同級生と余生を異世界で-お眠の美人エルフと一途な妖狐の便利屋旅-

笹川リュウ

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やっと出会えた二人

46.思い出は味がする

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 眠れぬ夜を過ごした翌日。
 目の下にくまを作った真紘と重盛を見兼ねたノエルは今日の予定を全て中止にした。
 ルーミは真紘と遊ぶと言って聞かなかったが、ジョエルに抱えられ街へと散歩に出て行った。
 森に行くので汚れても良い格好で、と言いつけられた真紘と重盛は動きやすい格好に着替えて玄関に集まった。
 ノエルは淡々と今日の行程を言い渡す。そして最後にこう付け加えた。
「いいですか、本日中に色々と決着をつけてください。やることが終わったら裏山にある大木の下でピクニックなんていかがでしょうか」
「……決着ってなんのことかさっぱりわかんねぇ」
 しらばっくれる重盛に構わず、ノエルは続けた。
「ささ、いってらっしゃいませ。あっ、薬草もついでに摘んできてくださいね。回復魔法では治せない腰痛や肩こりに効くやつですよ。では!」
 有無を言わさぬ圧が重盛と真紘にのしかかる。二人はコクコクと頷き、裏山を目指した。
 その途中に騎士団の訓練場があり、ノエルから預けられた魔石を担当者に受け渡した。
 屋敷のすぐ横にあるのは剣などの道具を扱う訓練場で、こちらは魔法の訓練場だ。
 そのさらに奥には山が広がっていて、薄っすらと紅葉した木々も見える。

 タルハネイリッカは林業が盛んで、住居区よりも森林部が圧倒的に多い。
 行けども行けども坂道だ。
「重盛、体調悪いんじゃない? まだ虫も完全にいなくなったわけじゃないし、薬草採取は僕一人でも大丈夫だよ」
 後ろを歩く真紘は先をずんずんと進む重盛に声を掛けた。
「んや、ちょっと寝不足なだけ。それより真紘ちゃんの方がいつも以上に真っ白じゃん。先帰って休んでてもいいよ」
「いや、僕もちょっと寝不足なだけだから……」
「……そっか。珍しいな」
 三言二言で会話が終わる。
 こんなことは初めてであった。
 どうしよう。
 重盛は海外にもいたというし、距離感が人よりも近いだけでそこに感情がなかったとしたら、こちらからの下心は不快だったのかもしれない。
 はっきりしない自分の態度に呆れられたのかもしれない。
 考えはどんどんマイナスな方向へと沈んでいく。
 遠のいていく重盛の背中に手を伸ばしてみても、真紘は何も掴めなかった。

 悶々としている間に、ノエルが言っていた大きな木の下に到着した。
 重盛はレジャーシートをせっせと広げていく。
 真紘はこういう時に率先して動かなければと反対側のシートの端を丁寧に整え、風に飛ばされぬよう四隅に石を乗せた。
「この石何?」
「漬物石だよ。杭を打ち込むよりも簡単でいいかなと思って」
「さっすが、助かる~! てか、ポンと魔法で出せるってことは地球でも漬物作ってたの?」
「祖父母がね。遊びに行った時によく手伝ってたから。料理はできないけど、ずっと観察していたから調理器具を出すのは得意かも。祖父母は手際が良くて、魔法みたいに美味しいご飯をいつも作ってくれたんだ」
「いいな、それ。やっぱ飯の記憶は残るもんだよなぁ」
 シートに寝そべった重盛は青い空を見上げて呟いた。
 亡くなった母の味を思い出しているのだろうか。
 志水家の味といえば、仕事で忙しい両親に代わって姉が作った甘い卵焼きと、馴染みの弁当屋の揚げ物だ。
 二人分のスペースを開けて、真紘も横になった。
 そよそよと吹く秋の風は心地よく、心が洗われるようであった。

