23 / 35
兄と弟-2
那由多の衝撃の告白はまだ続く。
「私の恋人はベータの男だ。つまりどちらも子をなせないため、祖父にひ孫の顔を見せてやることができない。あの人に何一つ恩返しできないことだけが気がかりだった」
初耳の兄の恋人――。
お見合いを受けない兄の謎。色恋に興味がなさそうな兄が、多都希に見合いを勧めてきたことも今思えば不審な行動だった。
「クソ兄貴…! だから俺に散々見合い話を……」
「まさかお前に恋人がいるとは思っていなかったんだ。だが、今のお前の顔をしっかり見れば分かることだったな。私がもう少し早く打ち明けていれば、恵君を悲しませることもなかっただろう。すまなかった、恵君」
長年の恋に破れて海外へ異動したことを知っている兄からすれば、こんなにもとんとん拍子で弟に番が出来るとは思ってもいなかったのだろう。
表情を変えずに淡々と語る那由多は、本当にそう思っているのかと疑いたくなるほどだが、この朴念仁が恋人のために必死に頭を悩ませていたと思うとなんだか面白い。
「こちらこそごめんなさい! オレ、お兄さんが反対しているとばかり思って、とんだ早とちりを……」
「いや、私は言葉も配慮も足りないとよく言われるのでな。誤解させてすまなかった。恵君、愚弟をどうかよろしく頼む。私は私の生活のために、お前たちを父やその他の脅威から全力で守ろう。何か困ったことがあればできる限り力になる」
「ありがとうございます……!」
「ったく……結論から先に言ってくれ……。まあ、ありがとうな」
やっと恵の表情が晴れた。
「これはいわば兄と弟と義弟の協定だ。お前たちを阻むものはもう何もない。早く子を成せ」
仕事の話をしているようなトーンの那由多だが、言っていることはセクハラどころの騒ぎではない。
多都希は恵の耳を塞いだが間に合わず、恵の顔は真っ赤になっていた。
遠慮のない兄の言動に振り回されながら、その度に多都希は悪態をつく。それでも食事はどれも美味しく、店の雰囲気も良い。
昔から祝い事があるたびに使っている店だからこそ、一週間前に連絡して席を確保できるわけがないことも多都希は知っている。
どうやら兄は兄なりに弟を心から祝福していたようだ。
嘘はないが言葉の足らない那由多は、言葉数のボリュームがあるが故に失言も多い多都希とは正反対だったが、不器用なところはよく似ていた。
微動だにしない表情からは何を考えているのか読み取れないし、全くと言っていいほど愛想もない。裏表がないといえば聞こえはいいが、そんな不器用なところは自分を見ているようで少々苛立つ。そんな不思議な男兄弟の絆は、恵の存在によって少しだけ可視化された。
トイレに行った恵は、迷っているのか中々帰って来ない。多都希と那由多は二人きりになった。
何を話せばいいか分からない。沈黙が落ちると思いきや、意外にも那由多の方から話を振ってきた。
「彼のご家族との顔合わせは済んでいるのか? 恵君からご家族はお母上だけだと先ほど聞かされたが、悪いが事前に身辺調査はさせてもらっていた」
「どこまで調べた」
「生い立ちから現在まで。彼の父親は米国の要人だった、とだけ言っておく。実は塩谷製薬と擬似ベータ薬で揉めている相手でもあるんだ。恵君が生まれてから菅原親子に接触した形跡はなかったが、今日までにすべてを調べられるほど時間がなかった。彼ほど美しい容姿のオメガはそういないだろう。彼にはまだ見えていない裏があって、お前がハニートラップに堕ちたのかもしれない、と会うまでは思っていた」
恵は金色の髪は地毛だと説明する際に、父親は海外の人間だと言っていたが、生まれた当初からいなかったようなので、あえて話題に挙げることではないと思っていた。
まさか塩谷製薬が抱える事案の渦中にいる者だったとは――。
「恵と会って考えは変わったか?」
