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新生活

32.不在の再会

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 聖女がいる部屋の前、中からは微かに人の声が聞こえる。
「さっきはバタバタしてて煤だらけだったけど、タキシードで会いに来たら驚くかもね」
 重盛の言葉に真紘はピタリと動きを止めた。
 着替える間もなく王城に駆けつけたため二人はタキシードのままだった。
 いつもの服は真紘特製何でも入る白いポケットに入っている。いつの間にか重盛は真紘のポケットを略して“まっぽけ”と命名していた。ゆるキャラのような名前で少し恥ずかしい。
「今からでも着替えようか?」
「いいよ、さっき魔法でクリーニングしてもらったばかりだし。聖女ちゃんが真紘ちゃんに惚れ直しちゃったらヤダなぁって思っただけ~」
「いくらなんでもそれはないよ」
 あれだけの悪意をぶつけてきたのだ、今さらタキシード姿で現れようが見た目が少々変わっていようが惚れ直すわけがない。普通に話しかけてきただけでも驚いたくらいなのだ。
 肩眉を吊り上げた真紘は重盛と向き合った。
「僕は君の方が心配だけどね。重盛は自分で自覚しているより格好良いし、年齢や老若男女問わずフレンドリーでしょ。そこがいいところでもあるけど、その優しさを特別なものだと勘違いする人だってきっといる」
「えーそんなやついる?」
「……ここにいるでしょ」
「それは勘違いじゃないから、はあ、もう、なになに、真紘ちゃんずっとヤキモチ焼いてくれてたの? きゃわいい~」
 抱き着く際に遠慮がなくなった重盛は真紘の頭をなでると揉みくちゃにした。
「うるさいな! 大体、君は買い物に行くだけでどうしていつもそんなオマケがもらえるのさ! お肉屋さんやケーキ屋さんだって、僕が話しかけても生返事しか返って来ないのに……。なんでそんなに万人にモテるの? コミュ力の差? やっぱり筋肉量の差……?」
「絶対筋肉ではないって。それにおばちゃんやおっちゃんは普通に返事しれくれるだろ? 肉屋とケーキ屋の店員って若いお姉さんじゃん。そりゃ真紘ちゃん相手に緊張してるに決まってんだろーが! あ~俺ヤキモチ通り越して心配なんだけど、もぉ~!」
 人の部屋の前で何をやっているのだろうか。
 息を整えて真紘はゆっくりと部屋のドアを開けた。
 寝巻から青い長袖のワンピースに着替えたフミは長椅子に腰かけ、こちらを見ている。
 もう一人こちらを見て微笑んだ男性は神官のリーベだ。かなり偉い神官としか聞いていないが、普段の飄々とした態度に、洒落たアンダーリム眼鏡、白髪混じりのワンレンヘアは、神官特有のカソックを着用していなければミュージシャンのような風貌だ。彼は立ち上がるとお茶を入れると言って簡易キッチンへと向かって行った。
 この客室は真紘達が使っていた部屋よりも一回り小さいが、クリーム色の壁と水色の家具はどこか安らぎを与えてくれた。
 真紘と重盛はフミの向かい側の長椅子に並んで座った。
「えっと、真紘くんと重盛さんですよね。リーベ様から色々聞きました。ここが異世界だってことと、やらなくちゃいけないことを全部二人が終わらせてくれたこと。水色の髪のお姉さん、えっと、麻耶さんが私を庇ってくれたけど、その後から記憶がなくて、ずっと寝てたみたいで……。それでさっき目が覚めたら知らない男の人が私の彼氏だって迫ってきて、わたし、わたし、怖くて……」
 なんでこの人は普通に話しかけてくるのだろうか。
 むしろ慰めてと言わんばかりに見つめてくるではないか。
 三年間で何もなかったことになっているのだろうか。
 真紘は怒りを通り越して、得体の知れない恐怖を感じた。
「それは大変だったんだね」
 感情の乗らない言葉を返すと、フミは感動したように大きく何度も頷いた。
「俺は九条院重盛。目覚めたばっかりで体しんどくない? 今話して大丈夫そう?」