 木漏れ日がチカチカと目元を照らし、真紘は眩しさに眉間に皺を寄せた。
 どうやらあのまま寝てしまったようだ。
 遠くにあった楕円形の雲はとっくの昔に形を変え、どこかに消え去っていた。
「ん……。ごめん。また寝ちゃった。もうお昼の時間かな」
 腕時計を見ると時刻は十一時だった。
 薄いミント色のノーカラーシャツにいつものチェックのショールを羽織ってきたが、上半身を起こすとそれは腹からずるりと落ちた。
 足元には重盛が着ていた桃色のシャツが掛かっている。
「寒くないとはいえ、腹出して寝る季節は終わったんじゃね?」
「お、お見苦しいところを……ありがとう、上着返すね」
「いーえ、どういたしまして。よっし、昼飯作るか」
 頭をわしゃわしゃと撫でられ、真紘は驚きの声をあげた。
 雑なようでいて、起こさぬようそっと自分の上着をかけてくれるような優しさの塩梅が心地よく、すぐに離れていく手が寂しくもあった。


 立候補制の役割分担はすぐに決まった。
 重盛は昼食の準備、真紘は薬草採取だ。
 別れる直前、重盛はまっぽけに収納している時の神からもらった調味料を使っても良いかと聞いてきた。
 元より重盛のために頼んだ物なので、真紘は勿論と返した。
 
 真紘は一時間ほど森を駆け回り、薬草をひたすら集めた。
 気分が晴れない日は一人で何かに打ち込むに限る。読書や睡眠もその手段の一つだ。
 初めこそ似たような雑草と薬草を見分けるのに苦労したが、今となれば板に付いたものだ。
 地球にいた頃も、自宅にあった植物の書物は好きで何度も読み込んでいたし、母のガーデニングを休日に手伝うこともあったが、あくまで趣味の範囲だったので、大学は文学部を志望していた。
 志望動機は文字を読むのが好きという漠然とした理由と、父親と同じ道に進むかは決めかねていたが、教職の資格を取ろうと考えていたからだ。
 ふと、農学部や薬学部も良かったかもしれないと、もしもの世界を想う。
 あのまま地球で暮らしていたら、きっと重盛とここまで仲良くなることはなかっただろう。元々交わることのない運命だったのなら、彼のために今離れるべきか。
 この半年間で生きる術は教わった。お互いがいないと生きていけないわけではない。
 自分の身勝手な独占欲で彼を縛り付けておくのは勿体ない気がした。
「このまま離れた方がいいのかな……。適切な友人との距離ってどれくらいなんだろう」
 人付き合いを避けてきた真紘に取って、それは大変難しい問題であった。
 今日も朝から重盛に避けられている気がした。
 普段はのんびり歩くこちらのペースに合わせてくれていたのだと、先を歩く彼の背中を見て知った。
 このままエルフらしく、森でひっそり動植物の研究をしながら一人で暮らした方が良いのではないか、と殻に閉じこもっていた頃の自分が囁く。
 懐に入れていた便利屋の名刺を触ると、指に痛みが走った。
 紙で右手の人差し指の先端を切ったようだ。
 ぷっくりと赤い粒が膨らむ。
 重盛は何度か寝る前に鼻血を出していたので、赤いことは知っていたが、エルフも血液は赤いらしい。
 鏡に映る肌はいつも真っ白で、自分の血はもしかしたら緑色かもしれない、なんて少し思っていた。
 同じ人間なのに、どこか人と違うと思い込んでいた自分がいたことに気付く。
 案外、今回の悩みもそんな思い込みなのかもしれない。
 しかし、自分は人の感情に対して疎いところがあると理解している。それで痛い思いをしたのだから、人の何倍も考えて行動しなくてはならない。
 異世界に来てからというもの、人との縁に恵まれているから、結果的に丸く収まっているだけだと常々感じていた。
 自分なりに努力してきたつもりだが、いつまで経っても中途半端から抜け出せない。
 もう少し、自分に自信が持てれば何が変わるのだろうか。
「うー、だめだめ! ポジティブに、前向きに、良い魔法は良い気から! 先ずは、視覚から明るくいこう!」
 真紘は沈んだ気持ちを吹き飛ばすため、オーケストラの指揮者のように杖を振るい、空に光のシャワーを降らせた。

