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余生の始まり
9.新しい朝
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夢の中、真紘は近所の弁当屋にいた。
カウンター越しに袋を差し出した重盛は「今日もありがとうね」と微笑んだ。
ピンクのエプロンをした彼を見たことはないが、なぜか懐かしさを覚えた。
惣菜を受け取り、小学生の妹と手を繋いで帰る。
教師の父と保育士の母は常に多忙だったので、帰りが遅くなる日はよく妹と二人で近所の弁当屋の惣菜を買っていた。
しかし、妹はもう十四歳で、最後に手を繋いだのは数年も前だ。
いつもカウンターで笑みを浮かべていたのも、お弁当屋のおばさんだったはずなのに――。
目尻から流れる涙は人知れず枕に吸い込まれて消えた。
いつの間にか閉じていたカーテンの隙間から朝日が射しこむ。
真紘は目を覚ました。
ベッドを降りて光の線を辿ると、重盛は長椅子で雑誌を顔に乗せたまま寝ていた。
入口のドアも施錠されている。制服の内ポケットに鍵を入れていたが、見つけられなかったのだろう。
寝支度の世話をさせた上に、自分だけベッドで寝てしまった。
重盛のような力はないが、自分には魔法がある。
彼を浮かせてベッドに移し、起きるまで体を休めてもらおうと、顔の上の雑誌を持ち上げた瞬間、腕を掴まれた。
「ん……おはよ。寝れた?」
目を擦りながら重盛はふにゃふにゃと笑った。
「おかげでぐっすり寝れたよ。ごめんね、重盛も疲れてるのにそんなところで寝させてしまって。これから自分の部屋に帰ってちゃんと寝る?」
サイドチェストの時計を見ると時刻は朝の五時、まだ起きるには早い時間。二十一時には寝てしまったため、起床も早くなってしまったようだ。
「いや、起きる。ここでシャワー浴びていい? また尻尾乾かしてほしい」
「なんでもするよ」
「わははっ、昨日のことそんな気にしてんの? 俺は意外な一面を知れて嬉しかったけどねぇ」
「僕は恥ずかしかった」
「だろうなぁ」
手櫛で梳かしただけの真紘の髪を犬のようにわしゃわしゃと撫でると、重盛は脱衣所へと入っていった。
重盛は人の世話をするのに慣れ過ぎている。
真紘は長椅子に雪崩れ込み、慄いた。
たった一日世話をされただけだが、このままでは確実に自分は堕落する予感がした。
あまりにも居心地が良すぎるのだ。
重盛は人当たりが良く、背も高い。顔も整っている。真紘が美人ならば重盛はイケメンだと言って良いだろう。
女顔と揶揄される真紘からすれば羨ましい限りだった。
軽薄な雰囲気は好みが分かれそうだが、根は世話焼きの良い男だ。
自分よりも余程男女から人気がありそうに思えた。
実際、至れり尽くせりの待遇を受け、彼の向こう側に恋人や大切な人の存在を感じたのだ。
そんな家族や恋人と離れて不安ではないのだろうかと疑問を抱いたが、家族を想って泣く真紘の隣で『俺の場合は――』と目を伏して笑っていたことを思い出した。
ならば恋人だろうか。
高校生の男女の付き合いでは到底会得できる包容力ではないような気がするが、友人関係を築こうとすらしてこなかった真紘には縁遠い話だ。
泣き言一つ溢さない彼に不満を抱くのも、真紘の理不尽な都合でしかない。
友人とは対等な関係を以て友人と言えるのではないだろうか。
このままでは一生彼の友人だと名乗れない。
しかし、どんなに頭を捻っても、この先も返しきれないほどの恩恵を受けそうな予感がする。
真紘は駄目な自分にほとほと参ってしまった。
悶々としたまま横になっていると、重盛が戻ってきた。
バスローブは羽織っておらず、下着一枚だ。尻尾は大判のバスタオルに包んで抱えている。
格好良かった姿から一変、なんともまぬけな姿に真紘は耐えられず笑ってしまった。
「そんな笑う? 床ビチョビチョにしたら絶対怒られると思ったからこうやって来たのに」
「ごめん、ごめん。昨日の重盛は大人で格好良かったなぁと思ってたところだったから、ギャップがすごくて」
真紘は立ち上がり、ふくれっ面の重盛の尻尾を魔法で乾かした。
「あーぬくい、それめちゃくちゃ便利じゃん。他には何ができんの?」
「日常的なことは一通りできたよ。水を出すとか、火を起こすとか。電気も出せる。具体的に想像できることは大体可能」