「ありがとうございます。すみません、自己紹介もしてませんでした。萩野フミです。寝ていた時はずっと体が重いような感覚に包まれていたんですけど、目が覚めてからはずっとスッキリした気分なんです。知り合いもいなくて不安だったけど、真紘くんがいたから安心しました」
「ふんふん、なるほど。それは目が覚めて良かったね」
 頬を染めるフミは下唇を噛むとそのまま真紘に視線を移した。
 のしっと肩に重盛の顎が乗る。
 どういうことだよと言わんばかりに尻尾で背中をベシベシと叩かれている。
 そんなのこっちが聞きたいくらいだ。フミの態度はまるで告白される前の親しい友人だった頃のものだ。
「ねえ、あの勇者って人はどうなったの? 私達と同じで地球から召喚されたらしいけど、いきなり彼氏って……」
「それは僕も知らないよ。今日初めて会ったし、地球でも知り合いではなかった。高校で一緒だったんじゃないのかい?」
「高校……? 私達の先輩ってこと?」
 私達と一括りにされるほど近い距離にはいないはずなのだが、先ほどから妙に会話が噛み合わない。この違和感は何だ――。
 椅子に深く座り直した重盛はあのさ、とフミに質問した。
「女性に年を聞くのはナンセンスかもしれないんだけど、聖女ちゃんって今何歳?」
「えっ、十四歳、真紘くんと同じ中三ですが……」
 そんなわけがない。現在、真紘は高校三年生で、十八歳だ。
 自分の髪や耳が変わったように、フミは体が若返ったのだろうか。
 ステータス画面を強制的に開くと、彼女の年齢は十八歳と表示されている。
「あの、僕と同じって、萩野さんも高校三年生だよね?」
「どういうこと? 私、二ヶ月じゃなくて三年間も異世界で寝てたってこと!? でも確かに真紘くんがちょっと大人っぽくなってる気がする……」
 口をもごもごとさせている重盛はちょっと落ち着こうと呟きながら真紘の背中を撫でた。
「僕は落ち着いてるけど……?」
「俺が落ち着くために真紘セラピーを受けてるだけだから気にしないで。ちょっと推測の域を出ないんだけど、多分こうかなっていう俺の予想を話してみてもいい?」
 四人分の紅茶をトレーに載せて持ってきたリーベも加わり、重盛の話に耳を傾けた。

 重盛の推測はこうだ。
 異世界に召喚されたフミが初めて会った人はメフシィ侯爵率いる騎士団、次が恐らく麻耶だ。これは麻耶から聞いたので間違いない。
 そして三カ所目の教会で勇者と会った。
 麻耶は前方の馬車に駆け寄る勇者を目撃していた。つまり、勇者はメフシィ侯爵から自分の他にもフミと麻耶という地球からの召喚者がいると聞き、フミが乗る馬車に駆け寄ったのだろう。
 勇者の引き籠っていた理由が、フミが目覚めるのを待っていたのだとしたら、とんでもない執着だ。その場合、一目ぼれの線もあるが、教会で二人が会話をしていたという麻耶の証言から推察するに聖女と勇者が知り合いであった可能性は高いと考える。
 どんな言葉をかけたかまでは分からないが、フミから拒絶された勇者はその場で激高した。
 そしてほどなくして真紘と自分が神木の魔力補填を完了させた。その晩、麻耶、フミ、勇者の元にも時の神が現れた。魔力補填に参加していない麻耶が曾祖母の遺品である万年筆を受け取っているため、残りの二人も何かしら恩恵にあずかったはずだ。
 フミはそこで願った。
 元の世界に帰りたい、勇者のいない世界に行きたい。だが、世界を越えることはもうできない。ならばせめて忌まわしい記憶を全て忘れたいと願った。
 これは本人達のために伏せるが、中三の時にフミと真紘は仲違いをしている。だから中三に進級してすぐの記憶で止まっているのではないだろうか。
「あっ、勘違いしないでね、カレカノでしたとかじゃないから、真紘ちゃんとはクラスメイトとして仲違いしたってことね」
「重盛、いいから続き」
 「ああ――。忘れたいじゃないな、多分一番楽しかった頃に戻りたいと願ったんじゃないかな。それが、中三に上がってすぐだった」
 真紘を含め、仲の良い友人に囲まれていたあの頃だ。
 だから目を覚めても勇者のことを覚えていなかった。
 真紘が勇者を知らないということは、フミと勇者は高校で出会ったということだ。
「と、まあ、全部想像に過ぎないけど、いい線いってる気がするぜ」