「百八十度変わった。恵君と会ったこともそうだが、お前の顔を見て変わったんだ。恵君を見つめるお前は、まるで私の知る弟ではなかった」
「そうか……。顔合わせと番の報告はもう終わっている。恵のお母様にも良くしてもらっているよ。身辺調査については、塩谷の一員になるんだ。仕方ないとは言いたくないが、兄貴を咎めることもできない。擬似ベータ薬はもう塩谷製薬だけの問題じゃないからな……」
自分が好きな仕事をして、自由に過ごしているのは昔から那由多が塩谷を一身に背負ってくれているからだ。恵には悪いが、家の問題に関して、多都希は那由多を諌めることはできない。
「せめてもの詫びをさせてほしい。入籍する際は両家で食事でもしよう。今度こそ祖父にも同席してもらう」
「ああ、頼む。だけどな……」
「なんだ?」
「子どもの話は、まだ早い……」
尻つぼみになった言葉でも那由多には届いたようで、至極当然と言わんばかりに首を傾げられた。
「なぜだ? 番になったということはそういうことだろう。アルファ性を抑え込んでまで避妊する理由もあるまい」
「恵はまだ二十二だぞ! オメガからすれば早いこともないだろうが、仕事だってあるし、あいつにもやりたいことはあるだろが……」
「彼がそう言っていたのか?」
「別にそうは言っていないが、一般的に二十二なんてまだ遊びたい盛りじゃねーか」
「私が二十二の頃は遊ぶ暇なんてなかったが。お前も遊んでいたのか?」
「俺も遊んでなんかいられなかったが……」
社会人になったばかりでひたすら焦っていた二十二歳。あの頃の自分と比べると、高校卒業後から働いていた恵は余裕があるし達観しているようにも思う。
「私が言うことではないが、こじれる前に話し合った方がいい。お前は私に似て肝心なところで言葉が足りない」
「言われんでも分かってるわ!」
過去最長の兄との会話に疲労感が募る。
頬杖をついた多都希は、那由多に問いかけた。
「はあ……。そういえば、兄貴はナインパークに知り合いはいるか?」
「ナインパーク……? ああ、藤江会長と取締役とは面識があるな。取締役は体調を崩されていると聞いたが、それがどうした?」
「それなら話が早いわ。実は――」
兄が自身の幸せのために多都希に協力すると言っているならば、さっそくその力を使わせてもらおうではないか。
多都希は、恵との同居のきっかけとなった友梨と藤江の関係と、今も藤江が恵を狙っている件を教えた。
「ナインパークの会長もアルファ主義だ。一人娘の取締役の手腕も素晴らしいもので、子会社なんかはすべて彼女の功績が大きいと聞いたぞ。しかし、期待の婿養子アルファがとんだ盆暗だったとはな。実は取締役の体調不良の原因は心因性らしいと業界では専らの噂だ」
「浮気性の夫が原因だろうな。その盆暗アルファを役員にすらおいておけないから、各店舗を視察ってことにして回らせているのか、餌を巻いて時が来たら派手に制裁を下すつもりなのか……。未だに毎週のように恵に似た男を買っているあたり、金は大分好き勝手できるようだがな」
「恵君に警備をつけるよう手配するか?」
「いいや、藤江と鉢合わせてしまう前に引っ越そうと話していたところだ」
「それなら塩谷の本宅の離れを使えばいい」
「ふざけんな。いきなり兄貴とお爺様と暮らせ、なんて恵に言えるわけないだろ」
「私は今年の春頃から恋人と別の場所に住んでいる。本宅はお爺様しか住んでいないし、お前は合鍵も持っているだろう? 明日にでも越して来るといい。客人用の離れには最低限のものは揃っている」
「離れだとしても恵はどう思うか……」
文京区にある大きな実家。確かにセキュリティ対策は万全だ。
だが、いきなり祖父と同居はどうなのだろうか。恵は遠慮して嫌だと言えないかもしれない。
「いいんですか? オレ、人生で一度は一軒家に住んでみたかったんです!」
いつの間に恵が戻って来ていた。しかも嫌がるどころか、大分乗り気だ。
