【完結】技術部アルファの想い人

笹川流宇

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新生活-3

 多都希の梅福建設本社での勤務が始まると同時に、恵もホテルでのヘルプ業務が終了したため、梅福の近場にある栄餅屋本社での清掃業務に戻ることになった。
 毎朝、多都希の運転で共に通勤して、定時になったら共に帰る生活が当たり前。
 制服を脱いで私服――といってもいつものパーカーに着替える際に、恵は全身の汗をボディーシートなどで念入りに拭いてから、待ち合わせ場所の契約駐車場の入口に現れる。
 別に汗をかいていても問題ないと伝えたが、こんな高そうな車を汚したらオレが無理、と全力で否定された。
 それに汗臭いと思われるのも嫌だ、ともじもじしていたのは、いじらしく微笑ましかった。

 二人は会社と自宅の途中にあるスーパーに寄る。
 実家に家政婦がいた多都希にとって、スーパーは未知の世界であった。高級志向のマーケットは何度か寄ったことがあるが、一般的なスーパーに通うようになったのは、恵と暮らすようになってからだ。
「塩谷さんにまで節約させることないのに、オレのせいでごめんね。昨日宅配で注文してくれたお弁当、お肉モリモリだったのに上品な味がした。もしかしてオレが作るいつものご飯じゃ物足りないんじゃない?」
 元々しっかり敬語を使われていたわけではないが、恵は出会った頃よりも遠慮がなくなってきた。
 一方で、母親のためにバーに潜入したり徹夜で張り込んだりと破天荒な行動をしていたとは思えないほど、恵は気遣い屋だった。
 同居するにあたり、自身の給料明細を提示してこの五割を毎月多都希に渡すと言われた時は驚いた。共同生活する上でのルールなども細かくヒアリングされたし、されて嫌だと思うことは一切ない。
 それどころか料理は上手いし、話も面白い。毎日ニコニコと機嫌が良さそうにしている姿は、仕事しかできない自身よりもよほど立派だ。

 家事全般を任せる代わりに家賃光熱費は不要だと初日に伝えていたので、恵からの金銭は受け取っていない。
 金銭を払うだけの自分と、時間を割いて二人分の世話を焼く恵。
 多都希としては、恵の方が負担が大きいと思って受け取りを拒否したのだが、恵は未だに納得していないようだった。
「まったく料理をしないから付き合いのある店から弁当を買っていただけだ。自分で作ることができるなら、安いに越したことはないだろ。昨日みたいに忙しかった日は、無理する必要はないが、俺は恵の作る料理はどれも気に入っている。できればそっちの方がいい」
「えへへっ、そっかぁ。塩谷さんがオレの作ったご飯を美味しいって褒めてくれるの嬉しいよ。ありがとう。ねえ、今日は何を食べたい? 塩谷さんの好きなの、何だって作ってあげる」
「そうだな……ここ最近は肉が続いていたから魚がいい。煮つけなんてどうだ、手間か?」
「ううん、いいね。今日は子持ち鰈が安いし、煮つけにしよう!」
 家庭の味を知らない多都希にとって、菅原家の味が家庭の味になっていた。
 自宅はオープンキッチンのため、多都希がソファーに腰かけていても、恵が料理している姿がよく見える。片付けと並行しながら手際よく作業する恵だが、エプロンの結び目だけは、いつも縦結びになっている。洋服も靴も色違いのワンパターンだし、恵は自分の容姿の無頓着なのかもしれない。
 清掃用の帽子からはみ出した部分が外にはねていても、海外の子どもみたいで可愛らしいので、多都希はあえて指摘しない。
 ただ、こんなに可愛らしい顔をしているのに、素材を持て余していて勿体ないとも思う。恵は嫌がるかもしれないが、仕事用の作業服とパーカー以外の服も見てみたいのだ。
 多都希は手始めに、夏用の涼しげなパジャマを購入して恵に贈ろうと決めた。
 
