【完結】技術部アルファの想い人

笹川流宇

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新生活-2

 恵との同居生活が始まって一週間が経過した。
 道路を挟んで向こう側にある藤江の部屋は、夜になると必ずカーテンを閉められるので、中の様子までは分らない。周りを警戒しているのか、藤江は密会している相手と共にマンションから出てくることもないため、調査は難航していた。

 家族ともただ同じ自宅にいるだけだった多都希にとって、誰かと暮らすという経験は初めてのことだったが、意外にも恵とは良い関係を築けている。
 恵の母親には社寮の一室を借りたと伝えているらしい。年齢的にもそろそろ一人暮らしを始めたいと以前から伝えていたそうで、引き留められることはなかった。


 多都希は家具屋に恵を連れて来た。
 リネンの深緑色のセットアップの多都希と、グレーのパーカーにデニムの恵の組み合わせはちぐはぐで、店中の視線を集めていた。
 値段表記のないベッドや机に怯える恵だが、恵が現在使用している部屋は、同居解消後に客室として使用するため、遅かれ早かれベッドなど最低限のものが必要だと言い包めた。
 客人用に良いものを選んでくれとオーダーすると、恵は渋々といった表情ながら、真剣に一つずつ家具を選んでいた。
 最小限の荷物だけを持参しただけの恵は、今日の晩にでも大きなリュック一つで、ふらっと出て行ってしまいそうなのだ。
 客人用にするというのは恵を引き止めるための口実で、いつまでも煎餅のような布団で寝ている恵の体調を心配してのことだった。

 多都希の強い要望の甲斐あって、ベッドだけは当日の夕方には恵の部屋に搬入された。
 寝酒を飲もうと誘われた多都希は、恵と並んでソファーに座る。
 受け取ったグラスの中身を口に含むと、ふっと笑みが零れた。
「なんだこりゃ、寝酒にしては爽やかすぎねえ?」
「家にあったのテキトーに混ぜたんで、味の保証はできませーん。あっ、でも意外と美味しいかも!」
「んはっ、出す前に味見しとけよ」
「美味しくないの?」
「そうは言ってないだろ」
「素直に美味しいって言えばいいのに」
 ロゼワインにオレンジジュース、オレンジキュラソーとクラッシュアイスが混ざったそれは、ワイン・クーラーという立派な名がついたカクテルとほとんど同じ味がした。
 恵の手料理はどれも上手い。善人と悪人を見分ける才能はないが、味覚に関してはセンスがずば抜けているようだ。
「……今日の夕飯に作ってくれた肉で米を巻いたやつも旨かったよ」
「ホントにっ?」
「ああ、大葉が中に入ってるのが一番好みだった。仕事が始まったら弁当にも入れてほしい」
「そんなに気に入ってくれたんだ! やったー嬉しい! いよいよ来週から新しい職場だもんね。緊張するなぁ~ドキドキするよねぇ。塩谷さんが頑張れるように、気合を入れて大葉とチーズのも用意します!」
「ははっ、お前が緊張してどうすんだよ。だが、弁当は正直期待している」
 多都希の素直な感想が恵はとても嬉しかったようで、小さな頭を左右に振って喜びを露にした。
 本来は騒がしいタイプは苦手な多都希だが、朝から晩まで共にいてもストレスがないどころか、明日は恵と何をしようか、何を食べようかと考えている。こんなこと、一人の時はあり得なかったことだ。
 同居初日は、なぜこんな自分らしくない馬鹿げた提案をしてしまったのだと頭を抱えたが、翌朝、恵が眠い目を擦りながら「おはよ、ございます……」と起きて来た姿を見て、誰かと朝の挨拶を交わすのも悪くないなと思ってしまったのだ。
 それに恵のはにかみ顔はかなり良い。目を細めてにいっと笑うと胸がきゅうっと締め付けられる。これは庇護欲のようなものなのだろうか。
 自分の言葉一つでこんなにも笑顔が増えるならば、ちっぽけな羞恥心など捨てて、もっとストレートに褒めて、労ってやりたいとも思う。