「ああ、勿論。お爺様も御年だ。誰かが近くにいてくれると心強い」
「だってさ、塩……多都希さん!」
「しかし、お爺様の許可が――」
「もう取った」
スマートフォンの画面をこちらに向ける那由多は口の端を上げた。
どや顔は似てる、兄弟っぽい、という囁きを聞いた多都希はうな垂れる。
「スピーカーになってやがる……。お爺様……。初めからすべて聞いておられたのですか……」
「どいうこと……って、えええ‼」
一時間前から通話中の表示にようやく気づいた恵は、飛び跳ねて頭を下げる。
「ごごごごごごご挨拶が遅くなり申し訳ございません! オレ、わたっ、私は! 菅原恵と申しましゅッ! うわわ嚙んじゃったっ!」
電話口の向こうから豪快な笑い声が聞こえる。
互いに挨拶を済ませると、恵に会える日を楽しみにしていると言い残し、祖父は大あくびをしながら通話を切った。
八十を目前にして、いたずらを仕掛けるために夜更かしとは――。
那由多もいたずらを仕掛けるタイプではない。よく考えてみれば、最初から『祖父はここにはいない(アメリカから通話で参加している)』と馬鹿正直に言っていた。相変わらず言葉が足りていなかっただけだ。
多都希が予測不能な祖父と兄の行動に振り回される日々は、すぐそこまで迫っていた。
食事を終えた一行は、木漏れ日がさす檜の香りの廊下を歩いていた。
「ナインパークと藤江のことはこちらでも調べておこう。取引先ではないが、もうすぐ年末年始の挨拶ラッシュだ。顔を合わせることくらいなら容易い。それから来週には持田家にも会う予定だ。食品を取り扱っている栄餅屋の方がナインパークとは関係が深いだろう。五月さんと情報を共有しても?」
「ああ、朔と三月姉さんには、ちらっと伝えてある」
「そうか。お前は私と違って友人が多いからな、今後も大事にするといい」
「友達が多い……?」
多都希と那由多を見比べ、憐れんだ目を向けてくる恵は薄ら笑いを浮かべる。
多都希がお前も同じようなものだろと恵を肘で小突くと、那由多は眩しそうに目を細めた。
秘書が迎えに来る、と店の入口に留まった那由多を置いて駐車場へ歩き始めると、スーツの男とすれ違った。
「塩谷さーん」
名を呼ばれて振り返った多都希だったが、呼ばれたのは那由多の方だった。
那由多を塩谷さんと呼んだ男は、かなり明るい茶髪に広い肩幅、へらっと些か軽薄そうな笑みを浮かべていた気がする。顔の印象だけでいえば、イケメンの部類に入るだろう。
「あーあ、俺もここで飯食いたかったな~」
「これは家の問題だ。秘書を連れて行く阿呆がどこにいる」
「秘書、ねぇ? こうして迎えに来させるのはいいんだ?」
「……帰る」
社長に対する態度にしては少々距離感が近いように思う。
二年前、塩谷家に長年仕えてくれていた前任の秘書が定年退職した。その後任として那由多が自ら選んだ者にしては意外な人物だった。
「車はそっちじゃないよーん。こっちこっち」
あの兄が腰に手を回されても咎めもしないなんて、と驚いていると、秘書が兄に何か耳打ちをした。
頬を染めた兄は、ふはっと吹き出して口元に手を当てて笑った。初めて見る表情だった。
なんだ、そんな顔もできるのか。彼が兄の恋人か――。
多都希は偶然遠くに虹を見つけた時のような、温かい気持ちになった。
繋いでいた手が控えめに引かれる。恵と顔を見合わせると、どちらからともなく笑みが浮かんだ。
「いつか紹介してもらえるといいね」
「……まあ」
「似てないとか言ってたけど、兄弟そろって照れ方もそっくりじゃん。シオヤじゃなくてテレヤに改名したら?」
「俺は照れ屋じゃない!」
頬を突く恵を助手席に押込めると、多都希は運転席へと回り込む。ドカッとシートに座ると車体が揺れた。
「照れて物にあたるな」
「ふんっ、いいから大人しくこちらを向け」
「なにしゅりゅ……!」
親指を口の端に置いて顎を固定すると、多都希は天ぷらの油で光っていた恵の唇に吸いついて、満足気に口角を上げる。
