2 / 35
帰国-2
日本に帰国した夜。
多都希は転居当日まで都内のホテルに宿泊することにした。
本社での勤務は三週間後で、現在は一切手付かずだった有休を積極的に消化中。帰国してすぐに出社する気満々だった多都希だが、有休が消滅してしまう前に絶対に使用してくれ、と総務課にいる森から叱られたので大人しく従うしかなかった。
商業ビルの上にある都内でも屈指の高級ホテル。
多都希が宿泊するエグゼクティブフロアには、専用ラウンジがある。
上質な黒で統一されたバーカウンターからは、夜景が一望できると評判だ。昼間であれば、国立競技場や富士山も見える。
朔と久しぶりに会う予定だったが、子どもが熱を出したと連絡が入り、急遽、持田家の次女である持田三月と飲むことになった。
持田家の五月や三月は、多都希にとっても実姉のような存在で、幼い頃から何かと相談に乗ってもらっていた。実兄よりも連絡を取り合う機会は多い。
「おかえり、多都希!」
先にバーカウンターで待っていた多都希は駆け寄ってくる美女に気付き手を挙げる。
三月は艶やかな黒髪のショートカットヘアで、後ろ姿は朔と瓜二つである。ベージュのセットアップスーツのままということは、仕事帰りだというのにわざわざ時間を作って会いに来てくれたらしい。
「ただいま、三月姉さん。久しぶりだな。ん……? そのスーツ……」
「うっそ、真似した?」
多都希が着ているのはチャコールグレーのスーツ。それは三月のスーツと同じデザインの老舗高級ブランドのもので、意図せず色違い。顔を見合わせた瞬間、二人そろって笑ってしまった。
三月は家族のことや仕事のこと、新居にオススメの家具や家電のアドバイスなど止めどなくしゃべり続けた。大学を出て一人暮らしをする時も、オーストラリアに引っ越す時も、ずっと実弟のように世話を焼いてくれたことを思いだし、多都希は懐かしくなった。
グラスを七杯も空にした三月は、腕時計を見ると背の高い丸椅子から降りた。
「ああ~全然時間足りない! ごめん、もう少し話したかったけどそろそろ帰るわ」
「ああ、もう二十二時半か。三月姉さん、今日は急だったのにありがとう」
「いいの、いいの。あんたも可愛い弟みたいなもんだからね」
「可愛い? その割に俺の顔を見た瞬間、ニヤッとしてなかったか? 悪かったな、面白味のない顔で」
唇も薄く目尻も切れ長、味気ない顔をしている男に可愛いだなんて、身内贔屓がすぎるだろう。グラスのぐっと飲み干した多都希は、眉を下げて笑った。
三月は、違う違うと手を振った。
「そのさっぱりした感じがいいんじゃん。うちはたぬき顔と猫目のスーパーアイドル様しかいないから、その塩顔が恋しかったんだって。昔から多都希の顔は和服が似合っていいなぁって思ってたくらいには羨ましいよ」
たぬき顔は持田一家で、そこに加わった猫目のスーパーアイドル様は朔の夫である有平のこと。
有平はパーツひとつ一つのバランスがよく、目尻がきゅっと跳ねている、正統派のアイドルのような顔面。それでいて百八十センチを超える多都希よりも身長が高い。誰が見ても一目でアルファだと分かる、天に愛された男だ。
子どもたちは皆、朔の生き写しのような顔をしているので、持田家の中でも有平は特異な存在であった。
「どうだかな。あの有平先輩と比べられても困る。持田の御大もすっかり有平先輩に骨抜きだって聞いたぞ」
「そうだねぇ、最初は誰よりも朔との結婚に反対してたのに、今ではすっかり仲良くなっちゃって……。まさかお爺様の牛丼屋デビューに榛夏君が立ち会ってたなんて思いもしなかった」
朔と運命の糸で結ばれていた上に、末孫を溺愛するが故、難攻不落とされていた祖父とも街中で偶然出会っていたなんて、とんでもない豪運だ。
本人には知られたくないが、アルファとしても、男としても、ありとあらゆる面で完敗している。そう認めざるを得ない出来事の連続だった。
「はぁ……。有平先輩が良い人であればあるほど腹立つんだよな……」
「こらこら、ため息。来月からまた一緒に働くんだから」
「正反対なのに兄貴と同じくらい何話していいかわかんねえ」
「そういえば那由多とは連絡とってる?」
塩谷那由多、多都希の実兄であり、塩谷製薬の次期社長。
多都希が氷の視線ならば、那由多の視線は絶対零度。無表情なサイボーグのような男だ。
同じアルファでも那由多とは昔から話していて盛り上がった記憶が一度もない。連絡も必要最低限で、今回も日本に着いたと連絡したが、返ってきたのは了解の二文字だった。