 リーベは、ほお、と感嘆の声を上げた。真紘も概ね同意であった。
「確かに、時の神が万能だと説明されていなかった萩野さんが漠然とそう願ってもおかしくはない。僕の記憶より萩野さんも少し大人っぽくなっているし、戻ったというより約三年半の記憶が消えていると考えた方が良さそうだね」
「そ、そんな……。私、そんなに高校生活が嫌だったのかな。真紘くんは一緒の高校だよね、何か知らない?」
「僕は隣の彼と同級生、別の高校だよ。中学の同級生のその後は一切知らないんだ……」
「どうして? クラスみんな仲良かったのに」
「そッそれは……!」
 事の発端になった彼女が不思議そうな顔をする。
 怒りや憎しみを通り越して、何とも形容し難い感情が真紘を襲った。
 君はちょっとした意趣返しのつもりだったのかもしれないが、そのおかげで推薦を辞退し、自宅から遠い高校をわざわざ受験したのだと責め立てることは簡単だ。
 高校に入学しても三年間、ずっと人を信じられず、悩んだ。
 しかし、それは全て自分で選択した結果だ。全ての責任が彼女にあるわけではない。さらに現在の彼女にはその記憶が一切ない。
 フミが真紘を陥れたという自覚があり罪悪感を抱えていたのか、それとも中学での出来事なんてすっかり忘れて高校生活を謳歌していたのか。今となってはどれだけ問うても答えてくれる者はいない。
 やりきれない気持ちが薄く開いた口からため息となって零れた。
 感謝している事といえば、重盛に出会えたことだけだ。真紘の視線に気づいた彼はニコリと笑った。
「とにかく、問題事は双方から意見を聞かなければ。そうじゃなきゃ僕達は公平な仲介もできない。最も、勇者が多方面に迷惑をかけているのは事実、召喚者とてこの世界の法で裁かれる可能性だってあるんだ。殿下がお戻りになる前に勇者からも話を聞こう。萩野さんの空白の三年間を紐解くチャンスでもあるしね」
「賛成~。ちなみに、俺も聖女ちゃんと同級生だよ。歳が一個上なのはダブったから~」
「一年間留学してたんじゃ?」
「ん~、あっちの学校には何回登校したっけな。ひい、ふう、みぃ……――」
 指を折るペースが遅すぎる。
 真紘は立ち上がり、目に留まった重盛のつむじを押した。彼の旋毛はなぜが寝ぐせによって日替わりで位置が変わるのだ。
「なるほど、おサボりさんで留年したそうだ。じゃあ行こうか」
「わはは! 冗談じゃんっ」
 重盛とリーベも腰を上げる。
 リーベはフミに聞いた。
「聖女様はこちらでお待ちになりますか?」
「記憶が消えてて、今高三だって言われて、ちょっと混乱して……。い、行けない……」
「では、私もこちらでご一緒に、もう一杯温かい紅茶を入れましょう。すみませんが、真紘様、重盛様、そちらは宜しくお願い致します」
「はい」
「んじゃ! ちょっくら真紘ちゃんとデートしてきまーす」
 真紘は重盛に背中を押されて部屋を出た。
 昔の知り合いと向き合う緊張感から解放された真紘はため息をつく。
 ジットリと背中に突き刺さるフミの視線に気づいたのは重盛だけだった。

 同郷だというだけでここまで世話をする義理はないのだが、アテナやレヴィ、それに城の皆には世話になった恩がある。
 これを解決したらタルハネイリッカでの祭りだ。
 タルハネイリッカ、ロヒケイット、可愛い赤ちゃん……――。
 真紘が今後の楽しみを口にすると、重盛はケラケラと笑った。
「うひひっ、仕事がしんどい社会人っぽいなぁ」
「もう学生じゃないから……。一緒に社会人一年生として頑張ろうね」
「でも入社二ヶ月の内容じゃなくない?」
「それもそうなんだけど、レヴィ様が今回の揉め事を解決してくれたらお給料出すって仰ってたし、どちらにせよ解決しないと。めざせ! 戸建て、モフモフいっぱいマイハウス!」
「はぁ!? 俺以外にもモフモフ求めてんのかよ、この浮気者ぉ~!」
 揉みくちゃにされるのは本日二度目だ。
 ボサボサになった髪すら今はちょっぴり嬉しい。
「髪の毛ほどけちゃったじゃないか! もう、冗談だよ、行こう」
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