 大木の下に戻ると、懐かしい匂いがした。
「ただいま」
「おっかえり~。森ん中で魔法ぶっ放して遊んでたっしょ。真紘ちゃんがどこにいるか分かって、こっちの準備も楽だったわ。じゃーん、本日のお昼はこちらです!」
「遊んでたわけじゃないよ、えっ、これが昼食――」
 キャンプ用の簡易テーブルに並べられたおかずは意外にも下町の定食屋のようなメニューだった。
 王都での二人暮らしでは専ら洋食が多く、どれも美味しいものだったが、この醤油や味噌の香ばしさが恋しかった。
 つやつやと輝く白米、きつね色のコロッケ二つ、かつお節の乗ったおひたし、細切りにした人参の酢の和え物、そしてわかめの味噌汁。
 日本人ならば一度は食べたことのあるメニューだが、実に半年ぶりの和食に真紘のテンションは今までにないほど上がっていた。
 調味料一式の中に、基本の【さしすせそ】が入っていたのは知っていたが、料理酒、油、乾燥わかめやかつお節といった出汁が取れるものまで入っていたらしい。
 姉の姿をした時の神を思い出し、真紘は改めて感謝した。
「どうよ、懐かしいっしょ? 漬物は流石に時間的に無理だったから、酢の和え物にしてみた。胡瓜とかこの世界にもあんのかなぁ。俺、漬物だと大根と柚子のが一番好きなんだよねぇ」
 メニューの説明を聞きながら、真紘は少し泣きそうになった。
「わあ~! やったあ、嬉しい! わしょくだぁっ!」
「うおっ! わはっ、はっはッ! そんな喜んでくれると思わなかった~! もっと早く作れば良かった、ごめんな。温かいうちに食おうぜ」
 低いテーブルに合わせ、正座するといよいよ日本の食事風景だ。
「うう、正座もできて嬉しい」
「喜ぶポイントそこかよ! んじゃ、せーので」
「いただきます」「いただきまーす」
 真紘はうきうきと箸を持った。
 早速、味噌汁のお椀を持ち上げ鼻に近づけると、こちらを伺う重盛と目が合った。
 口の端を上げ、そのままゆっくりと啜る。
 嗚呼、これだ。
 目を閉じて故郷の味を噛み締める。鼻から味噌の優しい風味が抜け、じわっと心臓が芯から温まったような感覚に肩の力が抜けた。
 次いで副菜の酢の物、おひたしを口に運ぶ。
 素材の味を生かしつつ、ひと手間加えられた野菜は、どれも体が求めていたもので満足感と幸福感でいっぱいになった。
 味噌汁と野菜だけでこんなに幸せになれる男子高校生は世界でただ二人だけだろう。緩む頬と目尻がそのまま蕩け落ちてしまいそうなほどだ。
 そして、メインのコロッケを半分に箸で半分に割る。
 中はごろっとしたジャガイモにひき肉といったシンプルなもの。
 ソースはあえて付けず、そのまま食べた。

「ヒロちゃんってば、本当にコロッケ好きだよね。たまにはロースカツとか、ヒレカツにしたらいいのに」
 妹の真織と、いつもの弁当屋に立ち寄る度に購入していたコロッケは、何も付けずとも下味がしっかりついているもので、一向に飽きが来ない至極の一品だった。
「だって美味しいんだから仕方ないよ。僕は一途だからいいの」
「うわーヒロちゃん、大人になっても実家から出ないでここに通うつもりでしょ」
 姉そっくりな率直な物言いに真紘は笑い声を上げた。
「いいんだよ。もし実家から追い出されたらここに永久就職させてもらおうかな」
「だってさ、お姉さん。ヒロちゃんのことお婿にもらってくれる?」
 ピンクのエプロンを着た女性は豪快に笑って、コロッケをもう一個サービスしてくれた。
 そして誰かにそっくりな顔で彼女は言った。
「いいわよ。ヒロちゃんが大きくなったら、松永に永久就職しちゃいな」

「――ひろちゃん、真紘ちゃんッ!」
 何度目かの呼びかけで心がリアースに帰ってきた。
 コロッケを食べた友人がいきなり目の前でフリーズしては料理に何かあったのかと不安にさせてしまったかもしれない。真紘はハッとして正直に味の感想を伝える。
「どれもとっても美味しいよ。特にコロッケがあまりにも懐かしい味がしてさ。これが九条院家の味なんだね」
 真紘の言葉に重盛は困ったように笑った。
 既視感に懐かしい味。
 中学の頃に突如閉店した弁当屋。
 重盛の母は他界しているという事実。
 ザァッと突風が草木を揺らし、辺りが騒めく。
 違う、僕はこの味を昔から知っている。
「九条院じゃない。君は……」
 二人の出会いは十年前に遡る。


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