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旅の記録

57.またいつか

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 魔石の白い光が灰色の壁をぼんやりと照らす四畳半ほどの空間。羽目殺しの窓から差し込むわずかな陽の光が部屋の物足りなさをより濃くしている。折り畳み式の簡易的な木の机と椅子だけがこの灰色の箱に彩りを与えていた。
 容疑者であるパーシイ、セロン、バッシュフルの三人はそれぞれ別の部屋で取り調べを受けていたため、今も別室で待機している。

 真紘が一番手前の部屋の扉を三回ノックすると、どうぞと覇気のない声が返ってきた。
「パーシイさん、先ほどぶりです。差し入れを持って来ました。ブルームさんから許可は得ているので、苦手な物でなければどうぞ」
 作業着から茶色のニットに着替えていたパーシイは、大きな背を丸めて椅子に座っていた。ぐったりと右に傾いた姿勢は古びた大きなテディベアに似ている。
 真紘が菓子とジュースを机に置くと、パーシイはぱちぱちと瞬きをした。
「おお、わざわざありがとう。君たちもただ観光に来ただけだというのに、大変なことに巻き込まれたなぁ。バッシュフルさんのあの依頼でここに?」
「いえ、そのご依頼はお断りしようかと……」
「後ろで眉間に皺を寄せてるお兄さんにギルドの仕事の邪魔すんなーって釘刺されたんで」
「そんな言い方はしていませんが、まあ、否定はしません」
 ツンと返すブルームに重盛は眉を上げて「だってさ」と言って鼻を鳴らした。
「せっかく立ち寄ったので、皆さんに差し入れしたいとお願いしたんです。僕はパーシイさんが犯人とは思えませんでしたし、きっとご家族も心配しているでしょう。早くご自宅に戻れるように何かお力になれればと」
「そうだったのか。俺もギルドの捜査の力になりたいのは山々なんだが、妻の証言ではアリバイにならないと言われてしまって容疑者の枠から抜け出せないんだよ。指輪をなくしてから本当に散々だ。こいつが今まで俺を守ってくれていたのかもしれないなぁ。もう一生外さないことにするよ」
 左薬指で光る銀色の指輪を慈しむようにくるくると回しながらパーシイはため息交じりに呟いた。
 犯人とは思っていない、という真紘の言葉が彼の警戒心を解いたようだ。
「パーシイさんは被害者のグランピーさんと交流が深かったそうですね。きっと容疑者扱いされた以上にご友人をなくされたショックが大きいと思いますが……」
「……ああ、そうだよな、そうなんだよな。ここに座って考えることしかやることがなくて、ようやく実感がわいてきたさ。グランピーさんは仕事に対しては誠実で、同僚の俺ですら厳しいと思うこともあったが、様々な炭鉱を渡り歩いてきた人だから、それだけ炭鉱の危険性を理解していたということだろう。厳しい指導も愛の鞭ってやつだよ。俺の結婚式では一番泣いていたなぁ。根は優しい人なんだ。いや、だったのか……。あんな最後、悔しくて仕方ない。犯人を見つけて俺がボコボコにしてやりてぇくらいだ」
「んん、あー、ゴッホン」
 握り拳を机に叩きつけたパーシイはブルームの咳払いによって我に返った。
「そっ、それくらいの気持ちだ、ということだ。誤解しないでくれ。なあ、このまま軟禁されていてはグランピーさんの葬式にも行けないだろう。それは困るんだ」
 机に両手を打ち付けて切実に訴えるパーシイの言葉に真紘は二度ほど頷いた。
「そうですよね。お葬式ということは、グランピーさんのご家族は近くにいらっしゃるのでしょうか?」
 真紘の問いかけに答えたのはブルームだった。
「いいえ。ドワーフ族も長命ではありますが、彼の身内はいないようです。そのため、ギルドが集合墓地で眠れるように手配をする予定です。長命種族ほど身内がいないことが多いので、そのような場合はギルドが対応することになっています」
