中し、朔は相性の良いアルファに感化されて初めてのヒートを迎えたと聞かされた。
 これまで美しい幼馴染に群がる有象無象を陰で牽制し追い払ってきたが、ついに太刀打ちできない相手が現れてしまった。
 しかし、幸いなことに朔は大学を卒業するまで運命の番に再会することはなかった。
 多都希が覚悟を決めるまでのロスタイムのような数年間を経て、朔は入社した梅福建設で運命の番であり現在の夫である有平榛夏ありひら はるかと出会ってしまった。

 多都希は、入社して早々に朔に言い寄る有平を信用できず、必死に抵抗したが、二人の仲を引き離すどころか深めるきっかけを作ることになり、無駄な足搔きに終わった。
 まさかどんなアルファよりも高貴で負けん気の強い幼馴染が、ぽっと出の一般家庭出身のアルファに奪われるとは思ってもみなかった。
 そもそも奪われたというのは語弊がある。
 元から朔は多都希のものではなかったのだ。
 ところが、朔の結婚式の前々日に独身最後の日だからと同期の森良彰もり よしあきと三人で飲んだ時、朔は衝撃的な言葉を発した。
『昔からなんとなくだけど、俺は多都希と結婚すると思ってたんだよね。お前みたいなタヌキは、貰い手なんかないだろーって言われてたから、じゃあ、多都希が俺と結婚してくれるのかな? ってさ。ふふっ、多都希にとっては冗談で、そんな気ゼロだったのに、笑っちゃうよね』
 いつもなら「お前みたいな面倒なやつお断りだ」と返せたかもしれないが、この時ばかりは血の気が引いて目の前が真っ暗になった。
 その後は砂糖を吐くほどの惚気話を聞かされ、ボコボコにされた気がする。最終的には森に担がれて帰宅した――らしい。

 存在したかもしれない未来を想像しては、非情な現実に打ちのめされる繰り返し。あれから半年は不眠が続いたし、財布と家の鍵を同時に紛失したこともあった。
 腑抜けてしまった多都希の様子を見兼ねた森は、自身も恋人と入籍間近だったというのに、根気強く何度も何度も飲みに誘ってくれた。
 朔が有平に出会う前に「好きだ、俺をお前の許嫁にしてくれ」と素直に告白していれば、もしかしたら今頃、隣にいたのは自分だったかもしれない。断られたとしても、身内には甘く、情に脆いやつだから、きっといつか絆されてくれたはず――。
 第二性の相性なんて関係ないと、己の気持ちが大事なのだと、どうして足搔こうとしなかったのだろうか。悔やんでも悔やみきれないが、それもすべて後の祭りだ。


 多都希は失恋の痛みを紛らわせるために、より一層仕事にのめり込んだ。
 海外推進課の試験を突破し、入社三年目という異例のスピードでオーストラリアへの栄転が決まった。
 物理的な距離を取ることで、不健康な想いを抱え続ける日々に終止符を打ったのだ。
 海外推進課に所属するという目標を達成した充実感と目がまわるほどの多忙な日々は、傷ついた自尊心を満たしてくれたし、二十年来の片想いを終わらせるために物理的に離れたのはかなり有効だった。
 勿論、すぐに吹っ切れたわけではない。
 番になった、入籍した、結婚式を挙げる、妊娠した、子どもが産まれた。段階を踏んで、恋心は何時しか兄弟愛のようなものに変化していった。
 結婚式も素晴らしい式だったし、朔が子供を産んだ時は心の底から喜びが満ち溢れて涙が零れた。素直に幼馴染の幸せを祝えるようになって、多都希はようやく憑き物が落ちた気がした。

 一方で、新しい出会いには恵まれなかった。
 オーストラリアでは、上司から紹介された女性やオメガ男性と何度か交際してみたが、誰とも長続きしなかった。
 多都希とて受け身だったわけではない。好意を向けてくれる相手のことを好きになろうと努力をしたが、誰からも選ばれることはなかった。
 別れを告げられる度に、何が足りなかったのだろうと落ち込む。
 こちらに興味を示してくれない人間とは、たとえ優秀なアルファであっても共にいる未来を想像できない。
 もっと自信に満ち溢れている人だと思っていた。
 引き留めてもくれない薄情者。
 貴方が人を愛せないのに、愛されるわけがない――。
 そんな双方が傷ついて終わるだけの言葉を相手に言わせてしまった。
 もう他人を巻き込んで色恋に振り回されるのは止めよう、と心に決めるには、十分な人生経験だった。

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