「最高じゃん、一家に一人、志水真紘」
「ふふっ、家電じゃないんですけど?」
順番とばかりに重盛は頭も下げた。
尻尾は反応していたが、耳は触っても平気のようだ。
真紘は尻尾のみならず、耳の周りの髪にも触れてみたいと密かに企んでいた。
乾かすのに触る必要はないが、しっかり乾かさないと風邪をひくかもしれないなどと大義名分を掲げ、毛並みを堪能した。
狐の柔らかな毛と、本来の髪の指通りの良さが混ざり絶妙な触り心地だ。
いくら寝ぐせがついてもいつの間にかストンと真っすぐに戻ってしまう真紘とは正反対のバラエティに富んだ毛並みは、いつまでも触っていたくなるほどだった。
このまま撫でられ続けたら寝てしまうという重盛の申し出がなければ、永遠に温風を吹かせていたかもしれない。
着替えるからとバスローブを羽織り、自分の客室に戻った重盛を見送ると、真紘も昨日用意してもらった洋服に着替えた。
白いYシャツに深緑色のスラックス。
見覚えのないこげ茶色のサスペンダーは、ズボンのベルトを限界まで絞っても不格好になる真紘のために、重盛がわざわざクローゼットから探して用意したものだった。
寒さ対策用にチェック柄のショールまで置いてある。
ショールはベージュに差し色として深緑が入っているため、抵抗感はあまりなかった。丁度肌寒さを感じていたので、広げて羽織ることにした。
「うん。いいかも」
自身の顔に興味のない人間が自画自賛するほど、かっちりとしたシルエットは真紘によく似合っていた。それだけ重盛の見立ては良い物だった。
「嗚呼、一周回って怖い。ここまで来ると彼女が十人いますとか言われた方がまだ納得できそう……」
理不尽な言葉を吐きながら、姿見を確認した真紘はブルっと震えた。
ヘアゴムは見当たらなかったため、昨日のリボンで髪を結わえることにした。
上手く結べたか鏡をもう一度確認すると、青かったはずのリボンがスラックスと同じ深緑色になっていた。
変色してしまったのかと髪を解いて確認するが、刺繍は昨日と変わらず美しい銀色のままだった。
青のままでは統一感がないため、洋服に似合う色になればいいのにと一瞬考えたが、真紘の願いに反応してリボンの色が変わったとしか思えなかった。
ギフトの【創造】とは一体どこまでできるのだろうか。
リボンのように、ふとした瞬間に想像したことが形になってしまうかもしれない。
自分の薄暗い気持ちが誰かに不幸を招いてしまったらどうしよう。
考え出した矢先から悲観的になる。
「前向きに、前向きにっ!」
いつまでも他人に頼っていてはいけない。
今が成長の時だと真紘は両頬を叩き、自身を鼓舞した。
着替えを終えて、魔法で沸かした白湯を飲みながら本を読んでいると重盛が入ってきた。
「ノックは」
「コンコンコーン」
「鳴いてもダメ、遅いよ……」
板についた泣き真似を披露する重盛。
扉はあってないものと自分の考えを改めた方が早そうだと、真紘はため息をついた。
「服も選んでくれてありがとう。サスペンダーや羽織る物も助かったよ。重盛にお願いして良かった。君の方がフォーマルな恰好をしてくるとは思わなかったけど、僕もジャケットにした方がいいかな?」
真紘が首を傾げると、待ってましたと言わんばかりに重盛は得意気に指を振った。
黒いスーツの下は真紘と同じYシャツ。腹部に巻いた深緑色の飾り帯、カフスボタンと蝶ネクタイも同じ色だ。
「カマーバンドは別の使い方をしようと思ってさ」
「カマーバンド?」
重盛は上着を脱いで腹に巻いている帯を指さす。本来ならこれを身に着けている時は上着を脱がないのがマナーらしい。彼がフォーマルな洋服の着方やマナーを知っているのも意外であった。
「この腰布はチケットとかチップを入れるものなんだけど、俺は短剣を隠したいから巻いてみた。いい感じっしょ? サスペンダーは形が違うけどおそろいだよ」
「ちゃんと考えてたんだ。シンプルな洋服も似合うね。しっくりくるよ」
「でしょ?」
照れ隠しなのか、重盛は真紘の横を通り抜けて窓を開けた。
随分高い場所に部屋があるため、転落防止対策がされており窓は半分しか開かなかったが、朝の爽やかな空気を取り込むには十分だった。
時刻は六時半、小鳥たちのさえずりに人の声が混ざってきた。
「今日もよろしくね、重盛」