「……迷った」
 スマートフォンを片手に恵に似合うパジャマを検索しながら後をついて行っていた多都希だったが、顔を上げた時には恵とはぐれていた。
 広い店内ではないが、スーパー初心者の多都希にとっては迷路同然。こちらが探し回るよりも恵に見つけてもらった方が早いだろうと歩みを止めた。
 しばらく目の前にある乾燥わかめや昆布が並ぶ棚を見ていると、黄金色の髪が目に留まった。
「おい、恵」
 思っていたよりも情けない声が出たが、わかめも昆布も見飽きた。なりふり構っていられない。
 呼び掛けに応じない恵のパーカーのフードを引っ張ると、彼は固まっていた。
「えっと……?」
 振り向いたのは、恵ではなく知らない青年だった。
「申し訳ない! 連れに後ろ姿が似ていたもので、間違えてしまいました」
「ふふふっ、そういう新手のナンパだったりする?」
 恵よりも大人びた表情をする青年は、多都希の腕から手首へと向かって撫でた。
「決してそういった意図はなく、本当に人違いで……」
 こちらが人違いをした手前、無下にはできないが、良く見てみると青年は首にベージュのカラーをつけている。青年がオメガだと気付いた瞬間に防衛本能が働いたのか、多都希は彼の腕をやんわりと退けると一歩下がっていた。
 これまでもオメガの女性や男性から声をかけられることは多かった。自衛のために抑制剤は日頃から服用しているが、積極的に迫ってくる人間は第二性問わず得意ではない。
「ちょっと冷たそうだけどすっごいイケメンだし、お兄さんが今夜の相手してくれるなら、このあとの予定全部キャンセルしてもいいよ」
「誤解だ! 本当に一緒に来ているやつがいる!」
 どうしたら誤解が解ける。脳内で必死に恵にSOSを送っていると、本当に多都希を呼ぶ声がした。
「あ、いた! もお~っ! 後ろにいると思ってオレずっと一人で話してたんだけど……って、どなた? お知り合い?」
 最高のタイミングで恵が現れた。恵がいつもの何倍も逞しく見えて、後光まで射している。
「あれが連れです! では失礼!」
「え、待って……っ」
 青年の制止を振り切った多都希はぴゅっと恵の元へ駆け寄ると、青年に向かって再度頭を下げた。

「あの人、誰?」
 ジトっとした目を向けてくる恵の問いかけに渋々答える。
「……お前と背丈も服装も似ていたから間違えて声をかけたんだ。今日会っただけの知らないやつだ」
「ぷふふっ、だっさ~! 迷子になるし人違いするし」
「仕方ないだろ! 後ろ姿が瓜二つだったんだよ! 同じ店内に金髪のパーカー少年が何人もいると思わないだろ普通は!」
「塩谷さんの中の普通枠が狭いんじゃない?」
「お前……馬鹿にしやがって……」
 プラスチックのかごを持って恵の後ろをついて行く多都希は、腹いせにつまみになりそうなジャーキーやチーズを黙々とかごに入れる。
 山盛りになったかごに気づいた恵は、頬をぷくっと膨らませた。
「こら! いくら自分のお金だからってバンバンかごに入れるな!」
「いいだろ、明日、明後日は休みだ。今日もゲームしながら寝酒しようぜ」
「まあ、二日分のおつまみなら、これくらい必要……かも?」
「だろ? ほぉーら、恵。菓子コーナーはいいのか? 好きなもん何個でも買ってやるぞー」
「はあ~? 最近になってお菓子コーナーの存在を知ったスーパーデビューほやほやの赤ちゃんのくせに! 怒った! お望み通りプロ野球カード箱買いしてやる!」
「いいぞ。全部買え」
「ウソだし! 本当に買うつもり⁉」
「ふんっ、このスーパーエリートを舐めるなよ」
「なにそれ、高給取りのエリート社会人ってこと? 今いるスーパーも完全攻略したぜって意味のスーパーエリート?」
「両方」
「どっちにしたって自分で言うのダッサァっ! ていうか、完全攻略してたら迷子になんかならないんじゃないの?」
「迷子じゃない! しつこいぞ!」
 ヤダヤダと駄々をこねる恵の背中を押して、覚えたての菓子コーナーに向かう。
 ところがプロ野球カードの棚はすっからかん。商品がつい先ほどまで確かにそこにあったことを値札だけが証明していた。
「はあ⁉ 一昨日まではここに山ほどあっただろ!」
「セーフ……。ふっふっふ、スーパーってそういうものだよ。店内でパーカーを着てる人はオレだけじゃないし、一昨日まであった商品も完売する。お勉強になったねぇ? スーパーエリートのばぶちゃん?」
 低い位置から手が伸びてきて、ヨシヨシと頭を撫でられる。
 啖呵を切って菓子コーナーに来た上に、子ども扱いされた多都希は気恥ずかしくなり、仕返しに恵の丸い頭をがっと掴んだ。
「ぎゃいんッ!」
「くそ……。庶民のスーパーだからといって、妥協すんな。きちんと数を仕入れておけよ、職務怠慢だろうが……」
「完売したってことは、スーパー的には在庫管理が上手くいったってことでしょ。ねえ、おもちゃはもういいから、魚と冷凍食品も買ったし、早くお会計行こうよ」
 多都希は文句を垂れ流しながら、恵に引きずられながらレジに向かう。
 