「ほら見ろ、茹蛸みたいじゃねぇか。お前のが照れ屋だろ」
「は、はぁああ⁉ こんなの誰だってビックリするし! 反則すぎでしょ……ばか! ばかばかばか!」
「へいへい、バカで結構。お前は今日もくそ生意気で最高だな」
「うるさーいっ! ほら、早く出して! しゅっぱーつ!」
エンジンをかけると恵の好きなアーティストの曲がかかる。静かなドライブを好む多都希だったが、今では恵の出発の合図がなければドライブは始まらない。
恵との縁が多都希の人生をより豊かに導いてくれる。
兄との蟠りも解けたし、祖父のあんな弾んだ声は久しぶりに聞いた。
今日は嬉しいことばかりだ。
多都希は曲に合わせてハンドルを中指でタンタンと叩きながら帰路に着いた。
「私の恋人はベータの男だ。つまりどちらも子をなせないため、祖父にひ孫の顔を見せてやることができない。あの人に何一つ恩返しできないことだけが気がかりだった」
初耳の兄の恋人――。
お見合いを受けない兄の謎。色恋に興味がなさそうな兄が、多都希に見合いを勧めてきたことも今思えば不審な行動だった。
「クソ兄貴…! だから俺に散々見合い話を……」
「まさかお前に恋人がいるとは思っていなかったんだ。だが、今のお前の顔をしっかり見れば分かることだったな。私がもう少し早く打ち明けていれば、恵君を悲しませることもなかっただろう。すまなかった、恵君」
長年の恋に破れて海外へ異動したことを知っている兄からすれば、こんなにもとんとん拍子で弟に番が出来るとは思ってもいなかったのだろう。
表情を変えずに淡々と語る那由多は、本当にそう思っているのかと疑いたくなるほどだが、この朴念仁が恋人のために必死に頭を悩ませていたと思うとなんだか面白い。
「こちらこそごめんなさい! オレ、お兄さんが反対しているとばかり思って、とんだ早とちりを……」
「いや、私は言葉も配慮も足りないとよく言われるのでな。誤解させてすまなかった。恵君、愚弟をどうかよろしく頼む。私は私の生活のために、お前たちを父やその他の脅威から全力で守ろう。何か困ったことがあればできる限り力になる」
「ありがとうございます……!」
「ったく……結論から先に言ってくれ……。まあ、ありがとうな」
やっと恵の表情が晴れた。
「これはいわば兄と弟と義弟の協定だ。お前たちを阻むものはもう何もない。早く子を成せ」
仕事の話をしているようなトーンの那由多だが、言っていることはセクハラどころの騒ぎではない。
多都希は恵の耳を塞いだが間に合わず、恵の顔は真っ赤になっていた。
遠慮のない兄の言動に振り回されながら、その度に多都希は悪態をつく。それでも食事はどれも美味しく、店の雰囲気も良い。
昔から祝い事があるたびに使っている店だからこそ、一週間前に連絡して席を確保できるわけがないことも多都希は知っている。
どうやら兄は兄なりに弟を心から祝福していたようだ。
嘘はないが言葉の足らない那由多は、言葉数のボリュームがあるが故に失言も多い多都希とは正反対だったが、不器用なところはよく似ていた。
微動だにしない表情からは何を考えているのか読み取れないし、全くと言っていいほど愛想もない。裏表がないといえば聞こえはいいが、そんな不器用なところは自分を見ているようで少々苛立つ。そんな不思議な男兄弟の絆は、恵の存在によって少しだけ可視化された。
トイレに行った恵は、迷っているのか中々帰って来ない。多都希と那由多は二人きりになった。
何を話せばいいか分からない。沈黙が落ちると思いきや、意外にも那由多の方から話を振ってきた。
「彼のご家族との顔合わせは済んでいるのか? 恵君からご家族はお母上だけだと先ほど聞かされたが、悪いが事前に身辺調査はさせてもらっていた」
「どこまで調べた」