「よろしく、真紘ちゃん」
朝食が運ばれてくるまで、二人は異世界で初めての朝をのんびり堪能した。
カウンター越しに袋を差し出した重盛は「今日もありがとうね」と微笑んだ。
ピンクのエプロンをした彼を見たことはないが、なぜか懐かしさを覚えた。
惣菜を受け取り、小学生の妹と手を繋いで帰る。
教師の父と保育士の母は常に多忙だったので、帰りが遅くなる日はよく妹と二人で近所の弁当屋の惣菜を買っていた。
しかし、妹はもう十四歳で、最後に手を繋いだのは数年も前だ。
いつもカウンターで笑みを浮かべていたのも、お弁当屋のおばさんだったはずなのに――。
目尻から流れる涙は人知れず枕に吸い込まれて消えた。
いつの間にか閉じていたカーテンの隙間から朝日が射しこむ。
真紘は目を覚ました。
ベッドを降りて光の線を辿ると、重盛は長椅子で雑誌を顔に乗せたまま寝ていた。
入口のドアも施錠されている。制服の内ポケットに鍵を入れていたが、見つけられなかったのだろう。
寝支度の世話をさせた上に、自分だけベッドで寝てしまった。
重盛のような力はないが、自分には魔法がある。
彼を浮かせてベッドに移し、起きるまで体を休めてもらおうと、顔の上の雑誌を持ち上げた瞬間、腕を掴まれた。
「ん……おはよ。寝れた?」
目を擦りながら重盛はふにゃふにゃと笑った。
「おかげでぐっすり寝れたよ。ごめんね、重盛も疲れてるのにそんなところで寝させてしまって。これから自分の部屋に帰ってちゃんと寝る?」
サイドチェストの時計を見ると時刻は朝の五時、まだ起きるには早い時間。二十一時には寝てしまったため、起床も早くなってしまったようだ。
「いや、起きる。ここでシャワー浴びていい? また尻尾乾かしてほしい」
「なんでもするよ」
「わははっ、昨日のことそんな気にしてんの? 俺は意外な一面を知れて嬉しかったけどねぇ」
「僕は恥ずかしかった」
「だろうなぁ」
手櫛で梳かしただけの真紘の髪を犬のようにわしゃわしゃと撫でると、重盛は脱衣所へと入っていった。
重盛は人の世話をするのに慣れ過ぎている。
真紘は長椅子に雪崩れ込み、慄いた。
たった一日世話をされただけだが、このままでは確実に自分は堕落する予感がした。
あまりにも居心地が良すぎるのだ。
重盛は人当たりが良く、背も高い。顔も整っている。真紘が美人ならば重盛はイケメンだと言って良いだろう。
女顔と揶揄される真紘からすれば羨ましい限りだった。
軽薄な雰囲気は好みが分かれそうだが、根は世話焼きの良い男だ。
自分よりも余程男女から人気がありそうに思えた。
実際、至れり尽くせりの待遇を受け、彼の向こう側に恋人や大切な人の存在を感じたのだ。
そんな家族や恋人と離れて不安ではないのだろうかと疑問を抱いたが、家族を想って泣く真紘の隣で『俺の場合は――』と目を伏して笑っていたことを思い出した。
ならば恋人だろうか。
高校生の男女の付き合いでは到底会得できる包容力ではないような気がするが、友人関係を築こうとすらしてこなかった真紘には縁遠い話だ。
泣き言一つ溢さない彼に不満を抱くのも、真紘の理不尽な都合でしかない。
友人とは対等な関係を以て友人と言えるのではないだろうか。
このままでは一生彼の友人だと名乗れない。
しかし、どんなに頭を捻っても、この先も返しきれないほどの恩恵を受けそうな予感がする。
真紘は駄目な自分にほとほと参ってしまった。
悶々としたまま横になっていると、重盛が戻ってきた。
バスローブは羽織っておらず、下着一枚だ。尻尾は大判のバスタオルに包んで抱えている。
格好良かった姿から一変、なんともまぬけな姿に真紘は耐えられず笑ってしまった。
「そんな笑う? 床ビチョビチョにしたら絶対怒られると思ったからこうやって来たのに」
「ごめん、ごめん。昨日の重盛は大人で格好良かったなぁと思ってたところだったから、ギャップがすごくて」
真紘は立ち上がり、ふくれっ面の重盛の尻尾を魔法で乾かした。
「あーぬくい、それめちゃくちゃ便利じゃん。他には何ができんの?」
「日常的なことは一通りできたよ。水を出すとか、火を起こすとか。電気も出せる。具体的に想像できることは大体可能」
「最高じゃん、一家に一人、志水真紘」
「ふふっ、家電じゃないんですけど?」
順番とばかりに重盛は頭も下げた。
尻尾は反応していたが、耳は触っても平気のようだ。
