【完結】技術部アルファの想い人

笹川流宇

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同居ヒート-3

 デートスポット巡りが功を奏したのか、恵は定位置となったソファーに座っていても多都希に寄りかかってくるようになった。
 初めの頃はテレビを見ていても動悸でどうにかなりそうだったが、慣れとは恐ろしいもので、今では多都希も恵の肩に腕を回すのが当たり前になり、すっかり平常心を装うのも慣れた。
 しかし、夏も過ぎて冷房も必要なくなったというのに恵のパジャマは襟ぐりが開いたオーバーサイズのシャツにショートパンツのままなのである。
 正直、目のやり場に困ると多都希は頭を抱えている。
 今も前かがみになるだけで、小さな薄桃色の突起が見えてしまっている。自称オメガらしくないオメガの恵だが、成人男性の乳首がこんなに情欲を掻きたてるものか。
 手の位置を少しでも動かせば、胸の尖りに触れてしまいそうな距離だ。
 一度目にしてしまえば、多都希は眠りにつく直前まで桃色の世界に苦しめられる羽目になる。
 視線を奪われて鼻の下を伸ばしていると「見るなえっち!」と責め立てられるので、進んで見せつけているわけではないようだ。
 分厚いパーカーから解き放たれた反動なのかもしれないが勘弁してほしい。
 こうして秋になっても、小悪魔に翻弄されて悶々とする日々が続いた。


 紅葉した街路樹が散る前に、恵は周期通り二度目のヒートを迎えた。
 今回は出張がないため、自宅で世話をしてやれると安心しきっていたが、部屋に籠っていた半裸の恵が飛び出してきて「もっと塩谷さんの匂いがほしい」と泣きながら乞われた時は理性が飛びかけた。
 自身の下半身を犠牲に、フェロモンを嗅がせてやるために思いっきり抱きしめてやると恵は大人しくなった。
「いい匂い……する……きもち、いい……」
 胸の中で、はあ、はぁ、と胸焼けするほど熱い吐息を溢す恵は、多都希の背中に両腕を回してしがみついた。
 へっぴり腰になっているのがこの上なくみっともないのだが、そうすることでしか恵を守れない。
「恵、もう終わりだ」
「っやだぁ、もっと、もっとぉ」
 多都希の手や首にちゅうちゅうと吸いつく恵を引き剝がすのは、多都希が経験した出来事の中で一番の苦行だったと断言できる。
 なんとか恵の部屋から脱出した多都希は、疑似ベータ薬を服用していたにも関わらずキッチンに駆け込んだ。
 疑似ベータ薬をガリガリと嚙み砕いて口に含み、蛇口から直接水を浴びるようにして飲む。
 製薬会社の息子が薬の容量を破るなんて、あってはならないことだ。同じ薬を何錠飲んでも効果は変わらず、ただ体に悪いだけだと頭では理解している。
 それでも、フェロモンは感じ取れないはずなのに恵のうなじを噛みたいという衝動が抑えられなかった。

 恵の部屋に戻ると、彼は多都希の毛布に包まって寝ていた。恵の手元には先ほどまで多都希が着ていたカーディガンが握られており、心臓がきゅっと掴まれる。
 巣作りを期待していると前にも伝えていたが、まさか本当にここまで素直に求めてくれるとは――。
「恵、辛いか……。頑張れ」
 涙のあとが残る頬を親指で拭ってやると、体から少しだけ力が抜けたように見えた。


 ヒート休暇も残りわずか。多都希は自宅と職場を一人で往復する日々に物足りなさを感じていた。
 番であればアルファもパートナーの体調に合わせてヒート休暇を申請できるが、自分たちはまだそんな段階ではないため、一秒でも早く恵の元に帰ることしかできない。
 疑似ベータ薬の効果が薄まって恵のフェロモンを感じ取れるようになるたび、感覚に蓋をするため薬を飲む。
 ヒート中の恵の香りはしゃぼんの香りというよりもバニラのような甘さがある。遊園地から帰宅してすぐに感じたのは、ヒートの予兆だったのだ。
 多都希は、この香りを知っているのはこの世で自分だけだという優越感に酔いしれる。

 恵が今日着ていたのは、プレゼントした中でも一番素材が薄く、透け感のあるパールのような光沢があるパジャマだった
 パジャマを贈られた恵は『すっごい着心地がいい! ありがとう!』と飛び跳ねて喜んでいたし、クッキーのような色をした大きなボタンも可愛いと大絶賛だった。
 贈った側の多都希も、就寝前に愛らしい恵の姿を毎日見られて大満足だった。
 しかし、ボタンは大きいが故に外れやすく、胸元がはだけてぷっくりとした乳首が丸見えになっていることが多々あった。意図せず得た眼福と罪悪感でいつも感情がぐちゃぐちゃになる。