「生い立ちから現在まで。彼の父親は米国の要人だった、とだけ言っておく。実は塩谷製薬と擬似ベータ薬で揉めている相手でもあるんだ。恵君が生まれてから菅原親子に接触した形跡はなかったが、今日までにすべてを調べられるほど時間がなかった。彼ほど美しい容姿のオメガはそういないだろう。彼にはまだ見えていない裏があって、お前がハニートラップに堕ちたのかもしれない、と会うまでは思っていた」
恵は金色の髪は地毛だと説明する際に、父親は海外の人間だと言っていたが、生まれた当初からいなかったようなので、あえて話題に挙げることではないと思っていた。
まさか塩谷製薬が抱える事案の渦中にいる者だったとは――。
「恵と会って考えは変わったか?」
「百八十度変わった。恵君と会ったこともそうだが、お前の顔を見て変わったんだ。恵君を見つめるお前は、まるで私の知る弟ではなかった」
「そうか……。顔合わせと番の報告はもう終わっている。恵のお母様にも良くしてもらっているよ。身辺調査については、塩谷の一員になるんだ。仕方ないとは言いたくないが、兄貴を咎めることもできない。擬似ベータ薬はもう塩谷製薬だけの問題じゃないからな……」
自分が好きな仕事をして、自由に過ごしているのは昔から那由多が塩谷を一身に背負ってくれているからだ。恵には悪いが、家の問題に関して、多都希は那由多を諌めることはできない。
「せめてもの詫びをさせてほしい。入籍する際は両家で食事でもしよう。今度こそ祖父にも同席してもらう」
「ああ、頼む。だけどな……」
「なんだ?」
「子どもの話は、まだ早い……」
尻つぼみになった言葉でも那由多には届いたようで、至極当然と言わんばかりに首を傾げられた。
「なぜだ? 番になったということはそういうことだろう。アルファ性を抑え込んでまで避妊する理由もあるまい」
「恵はまだ二十二だぞ! オメガからすれば早いこともないだろうが、仕事だってあるし、あいつにもやりたいことはあるだろが……」
「彼がそう言っていたのか?」
「別にそうは言っていないが、一般的に二十二なんてまだ遊びたい盛りじゃねーか」
「私が二十二の頃は遊ぶ暇なんてなかったが。お前も遊んでいたのか?」
「俺も遊んでなんかいられなかったが……」
社会人になったばかりでひたすら焦っていた二十二歳。あの頃の自分と比べると、高校卒業後から働いていた恵は余裕があるし達観しているようにも思う。
「私が言うことではないが、こじれる前に話し合った方がいい。お前は私に似て肝心なところで言葉が足りない」
「言われんでも分かってるわ!」
過去最長の兄との会話に疲労感が募る。
頬杖をついた多都希は、那由多に問いかけた。
「はあ……。そういえば、兄貴はナインパークに知り合いはいるか?」
「ナインパーク……? ああ、藤江会長と取締役とは面識があるな。取締役は体調を崩されていると聞いたが、それがどうした?」
「それなら話が早いわ。実は――」
兄が自身の幸せのために多都希に協力すると言っているならば、さっそくその力を使わせてもらおうではないか。
多都希は、恵との同居のきっかけとなった友梨と藤江の関係と、今も藤江が恵を狙っている件を教えた。
「ナインパークの会長もアルファ主義だ。一人娘の取締役の手腕も素晴らしいもので、子会社なんかはすべて彼女の功績が大きいと聞いたぞ。しかし、期待の婿養子アルファがとんだ盆暗だったとはな。実は取締役の体調不良の原因は心因性らしいと業界では専らの噂だ」
「浮気性の夫が原因だろうな。その盆暗アルファを役員にすらおいておけないから、各店舗を視察ってことにして回らせているのか、餌を巻いて時が来たら派手に制裁を下すつもりなのか……。未だに毎週のように恵に似た男を買っているあたり、金は大分好き勝手できるようだがな」
「恵君に警備をつけるよう手配するか?」
「いいや、藤江と鉢合わせてしまう前に引っ越そうと話していたところだ」
「それなら塩谷の本宅の離れを使えばいい」