「連絡は一応した。返信は言わなくても分かるだろ?」
「〝了解〟でしょ。相変わらず二人そろって照れ屋なんだから」
「男兄弟なんてそんなもんだろ。下まで見送る。タクシー?」
「いいよ。今日は二人ともうちの実家にいるの。だから家の車が下に迎えに来てる」
「それなら良かった。持田の本宅に帰るなら、五月姉さん用の土産も渡せば良かったな」
「直接渡してあげてよ。さっきも『三月ちゃんだけ多都希ちゃんに会いに行ってずるいわ!』って怒りの連絡来てたんだから。あとで姉さんにフォロー入れておいてよ。それから、本社に戻ったら朔と榛夏と仲良くすんだよ? 特に榛夏に喧嘩を売らないように!」
有平に喧嘩を売っていたのは、もう七年も前のこと。彼の人となりを誤解していたせいでもある。今もいけ好かないキザな男であることには変わりないが、当時は未熟な嫉妬心から反発していたにすぎないのも事実である。
多都希は、渋々といった表情で頷く。
「もうガキじゃねぇんだ、分かってる。じゃあ、持田家の皆さんにもよろしく」
手を挙げて去っていく三月を見送ると、多都希はバーテンダーにキールを一杯注文した。
酒を飲みながらボーっと夜景を眺めていると、バーの入口から視線を感じた。
視線の先にいたのは大学生くらいの青年だった。
大学生だと思ったのは、髪が金色だったからだ。顔立ちだけなら高校生に見えなくもないが、未成年がこの時間帯に働いているわけがない。紺色のつなぎのような作業着の襟を立てて、首に巻いた白いタオルを詰め込み、濃紺のキャップ帽をかぶっている。腰にはスプレーや布巾など清掃用具を巻き付けるベルトを装着していた。
「誰だ……?」
こんな年下の知り合いはいないはずだ。
お前の視線に気づいているぞと多都希は肩眉を上げる。
ところが目にかかるくらいの前髪の向こうにある黒く丸々とした瞳は、多都希が腰かけているさらに奥を睨みつけていた。
自意識過剰だった。八つ当たりするように目を細めた多都希は、腰を少し捻ってカウンターに肩肘をつくと、自分より奥にいる男をさりげなく視界にとらえた。
男は四十代くらいで、グレーのスーツに磨き上げられた靴を履いていた。腕時計は高級時計といえばこれといった有名なもので、銀色の丸縁眼鏡は己に自信がないとかけられないような凝ったデザインだった。若作りのためか、ウェーブがかったミルクティー色の髪だけがくすんだ肌に合っておらず、少しだけ浮いて見える。
さらに男は一人ではなかったのか、隣の二十代前半くらいの派手な格好の男と何やら話し込んでいた。
今でこそワックスでサイドに流すだけの黒髪だが、入社してすぐの頃は朔の想い人であった有平を真似て、似合いもしない髪色に染めていたことがある。あの頃の自分も周りから見たら必死で滑稽に見えたのだろうか。
「最悪だ……」
涼やかな顔をした男が雰囲気をガラリと変えて明るい髪色に染めた、と社内でも評判は良かったのだが、当時は朔にしか興味がなかったので本人はそのことを知らない。
黒歴史を掘り起こされて気分が悪くなった多都希は、手を挙げてバーテンダーに終わりの合図を送ってバーを出た。
多都希は入口を出て振り返る。
カウンター奥の男しか見えていないのか、青年はこちらを気にする様子もなく、ドアの影から男の様子を伺っていた。このままだと青年は遅かれ早かれバーテンダーか観察対象の男に見つかってしまうだろう。
素通りしても良かったのだが、男を睨みつける青年の瞳に鬼気迫るものを感じ、多都希は放って置けなかった。
「おい、そろそろ止めておけ」
「……お、オレ? オレに話しかけてますか?」
百六五十センチ程度の背丈から想像していた通り、声は変声期前なのではないかと疑うほど高かったが、音は上質で耳馴染みの良いものだった。
きょろきょろと周りを見渡す青年は、かぶっていたキャップ帽を取った。
柴犬のような顔は焦っており、やや太めの眉毛がハの字に下がっている。
お前に話しかけているのだと答えようとした多都希だが、視界がくらっとぶれて、少しよろけた。腰に手を置いて頭を振る。酒を飲み過ぎたわけではないが、異国での退去手続きに長時間のフライトと立て続けに普段と違う行動をしていたので、疲労が溜まっているのだろう。日常的に聞こえる言語が違うだけでも脳に負荷が掛かる。慣れるまでの辛抱だ。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「あ、ああ……」