 深夜番組を見ながら他愛もない会話を続けること一時間。
 寝酒が効いてきたのか、恵はふわぁっと大きな口を開けて欠伸をした。
「ガキんちょはもう寝る時間だな」
「そんなガキんちょにお酒飲ませていいんですか~? 悪いお兄さんだな~」
 恵は足をバタバタさせて抗議する。
 あまり年下との交流がない多都希にとって、お兄さんという響きは新鮮だった。酒のせいで舌足らずな恵の声はより幼く、本当に悪いことをしている気分にもなった。
「そういうところがガキだって言ってんだ」
「むぅ……ねえ、塩谷さん。買ってもらった新しいベッドで寝るの楽しみだけど、俺が選んだやつを今後も客室用に使うって、本当に良かったんですか?」
「ああ、問題ない。結構いい値段がしたからな、今夜からはぐっすりだろ」
「えっ、うそぉ……」
 目を見開いた恵は肩を揺らし、グラスの中の酒がちゃぷんっと危なげな音を立てた。
「うおわッ! 何してんだ、零れんだろ」
「オレ、塩谷さんが高いと思うくらいの値段のベッドを選んじゃったの⁉ 申し訳なさ過ぎて逆に眠れないよ!」
「なんだァ? ハラハラして寝られないなら、俺が添い寝でもしてやろうか?」
 くつくつと喉を上下させて笑う多都希は、テーブルにグラスを置いて恵の肩を抱く。
 弟のような恵をからかうのが、日課になりつつある今日この頃。本気で添い寝しようとは微塵も思っていないし、恵はいつものようにキャンキャンと嚙みついて来ると思っていた。
 ところが、恵の反応は多都希が思い描いていたものではなかった。
「ひ、一人で平気だもん……」
 恵は多都希の手を押しのけると、ぴゅうっとキッチンに逃げ込んでしまった。
「め、めぐ、む……」
 呼び掛けを無視した恵は、火照った頬のままグラスを水で流し、シンクに置いた。
 その姿をじっと見ていると、ついに顔だけ反らされた。恵は寝る時のパジャマもパーカーだが、耳までは隠せない。その証拠に金髪の向こう側の耳たぶは、真っ赤だった。
「冗談だ、悪かった。そんなに怒るなよ」
 少し掠れた声があまりにも情けなくて、多都希は自身の変化に驚いた。
「怒ってません。冗談ってことくらい、わかってるし……。だけどさ、塩谷さんはイケメンで、大人で、こういうの慣れっこなんだろうけどさ……? オレは、あんまり慣れてないんだもん、勘弁して……ください……」
「分かった。恵、本当にすまなかった」
「うん……」
 恵は静かにリビングを出て行く。
 酒を飲んだので、洗面所に歯を磨きに行ったのだろう。こんな時でも、毎日やること、やらなければならないことをきちんとやるのが恵だ。そういう自制心のある立派な大人ではあるが、些か反応が初心すぎる。

 自ら仕掛けておきながら、多都希はへなへなとソファーに倒れ込んだ。
 先ほどまで恵が座っていた場所から、風呂上りのしゃぼんの香りがふわっと薫った。同じ柔軟剤を使っているというのに、恵はいつもいい香りがする。
 アルファの多都希は、現代社会を生きる上で毎日抑制剤を服用している。
 アルファとオメガが出会っても、互いに抑制剤を服用していればほとんどフェロモンを感じ取ることはできない。抑制剤を服用していても唯一フェロモンを感じられる瞬間は、相手か自分が強い感情に揺さぶられた時だけだ。
 恵の清涼感と甘さが混ざった匂いは柔軟剤ではなく、オメガフェロモンなのだろうか。フェロモンは指紋と同じように誰一人として同じ値にはならない。香りも嗅ぐ者によって変わる。
 仮にしゃぼんの香りが恵のオメガフェロモンだった場合、相手に想いを寄せたのは恵か、はたまた自分か――。
 第二性を明かすまでもなく、多都希は誰がどう見てもアルファだが、恵どうなのだろう。
 オメガの男性は存在自体が希少なため、第二性の中でも非常にデリケートな話題だ。人によっては、未だにオメガに対する偏見があり、オメガ男性と間違われた際に激高する者だっている。
 もし恵がオメガならば、ヒートの話題は避けて通れないし、この同居も長くてあと三ヶ月ということになる。
 藤江の素行調査が目的のため、問題が解決すればその前に出て行くことになるかもしれないが、同居が長引けば互いの第二性について話し合わなければならない時は必ず来る。アルファやベータであれば、触れる必要のない話題だが、恵と同居を始めてから彼は一度も第二性について触れたことがないことが少々気がかりだった。

 自分は一体、恵とどういう関係を築いていきたいのだろうか。
 少なくとも、藤江の問題が片付いて同居を解消しても縁を切るようなことはしたくない。それくらい気が合う貴重な友人になったと思う。
「あー……なんだこの感じ」
 まだ出会って一ヶ月も経っていない恵に対する気持ちを上手く言語化できない。
 友情や家族愛ともちょっと違う。恋愛感情なのかと問われると自信がない。多都希にとって、恋とは一歩引いて見守るものだった。そういう恋しか知らない。
「俺も歯磨いて寝るか……」
 今は恵のように、やることはやろう。
 天井を見上げた多都希は腹筋を使って勢いよく起き上がると、中々戻って来ない恵の様子を見に行くために洗面所へと向かった。

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