「ふざけんな。いきなり兄貴とお爺様と暮らせ、なんて恵に言えるわけないだろ」
「私は今年の春頃から恋人と別の場所に住んでいる。本宅はお爺様しか住んでいないし、お前は合鍵も持っているだろう? 明日にでも越して来るといい。客人用の離れには最低限のものは揃っている」
「離れだとしても恵はどう思うか……」
文京区にある大きな実家。確かにセキュリティ対策は万全だ。
だが、いきなり祖父と同居はどうなのだろうか。恵は遠慮して嫌だと言えないかもしれない。
「いいんですか? オレ、人生で一度は一軒家に住んでみたかったんです!」
いつの間に恵が戻って来ていた。しかも嫌がるどころか、大分乗り気だ。
「ああ、勿論。お爺様も御年だ。誰かが近くにいてくれると心強い」
「だってさ、塩……多都希さん!」
「しかし、お爺様の許可が――」
「もう取った」
スマートフォンの画面をこちらに向ける那由多は口の端を上げた。
どや顔は似てる、兄弟っぽい、という囁きを聞いた多都希はうな垂れる。
「スピーカーになってやがる……。お爺様……。初めからすべて聞いておられたのですか……」
「どいうこと……って、えええ‼」
一時間前から通話中の表示にようやく気づいた恵は、飛び跳ねて頭を下げる。
「ごごごごごごご挨拶が遅くなり申し訳ございません! オレ、わたっ、私は! 菅原恵と申しましゅッ! うわわ嚙んじゃったっ!」
電話口の向こうから豪快な笑い声が聞こえる。
互いに挨拶を済ませると、恵に会える日を楽しみにしていると言い残し、祖父は大あくびをしながら通話を切った。
八十を目前にして、いたずらを仕掛けるために夜更かしとは――。
那由多もいたずらを仕掛けるタイプではない。よく考えてみれば、最初から『祖父はここにはいない(アメリカから通話で参加している)』と馬鹿正直に言っていた。相変わらず言葉が足りていなかっただけだ。
多都希が予測不能な祖父と兄の行動に振り回される日々は、すぐそこまで迫っていた。
食事を終えた一行は、木漏れ日がさす檜の香りの廊下を歩いていた。
「ナインパークと藤江のことはこちらでも調べておこう。取引先ではないが、もうすぐ年末年始の挨拶ラッシュだ。顔を合わせることくらいなら容易い。それから来週には持田家にも会う予定だ。食品を取り扱っている栄餅屋の方がナインパークとは関係が深いだろう。五月さんと情報を共有しても?」
「ああ、朔と三月姉さんには、ちらっと伝えてある」
「そうか。お前は私と違って友人が多いからな、今後も大事にするといい」
「友達が多い……?」
多都希と那由多を見比べ、憐れんだ目を向けてくる恵は薄ら笑いを浮かべる。
多都希がお前も同じようなものだろと恵を肘で小突くと、那由多は眩しそうに目を細めた。
秘書が迎えに来る、と店の入口に留まった那由多を置いて駐車場へ歩き始めると、スーツの男とすれ違った。
「塩谷さーん」
名を呼ばれて振り返った多都希だったが、呼ばれたのは那由多の方だった。
那由多を塩谷さんと呼んだ男は、かなり明るい茶髪に広い肩幅、へらっと些か軽薄そうな笑みを浮かべていた気がする。顔の印象だけでいえば、イケメンの部類に入るだろう。
「あーあ、俺もここで飯食いたかったな~」
「これは家の問題だ。秘書を連れて行く阿呆がどこにいる」
「秘書、ねぇ? こうして迎えに来させるのはいいんだ?」
「……帰る」
社長に対する態度にしては少々距離感が近いように思う。
二年前、塩谷家に長年仕えてくれていた前任の秘書が定年退職した。その後任として那由多が自ら選んだ者にしては意外な人物だった。
「車はそっちじゃないよーん。こっちこっち」
あの兄が腰に手を回されても咎めもしないなんて、と驚いていると、秘書が兄に何か耳打ちをした。
頬を染めた兄は、ふはっと吹き出して口元に手を当てて笑った。初めて見る表情だった。
