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祝宴の一夜

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  シュリが、与えられた部屋に戻ると、タイミング良く部屋をノックする音が聞こえた。


ベランダのスロープから庭に出られる様になっていた部屋の窓を開け、そろりと滑り込んだシュリが返事をかえすと、早速開いたドアから、黒いワンピースと白いエプロン姿の、お仕着せを着た女性が入って来た。

女性は、自分の身体よりも大きくてひらべったい、何かが入った箱を捧げ持って、シュリに向かって丁寧なお辞儀をした。


「私、この部屋を担当させていただきます、エマと申します。以後、御見知り起き下さいませ。王子様から、今夜の宴の御召し物が、贈られてございます」


エマと名のるメイドが、テーブルの上にうやうやしく箱を置き、包みを開ける。

シュリは、その動作を見つつエマの挨拶に、柔らかく笑んだ。

処世術として学んだシュリの微笑は、天下一品。

どんな女性も、この微笑みで落として来た。

落とす、とまでも行かなくても相手に好印象を与える笑顔。

彼は、その効果をよく踏まえ、尚且つ、たま~に使用していた。


その顔に笑顔を張り付けて、シュリが話す。


「こちらこそよろしく。明日迄、お世話になります。俺の事は、シュリと呼んで下さい」

「承知致しました。シュリ様。御召し物の御着替え、お手伝い致します」


エマも御多分にもれず、シュリの微笑に好感をもつ。

そして彼女もにこりと笑うと、箱の中から、今夜彼が着る衣装を取り出し、シュリに広げて見せた。



 ── …… えっと…… ? 何なのかな、これは…… 。凄く派手なんですけど…… 。もしかしなくても、これ、俺が着るの?  ──



シュリは、贈られた衣装を見て、思わず後ずさる。

それは、白地の立て衿に、金の刺繍の入った膝丈迄ある上着。

それと、同色のやはり刺繍の入ったズボン。

小物では、房飾りの付いたサッシュベルトがあって、ブラウスは辛うじて、飾りも刺繍も無い、シンプルな物と言う代物だ。



── さながら童話に出て来る王子様衣装だな…… 。こんなの、俺に似合う訳が無い…… ──



いやいやいや、銀髪に青碧の瞳を持ち、そこそこ男前なんだよシュリは。

無自覚って怖いわ。

似合わない訳がない。

嫌、むしろ似合っている筈。

ただ、着慣れないと言うだけだ。


いや、『一度だけこういう衣装を身に着けたことがある』とシュリはふと思い返した。

遠い昔にたった一度だけ。

脳裏に甦るベールごしの幸せそうな女の微笑。

あの頃の思い出をほんの少し心に燈し、シュリはささやかな幸せに酔う。


考えにふける彼の目の前を、エマはにっこり笑って衣装を掲げる。

そんな彼女の瞳は、笑う事無く真剣そのものだった。

有無を言わさぬ迫力が、現実に返ったシュリの身を、再び緊張に晒す。

そこには、シュリとエマの無言の攻防戦があった。


「ささっ……。観念して、御着替えなさって下さいまし。ほら此処に靴も揃っておりますわ」


にっこりと笑って靴まで見せるエマに、負けを痛感したシュリは、心底彼女の怖さを痛感したのであった……。



  
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