「ふーん。そうなんだ。グランピーさんも天涯孤独ってやつねぇ」
 重盛の言葉に真紘は眉間に皺を寄せて詰め寄った。
 一秒、二秒と見つめ合うと、重盛は全身の毛をぶわっと膨らませて真紘に抱き着いた。重盛には自分がいるのに、という真紘の抗議が嬉しかったようだ。
 本人にとっては何気ない言葉のようだったが、重盛の孤独が垣間見えたようで、真紘は寂しく、悲しかった。
 視界の端で揺れ出した尻尾に満足した真紘は、頬にすり寄ってくる恋人の顔を押しのけてパーシイに質問した。
「最後にグランピーさんに会ったのはいつですか?」
「え、ああ。最後に見たのは昨日の夕方だな。同じ研修用のトンネルで作業していたのか、誰かと言い争いをしているようだった。厳しい人ではあるが、あんなに声を荒げているグランピーさんは初めてだったから気になって、仕事終わりだな、第三休憩所で顔を合わせた時に揉め事かって聞いたんだ。そうしたら大した事ではない、仕事のうちだってはぐらかされたよ。あの時もっと突っ込んで聞いておけば、あんな事にならなかったのかもしれない」
「……その争っていた相手の声は?」
「知らない声だった。今月に入って第三チームに新人が二十人以上入ってきたんだ。第六チームより先は作業場も遠いから昔からいても顔くらいしか分からないな。だから聞いたのは知らない声、としか言いようがない。ははっ、まるで取り調べだ。バッシュフルさんの依頼は断るんじゃなかったのか?」
「す、すみません! 立ち入ったことまで不躾に、失礼しました」
「いいや。いいんだ、差し入れありがとう。これからバッシュフルさんの元に向かうなら、彼にも気を落さないように伝えておいてくれ。グランピーさんと一番付き合いが長いのはあの人だからな」
「はい、パーシイさんが心配していたと伝えておきます。ありがとうございました」
 真紘は一礼して微笑む。重盛も続いて部屋を出た。扉を閉める前に「んじゃ、またいつか」と付け加えて、小さく手を振った。


 パーシイがいる部屋を出た三人は、円を描くようにして向かいあった。
 小声で「どうでしたか」とブルームは二人に問う。
「そうですね……。被害者が殺害された当日に言い争う声を聞いたなんて、有力な情報ですよね。ですがブルームさんは眉一つ動かさずに聞いていたので、パーシイさんは既に事情聴取でも同じことをお話しされていたのだと思いました。ですからギルド側の取り調べと内容はほとんど変わらず、といったところでしょうか。新しい情報を引き出せなくてすみません」
 真紘が困ったように笑うと、ブルームは左の口角をひくりと上げた。
「私の様子まで観察していたのですか? 真紘さんの仰る通りですが、パーシイ氏が犯人に対して強い憤りを覚えているというのは初めて知りました。また一つ収穫がありましたよ。ありがとうございます」
「それは良かったです。重盛はどうだった?」
「んー。パーシイさんは焦ってる様子もなかったし、嘘ついているようには見えなかった。なんて言うのかな、何を聞かれても困らないからこそ、変に力んでない感じ」
 話の内容ではなく雰囲気を述べる。人の心の機微に敏感な重盛らしい感想だ。
 一度大きな咳払いをしたブルームは、ゆっくりと腕を組んでほうと呟いた。
「なんでも疑ってかかる私には見えない容疑者の姿です。あなた方はまず相手を信じてみるところから始めるのですね」
「どうでしょうか、僕はそこに警戒とか打算とか、そういう不純物が多いと思います」と真紘が言うと、重盛は口角を上げた。