なんだ、そんな顔もできるのか。彼が兄の恋人か――。
多都希は偶然遠くに虹を見つけた時のような、温かい気持ちになった。
繋いでいた手が控えめに引かれる。恵と顔を見合わせると、どちらからともなく笑みが浮かんだ。
「いつか紹介してもらえるといいね」
「……まあ」
「似てないとか言ってたけど、兄弟そろって照れ方もそっくりじゃん。シオヤじゃなくてテレヤに改名したら?」
「俺は照れ屋じゃない!」
頬を突く恵を助手席に押込めると、多都希は運転席へと回り込む。ドカッとシートに座ると車体が揺れた。
「照れて物にあたるな」
「ふんっ、いいから大人しくこちらを向け」
「なにしゅりゅ……!」
親指を口の端に置いて顎を固定すると、多都希は天ぷらの油で光っていた恵の唇に吸いついて、満足気に口角を上げる。
「ほら見ろ、茹蛸みたいじゃねぇか。お前のが照れ屋だろ」
「は、はぁああ⁉ こんなの誰だってビックリするし! 反則すぎでしょ……ばか! ばかばかばか!」
「へいへい、バカで結構。お前は今日もくそ生意気で最高だな」
「うるさーいっ! ほら、早く出して! しゅっぱーつ!」
エンジンをかけると恵の好きなアーティストの曲がかかる。静かなドライブを好む多都希だったが、今では恵の出発の合図がなければドライブは始まらない。
恵との縁が多都希の人生をより豊かに導いてくれる。
兄との蟠りも解けたし、祖父のあんな弾んだ声は久しぶりに聞いた。
今日は嬉しいことばかりだ。
多都希は曲に合わせてハンドルを中指でタンタンと叩きながら帰路に着いた。
あなたにおすすめの小説
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話
降魔 鬼灯
BL
ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。
両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。
しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。
コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
白熊皇帝と伝説の妃
沖田弥子
BL
調理師の結羽は失職してしまい、途方に暮れて家へ帰宅する途中、車に轢かれそうになった子犬を救う。意識が戻るとそこは見知らぬ豪奢な寝台。現れた美貌の皇帝、レオニートにここはアスカロノヴァ皇国で、結羽は伝説の妃だと告げられる。けれど、伝説の妃が携えているはずの氷の花を結羽は持っていなかった。怪我の治療のためアスカロノヴァ皇国に滞在することになった結羽は、神獣の血を受け継ぐ白熊一族であるレオニートと心を通わせていくが……。◆第19回角川ルビー小説大賞・最終選考作品。本文は投稿時のまま掲載しています。
【完結】完璧アルファな推し本人に、推し語りするハメになったオレの顛末
竜也りく
BL
物腰柔らか、王子様のように麗しい顔、細身ながら鍛えられた身体、しかし誰にも靡かないアルファの中のアルファ。
巷のお嬢さん方を骨抜きにしているヴァッサレア公爵家の次男アルロード様にオレもまたメロメロだった。
時に男友達に、時にお嬢さん方に混ざって、アルロード様の素晴らしさを存分に語っていたら、なんとある日ご本人に聞かれてしまった。
しかも「私はそういう人の心の機微が分からなくて困っているんだ。これからも君の話を聞かせて欲しい」と頼まれる始末。
どうやら自分の事を言われているとはこれっぽっちも思っていないらしい。
そんなこんなで推し本人に熱い推し語りをする羽目になって半年、しかしオレも末端とはいえど貴族の一員。そろそろ結婚、という話もでるわけで見合いをするんだと話のついでに言ったところ……
★『小説家になろう』さんでも掲載しています。