「良かった……。こんなところにいたら邪魔ですよね、お寛ぎ中のところ申し訳ございませんでした。失礼します!」
「ちょっ、おい!」
呼び止めたが、よほど多都希の雰囲気が怖かったのか、青年は頭を下げると踵を翻して逃げるように去っていった。
多都希は床に残されたシルバーのプレートを拾う。
「シンデレラかよ……」
午前零時の鐘が鳴る前に慌てて逃げ帰っていった青年は、スガワラというらしい。
業務用のネームプレートのため偽名かもしれないが、制服についていたワッペンには見覚えがあった。梅福本社に出入りしているビルディエクリーンという警備会社の清掃部門と同じものだ。
根拠はないが、スガワラは明日も同じ時間にここに来るような気がする。もし会えなければ、コンシェルジュにでも預ければいい。支給された備品を紛失したスガワラは恐らく厳重注意を受けるだろうが仕方がない。
多都希はネームプレートをスーツの胸ポケットに仕舞った。
多都希は転居当日まで都内のホテルに宿泊することにした。
本社での勤務は三週間後で、現在は一切手付かずだった有休を積極的に消化中。帰国してすぐに出社する気満々だった多都希だが、有休が消滅してしまう前に絶対に使用してくれ、と総務課にいる森から叱られたので大人しく従うしかなかった。
商業ビルの上にある都内でも屈指の高級ホテル。
多都希が宿泊するエグゼクティブフロアには、専用ラウンジがある。
上質な黒で統一されたバーカウンターからは、夜景が一望できると評判だ。昼間であれば、国立競技場や富士山も見える。
朔と久しぶりに会う予定だったが、子どもが熱を出したと連絡が入り、急遽、持田家の次女である持田三月と飲むことになった。
持田家の五月や三月は、多都希にとっても実姉のような存在で、幼い頃から何かと相談に乗ってもらっていた。実兄よりも連絡を取り合う機会は多い。
「おかえり、多都希!」
先にバーカウンターで待っていた多都希は駆け寄ってくる美女に気付き手を挙げる。
三月は艶やかな黒髪のショートカットヘアで、後ろ姿は朔と瓜二つである。ベージュのセットアップスーツのままということは、仕事帰りだというのにわざわざ時間を作って会いに来てくれたらしい。
「ただいま、三月姉さん。久しぶりだな。ん……? そのスーツ……」
「うっそ、真似した?」
多都希が着ているのはチャコールグレーのスーツ。それは三月のスーツと同じデザインの老舗高級ブランドのもので、意図せず色違い。顔を見合わせた瞬間、二人そろって笑ってしまった。
三月は家族のことや仕事のこと、新居にオススメの家具や家電のアドバイスなど止めどなくしゃべり続けた。大学を出て一人暮らしをする時も、オーストラリアに引っ越す時も、ずっと実弟のように世話を焼いてくれたことを思いだし、多都希は懐かしくなった。
グラスを七杯も空にした三月は、腕時計を見ると背の高い丸椅子から降りた。
「ああ~全然時間足りない! ごめん、もう少し話したかったけどそろそろ帰るわ」
「ああ、もう二十二時半か。三月姉さん、今日は急だったのにありがとう」
「いいの、いいの。あんたも可愛い弟みたいなもんだからね」
「可愛い? その割に俺の顔を見た瞬間、ニヤッとしてなかったか? 悪かったな、面白味のない顔で」
唇も薄く目尻も切れ長、味気ない顔をしている男に可愛いだなんて、身内贔屓がすぎるだろう。グラスのぐっと飲み干した多都希は、眉を下げて笑った。
三月は、違う違うと手を振った。
「そのさっぱりした感じがいいんじゃん。うちはたぬき顔と猫目のスーパーアイドル様しかいないから、その塩顔が恋しかったんだって。昔から多都希の顔は和服が似合っていいなぁって思ってたくらいには羨ましいよ」
たぬき顔は持田一家で、そこに加わった猫目のスーパーアイドル様は朔の夫である有平のこと。
有平はパーツひとつ一つのバランスがよく、目尻がきゅっと跳ねている、正統派のアイドルのような顔面。それでいて百八十センチを超える多都希よりも身長が高い。誰が見ても一目でアルファだと分かる、天に愛された男だ。
子どもたちは皆、朔の生き写しのような顔をしているので、持田家の中でも有平は特異な存在であった。
「どうだかな。あの有平先輩と比べられても困る。持田の御大もすっかり有平先輩に骨抜きだって聞いたぞ」