「自己防衛しっかりしてるくらいの方が俺は安心するから真紘ちゃんはそれがいいよ。それに俺だって最初から百パー信じるほどお人よしでもないし、なんていうの、処世術ってやつ? 仕事するにもプライベートでも、好意的な方が得することが多いって知ってるからこその“信じる”っしょ。捜査のプロであるブルームさんにそう見えてるなら成功してるってことだな」
 最後に重盛は自身の言葉に大きく頷いた。
「そうだね。この世界に来たばかりの頃は救世主という使命があったし、それ相応の生き方をすべきなんじゃないか、もっとちゃんとしないとって気を張っていたけど、今は相手がどうかよりも、自分がどう生きたいかで行動しているかも。疑うよりも信じてみた方が自分を好きでいれるというか……。重盛と二人になってからは特に自由で、今まで向き合えていなかったことにも前向きにチャレンジできるのかもしれません。意図せず流れ着いてしまった場所でも自分がどうしたいか、今この瞬間も考え続けたいと思います。王直属の騎士としては失格かもしれませんが」
「え、不意打ちすぎてちょっと泣きそう。俺も真紘ちゃんといれて自分らしくいれるよ。めっちゃ好き」
 久しぶりに見る泣き真似は相変わらず下手で、真紘は口元に手を当てて肩を揺らした。
 突然地球からリアースに飛ばされた真紘だが、この世界で重盛と生きると決めたからには、それでいいと言われようとも思考を止めたくはなかった。
 きっとそんな考えることを止められない面倒な自分を好きになってもらえたという自負もある。
 重盛に見合う男になりたい、という思いがそうさせているのも自覚しているので、今の真紘の行動や言動の根底にあるのは恋情。星を飛び越えて生き方もまるっと変化してしまったのだ。
 重盛の尻尾を優しく撫でる真紘の隣で、ブルームは小さく笑った。
「事件に流されているのでは、なんて大きな誤解でした。私はお二人を侮っていたのかもしれません。お二人の方がこの世界で生きていく術と覚悟をお持ちでした。私も出向がどうだと不貞腐れている場合ではありませんね。さあ、この調子で次の部屋に参りましょう」


 パーシイがいた部屋と変わらない造りの灰色の殺風景な四畳半。
 腕を組み、机に顎を乗せて気怠げな表情を浮かべているのは容疑者の中で一番若いセロンだった。作業着は回収され、モスグリーンのシャツに黒いパンツ姿になっていた。
 真紘が差し入れだと菓子を渡すと、セロンは舌打ちをした。
「んなもんいいから早く帰らせてくれ。俺に犯行は不可能だと作業場に入った順番で分かるだろうが。赤ん坊くらいしか入らない袋にどうやって死体を入れて運ぶんだよ」
「それを今捜査してるのですよ」
 ツンとブルームが言い放つと、セロンは顔を覆い隠すようにしてうな垂れた。彼の横柄な態度にはブルームも困っているようで、両手を開いてやれやれと言った表情だ。
 とても和やかに会話ができる雰囲気ではないが、このまま立ち去るのも些か物足りない。

『最初に入ったパーシイさんが、来た道を戻って途中でご遺体を置き、自らが第一発見者となった。又は最後にトンネルに入ったバッシュフルさんがご遺体を置いたということでしょうか』
『どう考えてもそうだろ。俺が死体を運びこんだとしても、誰かとかち合っていた可能性は高い。俺が犯人ならそんなリスキーなことしない』

 セロンはグランピーが別の場所で殺害されたと最初から受け入れていたように思える。真紘の言葉に釣られたとも考えられるし、洞窟が爆発していないため自分達と同じ推理をしたのだと言われてしまえば反論できないが、小さな違和感は拭えないでいた。
 プライバシーに関わることのため、他人のステータスは不用意に開かないようにしていたが、一応開いてみることにした。
 初めて出会った日のマルクスのように友好の証として提示してくれる人間もいる。しかしステータスの表示は基本的に魔力量が高い者しかできない。さらに本人が拒んでいれば、どんなに魔力が高い者でも表示できるのは名前と年齢くらいであるとノエルから教えられていた。