真紘は尻尾のみならず、耳の周りの髪にも触れてみたいと密かに企んでいた。
乾かすのに触る必要はないが、しっかり乾かさないと風邪をひくかもしれないなどと大義名分を掲げ、毛並みを堪能した。
狐の柔らかな毛と、本来の髪の指通りの良さが混ざり絶妙な触り心地だ。
いくら寝ぐせがついてもいつの間にかストンと真っすぐに戻ってしまう真紘とは正反対のバラエティに富んだ毛並みは、いつまでも触っていたくなるほどだった。
このまま撫でられ続けたら寝てしまうという重盛の申し出がなければ、永遠に温風を吹かせていたかもしれない。
着替えるからとバスローブを羽織り、自分の客室に戻った重盛を見送ると、真紘も昨日用意してもらった洋服に着替えた。
白いYシャツに深緑色のスラックス。
見覚えのないこげ茶色のサスペンダーは、ズボンのベルトを限界まで絞っても不格好になる真紘のために、重盛がわざわざクローゼットから探して用意したものだった。
寒さ対策用にチェック柄のショールまで置いてある。
ショールはベージュに差し色として深緑が入っているため、抵抗感はあまりなかった。丁度肌寒さを感じていたので、広げて羽織ることにした。
「うん。いいかも」
自身の顔に興味のない人間が自画自賛するほど、かっちりとしたシルエットは真紘によく似合っていた。それだけ重盛の見立ては良い物だった。
「嗚呼、一周回って怖い。ここまで来ると彼女が十人いますとか言われた方がまだ納得できそう……」
理不尽な言葉を吐きながら、姿見を確認した真紘はブルっと震えた。
ヘアゴムは見当たらなかったため、昨日のリボンで髪を結わえることにした。
上手く結べたか鏡をもう一度確認すると、青かったはずのリボンがスラックスと同じ深緑色になっていた。
変色してしまったのかと髪を解いて確認するが、刺繍は昨日と変わらず美しい銀色のままだった。
青のままでは統一感がないため、洋服に似合う色になればいいのにと一瞬考えたが、真紘の願いに反応してリボンの色が変わったとしか思えなかった。
ギフトの【創造】とは一体どこまでできるのだろうか。
リボンのように、ふとした瞬間に想像したことが形になってしまうかもしれない。
自分の薄暗い気持ちが誰かに不幸を招いてしまったらどうしよう。
考え出した矢先から悲観的になる。
「前向きに、前向きにっ!」
いつまでも他人に頼っていてはいけない。
今が成長の時だと真紘は両頬を叩き、自身を鼓舞した。
着替えを終えて、魔法で沸かした白湯を飲みながら本を読んでいると重盛が入ってきた。
「ノックは」
「コンコンコーン」
「鳴いてもダメ、遅いよ……」
板についた泣き真似を披露する重盛。
扉はあってないものと自分の考えを改めた方が早そうだと、真紘はため息をついた。
「服も選んでくれてありがとう。サスペンダーや羽織る物も助かったよ。重盛にお願いして良かった。君の方がフォーマルな恰好をしてくるとは思わなかったけど、僕もジャケットにした方がいいかな?」
真紘が首を傾げると、待ってましたと言わんばかりに重盛は得意気に指を振った。
黒いスーツの下は真紘と同じYシャツ。腹部に巻いた深緑色の飾り帯、カフスボタンと蝶ネクタイも同じ色だ。
「カマーバンドは別の使い方をしようと思ってさ」
「カマーバンド?」
重盛は上着を脱いで腹に巻いている帯を指さす。本来ならこれを身に着けている時は上着を脱がないのがマナーらしい。彼がフォーマルな洋服の着方やマナーを知っているのも意外であった。
「この腰布はチケットとかチップを入れるものなんだけど、俺は短剣を隠したいから巻いてみた。いい感じっしょ? サスペンダーは形が違うけどおそろいだよ」
「ちゃんと考えてたんだ。シンプルな洋服も似合うね。しっくりくるよ」
「でしょ?」
照れ隠しなのか、重盛は真紘の横を通り抜けて窓を開けた。
随分高い場所に部屋があるため、転落防止対策がされており窓は半分しか開かなかったが、朝の爽やかな空気を取り込むには十分だった。
時刻は六時半、小鳥たちのさえずりに人の声が混ざってきた。
「今日もよろしくね、重盛」
「よろしく、真紘ちゃん」
朝食が運ばれてくるまで、二人は異世界で初めての朝をのんびり堪能した。
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