「そうだねぇ、最初は誰よりも朔との結婚に反対してたのに、今ではすっかり仲良くなっちゃって……。まさかお爺様の牛丼屋デビューに榛夏君が立ち会ってたなんて思いもしなかった」
朔と運命の糸で結ばれていた上に、末孫を溺愛するが故、難攻不落とされていた祖父とも街中で偶然出会っていたなんて、とんでもない豪運だ。
本人には知られたくないが、アルファとしても、男としても、ありとあらゆる面で完敗している。そう認めざるを得ない出来事の連続だった。
「はぁ……。有平先輩が良い人であればあるほど腹立つんだよな……」
「こらこら、ため息。来月からまた一緒に働くんだから」
「正反対なのに兄貴と同じくらい何話していいかわかんねえ」
「そういえば那由多とは連絡とってる?」
塩谷那由多、多都希の実兄であり、塩谷製薬の次期社長。
多都希が氷の視線ならば、那由多の視線は絶対零度。無表情なサイボーグのような男だ。
同じアルファでも那由多とは昔から話していて盛り上がった記憶が一度もない。連絡も必要最低限で、今回も日本に着いたと連絡したが、返ってきたのは了解の二文字だった。
「連絡は一応した。返信は言わなくても分かるだろ?」
「〝了解〟でしょ。相変わらず二人そろって照れ屋なんだから」
「男兄弟なんてそんなもんだろ。下まで見送る。タクシー?」
「いいよ。今日は二人ともうちの実家にいるの。だから家の車が下に迎えに来てる」
「それなら良かった。持田の本宅に帰るなら、五月姉さん用の土産も渡せば良かったな」
「直接渡してあげてよ。さっきも『三月ちゃんだけ多都希ちゃんに会いに行ってずるいわ!』って怒りの連絡来てたんだから。あとで姉さんにフォロー入れておいてよ。それから、本社に戻ったら朔と榛夏と仲良くすんだよ? 特に榛夏に喧嘩を売らないように!」
有平に喧嘩を売っていたのは、もう七年も前のこと。彼の人となりを誤解していたせいでもある。今もいけ好かないキザな男であることには変わりないが、当時は未熟な嫉妬心から反発していたにすぎないのも事実である。
多都希は、渋々といった表情で頷く。
「もうガキじゃねぇんだ、分かってる。じゃあ、持田家の皆さんにもよろしく」
手を挙げて去っていく三月を見送ると、多都希はバーテンダーにキールを一杯注文した。
酒を飲みながらボーっと夜景を眺めていると、バーの入口から視線を感じた。
視線の先にいたのは大学生くらいの青年だった。
大学生だと思ったのは、髪が金色だったからだ。顔立ちだけなら高校生に見えなくもないが、未成年がこの時間帯に働いているわけがない。紺色のつなぎのような作業着の襟を立てて、首に巻いた白いタオルを詰め込み、濃紺のキャップ帽をかぶっている。腰にはスプレーや布巾など清掃用具を巻き付けるベルトを装着していた。
「誰だ……?」
こんな年下の知り合いはいないはずだ。
お前の視線に気づいているぞと多都希は肩眉を上げる。
ところが目にかかるくらいの前髪の向こうにある黒く丸々とした瞳は、多都希が腰かけているさらに奥を睨みつけていた。
自意識過剰だった。八つ当たりするように目を細めた多都希は、腰を少し捻ってカウンターに肩肘をつくと、自分より奥にいる男をさりげなく視界にとらえた。
男は四十代くらいで、グレーのスーツに磨き上げられた靴を履いていた。腕時計は高級時計といえばこれといった有名なもので、銀色の丸縁眼鏡は己に自信がないとかけられないような凝ったデザインだった。若作りのためか、ウェーブがかったミルクティー色の髪だけがくすんだ肌に合っておらず、少しだけ浮いて見える。
さらに男は一人ではなかったのか、隣の二十代前半くらいの派手な格好の男と何やら話し込んでいた。
今でこそワックスでサイドに流すだけの黒髪だが、入社してすぐの頃は朔の想い人であった有平を真似て、似合いもしない髪色に染めていたことがある。あの頃の自分も周りから見たら必死で滑稽に見えたのだろうか。
「最悪だ……」
涼やかな顔をした男が雰囲気をガラリと変えて明るい髪色に染めた、と社内でも評判は良かったのだが、当時は朔にしか興味がなかったので本人はそのことを知らない。
黒歴史を掘り起こされて気分が悪くなった多都希は、手を挙げてバーテンダーに終わりの合図を送ってバーを出た。
多都希は入口を出て振り返る。
カウンター奥の男しか見えていないのか、青年はこちらを気にする様子もなく、ドアの影から男の様子を伺っていた。このままだと青年は遅かれ早かれバーテンダーか観察対象の男に見つかってしまうだろう。