 スッと真紘の白い指が空を切ると、パキンと氷が砕けるような音が鳴り、セロンのステータスが表示された。
 重盛は並んだ文字をのんびりとした口調で読み上げる。
「えーっと。セロン・タスゴニア。二十四歳の人族。鉱員。こーいん? あっ、炭鉱で働いてる人ってことか」
「人族の鉱員……?」
「お、おいッ! 何を言ってんだよテメぇ!」
 鬼の形相のセロンは声を荒げた。重盛に飛び掛かりそうなセロンを、ブルームが手首を捻るようにして動きを封じる。
 真紘とある一文から目を離せないでいた。
「え? 真紘ちゃん、この特性の煙火ってあれだよな?」
「“えんか”多分こちらの世界では、合図とか狼煙なんかの意味合いが強いんじゃないかな。僕達に馴染みがあるのは“はなび”って呼び方かもしれないね。炭鉱で働く人にはあり得ない火の属性。どういうことか教えていただけますか、セロンさん」
 静まり返った部屋に木製の椅子が鈍い音を立てて転がった。
「なんで……。なんでだ! ち、違う。俺じゃない、何のことか知らない、でたらめを言うんじゃねえ!」
 しゃがれた声で叫ぶセロンは誰がどう見てもパニックに陥っていた。
「属性詐称は立派な犯罪。特に炭鉱は事故防止のため火属性持ちは、採用試験を受けることができないという決まりがあります。替え玉で試験を受けたのでしょうか」
「俺たちは普通に見学させてもらっ……てはないけど、その予定だったよ。それはいいの?」
「勿論、真紘様や重盛様のような見学者は別です。はあ、ちょっと待ってください。冷静になればなるほど気が狂いそうです。貴方達、そんなことも可能なんですか?」
「そんなこと、と言いますとステータスの強制開示ですか?」
「ええ。どのようにこの世界の常識を学んだのかは知りませんが、ステータスなんて普通に暮らしていれば見ることもなく生涯を終える者が殆どですよ。自身のステータスを開示できるのは貴族程度の魔力を持つ者だけです。反発する意識を無視して強制的に開くなんて、可能かどうかなんて考えるレベルの話ではありませんから、頭が回りませんでした」
「それはすみませんでした。僕も初めて他人のステータスを強制的に開いたので驚きました。結局事件に関わるならもっと早く協力すべきでしたね。そうすればパーシイさんも早く帰ることができたのに」
「んーそういうことじゃないんじゃね……?」
 セロンを拘束しながらブルームは途中で何度もため息をついた。
 常識を上回る真紘の能力の前に、謎解きのセオリーなどあってないもの。本人の意図とは違うが、謎を解くという点において、真紘は探偵に向いていないのだろう。
「とにかくさ、グランピーさんと言い争っていた声はこの人だったわけ?」
「恐らくそうでしょう。パーシイ氏が知らない声だというのも納得がいきます。セロン氏も新人で、教育係りはグランピー氏だったそうなので」
「じゃあ犯行動機は火属性持ちがバレたからってとこか。ん、でもなんで入口の防炎装置が反応しなかったんだろう。真紘ちゃんならまだしも、そんな簡単に欺けるもの?」
 重盛とブルームが話す間も、セロンはブツブツと否定の言葉を繰り返していた。
 真紘は砕け散って床に落ちたセロンの銀色の腕輪を拾い上げて二人に見せる。
「これが制御装置になっていたんじゃないかな。多分空っぽの魔石に近い働きをしているみたい。火属性の魔力を抑え込むというより吸い上げているね。ステータスを強制的に開いた時に僕の魔力に耐えられず壊れたんだと思う」
「さっき聞こえたパキンってやつか。それが壊れた音だったわけねぇ」
「これも証拠品としてお預かりします」
 真紘は懐からハンカチを取り出して広げ、バラバラになった銀色の腕輪をそれで包んだ。ブルームは懐から出した白い手袋をはめてハンカチごと受け取って言った。
