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魔眼の子

37.無人の屋敷

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 王都を出発してからの一週間は実に有意義な時間だった。
 二人きりの時間が長くなってから、虫に過剰に反応したり真紘の服装や髪型に妙こだわりがあったりと重盛の新たな一面を知った。
 子供みたいに歯を見せて豪快に笑う姿や、レディファーストと言いながら誰に対しても平等に優しくそれを意識せずに行っているところ、どれも彼の人間性が色濃く表れていて、真紘は彼を人としてどんどん好きになっていった。

 タルハネイリッカ領に着くと、街はリアースに召喚されて直ぐに訪れた時よりもさらに緑で溢れていた。
 立ち寄ったカフェのマスターは、町全体で盛大に祭りを行う予定だったが、王都での一件もあり、祭りで使う予定だった物資の大半を王城の修繕へと回すことになったのだと教えてくれた。そのため街の祭りも小規模なものになるようだ。
 領主は自分が仕える王が困っていたからではなく、困っている領がどこだったとしても同じことをしていただろう。領民も祭りを楽しみにしていたが、そういう配慮ができる領主だからこそ、この街が好きなのだと、マスターはとても満ち足りた顔をして語っていた。
 たった一度の短い時間の滞在だったが、この街に流れる優しい空気を真紘も気に入っていた。もし一人でこの世界に召喚されていたらこの街に永住していたかもしれないと思う程だ。

 お守りのようにいつも身に着けているリボンを見つけた旅人用のログハウスにも立ち寄ってみたが、寄付ボックスはすっかり中身が入れ替わっていた。
 旅は一期一会、この不思議なリボンに出会ったのも何かの縁だったのだろう。
 真紘は後ろで揺れるリボンの刺繍を指の腹でそっと撫でた。
 紺色のYシャツを着た重盛が真紘の髪を結いながら、おそろいにしようよ、とぶつぶつ言っていたのでリクエストに応えて今日のリボンは深い青だ。
 白いシャツに映える群青はタルハネイリッカの爽やかな初夏に相応しい色に思えた。

 緩やかな坂を上ると、マルクスの屋敷が見えてきた。坂を上り切ればしばらく平地が続き、やがてまた山になる。
 登って来た道を振り返ると、ここまで歩いてきた道が遠くに見えた。どうやらタルハネイリッカは標高が高い場所にあるらしい。初めて来たときは状況が分からないまま馬車に乗せられて訪れたので気付かなかった。
 屋敷に着くと、白髪のダンディな執事のジョエルに出迎えられ、二階の応接間に案内された。
 出された紅茶と菓子を堪能すること一時間。
 誰も応接間を訪れることはなかった。
 指定された日に来たつもりだったが、執事以外の使用人とも顔を合わせることがなく、屋敷全体の雰囲気が重いように感じられ、とても赤子や子供がいる家とは思えなかった。
 そもそもこんなに広い屋敷に執事一人などあり得ないのだ。
 面倒見の良いマルクスの性格からすれば、本人が出迎えにくると思っていただけにより違和感でしかない。
「何かトラブルでもあったのかなぁ」
「確かに遅いな。忙しい領主のおっさんならまだしも、先生ももうこっちに戻ってきてるって聞いてたから、すっ飛んでくると思ってたのに」
「確かにノエルさんが約束の時間に遅れたことなんてなかったからね。ジョエルさんに聞いてみようか」
 部屋の扉の前にいると言っていたジョエルに声を掛けたが返事がない。
 そっと扉を開けるとそこにジョエルはいなかった。
「おかしいな、誰もいない」
「うっそ、物音すらしなかったぜ?」
 ワインレッドの美しいベロア絨毯が長く真っすぐ伸びる廊下は、音を吸収する効果もあったのだろう。気を抜いていたとはいえ、重盛が気付かないとなると故意的に物音を立てずにこの場を離れたということになる。
 静まり返った廊下はこの家の一大事を密かに告げていた。

 二人は応接間を抜け出し、物音がする部屋を探し歩いた。
 窓の外に騎士団の訓練所も見えたが無人のようだ。
 たまたま訓練が休みの日だったとしても、人っ子一人いないなんてあり得るのだろうか。
 水にインクを垂らしたように不安がじわりじわりと広がっていく。 
 一階へ下りるか、三階へ上るか。真紘が重盛の方へ視線を向けた瞬間、彼は短い呻き声をあげてその場に崩れ落ちた。
「重盛っ! どうしたの!?」
 真紘の呼びかけに顔を上げると、重盛は真紘の体を掻き抱いて首元に顔を埋めた。
 肺に空気を満たすように大きく息を吸った。
 突然のことに真紘は彼の背中をトントンと撫でる。
「なっ、何? 本当にどうしたの。匂い? 音?」
「におい……。集中して嗅いでみたら分かった。さっきから感じてた消毒液と血のにおい、魔物のもんじゃない、人間のだ。そんで誰かが……」
「……大きな怪我をしてるってこと?」
 ゆるゆると首を横に振った重盛は、今にも泣き出しそうな顔をして想定外の言葉を口にした。
「多分、誰かが死んでる」
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