 レジ前に着いた瞬間、背中がぞわりと粟立った。
「……誰だ」
 多都希は思わず恵を庇うように引き寄せる。
 ところが、あたりを見渡しても不審な人物は見当たらず、多都希は息を深く吸った。
「どうしたの?」
 にこっと微笑む恵は気付いていないようだ。
 大企業の塩谷家の次男というだけで、誘拐されかけたこともあるし、嫌がらせを受けたこともある。家を出て独立した今では滅多にないが、多少のことには動じなくなった。
 しかし、先ほどの視線は今まで感じたことのないほど冷たいものだった。
 もし見られていたのが自分ではなく、恵だとしたら――。
 恵は、良くも悪くも一つのことに集中すると周りが見えなくなる上に、言動も生意気だ。何度か顔を合わせてみないと、彼の魅力を知らぬまま、不遜な態度の人間だと誤解されることもあるかもしれない。
 先ほどの視線がただの勘違いであることを願い、多都希は通勤用鞄から財布を取り出して、恵に手渡した。
「なんでもない。いつものカードで支払い頼む」
「はいはーい」
 懐いてしまえばこんなにも愛らしい。野生のリスのようなポップさが魅力なのだ。
 会計を終えて商品を手早く袋に詰め込む。多都希は恵の手を引いて駐車場に向かった。

 焦った様子の多都希を不思議に思った恵は、駐車場に着くまで黙って横にぴったりと寄り添っていた。
 多都希はもう一度周囲を見渡し、警戒する。
「よし、乗れ」
「ねえ、塩谷さん」
「ん、なんだ?」
「なんかイライラしてない? お腹へってるだけ?」
「多少腹は空いているが、特には――ッでぇ⁉」
 ぷすっと眉間の間を突かれて、多都希はよろけた。
 いたずらにしては急だなと顔を上げると、恵は心配そうな表情でこちらを見上げていた。
「仕事でも私生活でも、嫌なことがあったなら話くらい聞くよ。だから、そんな思いつめた顔しないで。年下のオレじゃあ頼りになんないかもしんないけどさ……」
「俺はそんなに険しい顔をしていたか?」
「鬼みたいだったよ」
「……盛ってないか?」
「マジだよ、鬼怖かった」
「それは悪かった……。ちょっと考えごとしてただけなんだ」
「その考えごとはオレのせい?」
「いいや。まあ、ちょっとな」
「ちょっとって言われてもねぇ……」
 言葉とは裏腹に納得のいかない様子の恵は、後部座席に荷物を置くと運転席にまわろうとした多都希の腕を引いた。そしてすぽっと胸に収まると、多都希の背中をトントンと叩き始めた。
 またしてもしゃぼんの香りが濃くなって、多都希はふわっとした金色の髪に鼻を埋める。恵の顔は見えないが、耳は両方とも熟れたトマトのような赤に染まっていた。
「め、めぐ……どうした……」
 驚いた多都希は平静を装いながらも、恵を初めて愛称で呼んでしまったことに気付いた。それくらい多都希も動揺していた。
「言えないなら、無理に言わなくてもいいよ。でも、こうすると元気になるから。昔から母さんがやってくれてた、おまじないみたいなものなんだよ」
「……それは、いい親御さんだな」
 母親は多都希が幼い頃に失踪しており、抱き締められた記憶などない。菅原家の想いの伝承のおかげで、これが思いやる温かみなのだと学んだ。
 パーカーの厚い生地の奥から伝わるほどの熱は、硬くなっていた多都希の心をじんわりと溶かしていく。

 しばらく心地よい鼓動に身を任せていると、他の利用客の声がした。
 一歩下がって恵から離れると、多都希は恵の頭を撫でた。
「ありがとう、本当に元気でたわ」
「良かった。オレ、体温高いから寒い日もオススメ」
「ふっ……体温高いとか、ほんとガキ……」
「鼻で笑うな!」
「肌寒くなって来たらまた頼むわ」
 恋愛感情の乗らない家族としての抱擁は、多都希が今、一番望んでいたものだったのかもしれない。無条件で愛を分け与えてくれるのが、年下の男だったのは予想外だったが、悪い気はしなかった。
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