「これで火属性を隠していたから刃物で刺したのか、セロン・タスゴニア」
「……あいつが悪いんだ。刺して動けなくしてから、態々腕輪を外して、最後はあいつが妬んでいた火属性の魔法で燃やしてやった。人気のない深夜の湖に呼び出したってのに、相談したいと言えば疑いもせずにのこのこ現れたさ。ああ、あああ……全部グランピーの野郎が悪い。ここ数日間、腕輪があれば俺も鉱山で働けるって説明したのに聞き入れてもらえず、ギルドに突き出される前に自主的に退職しろだなんて……横暴だ! 火属性のないドワーフの癖に、長年生きているだけで偉ぶりやがって、頭が固いところだけはしっかりドワーフぶりやがって!」
 床に座り込んだままのセロンを見下ろしながら真紘は臍の上で両手を組んだ。
「セロンさん、もう結構です。これ以上被害者を悪く言うのは止めてください。最後に一つだけ、これ、どこでもらったんですか」
「もらった?」と重盛は目を細める。
「うん。重盛も見て。腕輪の内側に入ってるのはイニシャルではないと思うんだけど」
 自信のなさそうな言葉とは裏腹に、真紘の声色は確信を持っている。
 ブルームが腕輪の破片を傾けると彫られた文字がくっきりと浮かび上がった。
 I・M
 そのたった二文字は、まだ新鮮に苦い記憶であった。
「IとM。アイムと読むんだろうね」
「おいおい、マジか……。あの集団絡みの犯行だってことなのかよ!」
「麻袋しか所持していなかったセロンさんが犯人である以上、遺体を運んだ共犯がいるのは間違いないでしょう。でもあの集団が今回のグランピーさん殺しに直接関与しているかは分からない。僕は共犯というより、二つの思惑が重なった結果だと思うよ」
「ど、どゆこと?」
 ブルームは拘束したセロンを椅子に座り直させた。
 セロンは顔を青くしたままガタガタと震え出した。
「こ……この腕輪は旅商人から買った。魔力制御の腕輪としか聞いてないんだ! あんな集団が関わっているなんて知らなかった!」
「お尋ね者組織の証が入っているものを所持していた以上、問答無用で投獄だ。あの組織は裏切り者を許さない。このままギルドの外に出ても、お前に安寧の地はないだろうな。グランピー氏殺害について全て白状した方が身のため、一生牢獄の方が安全だぞ」
「やばい集団だと思ってたけど、組織ってくらいデカめの規模感なの? ますますやべぇじゃん」
「……そうだね。セロンさん、グランピーさんは自主退職を勧めたんですよね。そのままギルドに通報することだってできたのに、彼はあなたにチャンスをくれたのではないですか? 腕輪のような悪魔の誘惑から離れた今、しっかり考えて、罪を償ってください」
 先に部屋を出るとブルームに告げ、真紘と重盛は部屋を後にした。
 無言のまま二人は廊下に立ち尽くす。やがてブルームがセロンを残して部屋を出てきた。
 そう薄くはない扉の向こうからセロンの咽び泣く声が聞こえた気がした。


 太く逞しい腕を組み、椅子にどっしりと座るバッシュフルは、真紘と重盛が来るのが分かっていたかのか、特に驚いた様子もなく、入れ、と一言だけ投げ掛けた。
 真紘は机をはさんで向かい側の椅子に腰かけ、重盛はその後ろに立った。
 パーシイ、セロンと同じく作業着は回収され、バッシュフルは煉瓦のような色のニットを着ていた。
「二人で来たってことは、依頼を受けてくれるんだろうか」
 肯定も否定でもない無言は、バッシュフルの眉間に皺を作った。
 セロンはあの後すぐに取調室から地下牢へと移された。刑務所に収容される前は一時的にそこで監禁されるようだ。
 ブルームは渋い顔をしながらも、セロン逮捕の手続きのため、真紘と重盛を残して下の階へと降りて行った。
 先ほどのバッシュフルの問いに真紘は答える。
「いいえ、ギルドよりも先に犯人を見つけてくれというご依頼をお断りするためにここに来ました」