素通りしても良かったのだが、男を睨みつける青年の瞳に鬼気迫るものを感じ、多都希は放って置けなかった。
「おい、そろそろ止めておけ」
「……お、オレ? オレに話しかけてますか?」
百六五十センチ程度の背丈から想像していた通り、声は変声期前なのではないかと疑うほど高かったが、音は上質で耳馴染みの良いものだった。
きょろきょろと周りを見渡す青年は、かぶっていたキャップ帽を取った。
柴犬のような顔は焦っており、やや太めの眉毛がハの字に下がっている。
お前に話しかけているのだと答えようとした多都希だが、視界がくらっとぶれて、少しよろけた。腰に手を置いて頭を振る。酒を飲み過ぎたわけではないが、異国での退去手続きに長時間のフライトと立て続けに普段と違う行動をしていたので、疲労が溜まっているのだろう。日常的に聞こえる言語が違うだけでも脳に負荷が掛かる。慣れるまでの辛抱だ。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「あ、ああ……」
「良かった……。こんなところにいたら邪魔ですよね、お寛ぎ中のところ申し訳ございませんでした。失礼します!」
「ちょっ、おい!」
呼び止めたが、よほど多都希の雰囲気が怖かったのか、青年は頭を下げると踵を翻して逃げるように去っていった。
多都希は床に残されたシルバーのプレートを拾う。
「シンデレラかよ……」
午前零時の鐘が鳴る前に慌てて逃げ帰っていった青年は、スガワラというらしい。
業務用のネームプレートのため偽名かもしれないが、制服についていたワッペンには見覚えがあった。梅福本社に出入りしているビルディエクリーンという警備会社の清掃部門と同じものだ。
根拠はないが、スガワラは明日も同じ時間にここに来るような気がする。もし会えなければ、コンシェルジュにでも預ければいい。支給された備品を紛失したスガワラは恐らく厳重注意を受けるだろうが仕方がない。
多都希はネームプレートをスーツの胸ポケットに仕舞った。
あなたにおすすめの小説
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話
降魔 鬼灯
BL
ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。
両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。
しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。
コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
白熊皇帝と伝説の妃
沖田弥子
BL
調理師の結羽は失職してしまい、途方に暮れて家へ帰宅する途中、車に轢かれそうになった子犬を救う。意識が戻るとそこは見知らぬ豪奢な寝台。現れた美貌の皇帝、レオニートにここはアスカロノヴァ皇国で、結羽は伝説の妃だと告げられる。けれど、伝説の妃が携えているはずの氷の花を結羽は持っていなかった。怪我の治療のためアスカロノヴァ皇国に滞在することになった結羽は、神獣の血を受け継ぐ白熊一族であるレオニートと心を通わせていくが……。◆第19回角川ルビー小説大賞・最終選考作品。本文は投稿時のまま掲載しています。
【完結】完璧アルファな推し本人に、推し語りするハメになったオレの顛末
竜也りく
BL
物腰柔らか、王子様のように麗しい顔、細身ながら鍛えられた身体、しかし誰にも靡かないアルファの中のアルファ。
巷のお嬢さん方を骨抜きにしているヴァッサレア公爵家の次男アルロード様にオレもまたメロメロだった。
時に男友達に、時にお嬢さん方に混ざって、アルロード様の素晴らしさを存分に語っていたら、なんとある日ご本人に聞かれてしまった。
しかも「私はそういう人の心の機微が分からなくて困っているんだ。これからも君の話を聞かせて欲しい」と頼まれる始末。
どうやら自分の事を言われているとはこれっぽっちも思っていないらしい。
そんなこんなで推し本人に熱い推し語りをする羽目になって半年、しかしオレも末端とはいえど貴族の一員。そろそろ結婚、という話もでるわけで見合いをするんだと話のついでに言ったところ……
★『小説家になろう』さんでも掲載しています。