 ヒート中の恵は着衣の乱れなどに構ってはいられないし、全裸で部屋から出てこないだけでも表彰状ものだ。
 不埒な目線を送ってはいけないと思いつつ、ヒート時は明らかに身体つきが変わる。平常時の体付きを知っているだけに、ヒート時の恵はこんなにも蠱惑的になるのかと第二性の影響に驚かされてばかりだ。
『行かないで、もっと、もっと……』
 多都希のアルファ性を求めてベッドから手を伸ばす恵の姿を思い出す。
 辛うじて引っ掛かっているだけの上着は汗で体にぴったり張り付いて、臍の下のあたりで熱を帯びた性器がツンと主張していた。
 思い出すだけで、ご馳走を前にした時のような涎がじゅわっと溢れて口の中を潤した。薄桃の尖りにしゃぶりついて、舌で転がして、思いっきり可愛がりたい。恵はどんな風によがるのだろうか――。
 同じ家にいても、考えるのは恵のことばかりだ。
 多都希は、恵の名を呼びながら自慰に耽る。浴室の壁に腕をついて、もう片方の手で自身の凶悪なそれをしごく。
「好きだ……、好きだ、恵――……く、ぁっ」
 薄くなった白濁が壁にかかる。
 多都希はゴンッと額も壁に押し付けて息を整えた。
 何度も精を吐き出すと段々と身体が怠くなってきて、ようやく頭がまわり始める。
 荒い吐息が浴室に響き、扉の外までフェロモンが漏れていないか心配になってきた。恵にバレないようにシャワーで念入りに洗い流し、換気もマックスにしておく。
 この時間ほど無心なことはない。

 風呂場を出ると、ソファーを背もたれにしてお粥を食べていた恵と目が合った。頬、首、鎖骨と視線を下げる。どこもかしこも薄く色づいていて色っぽい。あれだけ射精したというのにもう体が熱くなってきた。
 花畑から戻って来れない脳内を吹き飛ばすために、多都希は頭をぶんぶんと振る。
「おふろ、長かったねぇ」
「まあな。なんだ、カラーもしてるし服も着ているな。やるじゃねぇか」
「その節はすみませんでしたぁ。もう終わりかけだから、だいじょーぶ」
 焦げ茶色のカラーはしっかり首に装着されている。鍵の在処は恵しか知らないため、多都希が万が一理性を飛ばしてしまっても、事故で番契約を結ぶという最悪の事態になることはない。
 多都希は冷静を装って何事もなかったかのように視線を逸らすと、冷蔵庫からペットボトルを取り出し、背を向けたまま話しかける。
「何か足りないものはないか?」
「うん、へーき。ちょっと楽になったから、ごはん、たべにきたぁ」
 コップを二つ用意して、片方だけストローをさしてローテーブルまで持って行く。
「偉いぞ、恵。さあ、水分も摂れ。冷たくて気持ちいい」
「えへへ、ありがと」
 前回のヒート時に大活躍したウォーターサーバーは、そのまま恵の部屋にある。今リビングにあるのは、二台目だ。ウォーターサーバーのボトルにはメモリがついているため、恵がどれだけ水分を摂取したか管理しやすい。こうして積極的に飲み食いさせるのが多都希の仕事だ。
 ストローを咥えてコップから水を飲み始めた恵の体が傾く。多都希は、肩を抱いて恵を支えた。
 恵の体はいつも以上にふにゃふにゃしていて、どこを触っても指が沈み込むような触り心地になっていた。そして元々高い体温がさらに熱くなっている。
 これから冬になるが、いくら防寒性に優れたマンションだからといってもエアコンだけでは体調が心配だ。
 多都希は恵を抱き寄せながら、片手でスマートフォンをいじり家電屋通販サイトで温風と冷風がどちらも出せる扇風機を購入する。