「そうか。休暇中に悪かったな。それならもうこの街を離れるのか?」
「こちらこそ回答までにお時間をいただき申し訳ございませんでした。それとは別に、貴方と話してみたくて」
「俺と? 何をだ。ドワーフとエルフじゃ長生きってことしか共通点はねぇぞ。それとも話があるのは後ろの獣人の兄ちゃんか?」
「いや。俺じゃない」
「じゃあ何だ?」
「あの、依頼をお断りするというよりもお受けできなくなったと言った方が正しいかもしれません。グランピーさんを殺害した犯人が捕まりました。いずれ知ることになると思いますが、今、犯人を知りたいですか?」
 バッシュフルは黙り込み、天井の魔石を睨むようにして小さく首を振った。
「いや、終わったならいい。事件が解決したならお前達も早く旅に戻るべきだ」
「そうですか。ですが、もう少しお話しさせてください。ここに来るのにブルームさんを説得するのも大変だったんですよ」
「ならさっさと話せ。その様子だと元から話す、話さないを俺に選ばせる気がないんだろ」
「ふふ、すみません。では早速お伺いします。グランピーさんのご遺体を湖から第三作業場に移動させたのは何故ですか?」
「俺は殺してないぞ」
「ええ、それは理解しています。でも、移動させたのはバッシュフルさんでしょう?」
「根拠は」
「理由はシンプルです。容疑者三人の中でご遺体を運べたのはあなたしかいないからです。立派な顎鬚で隠れていて気づきませんでしたが、首元のシルバーはグランピーさんとそろいのロケットペンダントではないですか?」
 時計もない部屋に流れるのは真の無音。
 重盛だけは扉を隔てた廊下を忙しなく行き交うギルドの職員の足音を拾っていた。外に意識を向けていないと泣いてしまいそうだったからだ。
 バッシュフルは、天井から机に視線を落として穏やかな顔をして思い出をなぞり始めた。
「作業場に移したのは、あいつが仕事を、炭鉱を愛していたからだ。最後に仕事をしていたのが研修場だったから心残りがあっては可哀相だと思ってなぁ。俺は若い頃、火属性のないドワーフなんて存在価値がないと思っていた。そんな時に同じ境遇でいて炭鉱の仕事に誇りをもって生き生きと働くあいつに出会った。持たないことを嘆くのではなく、持っているものを探して掘って磨くのだと教えてくれた。だから、あいつがっ、愛した場所で……最期を迎えさせてやりたかった……ッ」
 涙を流してこそいないが、バッシュフルの悲痛な思いが十分に伝わってきた。
「あのロケットペンダントは、グランピーさんのものではなく、バッシュフルさんの物ですか?」
「ああ、そうだ。何故分かった」
「あの暗闇と混乱の中で、ご遺体のポケットからはみ出したチェーンに気付く者はどれくらいいるでしょう。立ち止まって観察した僕と重盛以外は気付いていなかったと思います。そんな中で、あなたはロケットペンダントを見てご友人のグランピーさんだとはっきり断言した。それもあなたの物だったからと考えれば納得がいきます。グランピーさんが自分の写真が入ったペンダントを所持していた、というのも妙です。一般的には自分の写真ではなく、家族や恋人の写真を入れておくでしょう。顔が判別できなければ捜査が難航すると思ったから入れたんですか? 最初は犯人だからこそ知っていたのだと思いましたが――」
「俺には夜明けまでアリバイがあっただろう」
「はい。でも作業用カートでしかご遺体は運搬できない。となると、共犯者がいる。又は、二つの事件が連鎖しているのだと思いました」
「そうだな。真実は後者だ。殺しは俺の知らないやつの犯行で、俺は運んだだけ。罪に問われても精々通報を怠った事と、遺体を動かして捜査を攪乱させたことだろう。大した罪には問われない。仕事はクビになるかもしれないが、すぐに釈放される」
 不敵に笑うバッシュフルに対し、重盛は瞳を閉じた。
「バッシュフルさんの狙いはそこですね」
「狙い?」
「最初から犯人に復讐するつもりだったのでは? どんなに時間がかかっても必ず犯人に復讐する。ところが、都合良く探偵まがいの便利屋が現れて気が急いた。復讐できるなら早いに越したことはないと」
 大きなため息とつくと、先ほどとは打って変わって憑き物が落ちたようにバッシュフルは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「失敗だったな。お前らが俺達と同じ長命種で同性同士ときたもんで、ついポロっと弱音が出ちまった。あいつと友人だったのは遠い昔の話で、今は恋人で、家族みたいなもんだったよ。あの日の夜はいつものバーで待ち合わせをしていたんだ。少し遅くなるかもしれないとも聞いていた。ペンダントもいいが、そろそろ家族にならないかって指輪を渡すつもりだったから、何時になってもいいと答えたんだ。だが、夜が明けてもあいつは来なかった。嫌な予感がして探し回った。まさか湖にいると思ってなかったがな。ロケットペンダントだけはズボンのポケットに入っていて綺麗なままだった。まあ、そんな物なくてもあいつだと判ったさ。後はお前たちの知っての通りだ」
 バッシュフルは首にかけていたシルバーのチェーンを外して、ロケットペンダントを開いた。そこには大きな口を開けて笑っているバッシュフル本人が写っていた。
 遺体のポケットに入っていた物と同じく、細かい傷が入っていて二人の歴史を感じさせる。
「グランピーさんが持っていた方ですね」
「ああ。兄ちゃんの言う通り、俺のはあれ以上遺体を傷付けられないよう、身元を証明するためにあいつに持たせた」
「……ねえ、ホントに復讐すんの?」
 これまで静観していた重盛がバッシュフルに問いかけた。その声は震えていて、真紘も鼻の奥が熱くなった。
「この部屋に入って来た時からなんとなく感じていたが、やっぱり早い段階でバレていたんだな。まあ、だろうな。だからお前らと話したくなかったんだがな。なあ、お前は自分の番を殺されたらどうする」
「真紘ちゃんを……? 多分、無理だと思う。この人を殺せる人がいたら多分神様くらいだよ。逆に真紘ちゃんがうっかり間違って誰かを殺しちゃったら俺も一緒に刑務所に入る」
「ちょっと!」
「がはっは! そういうことじゃねぇぞ」
「ごめん。分かってんだ……。でも想像できない。しようとするだけで全身が震える。寂しくて手足がバラバラになりそう。バッシュフルさんも今そうなんだろうなと思うと、しんどいどころじゃないよな」
「そうだなぁ。誰かと話してないと全身がバラバラに砕け散って、自分が保てなくなる、そんな感覚だ。なあ、エルフの兄ちゃんはどうする。あんたの番は見たところ獣人とは思えないほど穏やかで、俺の恋人と同じ類だ。いつかその優しさでコロッと逝っちまうかもしれねぇ」
「獣人ってひとまとめにすんなよ。種族の特性はあれど、それがそいつの全てじゃないってバッシュフルさんがさっき言ったんじゃん。あーでも穏やかで心優しくてイケメンでハンサムなのは当たってる」
「そうだったな、悪い悪い」
 ふんっと頬を膨らませて重盛はむくれたが、真紘は少し考え込んだ後、目を閉じて花束を出現させた。
 トルコキキョウ、チューリップ、かすみ草――。
 白い花々で構成されたそれは、グランピーの髪色を彷彿させた。
「これはっ……」
「僕は一生彼に好かれていたい。死んでも、生まれ変わっても、別の世界に飛ばされても。だから愛想尽かされないように、彼の好きな僕でいるために、綺麗な花を毎日彼に贈ります。下手っぴでも笑えるようになったら笑顔を添えて」
 笑顔でと言いながら瞳に涙を溜めた真紘は、花束をバッシュフルにそっと手渡した。
 復讐なんてしないでほしい――。