「けほっ!」
 しばらく大人しくしていた恵だったが、咳き込んで水をこぼした。口元はびちゃびちゃで、襟元も濡れてしまっている。
「大丈夫か? もう水はいいな」
「ん、いい……。ぱじゃまがびちゃびちゃ……」
「拭いてやるから」
 多都希は優しく声をかけて、唇を親指で拭う。
 水に濡れた艶々とした唇がぷるんっと揺れた。程よい弾力があり、食んだら甘い味がしそう。
 口の端から零れる水滴が勿体ないと思った多都希は、無意識に恵の口元を指ですくって滴を舐めとった。
「おいしい……?」
 全身に衝撃が走った。この世のものとは思えないほど甘く、それでいて諄くはない、不思議な味。無味無臭の水とは思えない媚薬だ。舌先がピリピリするほど、体と心が震える。
 どうやら薬でフェロモンは防げても、味覚は変わらないらしい。こんなの説明書には記載がなかった。一体どうなってるんだ親父!と、八つ当たり気味に薬を作った父に対して苛立つ。
「しおやさん、もっと、のんで」
 愛しい人が「ほら、ほぉら」と舌をちろっと覗かせてこちらを挑発してくる。
 多都希が押し黙っていると、恵は多都希の顔を両手でペタペタと触り出した。
「かぁこいーなぁ。オレとぜんぜん、ちがう。目と鼻とくち、ぜんぶ、かっこいい……。声も低くて大人っぽい。いいなぁ、しおやさん、えへへっ」
「しっかりしろ、恵。誰に触ってるか分かってんのか。薬を飲んでいても俺はアルファだぞ」
「わかってるよ……? でも、あるふぁじゃなくて、しおやさんだから、いいの。しおやさんが、いい」
「めぐ……」
「なぁに、しおやさん? あ、でもこれ、いっちゃだめなんだった……。おれの、かたおもい、ないしょね? ふふふっ」
 何度も多都希の名を呼ぶ恵は、とても幸せそうな顔で笑う。
 ヒートも終わりかけだと言っていたが、全くコントロールできていないではないか。こんなのどんな恋愛音痴だって分かる。自分たちは両思いだ。
 薬の効果を上回るヒート中のオメガフェロモンがアルコールのような役割を果たし、恵の行動を大胆にしているのだろう。
 あと数センチで唇が重なる距離。
 すっと隙間に手のひらを差し込んだのは、多都希だった。
「なんでぇ……? きす、しよぉ……?」
 恵はぽろぽろと涙を流す。
 多都希は、その滴を拾い集めるように頬と首に口づけを落した。
「さっきのは、俺が狡かった。恵、今はだめだ。抑制剤の効果が切れかかっている。今すぐ薬を飲め」
「くすりいらない! のむと、しおやさんの、においしない、やだぁ!」
「俺だけ恵の匂いを嗅いで悪いな」
「うぅ、まったくだよ! ねえ、しおやさんは、オレのにおい、すき? なんばんめ?」
「……順位なんてないだろ、お前だけなんだから」
 抑制剤の効果で匂いはしない。それでも恵本来の香りが好きなのだから本心だ。
「やったぁ! オレも、おなじ、しおやさんだけ。だからいいでしょ?」
 胸に飛び込んで来た恵を抱き留めると、多都希は首元に鼻を埋めた。カラー越しでもくらくらするほど恵の肌の匂いが濃い。
 視線を上げると、どろっと蕩けた瞳がこちらを見ていた。
 自分の腹の底から聞こえる獣の唸り声のような凶悪な呼吸は、恵に欲情していることを物語っていた。
 そんな本能とは裏腹に、言葉は理性の味方をする。
「今すぐにでも恵を満たしてやりたいが、今の恵は正気じゃない。だから、ヒートが明けたら改めて言いたいことがある」
「それ、こくはく……? しおやさん、おれのこと、すきなの……? うれしい、おれも――」
 決定的な言葉を聞く前に恵の口元を覆う。
 不服そうな恵は眉間に皺を寄せた。
「めぐ、ヒート中にした会話はどれくらい覚えている?」
「……しおやさん、いじわるだ。やっぱ、おれのこと、すきじゃないんだ」
 頬っぺたを多都希に首に擦り付ける恵は、露骨に落ち込んだ。
「そんなことない。本当は日頃からもっと優しくしたいと思っている」
「……しおやさんは、いつでもやさしいよ」
「ありがとう。だが、そんなこと言うのは恵くらいだ」
「みーんな、みるめないねぇ? でも、おれは、らいばるいないほうが、たすかるなぁ」
「考えていることが全部口に出てるぞ……。恵、ヒートが終わるまであとちょっとだ、待てるな?」
「うん、まってる!」
「いい子だ」
 褒美に唇に触れるギリギリに口づけると、恵は満足したのか多都希に寄りかかったまま再び眠ってしまった。


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