 こちら側の願いであって、バッシュフルの心まで縛ることはできない。
 花束にどうかお願いだから、という精一杯の気持ちを込めた。
 そんな様子を見た重盛は懐に手を入れると、まっぽけから差し入れに用意していたジュースと菓子を出して机に置いた。
「じゃあ俺は、花を贈ったついでに美味しいものを一緒に食べようかな。コロッケは週一くらいで勘弁してもらってさ」
「うん、僕もそれがいい。バッシュフルさん、僕達はここで失礼します。依頼をお断りした上に、プライベートなことにまで踏み込んでしまって本当にごめんなさい」
 伝えきれない想いがもどかしく、二人はゆっくりとした動きで部屋を出た。そしてドアを閉める前に背を向けたまま真紘は立ち止まった。
「最後に聞いてもいいですか」
「……なんだ」
「犯人を……。今も犯人を、知りたいですか?」
 真紘の震える背中を見て、バッシュフルはふっと笑った。
「いいや。代わりに良い花屋と、安くて美味い酒屋が知りたい」
 その言葉に重盛は勢いよく振り返った。
「わかった! ブルームさんに伝えておく。あの人、この街の良いところすっごい知ってるからさ、任せてよ」
「嗚呼、頼む」
「それとさ、先に会ってきたんだけど、パーシイさんも心配してたよ。バラバラになる前に支えてくれる人、きっとグランピーさんが大好きだった炭鉱に沢山いると思う。それから俺達もいつだって駆けつける、それこそ何年、何十年、何百年先でも」
「長命種のよしみだな。お前たちがくれた名刺も大事にするよ。ただなぁ、紙だと二百年後にはボロボロだ。もう少し考えてくれ」
「わははっ、貴重なご意見サンキュー! じゃあ、また」
「じゃあな、またいつか」


 扉がパタンと閉まると、重盛は先に出ていた真紘を後ろから優しく抱きしめた。
「良かったな。復讐止めてくれて。鼻は効かないけど、あれは嘘じゃないってわかるよ、本心だったよね」
 コクコクと頷く真紘は静かに泣いていた。
 部屋に入ってバッシュフルの暗い瞳を見た瞬間、止められないと思ってしまった。人の心は魔法で操ることはできないが、想像した通りになりそうで怖かったのだ。
 大事な人をあんな形でなくした彼の底知れない悲しみが痛くて、辛くて、悲しくて、やり切れない思いでいっぱいになった。
 これ以上傷付けないようにと遠回りすればするほどバッシュフルを傷付けてしまっているのではないかと不安になった。
 親しいパーシイにも告げていなかったバッシュフルとグランピーの関係。出会ったばかりの自分たちが踏み込むことに躊躇いもあった。
 恋人をなくした彼の前で重盛に縋るのは避けたかったので堪えていたが、今は背中に感じる熱が安心感を与えてくれる。そんな熱をバッシュフルはもう感じられないのだと思うとまた涙が零れた。
 他の男のことで泣くなよな、なんて冗談を言いながら、重盛もまた瞳から一滴だけほろりと涙を零した。


 ギルドを去る前に真紘と重盛は、般若のような顔をしながら部下に指示を出していたブルームを捕まえて、バッシュフルと話したことを伝えた。
「捜査のご協力感謝申し上げます。御礼はいつか必ず」
「こちらこそ。色々ありがとうございました。色々、でまとめてしまうのが申し訳ないほどです。勉強させていただきました」
「ありがとーございました! これから教えてもらった宿に行って、明日の朝一で出発するよ。ブルームさんもぶっ倒れる前に休んで」
「ええ、善処します。またいつか」
 出会いと別れは真紘と重盛の生涯の中で数千、数万と繰り返される。
 この切なさはいつまで経っても慣れない、慣れてはいけないのだろうと真紘は心に留めた。
 またいつか――。
 再会の約束を胸に、真紘と重盛は夕日に向かって歩き始めた。

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